第12節 -大統領府にて-

 コロニア市からパリキールへ続く大通りを抜け大統領府前に1台の車輌が近付く。リアムの運転する機構の車輌だ。

 車窓の外には三階建ての威厳漂う建物が見える。近年になって竣工したばかりの大統領府である。

 白を基調にしたパッラーディオ建築の建物で、その佇まいはアイルランド国民議会のレンスターハウスや、アメリカの大統領府であるホワイトハウスに近い。

 まだ建設されて間もない真新しい建物へゆっくりと近付くと、そこにはセキュリティゲートが設置されていた。

 付近に門衛などの人影はない。代わりに自走式ドローンが数台周囲を監視するように走行している様子が見て取れる。

 一台のドローンが機構の車を発見して少しの間観察する様子を見せるが、すぐに別の方向へ移動を開始した。

 AI搭載型のドローンが敷地に近付いて構わない者とそうでない者を瞬時に見抜き警報を発するシステムが最近では主流だが、あのドローンもそのようなシステムの一部なのだろう。そしてこの場において自分達は “敷地に近付いても構わない者” という登録が為されているらしい。

 リアムはセキュリティゲートの認証装置傍に車を寄せると、運転席から事前に大統領府から提供されていた、この日のこの時間にのみ使用可能なセキュリティ認証キーをかざす。

 するとゲートのロックは解除された。車両はそのまま敷地内へと入り、付近の駐車スペースへと進んだ後に停車する。

 完全に車を駐車させるとリアムは言った。

「到着しました。ここがミクロネシア連邦 大統領府です。」

 目的地への到着を確認したマークתの面々は窓の外にある立派な建物へ目を向ける。

「予想以上に随分と立派な建物だな。まるでホワイトハウスだ。」ジョシュアが感想を言う。

 視線の先には、大統領府の玄関へと導く為の重なり合ったポルティコが聳え立つ。

「間違いなくレンスターハウスやホワイトハウスがモデルの建物です。ヨーロッパの建築士がデザインしたものだと聞いています。旧政府庁舎から建て替えられ、2030年に竣工しました。」

 リアムの言う通り、旧庁舎の名残は確かにあちこちに散見できる。

 一目で視線を奪われる見事な建物ではあるが、ホワイトハウスでいうところのウェストウィングとイーストウィングに当たるような位置に建設されている建物は木造二階建てで開放的であった旧政府庁舎の面影を感じさせるポイントがところどころには残されており、威厳を感じさせる佇まいの中にも南国の島特有の穏やかでのびのびとした雰囲気も感じられる。

 全体を見回してみると国家の中枢と呼ぶにふさわしい威容を持ちながらも、この国の持つ穏やかさも併せ持つとても不思議な建物だ。

 

