第11節 -求められたもの-
「皆さん、集まりましたね。」
午前9時。支部の広大な地下にある車両格納庫、第2ゲートで全員の姿を確認したリアムは言った。
ハワード、ジョシュア、ルーカス、フロリアン、玲那斗、そしてイベリス。全員が用意は出来ていると言った面持ちでリアムに視線を送る。
「全員準備OKだ。いつでも出発できるぞ。」ジョシュアが返事をする。
「承知しました。では、運転は私が引き受けますので皆さんは後部座席へ乗ってください。」
リアムに促されてマークתとイベリスは後部座席へと乗り込んでいく。ハワードはリアムの隣、助手席へ乗車した。
こうした車両に初めて乗り込むイベリスは玲那斗が手を引いてサポートをする。
今回、大統領府へ移動する為に用意された車両は小隊規模のチームが個別に移動する目的で運用するタイプのものだ。
見た目こそ軍隊が兵士の移送に用いる車輌と似通った部分はあるが、機能だけを追求した無機質なものではなく、どちらかというとマイクロバスをさらに小型化したようなイメージに近い。外見的精悍さもほとんど見られない。威圧感など無い柔らかな雰囲気のデザインだ。
運転席と助手席を含めた最大定員は10名で、前方の2席以外の座席は両サイド一列の対面式や乗用車のような横列シートなど多彩にアレンジすることが出来る特徴がある。これは荷物運搬用に使用する際、座席を取り外す必要があるなら設置の仕方にも自由度を持たせるべきだというコンセプトの元設計された結果だ。
内装も綺麗で明るめの仕上がりになっており、軍車輌独特の薄暗さや冷たさといったものは感じられない。
動力は電気モーターであり、バッテリーは機構が開発した太陽光充電システムを採用している。比較的雨が多い気候でも太陽が覗いている時間が短時間でもあれば近場への移動には困らないだけの充電が確保できる。
ころころと天気の変わる気候であっても、日の出から日の入りまでの時間が年間を通じてほとんど変化の無い地域だからこそできる仕様ともいえるだろう。
さすがに、このタイプではあまりの悪路で運用することは想定されていない為、振動吸収用のサスペンションやモーター出力などはそれなりの装備となっているが、それでも一般流通している市販乗用車と同等の乗り心地は確保されている。
使うチームの規模や搬送する荷物の量などに応じて最適な室内レイアウトを簡単に構築でき、非常に使い勝手が良いことから人気も高く、機構内では小隊規模のチームが移動する場合はまずこの車両を使うのが基本と言って差し支えない。
運用面以外にも、維持コストの低さなどもあり、あらゆる側面から機構でとても愛されている車輌である。
ミクロネシア連邦支部の同格納庫には同車輌が5台、その他に大型の荷物運搬用のトラックや災害派遣用の特殊作業車輌、二人乗りの小型車輌やバイク、広大な基地内の移動に便利なバランススクーターなどが配備されている。
「全員乗り込みましたね?では出発しましょう。大統領府までは距離にしておよそ10キロメートル。およそ20分で到着します。」
リアムの掛け声で一行を乗せた車は発車する。地下から地上へと向かうゲートを通り抜けるとすぐに市街地へと出た。
地下から地上に出た瞬間に降り注ぐ太陽の眩しさに目が眩む。空を見上げれば雲一つない澄み渡った青空が広がっている。
「そういえば市街地の様子を見るのは初めてだな。」
「なかなか活気があるように見えますね。イメージしていたものとはかなり違います。」ルーカスの言葉に続けてフロリアンが言う。
綺麗にアスファルト整備が施された道路。周囲に立ち並ぶ建物は先進国の都市部で見られるものとそう大差はない。
国民が暮らす住宅も比較的近年に入って建築されたような新しい家が立ち並び、非常に豊かな雰囲気が見受けられる。
「もしや旧時代的なイメージをされていらっしゃいましたか?この国も昔とは随分と様変わりしました。先進国の都会にはまだまだ及びませんが、道路整備や都市開発も進んで非常に住みやすい街になっています。ポーンペイ州において中心街と呼べる地域はコロニア市だけということもあり、主要な施設などは全てこの近辺に密集しています。近年は観光客向けのレジャーパークが建てられたり、学校などの公共機関の建物も一斉に建て替えられました。」リアムがガイド役となって話をする。
