第10節 -その朝は穏やかな波のように-

 翌朝。朝の陽ざしの眩しさと最愛の人が呼ぶ声、そして左右に大きく揺さぶられる感覚で玲那斗はようやく目を覚ますに至った。

「玲ー那ー斗!玲那斗起きて!はーやーく!」

 かつてない程に騒々しい朝だ。目を開いた先に、柔らかな日差しを浴びて佇む彼女の姿が見える。

「イベリス?おはよう。」眠たい目をこすりながら朝の挨拶をする。

「おはよう、ってようやく起きたのね。まったく、最初は起床時間になったから軽く揺すったのだけれど、まったく起きる気配がなかったから名前を呼んでみたの。それでも全く起きる気配がないんですもの。」

 明らかに不満の表情を浮かべているが不機嫌という訳では無さそうだ。

「それより、ねぇ見て!昨日支給して頂いた制服に早速袖を通してみたの!似合うかしら?」

 玲那斗はベッドから起き上がり嬉しそうに報告をする彼女の姿にしっかりと目を向ける。

 機構の女性隊員が身に纏う制服を彼女は着用していた。

「似合ってるよ。ドレス姿ではない君も凄く新鮮で良い。髪型も変えたんだね?」

 今日の彼女はいつも下ろしている髪をアレンジしたサイドポニーテールで纏めていた。根元に白いリボンが結ばれているところも彼女らしくてとても印象的だ。

「みんなと一緒に調査に行くなら、動きやすくて暑くない髪型が良いと思って。」

「とても可愛いよ。白いリボンも君らしくて素敵だ。きっとみんなも驚くね。」

 玲那斗は素直に思い浮かんだ感想を伝える。

「ありがとう、貴方は褒め上手ね。」満足したように笑顔でイベリスは言った。

「さぁ、貴方も早く準備して。急がないと遅れてしまうわ。」

 イベリスの姿に見惚れていた玲那斗だったが、彼女の言葉を聞いてふと時計に目をやる。時刻は午前7時過ぎだ。

 時間を確認して驚いた玲那斗はベッドから飛び起きて朝の支度を始める。30分から予定されている朝のミーティング開始まで残り20分も無い。

「うふふ、いつも冷静な貴方が慌てる姿も新鮮ね。」慌てふためく玲那斗のすぐ傍でイベリスが楽しそうに笑っている。

 もし彼女が先程必死に起こしてくれていなければ遅刻が確定していたことだろう。

「ありがとう!起こしてくれて!」玲那斗はイベリスに感謝をしつつ、全速力で朝の支度を整えていく。

「どういたしまして。でも、本当はゆっくり眠る貴方の寝顔をもう少し眺めておきたかったのよ?」ドタバタと支度をする玲那斗には聞こえないようにイベリスは囁いた。


                   *


「よう!随分と賑やかな朝だったじゃないか!」

 午前7時20分。少し息を切らせ気味にミーティングルームにやってきた玲那斗とイベリスに対し笑いを堪えた様子でルーカスが言う。

「おはよう。もしかして聞いてたのか?」やや恥ずかしそうに玲那斗は返事をした。

「ちょうどミーティングルームに行こうとした時にな。イベリスが必死になってお前を起こそうとする声が通路まで丸聞こえだったぞ。良いじゃないか、無機質な目覚ましの音で起きるよりずっと幸せだ。あぁ、俺も最愛の人の声で幸せな目覚めを味わいたいな。」ルーカスが冗談交じりにそう言った直後、ジョシュアが言う。

「よし、そう言うことなら明日は俺がルーカスを起こしに行ってやろう。人の温かさが感じられる目覚めになるぞ。隊長として部下の要望には応える義務があるからな。」

「いえ、隊長のお手を煩わせるわけにはいきません。それより確か隊長のご希望は座り心地の良い座席をヘリに設置することでしたね。私から申請をしてみましょう。部下には隊長のご要望に沿うよう行動する義務がありますので。」爽やかな表情をしたルーカスが必死に話題を逸らそうと試みる。