「約束までそう時間も無い。早速大統領に会いに行こう。」

 ハワードに促され、一行は車輌から降車する。


 上空から照り付ける太陽の日差しが肌に熱を感じさせる。

「そう言えばここに来て屋外で日の光を浴びたのはこれが初めてだな。」ルーカスが言う。

「刺すような日差しと言うわけでもなく、どことなく心地よい暑さですね。」フロリアンが返事をした。

 外気温は29度。日の当たる場所にじっとしていれば汗が滲むが、日陰に入ればそれほど暑さも感じないという気温だ。時折、海の方から吹き抜ける風も心地よい。

 ジョシュア、ルーカス、フロリアンと降車し続いて玲那斗が降車する。次に玲那斗に手を引かれてイベリスが外に降り立った。

 イベリスは車内から外に出た眩しさに思わず目を手で覆う。そして周囲をきょろきょろと見渡し輝かしい笑顔を浮かべた。

「素敵ね。フロリアンの言う通り、心地よい新鮮な日差しだわ。リナリアの日差しとも、セントラルの日差しとも違う。」

「南半球の気候を体感するのは俺も初めてだ。爽やかなもんだな。」玲那斗はイベリスに同意した。

 マークתとイベリスに続きハワードが降車し、最後にリアムが外に出る。

「まずは玄関に向かいましょう。打ち合わせではそこで秘書官の方が待ってくださっているはずです。」

 リアムの掛け声による誘導で全員が大統領府の玄関へと歩き出す。


 神殿の入り口を思わせる立ち並ぶ柱をくぐり、玄関ドアのあるポーチへと歩み寄る。

 そこには一人の男性の姿が見える。この気温と日差しの中、ネクタイを締めた整ったスーツ姿で立つ男性はどこからどう見ても政府関係者に違いない。

 大きな玄関ドアに一行が近付いたその時、扉の前に立つスーツ姿の男性が一行に声を掛ける。

「こんにちは。世界特殊事象研究機構の皆様、大統領府へようこそおいでくださいました。」

 男性は姿勢よく毅然と前に進み出て挨拶をする。

「ウェイクフィールド少佐とモーガン中尉、お久しぶりです。マークתの皆さんは初めまして。私は大統領秘書官を務めます、ウィリアム・アンソンと申します。」爽やかなエメラルドグリーンの瞳を真っすぐに一行へと向けて彼は言った。

「W-APRO 大西洋方面司令 所属チーム、マークתのジョシュア・ブライアン大尉です。」

 ウィリアムとジョシュアはお互いに手を差し出し固く握手をした。玲那斗、ルーカス、フロリアンも続き、最後にイベリスも軽く握手を交わす。

「お久しぶりです。アンソン秘書官。本日は会合の場を設けて頂きありがとうございます。」リアムが挨拶を返す。

「いいえ。この会合はわたくしどもから要望したもの。こちらの希望に応えて下さったことを心より感謝しております。」

 そう言いながらウィリアムはリアムとハワードとも握手を交わした。

 挨拶を終えたウィリアムはすぐに本題へと移る。

「本日は私は皆さまの案内役のみを仰せつかっています。早速ですがこれより、キリオン大統領の待つ執務室へ皆様を案内いたしますので私についてきて下さい。」

 彼はそう言って全員を玄関へと誘導し、大統領府内へと導く。大きな玄関扉が開かれると全員が大統領府内へと入館をした。


 玄関口を通り抜けると目の前に現れたのは大きな中央ホールだった。館内は程よい空調が効いていて過ごしやすい。

 周囲を見渡せば白を基調とした格式高い内装が目を惹き、この建造物が担う役割を感じさせるのに十分な雰囲気を醸し出している。

 一行が歩く先、その行く手には館内の警備を担当する守衛が二人、通路を塞ぐように立っている。

 ウィリアムが館内警備に手短に言葉を発すると二人の警備員は両脇へと避けて道を開け敬礼をした。機構の一行も敬礼を返しながらその場を通り過ぎる。

 ホールの突き当りまで歩いた一行の前には立派な扉が立ち塞がる。ウィリアムが扉のセキュリティーシステムにキーを翳すと扉が自動で開く。

 さらに中に進むとエレベーターの入り口が見えた。ウィリアムがボタンを押しエレベーターの入り口が開く。

 周囲の警備状況やセキュリティの様子から窺うに大統領や来賓しか乗せることがないエレベーターといったところだろうか。

「どうぞ、お乗りください。」促された一行は順にエレベーター内へと乗り込む。

 品良くまとめられた内装で飾られたエレベーター内は広く落ち着いた空間になっている。豪華ではあるが華美ではなく、ゆったりとした落ち着きをもたらしてくれるようなイメージを覚えさせる。まるでひとつの室内にも感じられる穏やかな空間は閉所恐怖症の人でも安心して乗っていられそうだ。

