ジョブゼお宅訪問(2)

 エルザベルナはパジャマ姿のまま頭を下げたまま、こちらを向こうとしない。


「無理矢理入ったのは悪かった」


 ジョブゼは何と言っていいか分からず、とりあえずドアをこじ開けたことを謝った。


 その次に何を言うべきかまた分からなくなり、立ったまま腕を組んでエルザベルナを見下ろした。


「まあ…」


「あのー…」


 数秒の沈黙の後、ジョブゼとエンダカが同時に口を開いたため、両者ばつが悪そうに互いを見交わし、後に続く言葉を途切れされた。


 やや間を置いて、エルザベルナが折り曲げた膝を解いて、少しだけその表情を見せた。泣き腫らしたようで目の周りが赤くなっている。


「私のことはほっといて下さい」


 ようやく小さな第一声が出てきた。


「辞めるか?」


 ジョブゼがストレートに言う。すると、こちらから視線を逸らしたまま、エルザベルナは小さくうなずいた。


「う~ん……」


 エンダカが取って付けたかのような深刻な表情を見せた。


「俺としては、勿体ないと思うんだが。もう剣は取らないつもりか?」


 ジョブゼの問いに対して、エルザベルナは答えを見せない。剣の道を捨て去ることは迷っているようだ。


 もしワルキュリア・カンパニーを去って、他の場所で戦うとしたら、それは逃げに過ぎないとジョブゼは思っていた。


 もちろん、逃げることも時には必要だ。だが、他で剣を振るうくらいなら、ここでやっていってほしいと思う。


 なぜなら、仲間を失うということは、戦いに身を置いていればどこでも起こり得ることだからだ。ワルキュリア・カンパニーだけの問題ではない。


 この組織だけの問題であるならまだしも、どの戦場でも起こり得ることで辞めることは勿体ないのである。


 戦いに身を置く者であれば、失った仲間に対して心の整理をつけることは必須だ。それができないとあれば、たとえどれだけ戦闘技能が優れていたとしても、戦士として使い物にならない。


 ただ、ジョブゼは意識してそういった心の処理はしていないので、他人にどう教えていいのかが分からない。


 ただ敵と戦って倒していればいいわけではない。ジョブゼにとっては難しい分野であった。


「……レミファは、私に憧れていたんです」


 エルザベルナがぽつりと言った。


「知ってたのか」


 レミファはそのことを知られたがっていなかったが、エルザベルナには伝わっていたらしい。


「もし共に戦っていたのが私じゃなかったら、レミファは逃げてたはずです。レミファは本来、任務よりも仲間や自分の命を大切にする子だったから……。最後にクロスブレードを使ったのも私の判断ミスです。私がレミファを殺したようなもの……」


「……だからもう戦いの場からは降りる。そういうことか」


 ジョブゼが念を押した。あまり時間をかけるつもりはないので、腰を落ち着けはしない。


「レミファの目標は私だったのに、私はそれに応えることができなかった。守れなかった。導けなかった。私があの子の剣の道を、人生を終わらせてしまった。もう、これから先、これ以上こんな気持ちを、大切な仲間を失うことになるんなら……」


 エルザベルナは一息置いて「もう私は剣を取れない」と締めくくった。


「自分が傷つくのは、死ぬのはどうなんだ? お前は死は怖くないのか?」


 ジョブゼが問う。


「私は騎士です! 死は恐れません! 守るべき者の死が怖いのです!」


 エルザベルナはキッとした表情をこちらへ向け、語勢を強くした。そして「……ごめんなさい。死ぬのは怖いです……でも、失うことの方がより辛いというのは、本当です……」と続けた。


「俺にはその騎士の気持ちとやらはよく分からんが、そういう理由なら辞めん方がいい。お前は仲間を失うのが怖いって、他人のせいにして逃げてるだけだ。お前自身が平気なら戦うべきだ」


「こんな気持ちのまま、私に戦えと仰るのですか? ジョブゼ殿」


「慣れろ。俺やエンダカのように。じきに何も感じなくなっていく」


 ジョブゼは言った後、少しばかり辛辣だったかと後悔した。しかし紛うことなき事実だ。そこら辺の普通の腕の戦士ならともかく、エルザベルナほどの優れた剣士が、この程度の感情の処理もできずに潰れていってしまうのは余りにも惜しい。