 ジョシュアと墓穴を掘ったルーカスのやり取りの隣でフロリアンが必死に笑いを堪えている。

「とても賑やかね。」くすくすと笑いながらイベリスが言い、玲那斗が答える。

「あぁ、随分と賑やかな朝だ。」

 隊長と問答をしていたルーカスがさらに話題を逸らすようにイベリスへ声を掛けた。

「それよりイベリス、機構の制服も似合うじゃないか!」

「ありがとう、ルーカス。」

「髪型も変えたんですね。」フロリアンが言う。 “とても似合っている” と口に出し掛けたが、ハンガリーの地でとある少女に言われたことが脳裏によぎる。


《そういう事を言うのは、私にだけにしておくれよ。》


 その言葉を思い出し、出し掛けた言葉は心の内に仕舞うことにした。

 フロリアンが口に出し掛けた言葉を呑み込んだことに気付く様子はなくイベリスが答える。

「えぇ、みんなと一緒に調査に行くのに、いつものままだと動きづらいと思って。」

「フロリアン以来の後輩が増えたみたいでなんだか新鮮だな。」

「ルーカスったら、じろじろ見られると少し恥ずかしいわ。でも後輩というのは言い得て妙ね。立場上は三等隊員さんと同じらしいからよろしくね。先輩方?」

 そう言ったイベリスの胸元には確かに三等隊員であることを示すバッジが光っていた。


 玲那斗とイベリスが雑談に加わって数分後、リアムとハワードがミーティングルームへと到着した。

「皆さんお揃いですね。昨晩はゆっくりお休みになれましたか?」リアムが言う。

「あぁ、全員問題なさそうだ。」隊を代表してジョシュアが答える。

「移動とジェットラグによる疲れを心配していたが、問題なさそうで安心したよ。」ハワードが言った。

 マークתの面々が座る対面にリアムとハワードが着席する。

「それでは、定刻まであと数分ありますがミーティングを始めましょう。とはいえ、内容は皆さんへの報告と今日のスケジュール確認という簡潔なものとなりますが。まず皆さんのヘルメスに本日のスケジュールを送信したのでご確認を。イベリスさんは姫埜中尉に見せてもらってくださいね。」

 リアムの言う通りに玲那斗は自身の持つヘルメスをイベリスにも見えるようにした。

 ミーティングが始まり、全員が真剣な顔つきに変わる。各自がヘルメスに送信されたスケジュールを確認したのを見計らってハワードが言う。

「では、本日のスケジュールを確認していこう。内容は諸君らのヘルメスに表示されている通りだ。まずは午前10時より大統領府にてキリオン大統領との会合が予定されている。出席者はここにいる全員となる。」

「補足として記載がありますが、先方の出席者は大統領だけなのでしょうか?」フロリアンが質問をする。

「そうだと聞いている。大統領の希望により秘書官の立ち合いも無いそうだ。」ハワードが答え、続けてジョシュアが言う。

「一国の大統領に付き添いもないとは。自らの希望ということは何か込み入った話でもあるのか。例えば身内にすら話したくない何か…いや、考え過ぎか。」

「どうだろうな。それについては実際に会合が始まってみないことには何とも言えない。昨日も言ったが、まずは相手の出方を窺ってみた方が良いだろうな。次に、大統領との会合を終えた後は昼食を取り、午後1時からは支部の応接室でヴァチカン教皇庁の2人と会合を行う予定だ。参加者は午前と同じくこの場の全員となる。」

「主に今回の奇跡と呼ばれる現象に対するヴァチカンの現状での見解と動向を確認する為の話し合いになります。」ハワードの言葉にリアムが補足した。

「そして最後の予定だが、午後4時にマークתの諸君らにはテンドウ夫妻の自宅を訪ねてもらいたい。」

「テンドウ…アヤメという少女のご両親でしょうか?」玲那斗が質問をする。

「そうだ。これは事後報告になるが、昨日の夜にアヤメの父親であるダニエル・テンドウ氏から直接連絡があってな。話の内容としてはリナリアの奇跡に携わったマークתのメンバーと話をさせて欲しいという申し出だった。 “娘のことについて諸君らに話しておきたいことがある” そうだ。」

「知らない内に俺達も随分と有名になったものだな。」ジョシュアが言う。

「何でも、昨日の午後に大統領からリナリアの奇跡の話も含めてマークתの話を聞いたらしい。もしかすると午前中の会合でその辺りの話題についても触れられるかもしれない。」

「参加者は我々のみとなっていますが、少佐とモーガン中尉はご両親との話し合いの席に参加なさらないのですか?」ルーカスが問う。

「先方の要望だ。あくまで話し合いはマークתの面々とだけ行いたいとの申し出であり、話し合いを行う上での約束でもある。従ってその席に我々が同行するわけにはいかない。これは彼らからアヤメという少女のことについて直接話を聞くことが出来る唯一にして最後の機会かもしれない。心して臨んでくれたまえ。」

「了解した。」全員を代表してジョシュアが返事をした。

「皆さんから何か質問はありますか?」ミーティングの終わりにリアムはそう言いながら全員を見回す。

「では、特に質問もないようなのでミーティングを終了します。次は9時に第2ゲートに集合して下さい。」

 リアムの合図で朝のミーティングは終了し、各々は朝食をとるために食堂へと向かった。


                 * * *


 時計が午前8時を回る。

 アヤメは学校に行く支度を整えて両親と共に朝食をとっていた。

「アヤメ、今日は夕方の4時頃にお客様がいらっしゃる予定なの。お父さんとお母さんはお客様と話をしなくちゃいけないから、学校から帰った後はお部屋で宿題をするか、それも終わったら良い子に遊んでいてくれる?」サユリが言う。