 全員が乗り込むとエレベーターの扉は閉まり、自動で三階まで上昇を始めた。目的の階に到着し、扉が開いたエレベーター内から一行は降り通路へと出た。

 エレベーターから最後に降りたウィリアムが言う。

「真っすぐ歩いた先が大統領執務室です。参りましょう。」再び先頭に立ち歩く彼の言葉に従い、目線の先に見える立派な扉に向かって全員が足早に歩を進める。


 この時、フロリアンは周囲の様子がやけに静かなことが気になっていた。

 先程から職員という職員と遭遇することがない。目の前の秘書官以外に出会った人物は先程の守衛の2人のみ。

 来賓用と思われる通路やエレベーターを使用したからといって、ここまでの人気の少なさは何やら奇妙な感覚を覚えさせた。


 そして一行はついに今回の目的地である大統領執務室の扉の前まで辿り着いた。ウィリアムが扉をノックをし用件を述べる。

「大統領。世界特殊事象研究機構の皆様をお連れしました。」

「ありがとう。皆さんを中へお連れしなさい。」

 大統領と思われる人物の声がスピーカー越しに聞こえると共にセキュリティロックの一部が解除される音が聞こえた。

 音を聞き届けたウィリアムは扉のすぐ横に設置されたセキュリティ解除用の装置へカードキーを翳した。すると装置のロックが外れ、生体認証を行う為のスキャナーのセンサーが起動する。左手をスキャナーに翳すとさらにロックが外れる音がした。

「では、室内へご案内いたします。」そう言ってウィリアムが扉を開く。

「どうぞ、中へお入りください。大統領がお待ちです。」促されるがままに機構の一行は室内へと立入った。


 部屋の奥にはスーツに身を包んだ細身の男性が立っていた。彼がジョージ・キリオン。ミクロネシア連邦の大統領を務める人物だ。

 綺麗に整えられた豊かなブライトシルバーの髪に力強いマロンブラウンの瞳から放たれる眼差し。初老を数える実年齢のはずであるが、しっかりと伸ばされた背筋などからその数字よりはずっと若々しく見える。

 身長は180センチメートルほどだろうか。機構の面々の中で一番背丈の高いジョシュアが188センチメートルほどであるが、その高さに見劣りしないほどの背丈がある。

 とても穏やかな表情を浮かべてはいるが、額に刻まれた皺の数はこれまでに乗り越えて来た苦悩を象徴しているように見えた。

「アンソン秘書官。皆さんの案内役ご苦労だった。ここからは私が引き受けよう。」

「承知いたしました。それでは、私は失礼いたします。」ジョージの言葉にウィリアムは返答をし、すぐに下がってゆっくりと扉を閉めた。

 扉が完全に閉まるのを確認したジョージは背筋を伸ばしたまま威厳に満ちた様子で機構の面々へ向かってゆっくりと歩み寄り、穏やかな表情で挨拶をした。

「久しぶりだな、モーガン中尉。ウェイクフィールド少佐とマークתの皆様にはお初にお目にかかる。私がミクロネシア連邦大統領、ジョージ・キリオンだ。改めて、我が国へようこそ。そして今日という日にこの場所を訪ねてくれたことを心から嬉しく思う。」

「W-APRO 太平洋方面司令所属のハワード・ウェイクフィールド少佐であります。」

「大西洋方面司令所属、マークתのジョシュア・ブライアン大尉であります。」

 一行を代表してハワードとジョシュアが挨拶をしてそれぞれが固い握手を交わす。さらに玲那斗、ルーカス、フロリアン、リアムと順に握手をしていく。

 最後にジョージはイベリスへ手を差し出して言った。

「貴女がイベリスさんだね?話はヴァチカン教皇庁の使者から聞き及んでいる。どうぞよろしく。」

 イベリスは差し出された手を取って握手をした。特に何も答えずに柔らかな微笑みのみで返す。“相手の出方を見る” という方針の元、『不用意に喋らない』という取り決めに従ってそのような対応をした。

「立ち話と言う訳にもいかない。向こうの応接間で話をしよう。ついて来なさい。」

 ジョージはそう言うと全員を応接間へと案内した。

 多くの人数が座ることの出来る長いソファとブラックガラストップテーブルが置かれたモダンな空間だ。

 先に全員を着席させてジョージは言う。

「皆、飲み物は紅茶で良いかな?いつもこういう時は職員に淹れてもらっているから、私ではろくなもてなしが出来なくて申し訳ないが。」

「お構いなく。」ジョージの言葉にハワードが答える。

「そうもいかない。せっかくこんなところまで御足労頂いたのだ。この程度はさせてほしい。」

 予め用意していた紅茶を全員分のカップへと注ぎ、それぞれの目の前へと置いていく。普段は用意しないという割には随分と手際が良い。

 さらに全員の紅茶を用意し終えた後は真ん中にクッキーがたくさん入った箱を置き、その後ジョージもソファへ腰を掛けた。

 その場の全員が紅茶に手を出さない様子を見たジョージは言う、

「規則や規律を気にしているのか。この程度のもてなしを政府からの特殊な利益供与などと思わなくても良い。ここまで足を運んでくれた礼だと思って遠慮せずに手を付けなさい。その方が私としても嬉しいよ。」機構の出方を見極めたジョージは目を細めながら言う。

