いつまでも忘れない

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「……か…、神崎……くん…?」


声を掛けても、一向に返事をしない。いや、するはずもない。

あまりに突然の出来事に、思わず硬直して気が動転してしまった。


真夜中の大きな倉庫の道で、壁に寄りかかって、頭部から血を流す神崎くん。

彼の目の前に立つのは、先が真っ赤な鉄パイプを持っていた、デイビット。



「神崎くんっ…!?かんざき…くん…っ!!!」


すぐ彼の近くに寄って、肩にぐっと手を乗せて声を掛け続ける。

けれど目を開く事もなく、やっぱり未だに返事はしてくれなかった。



う…、嘘…?


神崎くんが今死んじゃったら、私……!!!!



その時、背後から腕を掴まれた。この大きな手に反応し、私はバッとその主を横目に見る。


「ハハハッ!いいですね、その目は。私の記憶に残りそうです」


こんな状況でも、デイビットは笑う。…まるで悪魔みたいに。

そして腕を掴まれたまま、私は恐怖のままに壁へ壁へと追い込まれる。




「_______さて。アナタも、もう終わりにしたくありませんか?…おっと動かないで、余計に傷が深まりますよ」

「いや……、いや、いや…っ!!!!」


もう一方の手には、神崎くんを殴った鉄パイプを持っていた。

必死に身動きを取ろうとしても全く動けず、そして彼の持っていたそれが振り上げられ、ひたすらに目を瞑って叫んだその時。



……ドッ!!!

鉄パイプが、強く当たる音がした。




「_____感心しないな、デイビット。やはり交渉は破談で正解だった」


一瞬、何が起こったか分からなかった。

ただ全く痛みは感じず…、縮こまった私の目の前に「救世主」がいた。



「ッ……!アナタは…!!」

「済まないな、七瀬実花。こんなことに巻き込んでしまって。少し調べ物があって、来るのが遅くなった」


その疲れ気味な陽介さんの声に、思わず安堵する。

私の身代わりになって、鉄パイプの攻撃を受けてくれたみたいだった。



焦って気が抜けているデイビットを見て、陽介さんはその隙にパイプを奪って遠くへ飛ばし、彼の体を床に押し付ける。

その姿、まるで粋な刑事みたいで、思わずちょっと胸が熱くなる。


「私を捕まえても、いい事なんてありませんよ?RE.Dでの罪は…問われない!ハハハッ!」

「それはどうかな。君は今、小学生男児に重傷を負わせた。十分な罪は問われるはずだ」


二人の会話は、まるで本当に悪い意味で、腐れ縁な雰囲気がした。



こんな悪魔のような人間なんて救いようがないと、私は心の中で思う。

そんな風に思っていた私の事も知らず、デイビットはただ気味悪く笑い続けた。




やがて別の部屋にデイビットの身柄を拘束して、神崎くんの元へ戻る。


「陽介さん、彼は無事なんですか…!?」

「まだ無事だが、命に関わる状況だ。病院に電話しておいたから、救急隊がすぐに駆けつけるだろう」


私は陽介さんに対し、ぺこりと頭を下げた。

真っ赤なおでこが目立つ、口を少し開けて無反応な神崎くんの方を見る。

髪の毛の下からとにかく出血してるし、それを見て不安になる。


「七瀬実花。君の『死の運命』は過ぎ去った。もう命に関わることは起こらないだろう。

……この彼が、全てを背負った形になってしまったが」



私は彼の肩に手を乗せ、彼を想う。


神崎くんはこれまでの間、「運命を変えること」を諦めなかった。

私と一緒に協力してくれたのもそれを変えるためで、本当に諦めきれなかったのかもしれない。


そんなものが、自分にどんな影響を受けるのかも知らずに。

私たちの事なんかより、もっと自分自身のことを心配すればよかったのに…!



元々、私がここまでやって来たから、神崎くんを危険な目に合わせてしまった。

何度でも謝りたいから、お願い。早く…はやく…!




「_______お願いだから、早く戻ってきて…っ」


その目をぎゅっと閉じて、心の中でただただ祈り続けた。

いくつもスーッと涙が頬を伝い、少しだけくすぐったい。



「彼のことが、本気で好きだったということか」

「………。」

「…済まないな。こんな結果を生み出してしまうとは、私自身も思わなかった」


そんな…!それじゃあ、神崎くんが死んじゃうみたいな言い方だよ…!?