「良いけど、お客様?珍しいね。誰が来るの?」母の手作り料理を美味しそうに頬張りながら、興味津々と言う様子でアヤメは言った。

「海沿いに見える大きな建物の中で働いている人達よ。W-APROって聞いたことあるでしょう?」

「私知ってる!お水を配ったりしてくれる人達ね!とても良い人達だわ!」

「そう、みんなの為に働いて、色々助けてくれる人達よ。」

「でも、どうしてあの人たちがここに?」

「それは…」

 アヤメの質問にサユリは口ごもってしまう。するとダニエルがすかさずアヤメに言う。

「アヤメ、もうそろそろ学校に向かわないと遅れるよ。」

「え?もうこんな時間?早く行かないと!行ってきまーす!」

 鞄を片手に玄関に向かう娘をダニエルは笑顔で見送る。

「いってらっしゃい。気を付けてね。」


 間もなく、玄関の扉が閉まる音が聞こえる。

「ダニー、彼らは私達の話を信じてくれるかしら?」

「きっと。大統領から聞いた話ではリナリアの奇跡に携わった方々が昨日この島に来られたそうだ。その方達なら…或いは。」ダニエルはサユリの肩に手を置き優しく言う。

「えぇ、そうね。」

 サユリは肩に置かれた手を握りながら静かに答えた。



 外に出て十メートルほど歩いてからアヤメは自宅を振り返る。

 朝食で母親が言えなかったことが自分にはわかる。来客として訪れる機構の彼らと両親は間違いなく自分が起こす奇跡の件についての話をする。彼らが聞きたいのは自分に関する情報だろう。

 両親は自分が余計な心配事を抱えないように気を使ってくれている。故に『貴女のことについて話す』などとは絶対に言わない。分かっているからこそ自分も深くは聞かない。


 それはそれとして、アヤメは機構の人々が自宅を訪れると聞いて楽しみになったことがある。

 先日この島にヘリでやってきた “彼女” の存在だ。彼女は今日の夕方、自宅を訪れてくれるだろうか。もし、訪ねてきたら少しくらいは話すことが出来るのだろうか。

 彼女の知っている自分としてではなく、彼女が今日初めて出会うアヤメという少女としてでも構わない。

 長い長い年月を越えた再会となる彼女と言葉を交わしてみたいという気持ちが心に湧き上がってくる。

 アヤメは遠くに見える巨大な機構の支部建物に視線を向ける。

「貴女は、気付いてくれるのかしら?」

 虚空に向けてそう言うと、アヤメは学校に向けて再び歩き出した。


                 * * *


 大統領執務室の窓の向こうでは朝日を浴びた海が再び煌めき始める。

 新しい朝だ。昨日とは違う一日が始まる。

 ジョージは広大な太平洋を見つめながら今日の午前中に行われる予定の会合について思案した。

 政府側の出席者が自分一人だけというのは自ら決定した。彼らには自身が感じていること、考えていることを全て伝えておかなければならない。

 秘書官として自分を支えてくれる右腕とも呼ぶべき存在であるウィリアムには申し訳ないが今回の会合では席を外させることにした。

 そういえば、ウィリアムは関係各所の協力関係の強化を図る為、昨夕も薬物密売捜査の指揮を執る連邦警察の者と話をしていたようだ。正直なところ自分は警察のことを信用していない。彼らは必要な情報をわざと自分に伝えないようにしている節がある。

 どういう意図をもってそのようにしているのかは定かではない。そして、そのことが自分にとっての頭痛の種のひとつともなっている。

「悩みというものは尽きるものではないな。」誰に言うわけでもなくぼやく。

 警察の秘密主義にも困ったものだ。そんなことを考えながら時計に視線をやる。時刻は午前8時を回ったところだ。

 その時、執務室のドアをノックする音が響いた。大統領専用デスクのモニターにはウィリアムの姿が映っている。

「開いている。入りたまえ。」

「失礼いたします。おはようございます。大統領、朝食の用意が整いました。」

「あぁ、ありがとう。すぐに行こう。」

「会合までは時間があります。それまではゆっくりなさってください。それと、報告が1件ほど。昨夕、連邦警察のイサム中佐と会合の場を持ちました。情報交換や開示の話について、大統領が機構の方々を信頼に値する人物だとお認めになれば考慮するとのことです。」

 ウィリアムの報告を聞いたジョージは既に承知していると言った面持ちで答える。

「何を今更。相変わらず食えないものだな。その様子だと、開示するとは言ったが “全て” とは言わなかったのだろう?」

「おっしゃる通りです。何を考えているのかまるで掴むことが出来ません。」

「それが警察というものなのだろう。分かった。機構との会合後に私から長官へ連絡を入れておこう。」

「はい。では、失礼いたします。」挨拶を終えたウィリアムが退出する。

 扉が完全に閉まったことを見届けると、ジョージは再び視線を窓の外に向ける。

「穏やかな波は望むべくも無いか。荒れるな。」

 そう言って振り返る。ゆっくりと扉の方へと歩き、朝食をとるために執務室を後にした。


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