「では、ありがたく頂戴いたします。」同じく相手の出方を探りつつハワードが答える。

「ここの茶葉はウバを使用している。とても良い香りがするだろう?ストレートでもミルクでも美味しく頂けるからその日の気分で飲み方を変えている。いわば私のお気に入りでね。この眉間の皺も幾分か目立たなくなるというものだ。」

 穏やかにそう言いながらジョージは砂糖とミルクを混ぜてミルクティーに仕上げた。色とりどりの花を連想させるような芳醇な香りが周囲に広がる。

「大きな問題を前にした時はこうして心を落ち着けてから考えるのが私の習慣なのだよ。考えて悩み続けるだけが思考ではない。時には何も考えずにリラックスすることもまた思考の一環だと思っている。雑念に覆われていては正しい判断力も鈍るというものだ。特に、我々のように間違えることを許されない立場のものこそ冷静さを失うことは避けなければならない。」ジョージは一口紅茶を飲んで言った。

「あまり客人をもったいぶらせるものではないな。前置きはこの程度にしておこう。ただ、本題について話をする前に、まず最初に言っておくことがある。」

「言っておくことですか?」ジョージの言葉にジョシュアが返事をした。

「そうだ。今日の会合に臨むにあたって、私はあらゆる者の同席を拒んだ。自身の右腕とも言うべきアンソン秘書官でさえも。君達にはこの意味が分かるかな?」

「他人にはおろか、身内にすらも聞かれたくない話があるという認識が浮かびますが。」

「はっきり言ってしまえばその通りだ。そしてこのことは私にだけ当てはまることでは無い。君達にとっても “外部の第三者に聞かれたくない内容” が含まれるからでもある。」

「何ですって?何とおっしゃいましたか?」怪訝な表情をしてハワードがジョージの言葉の真意を確認する。

「そのままの意味だ。君達にとって決して機構の外部へ漏らしたくない情報だよ。答えは姫埜中尉の隣にいる彼女の存在についてだ。」

 ジョージがそのことに触れた瞬間、場には緊張感が漂う。

「イベリス。イベリス・ガルシア・イグレシアス・ヒメノ。リナリア公国が現生に残した忘れ形見。公国を継ぐはずだった王妃。その強大な力で千年もの間、公国亡き後の島を守り続けた貴女のことを言っている。この場に来てくれるのかも検討が付かなかったが、まさか機構の一隊員に扮して来るとは思わなかった。」冗談のようなニュアンスで言うが顔は真剣だ。

 彼女のことを大統領が把握していたことは知っていたが、彼女の存在についてどこまでのことを認識をしているのか…それを探りながら話を勧めようとする機構の思惑は初手で完全に崩された。

 何を隠しても無駄だろう。間違いない。彼女の歩んだ歴史、能力まで彼は知っている。その場にいた機構の全員が悟った。

「その様子から察するに、私も随分と警戒されているようだ。だが安心したまえ。この部屋には盗聴器や録音機などの類は一切存在しない。そういった可能性を排除する為に会議室などではなく、この国で最も安全な場所を指定したのだから。加えて、私は私自身の他にこの情報を外部に漏らすつもりも話すつもりも一切無い。盗み聞きなどという恐れも当然だが無い。この大統領府内に存在する人員は今この時点においてはごく限られたものだからだ。ここに来る道中、警備の二人を除き、アンソン秘書官以外の誰かとすれ違ったかね?」何を躊躇うこともなく悠然とジョージは言い切る。