「外は賑やかだな。コロニアが発展しているのはよく見て取れるが、首都は隣のパリキールだったか。」ジョシュアが言う。
「はい。政府庁舎や裁判所などはパリキールに集約されています。政治の中心となるものがパリキール、国民の生活の基盤となるものがコロニアにあるといったイメージです。なので消防や救急などを司る公共安全局はコロニア市にありますね。各国の大使館だと中国大使館はパリキールに、日本とアメリカ、オーストラリアの大使館はコロニアにあります。ちなみに日本とアメリカの両大使館は支部のすぐ近くといいますか、お隣です。」
昨日この国で起きている事態の説明を受けただけで、外出もしなかった為に実感が湧かないが、確かにマップ上は支部の近隣は両国の大使館になっている。
「大使館…そういえば今回の件に関して、各国大使館から本国に対しては何かしらの報告が送られていると思うのですが、あまりにも反応が無いように見えるのはどうしてでしょう。」リアムの説明にフロリアンが質問する。
「政府に動きが無いだけでなく、国外メディアに関してもこの件については一切報道していない。欧州でもそうだが、まるで情報そのものを知らないといった様子だ。」ジョシュアもフロリアンと同じ考えを示す。
「連邦政府の意向、突き詰めれば大統領の意向によるところが大きいと思われます。おっしゃる通り、日本やアメリカと言った国々の大使館は事態を本国へ報告しており、各国政府高官は間違いなく事態を把握しています。おそらくは国際連盟も事態の把握は出来ているはずで、機関を通じて各国首脳への情報提供はしているのではないかと推測できます。世界各国が大々的にではないにせよ、一種の渡航制限をかけていることからもそれは明白です。ただ、世界中を見回してもこれらの情報を公開している国はただのひとつもない。そうなると考えられるのは、当のミクロネシア連邦政府からの要請によりあらゆる情報が表出しないように秘匿されているという可能性です。」リアムが考えられる事情を説明する。それについて、昨日から気になっていたことをジョシュアが口に出す。
「情報操作とまでは言わないが、規制を敷いているわけだな。この国は情報の透明性を重要視しているはずだが、この件に関しては事情が異なるように思っていた。それに、ネットを中心とした通信メディアが全盛のこの時代において、映像や噂レベルの情報までもが絶たれている状況というのはかなり特異なように見受けられる。」
「調査段階で確信的なことは言えないのですが、第四の奇跡の映像がネットに出回らないのは、奇跡が起きている間は電子機器が一切使用出来ないという現象が起きていた為でもあります。この点については改めて精査する必要があるのですが、特殊な電磁シールドを施している機構のトリニティ以外のスマートデバイスや情報通信端末などは軒並みシステムエラーや強制シャットダウンで使用不可能な状態に陥っていたようです。あとは昨日の会議でもお話したように、全ての情報が明るみに出れば全世界を巻き込んでの一大事になりかねません。情報を与えられた国家や機関もそのことを念頭に慎重な判断を下して協力していると言えるでしょう。」
「電磁障害か。映像がネットに出回らない理由はそういうことだったのか。そもそも撮影できる環境になかった…より詳しく調べる必要がありそうだな。何れにせよ、情報の公開などにおけるその辺りの事情についてもこれからの会合で明らかになるのかもしれないが。」
その後はしばらくの沈黙が続く。
電子機器が使用できないという前提があり映像が出回らないにしても、この地で起きている出来事に対する世界の反応の薄さの異常について全員が思考しているようだった。
ジョシュア達が難しい顔で考え込む中、ふとイベリスが外の景色を見ながら言う。
「ねぇ見て、この大きな建物が学校というところかしら?広い敷地ね。」
「はい。1972年に設立したこの国で唯一の高等教育学校となります。ここ最近建てられたばかりの新しい校舎ですね。ここの他にもチューク、ヤップ、コスラエの各州にも施設がありますが、本校舎の所在地は隣のパリキールです。コンピュータ情報や経営学、教養、農業、海洋、自国文化研究などのたくさんの学科が設立されていて非常に多くの分野について学ぶことが出来ます。海外との留学交流も盛んだそうです。」イベリスにリアムが答える。