「ジョブゼ殿の言う通りだ。そんなことでいちいち悲しんでたらやってられないよ」


 エンダカがジョブゼの後に言葉を続けた。


「……でも私は、仲間の死を、レミファのことをそんな風にしか思えないようにはなりたくないのよ」


 エルザベルナは辛そうな表情をエンダカに向けた。


「分かる。ホントそれは分かる。僕だってそうだ。エルザは本当に今までよく守ってきた。この隊でいつもあんだけ依頼受けて、味方に損害出さないできっちり達成してんだから奇跡だよ。僕なんて君の十倍は部下を死なせてる。だからさ」


 エンダカの褒めたつもりの台詞に対し、エルザベルナは不愉快そうな反応を示して話を途中で遮った。


「奇跡じゃないわ。小隊を預かる身として、被害が出ないように指揮してるんでしょ!? 私はそうやって部下の命を軽々しく扱う神経が理解できない!」


 エルザベルナの言葉を受けて、エンダカが若干気後れしたような表情で、車椅子の背もたれに背中を預けた。


「うっ……ぼ、僕だって、ただ慣れて不感症になってるわけじゃないさ。ほら、僕の足なんて、こんなだよ?」


 エンダカは屈んでズボンの裾を上げ、金属製のギミック、つまりは義足に置き換えられた両足を見せた。


 エルザベルナとジョブゼがエンダカの義足に視線を移動させた。


「右腕もこんなだし」


 エンダカが左手で右腕の袖を上げた。両足の義足と同じように、鈍い灰色に輝くギミックアームがそこにはあった。利き腕を失ったエンダカはこのダメージにより剣の道を諦めている。


 そしてエンダカは左目に装着している銀縁のモノクルを外し、右側だけ長く伸ばした前髪を上げてみせた。


 普段は長い前髪で覆い隠している顔の右半分。それは見るも無残に焼けただれており、右目も失われている。


 エルザベルナは物憂げな表情でその顔を見つめていた。


「今でも火傷の跡は痛む。少なくとも、君よりは死んだ仲間が受けていった痛み、苦しみは身を持って味わってる。エルザは僕より遥かに優秀だけど、僕は出来が悪い分、このジョブゼ隊で生死の境目を何度も実感してきた」


 そう言って、エンダカはモノクルを着け直した。


「エンダカ」


 エルザベルナが口を開いた。


「はい」


「あなたには私とレミファのような、言葉を交わさずとも心を通じ合える仲間っているの?」


「いないけど」


 エンダカが即答した。


「あなたが戦いで傷ついてるっていうのは分かるけど、私が言ってるのとはちょっと違うと思う。ごめんなさい。ただの同僚が死んだっていう、そういうことじゃないの……」


「そういうことじゃない、とは……」


「いいの。口で言っても分からないと思う。この気持ちは。ごめんなさい」


 エルザベルナは悲し気な微笑を浮かべて言った。そう言われてしまったら、最早エンダカは黙るしかなかった。


 ジョブゼはそろそろ最終的な決断を下そうと思っていた。ダラダラ話していても仕方がない。ジョブゼ自身はエルザベルナに辞めてほしくはなかったが、本人にその気がないなら仕方がない。


「お前の気持ちは分かった……」


 ジョブゼは重々しく言った。ジョブゼ隊において数少ない、優秀な管轄従者を失うのだから重々しい気持ちにもなる。仲間を死なせず、同時に任務も遂行する。的確な指揮力と抜群の戦闘能力を兼ね備えた優秀な人材だった。


「申し訳ありません」


「それでも、正式に退職の手続きとかはしなきゃいけないから、一度はウィーナ様の屋敷に来ないと」


 エンダカが言うと、エルザベルナは「分かってる」と返した。


「残念だが、無理に引き留めるわけにはいかんからな。今回の件、お前独りで抱え込んでいるが、実際、お前の小隊だけでやれると判断した、隊長である俺のミスだ。……すまなかった」