「いえ、誰とも。」

「私がそのように指示をした。今日君達機構が大統領府に訪れて退館するまでの間、誰も中に入れるなと。普段ここでの仕事をしている者も含めて全員だ。守衛の2人は規則上、外すことが出来なかったので警備についてもらったがね。この場においてはイベリスさんの存在をあまり目に触れさせない方が良いと思っての私なりの配慮だよ。」

「失礼ですが、大統領は彼女についてどこでそういったお話をお耳に?」ハワードが問う。

 看破されていて尚、肯定も否定もしない言い回しで返事をし、分かり切った質問をする。

 事前に会合を持ちかけらた際にそれがヴァチカンであることは聞いているが、直接事実確認する意味も込めて改めて問うた。

「情報源は君達には事前に伝えたはずだろう。電話で伝えたことと変わらない。ヴァチカンだ。先にも言った通りヴァチカン教皇庁より派遣された2人組の修道女。いや、1人は総大司教という立場だな。地球歴史上始まって初の女性司教。公にはそれを秘匿するような振る舞いをしているようだが…今はいい。彼女達は仔細を私に話した。それが正確な情報かどうかの確証などどこにも無かったわけだが、君達の対応や今この場における様子から察するならば事実であるということは疑う余地は無さそうだ。」

 ハワードとジョシュアが一瞬だけ視線を合わせる。互いの意思を汲み取り、ハワードが口を開こうとしたその時、イベリスが先に話し始めた。

「キリオン大統領。貴方のおっしゃる通りです。私はかつてリナリア公国に生まれ育ち、愛する祖国を守ることも出来ず、千年前にこの命を無様に散らした身なれば。現世におけるこの身は既に人間に非ず、人々が言う所の超常の存在とでも言うべきものでありましょう。私はそれを認めます。貴方が思うような存在で間違いないと。それを認めた上で私も聞きたい。問わずとも時期にお答えになるのでしょうけれど、ぜひこの場で皆に聞かせてください。貴方が懸念する、身内にすら聞かれたくないという話とは一体何なのですか。私達を試すような物言いをされたということは、私達がその情報を話すに値する集団かどうかの見極めをなさったのでしょう?そうであれば望む回答は私自身の口から十分に得られたはず。次は貴方がお話される番です。」

 もはや隠し通すことや答えを濁すことに意味は無い。ジョシュアやハワードよりも早くそのことを悟り、相手から得たい情報を確実に引き出そうとする。

 その場にいた誰もがイベリスの毅然とした物言いに驚いたが、言おうとしていることは皆同じであった。

 今の彼女の姿勢、表情、眼差し、雰囲気からは国王妃という立場に立つはずだった者の風格とでも呼ぶべき威厳が感じられる。

「そうだな。試すような物言いをしてしまった非礼は詫びよう。」ジョージがティーカップをテーブルに置きながら言う。そして顔を上げ、真っすぐに機構の面々に視線を向けて言う。

「君達が私が思うような信頼に値する集団であることは十二分に分かった。であれば私からも話さなければなるまいな。いや、最初に誰にも聞かれたくない話だと伝えた時点で話さずにはいられなくなっているのだがね。内容は至極単純で、君達がこれから例の事件について調査を行うに当たって注意してもらいたいことがあるという話だ。」

「注意した方が良いこと?」ジョシュアが言う。

「まず、前提として私は危険ドラッグを裏取引により流通させているマルティムと呼ばれる組織の根絶と、少女の奇跡による彼らへの殺戮行為を阻止したいという相反する願いがある。その理由は分かるな?危険ドラッグと、それを使うことで人の尊厳を傷つけるような輩や組織は根絶しなければならないが、彼女の言い分のままの行為を完遂させることを許してしまえば世界規模の宗教に対する価値観の対立や混乱を招く可能性がある為だ。」

「我々の間でも情報共有は出来ております。」ハワードが言う。

「宜しい。では、これらの問題それぞれに対処する為にはどうするか。一つ目はマルティムと言う組織の頭を2か月後の奇跡が起きるより先に潰してしまうこと。要は法的手段で身柄を拘束することだ。二つ目は少女の起こす奇跡を阻害すること。これに関しては私から特に言うことは無い。人智を越える問題に対処するなど元より我々には不可能だし、そもそも門外漢なのでね。機構の中でリナリアの奇跡を解決に導いたというマークתの諸君らと、その中心にいたイベリスさん、貴女の活躍に解決の望みを全面的に託す。実際の所、問題なのは一つ目だ。」