一瞬冗談だと思い、陽介さんの方を見る。いつも以上の真顔で落ち込んでいる様に見えた。




そんなのって、ないよね…?神崎くんがこのまま死んじゃうなんて、あり得ないよね…?


村野くんの家で神崎くんと初めて顔を合わせた時。私の命の危険に真っ先に助けに来てくれた時。

雨の公園で泣いていた私を抱きしめてくれた時。そして、二人きりの歩道橋を何度も歩いた時。



これまで過ごした神崎くんとの時間が、頭いっぱいに浮かんでくる。


…けれど、もう……そんな思い出が、私の中で消えてしまいそうな気がして……

泣いた勢いで思わず、プチリと意識が切られていた神崎くんを、おもいっきり抱き締めた。


う、うそ……わたし、わたし……!!



________ねえ、神崎くん。……まだ、終わりなんかじゃないよね……?

































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「………。」


ゆっくりとまぶたを開く。何だか、頭が物凄くぼーっとした。

まるで今までの事が嘘だったかのように、穏やかな鳥のさえずりが、晴れた窓の外から聞こえてくる。

ここは部屋の中…なのだろうか?


目を僅かにはっきりとさせると、どうやらここは…見覚えのある、真っ白な空間だ。

思わず布団の中の脚を動かそうとするが……ピクリとも動いてくれない。



………ん?


自分の手をちらっと見ると、元の高校の頃の姿に戻っている。…というより、それより少し大きいような…。




「……あ、あれ?起きられたんですか!?」


すると、部屋の中に入ってきたマスクをつけた看護師の女性に、驚いた顔をされる。

あれ?その瞬間、僕は何かを察した。ここは病院で、僕は今……




その後、医者の方からここで詳しい話を聞く。

ここ数年間、頭蓋骨を鈍器で殴られた衝撃で、僕はずっと病院のベッドで眠っていた。


つまり、「昏睡状態」だった…というわけだったらしい。

それも約8年…。かなりの時間をここで過ごしたそうだ。




現在の日付は……「2021年5月26日」。

正直そう聞いた時、あまり信じることは出来なかった。医者の人も、随分と気にかけて話してくれる。


同時に、あらゆる疑問が浮かんだ。

僕は昏睡状態で、七瀬さんと同じ高校に行くことはなかった。みんなは今、どうしているのだろうか。


もう一つ。デイビットや殺人兵器RE.Dは、最終的にどうなったのだろうか?