 ジョブゼは最後に一度だけ、深々と頭を下げて謝った。


「いえ……」


 やはりジョブゼに頭を下げられても、レミファを失ったことによりできた心的な重しを軽減するには至らないようだ。


「お前が辞めるということは、ウィーナ様に報告しておく。また改めて使いの者が来るだろう」


「はい」


「邪魔したな。あんま気に病むなよ」


 ジョブゼはエンダカの車椅子を押し、部屋を去ろうとした。去り際に、エンダカが「ちょっと」と言ったので、ジョブゼは車椅子を止めた。


 エンダカは車椅子の背もたれをエルザベルナに向けたまま、首を振り向けた。


「確かに僕は、今まで戦場で信頼できる戦友ってものを持てたことがない。多分これからも……。君のような悲しみを味わったことがないまま、仲間を死なせ続け、僕自身こんな体になったら余計仲間の死に鈍感になった。でも君の仲間の死に対する態度は、ちょっと個人的にはどうかと思う」


 エルザベルナは若干エンダカやジョブゼからは視線を逸らし、脚を床に垂らしてベッドに腰かけていた。エンダカは更に続ける。


「今回、死んだのはレミファだけじゃない。パレッド、コスター、ゴランド、メインズだって命を落としてる。さっきから君の口からは」


「それは分かってる!」


 エルザベルナはエンダカの言葉を途中で遮って反論した。ジョブゼには彼女が若干むきになったように見えた。


「いや、君は『ただの同僚が死んだってことじゃない』と言ってたよ。僕に言わせれば『心を通じ合った仲間』であろうと『ただの同僚』であろうと、同じ戦場の仲間であることには変わりない。戦死したっていう重大さに違いはない。エルザの言う騎士って、守るべき者って……」


「だってそうやって割り切れるわけないでしょ! 頭だけで分かったようなこと言わないでよ!」


 エルザベルナが今日会ってから一番感情的になった瞬間だった。


「その感情の割り切りを僕やジョブゼ殿に対して否定するのであれば、エルザも僕らと変わらない。君は僕達のようにはなりたくないって言ってるけど」


「どういう意味よ?」


「だって君は明らかにレミファとそれ以外で悲しみ方に差をつけている。もしこの前の件でレミファが死んでなかったら、君は今日も普通に剣を取り、任務に出ていたでしょ?」


「そ、それは……」


「だったら君の悲しみは単なる独りよがりだ。たまたま深い仲の仲間が死んだってだけ。メインズ、コスター、ゴランド、パレッド、みんなそれぞれ人生があった。パレッドなんかは闇金から借金してまで魔法塾に通って、ヤクザ系ギルドの取り立てを受けながら回復魔法を学んでた。君の言う、特別な縁も絆もない『ただの同僚』を救おうとして。報告を見る限り、レミファは生き延びる選択肢が十分残されているのに、エルザに無様なところを見られたくないという私情に囚われて」


「エンダカッ!」 ジョブゼは大声を上げた。エンダカが黙る。「そこまでにしとけ。よく戦って死んでいった奴を責めるな」


 部屋を沈黙が支配した。エルザベルナもエンダカも言葉を出せない。


「じゃあな、エルザベルナ。邪魔したな。ドアの修理代は組織につけといてくれ」


 そう言って、ジョブゼとエンダカはエルザベルナの屋敷を去った。







 帰り道。


「……エンダカ」


「はい」


「お前の言ってることは間違ってる。お前が言ってるのは、親が死んだのとご近所さんが死んだのを同じように悲しむか、または平等に悲しむなと言ってるようなもんだ」


「申し訳ありません。エルザがレミファレミファって、レミファのことばっかりで、他の連中の補償とか、葬儀がどうなったかとか、そういうの全くなかったんで、そりゃないだろって思えて」


「俺達は鍵のかかった部屋をこじ開けて、整理のついてないアイツの中へ入り込んだ。公の場だったら、角が立たないように、他の連中のこともちゃんと悲しんでみせただろうよ」