「マルティムに関しては、長年に渡り本拠地の特定など重要な情報を掴むことが出来ていないと聞きましたが。」ジョシュアが考えられる問題を提示する。

「情報…そう、情報だ。この件については長年政府と警察による調査を継続している。が、なぜか情報が掴めるというところになっていつもそれを得ることが叶わなくなる。不思議なものでね。あまり濁す物言いもこの場では適切ではない。端的に言おう。私は “警察という組織を信用していない” のだよ。」

「警察が信用できない?」困惑した表情でハワードが答える。

「そのことについては私も初めて耳にします。詳しく説明願います。」リアムもハワードに同調した。

「君達も知っての通り、過去に警察はマルティムに関連する人物の拘留に成功したことがあった。情報を引き出そうと試みる為に外部から危害を加えられる恐れのない安全な場所へ移送をしていた最中、移送用車輌ごと爆破されその人物は亡くなった。その後に爆破事件を起こした人物も逮捕された。マルティムから依頼を受けたという人物だ。だがこちらも情報を話すより前に隠し持っていたプラスチック銃による自殺をしている。」

「おっしゃる通り、その件については認識しております。昨日、彼らマークתの面々にも情報を共有しました。」リアムが言う。

「そもそも、移送の計画は警察の主導で秘密裏に実行されており、計画を知っていたのは当の警察と我々政府中枢の人間だけだった。マルティムに関わる人物がその情報を得て、厳重な警備をかいくぐり爆破を成功させるなど有り得るのだろうかと私は疑念を持った。」

「そのおっしゃりようからすると、つまり警察がマルティムの犯行に見せかけて自作自演の事件を起こした…又はマルティムの仕業だと仮定しても、警察に内通者がいることを疑わざるを得ないといったところでしょうか。」

「そう考えれば辻褄が合うことが多いのだ。無論私とて警察のことは信用したいと思っているし、現に彼らと政府は協力して事件解決に当たっていて薬物の流通の拡大を防ぐことには成功している。しかし、彼らは必要な情報を我々に全て提供しているとは思えない。そういう節がある。故に互いに協力関係にあるとはいえ私は彼らを心から信用しているわけではない。我々が何か情報を与えれば、それが警察を通じてマルティムに流れる可能性も有り得るという話だ。」

 そう言うジョージは再びティーカップを手に取り紅茶を飲み話を続ける。

「先の話に反する内容だが、昨夕アンソン秘書官が警察で薬物密売捜査の全面指揮を執るウォルター・イサム中佐と会合の場を持ち、諸君らへの情報提供に協力するよう打診を行った。マルティムに関わる調査においては、情報を得る為にどういう状況であれ、彼らと協力関係を結ばないわけにはいかないからな。避けることは出来ない。中佐は秘書官との話の中で、大統領である私が機構の面々を信用に値する人物であると認めるならば協力は惜しまないという返事をしたそうだ。既に警察のトップである長官と私の間で情報提供の協定は結んでいたが、その裁量については全てイサム中佐の判断に委ねられているのが現実だ。彼を説得しなければ協定の効力は無いに等しい。アンソン秘書官からの打診はイサム中佐に情報開示をするように約束させる為のものでもある。私の中では最初から結論が出ていたことではあるが、君達との会合が終わり次第警察に対して情報を君達へ提供するように打診を行う。これによって警察から君達に対して今まで以上に機密性の高い情報の提供がされるようになるだろう。しかし…」その場にいる全員を見渡して念を押すように言う。

「先に述べたことを理由として “彼らに情報を与える場合” はくれぐれも注意したまえ。イベリスさんの存在を私が認識するに至った事例のように、情報というものはどこから漏れ伝わるかわかったものではない。それが私から君達に対し事前に伝えておきたかったことだ。イベリスさんの情報や警察に対する不信に関しては大統領府で働く側近達や政府要人、秘書官ですら知り得る情報ではない。」