……いや。それ以外にも、まだまだ分からないことだらけだ。



「うっ……だ、大丈夫か、浩太!!」


医者の人が立ち去った直後。まるで切羽詰まったようにやって来た彼。

それはこの頃にはもう死んだはずの、僕の身内。口にマスクを付けていた。


父さんが、い…生きてる!?ってことは、RE.Dはもう起動していないのだろうか。



自分が今見ているものが信じられなかったのか、父さんはじっと目を凝らして僕を見た。

随分と心配するような目だ。かなりの時間眠っていたから、当たり前の反応だと思う。


「……なに…が」

「ん?」

「………何が、あったん…ですか。みんなは…どうしてますか?」


それを聞いて唖然とした表情だ。僕の敬語に驚いたのだろう。

声変わりしたこの懐かしい低い声。使うのが久々すぎて、すぐには上手く話せなかった。




小学校の同級生だった長谷田くんに茅野さん、寺岡くんも、今は別々の進路を歩んでいるらしい。

七瀬さんの母親は、僕が昏睡状態になってからすぐに科学者を辞めて転職し、今は電話に掛けても出ないそうだ。


そして僕は肝心の、七瀬さんの安否について聞いた。


「…悪いが、それ以上のことは聞かされていないんだ。力になれずすまない」



どうやら父さん自身も、聞かされていないことが山ほどあるようだ。

ってことは…。父さん以外の人が何か、知っているのかもしれない。


ふと、窓の外の上をちらっと見る。太陽の光を、多少の雲が阻んでいた。

こんな空模様の時はどうしても不安になってしまう。



…すぐにでもこの病院を飛び出して、七瀬さんを見つけてしまいたい。

けれど今は手足の筋肉はあまり動かない状況で、そんなことは出来るはずがない。


そんな風に考えていると、父さんは仕事へ立ち去っていった。

確かに、さっきまで白衣を脱いだ仕事着だったような気がする。




その日の夕方。一人だった僕の元に、もうひとり見覚えのある人が現れる。


「…久しぶりだな。君の父親から目が覚めたと聞いて、駆けつけてきたよ」

「よ…陽介さん…!」


8年ほど経ったせいか、彼の頭から多少の白髪が目立ってきたような気がする。

けれど見た目はほぼ変わっておらず、クールな中年のままだった。


僕は陽介さんに、聞きたいことがたくさんあった。



「あの…。どうしてみんな、マスクを付けているんでしょうか」

「ん?ああ、そうか。それについては、話が長くなる。今は気にしないでくれ」


そういえば、陽介さんも口にマスクを装着している。今、インフルエンザでも流行っているのだろうか?


「それより。君は何より一番に、私に聞きたいことがあるはずだ。そうだろう?」



それを聞き、ハッとする。確かにこんな考えで頭がいっぱいだった。

彼女は今、どうしているのだろうか…って。


丸椅子に座った陽介さんに、思い切ってこう質問する。ここに来て唯一聞きたかったことだ。




「あの。七瀬さんは……元気ですか。」




そう聞くと、こう返ってきた。



「彼女は今も元気にしているよ」


陽介さんらしい、淡々とした返事だった。



……それを聞き、全身の筋肉が脱力した気がした。元からなんだけれども。

ただよかった、よかったって、心の中で想い続ける。そんな風に思っていると、涙腺すらスッと脱力した。


「あの時私が駆けつけなかったら、彼女も血塗れだっただろうな。とはいえ、君がRE.Dの身代わりを受けたから、そんな事は無いと思うが」

「僕が代わりに、七瀬さんの死を受けたってことですか?」


そう聞くと、頷く陽介さん。


「……話が早くて助かる。君が今ここで目を覚ましたことすら、奇跡に他ならないんだ」



こんな時に限って、七瀬さんが夕方の歩道橋で見せてくれた、あの笑顔を思い出す。

僕にはもう、あの子しかいない。彼女の笑顔を思い出すと、過去の苦い記憶が消えてゆく気がして…


結局、布団に嬉し涙が滲みてしまった。

下を見ていた僕に、そっと青いハンカチを差し出す陽介さん。僕はそれを受け取って使った。


「いいかな?」

「…あ、はい。ごめんなさい」



どうやら気を遣って無言になっていたらしく、話の続きをしだした。


「例の場所に設置されていたRE.D本体の中身は、赤い石だった。タイムスピナーの核である、青い石よりサイズは大きいが、性質は同じだ」

「赤い…石……」


前に陽介さんは、たまたま山奥で見つけたって言ってたけれど…。

デイビットも、同じようにどこかに石が落ちていたのを見かけたのだろうか。



「もちろんあの石は、二つともハンマーで砕いて処分した。これ以上あの研究を続けていると、ろくな事がないと思ったよ。

…科学者として、多少の後悔はある。だがな、我々にとっても、君たち以上の人間を犠牲にしたくはなかった。」

「……賢明な判断だと思います」


石の研究に囚われず、思い切って処分した陽介さんは、すごい人だ。

確かに、これ以上あの石の謎を追求し続ければ、また犠牲者が現れていたかもしれない。



「あの。最後に陽介さんに聞きたいことがあって」


僕がそう話すと、陽介さんが改まって体の向きをこちらに向けた。




「…どうして今まで、僕らにこんな事を頼んできたんですか」


ずっと、その事が気になっていた。


僕と七瀬さん以外の人にも、千里さんやRE.Dのことを、頼む事が出来たはずだ。

なのに何故、僕たちにこだわったのだろうか?



すると、陽介さんは深呼吸をした。

そこまで緊張して話す事なんだろうか?よっぽどの理由のはずだ。


「ああ、それは……_________」



そして、陽介さんが打ち明けてくれた。これまで僕たちにタイムスピナーを託してきた「理由」を。

…なるほど。彼が話した理由を聞いて、今までの謎が全て解けたような気がした。


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翌日の朝。重たいまぶたを開くと、不思議な感覚がしていた。