「そういえばイベリスは学校を直接見るのは初めてか。」玲那斗が言う。
「えぇ、私にとっては何もかも。みんなが見せてくれる映像でしか見たことが無いもの。たくさんの人々とたくさんの知識を学ぶ場所。とても楽しそうね。」素直な感想をイベリスは言った。するとリアムが彼女に対して思っていたことを伝える。
「イベリスさんは勉強熱心なんですね。昨日から思っていましたが、皆さんと会話されるのを聞いているとそう感じられます。私は学問が苦手だったので、学びに対して熱心な姿勢は正直にとても凄いと思います。」
「勉強をしていると言えばそうなのかもしれないけれど、気持ち的には違うかもしれない。何でも知ることが楽しいと思えるから苦しくも無いわ。私にとっての苦手な勉強と言うと貴族としての作法をみっちり仕込まれた経験かしら。嫌いではないのだけれど、とても厳しくて。それらは私達に課せられた義務であり、学ぶことを楽しむという感覚では無かったから。」
窓の外を見つめながら、過去を思い出すようにイベリスは話を続けた。
「挨拶の仕方、歩き方、話し方…当時は “生きる為” にそういった日常的な動作に対する細かい作法を実践することが必要だった。対外的に自らの地位の高さや教養の高さを誇示するという意味も含めてね。そういったことが家柄の良さ、地位の高さや対外交渉の有利不利に直接繋がったのよ。例えば食事の席でもどんな料理を食べるのかよりも作法の方が重要で、ひとつの動作に対しても細かい取り決めがいくつもあったの。貴族同士の会食やなんかでは作法ばかりを気にしていたから、息苦しくて正直何を食べたかなんて記憶には残らなかったわ。いつだってみんなが見ていたのは、料理そのものや味ではなく、【いつ、誰が、どこで、どんな失態を晒すのか。】そんなことだけだった。」
内容の重たさに比例せず、イベリスは思い出話とでもいうようにこともなげに笑いながら話す。
しかし、かつてのそれは言葉通り生きる為に覚えなければならない義務と言うものだったのだろう。
“出来ないということが許されない”
どこに行っても常に人の目に晒され、何か不出来なところがあるのではないかという視線を向けられる。一つでも作法の間違いをしてしまえば命取り…一族が吊し上げに遭う。そんな時代を生きて過ごしていたのだ。
それがどれほど過酷で大変であったかについては、その場にいた誰もが想像に難くないと思えることだった。
イベリスは話を続ける。
「だからね、私は今この時代でみんなと共に過ごして、昔にはなかった自由がたくさんあることをとても素敵だと思っているの。食事でも常識的な一定の作法さえ気を付ければ、あとは誰と何を食べて何を話したかを大事に思うことが出来るし、学校というところでは個人が学びたいと思うことを心行くまで学ぶことが出来るのでしょう?個人の意思と立場の平等が尊重されて、自由が約束された現代と言うのはとても素敵ね。」
そう言ってみんなの方へ振り返り、笑顔を見せる。しかし、その後に憂鬱そうな表情を浮かべながら言った。
「反面、自由という言葉には常に “責任” という言葉もつきまとうことを私は知っている。当時、自由と呼べるものは少なくて貴族としての礼儀作法、立ち居振る舞いについての制約は厳しかったけれど、何かあった時に責任を問われるのは作法を間違えた当人では無く一家の当主だった。当人も怒られはするのだけれど、厳しく追及されることは無かったわ。自由が少ない代わりに重大な責任を問われることも無い。そう考えると、自由であることと制約があることというのは一長一短というところかしら?」
皆がイベリスの話を聞いた。昔から今に至るまでに変わったこと。その世界で自分達が生きているということ。当時を生きた人の言葉だからこそ考えさせられる。
誰もが穏やかな表情をしつつ何も言わないのを見たイベリスは手で口を覆い慌てた様子で言う。
「ごめんなさい。空気を読まずに一人で喋りすぎてしまったようね。」
「いいや、話してくれてありがとう。空気を読んでいないなどとんでもない。貴女のおかげで随分と良い空気になったよ。」助手席からハワードが感謝の言葉を言う。