 複雑な表情を浮かべつつ同意した機構の一同を見やりながらジョージは付け加えた。

「それと、テンドウ夫妻と今日の夕方話し合いをする予定になっているな?」

「はい。大統領がお話を通してくださったことでテンドウさんから直接機構へお話がありました。この場でお礼を申し上げます。」リアムが言う。

「構わんよ。少女のことについて聞くならば、毎日一番身近にいる人物に尋ねるのが妥当だろう。事件解決にも必要なことだ。ご両親も彼女のことについては非常に心配なさっている。ぜひ話を聞き力になってほしい。それと、先程は奇跡について門外漢だと言ったが君達だけでは調査行動が難しそうだと予見できる部分に関して我々も協力は惜しまない。警察からの情報提供を確実にさせる為の話もそうだが、目的達成の為に我々に力添え頂けることを深く感謝しているからね。」

「重ねて感謝いたします。加えて大統領、ひとつお伺いしたい。」ジョシュアが言う。

「何かね?」何でも聞いてもらって構わないという様子でジョージは答えた。

「イベリスの件についてヴァチカンから情報の提供があったとおっしゃいましたが、貴方とヴァチカンとは現在どういった関係にあるのでしょう。」

「何のことはない。情報の共有をしている一協力関係組織のひとつに過ぎんよ。政府としても、私個人としても特別なことなど無い。私がヴァチカン教皇庁に対して今の現状について自身の思う懸念を包み隠すこと無く打ち明けた後に彼女達が送り込まれた。私と彼女らの認識は一致している。奇跡の少女が起こす殺戮を看過した場合に起きうる世界規模の混乱。これは絶対に防がなければならない。そして、彼女達と話をする中で事態解決に向けての適任が機構にいるという話が出てきたのだ。イベリスさんのことについてはその時に聞いた。総大司教ベアトリスは言葉を包み隠すことなど無く私に君達のことを話した。無論、最初は半信半疑であったが、自身の国で起きている事象を踏まえれば認めないということも出来ない。」

「そして我々にそのことを話した上で会合の場を設けたいという提案をなされたと。」

「そうだな。君達の反応を窺いながら彼女についての情報の真偽も見極めさせてもらった。」ジョージは答えた。

「分かりました。ご回答ありがとうございます。」ジョシュアは納得したという表情で質問を終えた。

「よろしいかね。ここまでは私の考え、私の懸念、私からの君達への評価とヴァチカンとの繋がりについてを話してきた。他に質問が無ければ、ここからは政府としてこの問題とどう向き合っているのかについて話していきたいと思う。」

 その場にいた機構の面々は特に質問は無いという意志を示した。そんな中、イベリスが質問をする為に口を開く。

「キリオン大統領。一つお尋ねします。」

「宜しい。何かね?」

「総大司教ベアトリスは私のことをどこで知ったのかについて貴方にお話をされましたか?」


 イベリスの質問に玲那斗ははっとした。昨日の会議中に総大司教の名前が出た時、イベリスは反応を示していた。その名前に聞き覚えがあるのだろうか。まさかそんなはずはないだろうが…

 しかし、不思議なことに自身の中でも何か引っかかるものがある。言葉では言い表すことが出来ない。玲那斗はイベリスの方へ顔を向ける。彼女はどこか悩んでいるような表情を浮かべている。


 イベリスの質問にジョージは答えた。

「いや、何も。機構がリナリア事件を解決した件と共に話をしただけだ。ただ、貴女のことについて教えられたのと同時に彼女からは厳しく釘を刺されたよ。機構の人間以外には貴女の名前や存在を決して口外するなと。」

「そうですか。ありがとうございます。」

 短く返事をするイベリスの表情は、玲那斗から見るとやはりどこか浮かない様子に見える。

 ヴァチカンの使者2人とは今日の午後から会合の予定となっている。その場で彼女がまたどのような反応をするのか注視しようと心に留め置いた。

 イベリスの質問に答えたジョージは、他に質問が上がらないことを確認して改めて言った。

「では、我々ミクロネシア連邦政府が今回の件についてどのような認識と考えを持ち、どのような対応を行っているのかについて詳細に説明をしよう。」


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