第18話 俺のサンダーになんか文句あんのか

 変わった留め具の靴を履くのに手こずりながら城の寝室を出ると、メイドは扉のすぐそばで俺を待っていた。

 行きましょう、と静かに、しかしきっぱりと言ってから馬車に乗るまでの間、メイドは俺に話しかけてくることはなかった。

話しかける時にこちらをまっすぐに見つめてきて、そうでない時はまったく正反対に、こちらを見なかった。

 名前くらいは聞いておきたかったけど、雑談をするような雰囲気を向こうが持ち合わせていない感じがした。


「これです」


「へぇ」


「少々古い馬車ですが、雨風は十分しのげるのでご安心を」


「あっはい」


「それでは、お気をつけて」


「どうも…いってきます」


メイドと再び目線が合ったのは、そのやり取りの間だけだった。

うやうやしく一礼する様はでっかい城に勤めているだけあって見事なものだったけど、最後まで愛想のないメイドだった。


苦手だ、笑わない人は。

ずっとこっちになにかの不満を抱えているような気がしてきてしまうから。

そうじゃないとはわかっていても、つい顔色を窺ってしまう。


「ふー」


乗車するまでの道中、なんだかそれで気疲れしてしまい、まずはため息を一つついてから馬車の横にある扉を開けて中に入る。

なんちゃらクエストのドット絵でしか見たことがないので、馬車の良し悪しはよくわからない。

メイドの言う通り年期は感じられるけど少なくとも質素ではない飾りがついた外装で、外を見渡せる大きな窓があって、天井が元居た世界で乗ってた軽自動車より少し高い馬車。

そんなところから、この閉め切られた箱状の空間には、造った人のささやかな気遣いとでもいうようなものが読み取れた。


長い間使われてきたことを感じる椅子、その皮の座面に腰掛ける。

皮にはわずかずつこびりついた埃があって白んではいるけど、表面にひび割れがなくて内側のやわらかさも死んでいない。

それなりに手入れはされているようだ。


外から見ると車内の空間は狭く感じられたが、前後向かいになっている席の間は、少しくつろいだ姿勢になっても足がぶつからないように間隔がとられていて、座ってみるとむしろ広い気さえする。


眼前、表にいる眠そうな背中の御者が手綱をひゅんと動かすと、そのもうひとつ前にいる茶色い毛の馬が動き出して馬車は出発した。

俺が馬の全長の半分くらい移動した後、メイドがゆっくり頭を上げるのを視線の外で感じた。

後ろを振り返ると、城に戻りたくなりそうだから見ないことにした。

俺は少し体を横に倒して馬車の内側にもたれながら、これから起こる出来事を想像もできないままにぼんやりと夢想した。


レンガの上を走るレトロな馬車は、俺にとっては不思議な、未知の乗り心地だった。

たとえて言うなら、元の世界で毎日のようにタオルだのシーツだのを乗っけて押していた台車。

たまに仕事の嫌気がピークに達した時に、同僚の後藤や辞めちまった西戸君とふざけて上に乗ったりしてたあの台車、あれの上に立派な革張りの椅子を乗せてそこにどっかり座っているような、そんなちぐはぐなものを組み合わたような乗り心地だ。

自分のたとえを自分で想像して、それがなんだかおかしくて、俺は馬車の中でほんの少しだけ笑ってしまった。


馬車は夜明け前のまだ薄暗い道を、冒険者ギルドまで一度も止まらずに走り続けた。

もみの木みたいな街路樹、遠くにある丘や城壁、近づいてくる街並み。

それらが藍色からオレンジ色に変わりながら通り過ぎていくうちに、やがてギルドの入り口の前で馬車が停まる。

尻をさすりながら扉を開けて降りた俺をアメリが「なんで馬車から出てきたの? ホーキじゃないの? 飛ぶやつ!」と書いてある顔で発見した。


「なんで馬車から出てきたの? ホーキじゃないの? 飛ぶやつ!」


ほらな。


「あーうん、あれ酔うから」


「んんん? よーってなに?」


酔うって何?ってか。

乗り物酔いを知らないのだろうか。


「まいっか! おはようキクミヤ! 今日からお仕事、がんばろうね!」


「あーうん、おはよう。よろしくおんしゃっす」


アメリは朝から元気がいい。

冒険者ギルドの埃くさい建物の入り口で、あの口をパカッと開ける愛嬌のある笑みは、昇り始めた朝日に先駆けて太陽のにおいを放っているようだった。


「そだ! キクミヤ手ー見せてよ手ー」


「? はい」


何の話か分からなくて、とりあえず両の手のひらを見せたらアメリに両方ともわしづかみにされてひっくり返された。


「ちがうそっちじゃなくて、昨日グロウ様が魔召紋つけてくれるって言ってたじゃん! それ見せて!」


「ああごめん」


「ふふっ、キクミヤの魔召紋はどんなかなーっと」


アメリにひっくり返されて表向きになった俺の手の甲。

その右側には、夜明け前に一人の部屋でしばらく眺め続けた時となんら変わらないままの、雷を模したような紫のギザギザが刻まれている。

それが俺の魔召紋だ。


俺の手をつかむアメリの小さな手の甲も、一緒に視界に入ってくる。

俺から見て左側、アメリの右手には燃える炎のような赤い流線の魔召紋。


アメリの炎と、俺の雷。

魔召紋が刻まれたお互いの手が、つながっている。

その光景は、この世界が俺をやっとまともに受け入れてくれたような気にさせるものだった。


この世界で生きていくのが、もといた世界に比べてどれだけ大変なのか知らないけど、きっと何とかなるだろうと、そう思うことができた。

アメリはいつものように口をパカッと開ける愛嬌のある笑みを浮かべて、ワクワクを顔から放出しながら俺の魔召紋を見つめる。

なんだかよくわかんねえけど、きっと明るい顔で改めて俺を迎えてくれるだろう。

この世界に。


が。


「えぇーーーっさんだーーー……」


「え」


「さんだーかぁ……」


笑顔のまま、しだいにその愛嬌だけが引き潮みたいにスーッと去っていって瞳に虚無を宿すまでの光景を、俺は理由もわからず眺めることとなった。


なに? その顔。

俺のサンダーになんか文句あんのか。

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