終幕 

 越後妖変から千年後――、現代。

 奥羽霊山の北東に位置する山間部の湖にて。

 荒れ狂う蛟の胴を巨大な白い霊刃が予告もなく貫いた。

 大量の体液を撒き散らし、苦悶の声を上げる大蛇の眼前に降り立った黒ずくめの青年は、名乗りもせずに封具を向けた。

「時間が惜しい……。鎮まらねば、生きたまま切り刻んで湖底に沈めるまでだが……、どうなさる?」

 妖気をも塗り潰さんばかりの殺意と殺気が滲んだ言霊に蛟はゾクリと体を震わせ、戦意を失ったように封具へと吸い込まれた。

 ――行くか……

 表情一つ変えず、圭吾は山守の元へと続く道を急ぎ始めた。

 峠を越えて流れてきた微かな音色に、その足が止まる。

(鈴鳴松……、健在のようだな……)

 かつての妖変で風狼斎が植えた松はすっかり根を下ろし、あの時と同じ涼やかな音を聞かせてくれる。

 松の傍に建てられた新たな社に祀られている久遠が、圭吾の霊気を感知して鳴らしてくれたのかもしれない。

 ふと思い出し、一番奥の水晶から一枚の和紙を取り出した。


<確かに受け取った。内容は問題ない。オレより字が綺麗だから、共著ってことにしてそのまま使わせてもらう。助かったぜ>

 

 下書きの礼を告げる言伝に笑みが浮かんだ。

 風狼斎から礼状を受け取ったのは、この一度きりだ。幸いなことに、越後妖変の後、主の傍を長く離れるような事態は、あの大妖変まで訪れなかった。

 暫し立ち止まって松の音色を聞いていたかったが、すぐに思い直して足を速めた。

 急がなければ、功刀達が来てしまう。

(彼らの称賛は、班長あなたにこそ向けられるべきだというのに……)

 あの妖変の後――、圭吾から顛末を聞いた奥羽の山守により、前代未聞の妖変は、出撃依頼を受けた鞍馬から派遣された討伐班が鎮めたことになった。

 その班長が圭吾であり、霊脈は共に派遣された七瀬の班が祓ったとされた。

 いくらか無理はあったが、瀕死状態の功刀達に加え、霊脈の遮断で七瀬や後方支援の天狗達も消耗し、多くの負傷者を出していた奥羽は圭吾が持って行った霊薬と霊符でも足りないほどの大わらわで、不審に思うほど余力のある者はいなかった。

 夜明け前には風狼斎が手配した七瀬の班が霊薬の追加と共に到着し、彼らもまた山守と口裏を合わせたことから、妖変の真相は有耶無耶になった。

 圭吾はといえば、風狼斎の予想通り奥羽の山守に依頼され、壱ノ班と弐ノ班が動けるまでの二月ふたつきほどを奥羽で過ごした。

 風狼斎が託した木片は、圭吾の長期療養用の部屋を依頼するものだったらしく、滞在中は奥羽の奥まった静かな個室を用意してもらえた。おかげで、ゆっくりと休むことができ、七日ほどで記録書の下書きも終わった。

 奥羽の宵闇達は妖変の話を聞きたがり、圭吾もまた主の武勇を語りたかったが、風狼斎の存在を他の霊山に広めるわけにいかず、山守の発表通りの話を繰り返すだけに留めた。

 あの時は、自分に向けられる功刀達の謝意にいくらかの罪悪感を抱いたものの、大して気に留めず、彼らの復帰と同時に鞍馬に帰還した。

 奥羽地方にしかない薬草や木の実を土産に持ち帰ると、風狼斎は喜んでくれて、奥羽滞在中の報告を楽しそうに聞いてくれた。

 圭吾が怯えなかったことで安心したのか、あれから風狼斎は圭吾を始めとする他の班員も供につけるようになり、班での行動も随分と増えた。

 そんな、良い思い出で終わったはずだった。

 久遠を新たな社に移す式典に参加した折、圭吾じぶんが奥羽を救った英雄のように崇められていると知るまでは。

 折しも、風狼斎が現へ旅立った後。堪えられないほどの喪失感に霊体が不安定になっていた頃だった。

 追い打ちをかけるような事態に拒絶反応だけが大きくなり、奥羽はおろか、管轄下の霊山にも近寄らなくなっていた。

(俺が崇められていようと、班長は御気になさらんのだろうな……)