布団の僕の脚に、誰かが乗っているような感じだ。昨日のリハビリの影響か何かかと思ったけれど…違う。


いいや、それは大間違いだった。




大人びた七瀬さんが、僕の脚に頭を乗せて眠っていたのだ。


すーすーと静かないびきを立てていて、大人なのに愛らしい寝顔を横から見ていると、何だか心が和らいだ。

波のかかった髪はストレートに変わっていて、服装もフォーマルになっていた。



随分と大人びていた七瀬さんだが、表情と雰囲気は高校の時とほとんど変わっていない。

……高校時代、こんな子に僕は好かれていたのか。そう考えると、僕には勿体無さすぎる。



「七瀬さん」

「……は、ひゃい」


寝ぼけた顔で、ゆっくりと起き上がる七瀬さん。

丸椅子に座って戻る。眠気が覚めたのか、僕を見て驚いた表情をした。


「って…、か、神崎くん…!本当に目、覚ましちゃったんだ…!?」

「うん。久しぶり」

「本当だよ…!わ、私、あの頃からずっと神崎くんのこと心配してて…」



七瀬さんが僕を見つめるのと同時に、少しずつその雫がぽろぽろと落ちる。

そんな感情が現れるぐらい、ずっと僕のことを心配してくれていたように見える。


泣きじゃくる彼女に、僕はゆっくりと近づく。

すると七瀬さんの方から、その手を僕の背中にぎゅっと回した。


「ひぐっ…うっ、ぐふっ…!!」



かなりのしゃっくりの量だ。そんな彼女を見ていると、近い場所にいるのにもっと近づきたくなる。

僕も七瀬さんの背中にゆっくり両手を置くと、もうしばらくその状態でいた。




やっとそれが落ち着いて冷静になると、七瀬さんから友達についてを聞いた。


どうやら高校になって、村野、蒼さん、中島さん、ホノカさんと奥原さん、新たに千里さん、乙音さんと再会。

今は何事もなく全員卒業して、みんな社会人になったところらしい。元気にやっているようだ。


「みんなRE.Dの影響は受けなかった。私たちが頑張ったおかげだね」

「うん…そうだね」



そして現在、村野と蒼さんは、お互いに付き合っているらしい。

…かつて村野は、彼女に片思いをしていた。しかし彼女は付き合っている人がいて、成立しなかった。


そう、新田慎一のことだ。RE.Dの影響を受けなくなったことにより、村野と蒼さんは付き合えるようになったのだろう。



「これにてハッピーエンドになったかどうかは、分からないけれど…これからみんなでそうしていこうよ?」


七瀬さんの言葉に、僕はこくりと頷いた。



「……じゃあさ」

「ん…?」

「七瀬さんは、今付き合ってる人とかいるの?」


そう質問すると、びくっと反応した七瀬さん。

あれ、もしかして、いる…?いやいや当たり前か。もう、かれこれ8年ぐらい経つし。



「い…いないよ!?私は、私はずっと、神崎くん一筋でやってきたから!!」


すると何故か、軽く怒ったように両手を頬に乗せる。

僕一筋って……なんだか、職人みたいな言い方じゃないか。


「え、本当にいないの?でももう8年経ってるし、流石に僕も怒らないよ」

「いや、そっ、そうは言っても……ずっと、忘れられなかったから…」


小声でぶつぶついいながら、両手をそのままの状態で猫背になる七瀬さん。

恥ずかしげに下を向いて、普通の声でこう言う。




「ずうっと、神崎くんの告白が、忘れられなかった……」


ん?僕が、告白?そんなこと、した覚えは_____





…あっ。



『………僕は弱い人間、なんだ』

『……へ?』

『だからその、そんな僕が今更……七瀬さんを好きになってもいいのかな……って、あ』


そういえば、歩道橋でこんな事を言ってしまった覚えがある。

あれが七瀬さんにとって、告白扱いされていたのか!?



「だから、私、彼氏はいない。これは本当だから…!

信じられないのなら、今度村野くんやりんちゃんと会った時に聞いてみれば…」

「______好きです」

「………。」


……あ。七瀬さんのその姿を見て、つい言ってしまった。


それを聞いた彼女は、口を開いたまま、両手を下ろす。

唐突な沈黙に、自分の言ったことの重大さを思い知った。



「……っは…は、は、はは…は」


口が強張る七瀬さん。固まった顔は全く笑っておらず、沸騰したように赤くなっていた。

彼女のその表情をちらちら見ていると、心臓の鼓動も激しくなり、こっちまで恥ずかしくなってきてしまった。


……け、けれど…!!