「僕もそう思います」


「だが、お前のああいう考えは嫌いじゃない。さっきは話を途中で終わらせて悪かったな。続きは後で酒飲みながら聞いてやる」


「別にいいですよ……」


「まあそう言うなや。俺のおごりだからよ」


「財政官の息子が農民上がりのジョブゼ殿におごってもらうなんて」


「同じ戦場の仲間なんだろ? なら身分だって関係なかろう?」


「すみません、そうでした……。今の発言、撤回します」


「せんでいいよ。さっきエルザベルナに『そんな風にはなりたくない』って言われた方が余程くる」


 ジョブゼが車椅子を押しながら貴族街のゲートにやってきたとき、行きのときにはいた見張りの兵士が消えていた。


 がら空きになった門を、牛を引っ張って鍬をかついだ農夫のオヤジが平気で横切っている。


「見張りはどうしたんだ?」


 ジョブゼがエンダカに尋ねた。


「サボりですね。結構あるんです」


「そういうもんか」


「そういうもんです」







 エンダカ以下、五名の隊員が死んだ。


 悪霊化したレミファに殺されたのだ。命からがら何とか撤退できたのは、エンダカの直属であるデフォル一人だけだった。


 冥界人の悪霊化は重罪である。


 あらゆる世界の死者が集う冥界に生まれ育った冥界人が悪霊化するなど、絶対にあってはならない。悪霊本人の討伐はもちろんのこと、家族親戚全てが問答無用で処刑される。


 ギガントローパーと戦った戦場を彷徨っていたレミファの魂は、その場で打ち捨てられていたギガントローパーの死体を取り込み異形の肉体となって復活したのである。


 あのエンダカですら敵わない、恐るべき強さとなって。


 事態は急を要した。


 このことが冥王軍に知られたら、レミファの家族が死罪となる。一刻も早く、周囲に被害が及ぶ前に浄化しなければならなかった。


 ウィーナもジョブゼもより重要な任務で動けないため、エンダカの小隊を向かわせたが、このような結果となってしまった。


 上記の情報は、エンダカが身を挺して庇った唯一の生き残り、平従者・デフォルが知らせてくれたことだった。


 かくなる上は、ジョブゼ隊隊長・ジョブゼ自身の単独任務でケリをつけるしかない。


 そんなとき、出陣を控えるジョブゼの前に一人の人物が現れた。


 軍服風の戦闘服に身を包んだ、長剣を携えし女剣士。凛としたその立ち姿に加え、腰まであるロングヘアーは、さながら騎士の羽織るマントのように風になびく。


「エルザベルナ・ラ・マーナ・グランハルド、只今復帰いたしました。今まで隊の皆様にご迷惑をかけ、誠に申し訳ありません!」


「エルザベルナ、お前……」


 ジョブゼは突如のエルザベルナの復帰に面食らった。彼女の力強い表情からは、この前会ったときの塞ぎ込んでいた様子は微塵も感じられなかった。


「ジョブゼ殿、私もお供します!」


「お前、戦う相手が誰か分かって言ってるのか?」


 ジョブゼが言った。エルザベルナが戦列を離れた原因を考えれば、今回の敵は余りに業が深い。


「……レミファは死にました。私の知っているレミファなら、自分が悪霊になって家族を罪人にすることなど、間違っても望みません」


「本当にやれるか? 言っとくが俺は戦いを楽しみたいんだ。平や中核ならともかく、お前程の強さなら、俺はいちいち戦闘中面倒見ねーぞ?」


「百も承知です。この剣で、エンダカ達の仇を、ゴランド、パレッド、コスター、メインズの仇をもう一回討ちます! ……そして願わくば、レミファにはウィーナ様の安らかな眠りを……」


 力強い決意を聞いて、ジョブゼはニヤリと口元を歪めた。その決意の真偽の程は、この後の戦いで明らかになるだろう。


「よく言った! 来い!」


「ハッ!」


 ジョブゼとエルザベルナは、颯爽と悪霊化したレミファの討伐へと乗り出していった。


「どうか……、お気をつけて……」


 エンダカに守られて命を拾ったデフォルは、戦いの場へ赴く二人の背中を、深々と頭を下げて見送っていた。


<終>

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やるせなき脱力神番外編 ジョブゼお宅訪問 伊達サクット @datesakutto

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