 風狼斎は現下り直前まで、自分の留守中に圭吾達が鞍馬を始めとする霊山と上手くやって行けるのかと、案じていた。

 魔天狗が言うように、あの妖変がきっかけになって圭吾が奥羽に受け入れられたと知れば、喜んでくれるのかもしれない。

 風狼斎本人から聞くことができれば、この何とも言えない重苦しい気持ちがようやく晴れてくれるような気がする。

「まさか、かの曰く付きの地におられたとはな……」

 信濃は刃守と協力関係にある小規模の霊山だ。

 奥羽の出張所でもあり、太狼の刃守の里と協力関係を築いている。

 天狼にとって居心地の悪い霊山だ。

「妖変が起きていると言っていたか……」

 千年前に鎮められた妖獣が目覚め、相当な厳戒態勢だというが、どうでもいい。

 だが、妖変に首を突っ込んでいるという、「破天荒な鎮守役」には大いに興味がある。

(鎮守役か……。因果なものだな……)

 あの越後妖変によって、人が住まう地の霊脈の危険性が明らかとなり、霊山の上層部の間で連日議論された。

 その結果、人里の霊脈や霊的な場を探して保護し、先んじて邪を祓う「人里に紛れ込める代行者」が必要となり、霊山にて保護されていた隠人達に白羽の矢が立った。

 自らの存在意義を探していた彼らは快く役目を引き受け、天狗や霊獣が入れない現世うつしよを駆け回り、宵闇から学んだ術と霊具を用いて邪を祓い――、幾度となく起きた人の世の戦乱から霊脈を守り続けた。

 いつの頃からか、邪を鎮める霊格を持つ隠人の戦闘員は「鎮守役」と呼ばれるようになり、他の隠人と共に現衆うつつがしゅうという組織を作り、人の世に戻って行った。

 千年の時を経て、その鎮守役に風狼斎が就いているとは、なんとも面白い巡り合わせだ。

 軽く地を蹴り、風に乗った。

 黄昏時を過ぎた世界に人工の灯が明々と揺れている。見渡せば、どこまでも人工の光は続いていて、果てなどないようだ。

 日頃は鬱陶しいだけの明かりも、今日は少しばかり綺麗に見える。

「班長……」

 後悔ばかりの千年だった。

 屋敷での風狼斎は聞き役に回ってばかりで、自らのことは滅多に話さなかった。

 班員達も遠慮して質問を避けていたから、あの青年自身のことはほとんど知らない。

 何を思い、この役目を引き受けたのか?

 風狼斎として皆の前に姿を現す前は、どこで、何をしていたのか?

 好みの料理も、好みの季節も、苦手とするモノも……。

 あんなに近くで、何年も一緒にいたのに、何一つ聞けずじまいだった。

 だが、今にして思う。

 自分達に宵闇のような主従関係を望んでくれていたのならば、聞けば答えてくれたのではないか、と。

 何か一つでも知っていれば、転生先の検討くらいはつけられたかもしれない。

 立ち寄りそうな場所の目星くらい付けられたかもしれないのに――。


 ――どうか……、御無事で……


 大妖変の夜が脳裏を掠めた。

 熱くなった目元を拭い、圭吾は山守の元へと続く道へとくうを蹴った。


 

― 仮初の主従【朧守外伝 第一夜】完 ―

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仮初の主従【朧守外伝 第一夜】 夜白祭里 @ninefield

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