「も、もうこの際だから本当のことを言います。僕は七瀬さんと付き合いたいです。いやもう、僕たちは大人だから……結婚でもいい」

「け、けけけっ、結婚っっ!?!?」


完全に自分の感情のペースに乗っ取られている。

布団をガバッと自分の口元に寄せ、なんとかその行き過ぎた感情を抑えようと試みる。


「ぁ…い、いや!結婚を、前提に…でも」


もごもごとそんな事を言ったとしても、特に状況は変わっていない。

これは…やりすぎたかもしれない。断られたらかなり気まずいし、早くこの場から逃げてしまいたい。


……な、なんで僕、こんな事言ったんだ……。

ようやく我に帰った時点では、もう時すでに遅しで………




「…わ、私も、神崎くんが好きっ」


その瞬間、驚いて顔を上げた。目線が合ってドキリとする。…可愛すぎる。

その丸い目、表情、話し方…。完全に僕は、七瀬さんにハートをがっちり掴まれていた。



「うん…。結婚を前提に、なら…。こちらこそ、よろしくおねがいします」


スッと横に目を逸らして、たまにこっちを見ながら、小声かつ僕に聞こえるように言った。

……え?い、いいって…ことなのか?そう確認すると、彼女ははっきりと頷いた。



う、嘘…!?じゃあ僕らはもう、恋人同士?