「そう言うことだ。誰も何も言わないのは、イベリスの話がとても良かったからだよ。」ルーカスがウィンクをしながら言った。
「そうなの?玲那斗、貴方はどう思う?」隣に座る玲那斗へイベリスは意見を求める。すかさずルーカスが玲那斗へ駄目出しをする。
「いや、むしろ今俺が言ったことは玲那斗、お前が真っ先に言ってあげなきゃダメだろう?」
「全くです。みんな中尉が言うのを待っていたんですからね?」ルーカスに加勢するようにフロリアンも言う。
「やらかしたな、玲那斗。残念だが、これはマイナス査定待った無しだぞ。」ジョシュアも冗談を言いつつ加勢しその場が笑いに包まれる。
緊張が満ち、沈みかけた場の空気を持ち直してくれたイベリスを見てハワードは確信する。あらゆる意味でこの調査には彼女と言う存在が必要なのだ。
思考の柔軟性は大事だ。先入観に囚われた状態での調査というものは、ともすれば間違った結論へ直結することだってある。
彼女がこの調査に影響を与える可能性と言うのは、何も特別な力を持っているからという理由だけではなくなった。おそらくは彼女の人柄や考え方というものも目的遂行の過程で重要な役割を果たすに違いない。
先程のように固まりかけた場の空気を自然に諫める役割。今までマークתのみの活動であればフロリアンがその役割を果たしていたのだろうが、今回のような合同調査においてはきっと彼女がその役目を担うことになる。
良い意味で空気を読まない。それだけの人間力を彼女は持っている。たとえその身が既に人間ではなくなっていたとしても。
本当に良いチームだ。ハワードは改めて心の中で呟いた。
場の雰囲気を持ち直した一行は他愛もない話を続け、大通りを走る車輌は大統領府へと向かって進んでいく。
ミクロネシア連邦をまとめ上げる長との会合の時間が刻一刻と近付いていた。
* * *
連邦警察本部にある個人オフィスの中でウォルターは部下から上がってきた定期報告に目を通していた。
『対象に目立った動き無し。』
報告書が告げた内容は簡素なものだった。ウォルターはスマートデバイスに表示された報告ファイルを閉じて深く息を吐く。
自身の身体を椅子に深く沈めるように背もたれにもたれかかる。追いかける捜査に大きな進展は無く八方塞がりと言ったところだ。
追いかける対象の巨大さを考えればそれも致し方ないことではある。相手が尻尾を出すよりも先に迂闊に動いて取り逃がすきっかけを作ってはならない。慎重になり過ぎるくらいで丁度良い。
狙いを定めた獲物を狩るときにはただひたすら待つという行為も重要な場面がある。今はきっとそういう時なのだろう。
これは希望的観測。可能性の話ではあるが、海の向こう側から来た来客が活動を開始することが事態を動かすきっかけになるかもしれない。
海外からの来客が本格的に動き始めるのは明日以降の話になるだろう。昨日はこの島で起きている問題や事象について説明を受けたに違いない。今日はその話を理解として深める為にあらゆる場所へ訪れての情報収集をするのではないだろうか。
昨夜、ウィリアムは機構と大統領の会合は予定通りに行われると言っていた。であるならば昼頃には何か進展があるかもしれない。
ふと手元の時計に視線を落とす。時刻は間もなく午前10時を迎えようとしていた。第一の行動における刻限だ。
待ち続けることが最善な状況であるとはいえ、残された時間はそう多くは無い。あの少女が作り上げている例の奇跡が最終段階に入るまでに片を付ける必要がある。
過去に欧州の地で起きた奇跡をモチーフとしているのであれば残された奇跡はあと2回。9月13日に第五の奇跡が起こり、10月13日に最後となる第六の奇跡が起きるはずだ。
それまでに決着を付けなければ。
何度も心の中で繰り返す。
膠着状態ともいえるもどかしい現状が単なる嵐の前の静けさであることを願う。穏やかな波ばかりではいけない。この国がより良く導かれる為には一度の荒れ狂う波が必要なのだ。海底に溜まった泥を一気に押し流すほどの荒波が。
ウォルターは何もない天井を見上げ、数時間後に事態が動き始めることを願いつつ、部下から上がってくるであろう次の報告まで静かに目を閉じた。
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