僕はしばらく動揺して首を動かしたが、直後にそれが現実であることを理解した。


こんな慌てる自分が情けない。…ただ、今はこの気持ちに酔いしれていたい自分もいた。

病室に二人きり。動揺する彼女をじっと見て、僕は幸せを噛み締めた。



ようやくずっと、七瀬さんと居られるかもしれない…って。

これからの人生はどうなるかも分からないけれど、僕の心は常に…彼女を思い続ける。


─────────────────────────────────


軽自動車の助手席に乗って、とある場所までドライブしていた。

あいにくの曇り空を車窓越しに眺めながら、隣の席にいた七瀬さんに話しかける。


「まさか、こんなあっさりと外出許可がもらえるとは思わなかった」


七瀬さんはハンドルを握りながら、僕をちらっと見て、「うんうん」と頷く。

僕は行きたい場所があったので、医者の人から1時間ほど外出許可をもらい、七瀬さんに運転を頼んだ。


……正直、七瀬さんも許してくれるとは思わなかったけれど。


「運転ありがとう。…七瀬さんは、本当に大丈夫?」

「え?何が?」

「七瀬さんにとってちょっと嫌なこと、思い出さないかな…って」



すると何故か、彼女はクスリと笑った。


「ううん、全然!私は大丈夫!前もここに来たことあるから」


そんな風に笑う七瀬さんは、純粋に楽しそうな表情だった。

…僕が心配するまでの事はなかっただろうか。その大人びた姿に見惚れてしまい、ふと時間を忘れてしまった。




自動車で目的地に着くと、七瀬さんはハンドルに手を乗せ、一息をついた。

僕はそこから降りて、車椅子に乗る。彼女もそれを丁寧に手伝ってくれた。


しばらくそのまま、車椅子を押してもらう。

土の上を進んでいくタイヤの音は、どこか聞いていて心地いい。


「ごめんね。こんな情けない姿で」

「ううん、情けなくなんてないよ……あっ、もう着いたよ。この辺かな?」


すると七瀬さんは車椅子のハンドルを握りながら、ピタッとその場に止まる。

僕たちはその場で、目の前の景色を眺めた。



そこは、あの日の黄色い花の思い出が、何もかも蘇る場所だ。


こんな天気じゃなければもっと良かったのかもしれない。

しかし、今にも雨が降りそうな曇り空でも、どことなく切なくて淋しげな魅力がある。



「……お花畑の向日葵、きれい」


七瀬さんは僕の隣に来て、深呼吸をする。

向こう側を見て、目を閉じて息を吸い、吐く。そんな様子を横から見ていた。



「私、お父さんと同じ、弁護士になったんだ。困っている人を一人でも助けたいから…綺麗事かな?」

「えっ?すごいじゃないか」

「へへ、苦手な勉強もいっぱいしたもんね!今はもうマシになったけど」


目を開いてこっちを見て、自慢げに微笑む七瀬さん。

そうか…何だか安心した。彼女は自分のやりたい事が叶って精一杯なようだ。



「…けれど」

「ん?」


すると突然七瀬さんは、憂鬱な表情に一変し、曇り空を見上げた。


「もう夢は叶えちゃったから、ひと段落ついてたんだ。何もすることがない」


…いや、違う。憂鬱というよりかは、淋しそうな印象だった。

僕は彼女の肩に手を差し伸べようとする。しかし、力が入らず、気も乗らなかったため断念する。



「ねえ、神崎くん。これから私どうすればいいのかな」


その問いかけに、思わずピクリと顔が動く。



「_____ねえ、七瀬さん」

「…な、なに?」

「少しずつでいいんだよ、少しずつで。生きられる時間は限られてるけど、あんまり急ぐ必要はないから」


それを聞いた七瀬さんは、僕を見た状態で、ハッとした表情をする。

僕がこんな励ましみたいな言葉を言ったことに、よっぽど驚いたのだろうか。


「…ふふっ」

「ん?」

「神崎くんらしくないね。ありがとっ」


すると、彼女は再び微笑んだ。さっきの様子に戻って少しだけホッとする。




「……あのさ、もうそろそろ名前で呼ばない?」


僕が何気なく言った言葉に、七瀬さんは思わず吹いて笑う。



「あ…そういえばそうだよね!?私たちずっと名字呼びだった!その方が呼びやすかったから!」

「うん僕も一緒だった。もうお互いに、恋人…同士だし、いいかな」

「あっ…。う、うん。もちろん」


和むような場が一変して、少しもどかしいような会話になってしまう。

「恋人同士」という言葉に、お互い少し恥ずかしくなってしまったせいだ。



「じゃあ…実花、さん。呼び捨てがいいかな?

「ううん、最初だからそれでいいよ。よし、私の番だよね。えーと…えーっと…」


実花さん、言葉が詰まっている。僕の名前が言いずらいのだろうか?

確かに「浩太郎こうたろう」は五文字だし呼びにくい。だから、父さんはいつも僕を「浩太」と呼んでいる。


「あの…実花さんの好きに呼んでもいいよ」


そう一言言うと、彼女は反応して、僕の目の前に立つ。




「コウくん!!!!」

「……へ?」


その顔を見上げながら、思わず間抜けな声が出てしまった。


「だめ…?」

「い、いやいや。ちょっと意外だったから。ぷっ」



大声で真面目そうに言った言葉が、何だか可笑しくて、少しだけニヤけてしまった。

…ああ、今日は我ながら、らしくない。こんな風に笑ってしまうなんて、昔の自分なら無かったのに。


実花さんも少し、呆気に取られた表情をしている。

そんな表情を見るのが恥ずかしくて、思わず下に目を逸らしてしまった。


「ぁ…ごめんなさい、悪気はなくて_________っ!?!?」




その時だけ時間が止まったような気がした。

…彼女が僕の前にかがみ込んで、その柔らかい唇が、僕の口元に触れたから。


あまりにも唐突な僕史上初めての口づけに、思考回路が追いつかない。

強い風で向日葵が揺れ、段々心地よくなってきた僕は、ゆっくりと僕も目を閉じた。


「……ふ…あ、の…」


それに耐えられなくて声を出すと、彼女はゆっくりその顔を下げた。



「……好き」

「えっ」

「これからも、私たちみんなで一緒にいたいな」


頬が赤いのを感じながら、僕は実花さんの方を見た。

……彼女は、幸せそうに笑っていた。歩道橋で見せた、あの時の笑顔と同じだ。


「…みんなっていうのはもちろん、コウくんの幼馴染である、三島春香さんとも」


実花さんの言葉と同時に、風で揺れる向日葵たち。

単なる憶測かもだけど……まるで今、春香さんが祝福してくれているかのようだった。



「……実花さん。」

「…なに?」


僕と実花さんは、その場で互いに見つめ合う。




「これからはずっと…僕と一緒に、笑って過ごそう」


未来のことは何も分からないし、単なる理想かもしれない。

けれど僕は七瀬さんの事を見て、いちばんに幸せにしてあげたいと思った。


彼女は僕の言葉に返事するように、最高に幸せそうに笑ってくれた。



………ああ。僕はこの笑顔を、『いつまでも忘れない』だろう。

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RE.D PAST 加藤けるる @Kato_Keruru

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