第8節 -疑念と信念-

 午後6時を過ぎた頃、支部内の食堂に集まったマークתの面々とイベリス、そしてリアムは共に夕食をとろうとしているところだ。

 ハワードは明日の予定についての確認作業があるということで夕食の席は外している。

 周囲には他の支部の隊員も大勢詰めかけ賑わいを見せており、皆がテーブルで出来立ての食事を囲んでいる。

 食堂はいくつかのメニューの中から好きなものを選んでオーダーする形式になっており、魚や煮物を中心としたあっさりしたメニューや肉などのこってりしたメニューも用意されていた。

 ジョシュアを筆頭にマークתの4人とイベリスも思い思いにメニューをオーダーし、出来上がったものを受け取ってテーブルの一角にたった今着席したところだ。

 リアムが最後に着席をして5人に一声かける。

「皆さん、本日はお疲れさまでした。移動による疲れの他に時差による疲れもあると思いますが、今から明日の朝までは引き続き自由行動ですのでゆっくりとなさってください。」

「ありがとう。」ジョシュアが全員を代表して礼を言う。

「では、早速食事にしましょう。どうぞ召し上がってください」リアムが言う。するとマークתのメンバーとイベリスは全員が揃って両手を合わせて言った。

「頂きます。」

 その光景を見たリアムは少し驚いたような表情を浮かべた。

「日本風の食事の挨拶だ。食事の前には食材や作ってくれた人への感謝を込めて『頂きます』。食べ終わった後は同じように感謝を込めて『ご馳走様でした』と言うそうだ。ずっと昔に玲那斗がしているのを見て、マークתでは食事の際にこう言うことが習慣になったんだよ。もちろん、今ではイベリスも。」ルーカスが笑顔で説明する。

「なるほど。ミクロネシアでも食事前にシアモガ、食事後にキャリソチャプールと言いますがそれと同じようなものでしょうか。」

「俺やフロリアンの母国であるドイツでもGuten Appetit <グーテンアペティート>(美味しく召し上がれ)と言ってくれた人に Danke, gleichfalls <ダンケ グライヒファルス> (ありがとう、あなたも。)と言うが、日本の挨拶は響きや意味合いが良くてね。最初はただ真似していただけだったんだが、いつの間にか習慣になってしまった。」

「では私も。頂きます。」両手を合わせてリアムも言う。

 目の前に並ぶ温かな食事を全員が食べ始める。中でもイベリスは脇目も振らずに黙々と、そして笑顔で食事を楽しんでいる様子だ。

「そういえば、アメリカには食事前に祈りを捧げる家庭があると聞いたことがあります。大尉のご家庭はどうでしたか?」リアムが言う。

「俺の実家もまさしくそのタイプだな。食事に対する感謝を神様にする辺りは日本の挨拶と意味合いは同じだ。」ジョシュアが答える。それに対して玲那斗が補足する。

「むしろ、日本の食事の挨拶は、欧米式のそうした祈りを輸入して取り入れた結果として生まれた文化とも言われています。実は近代に入ってから生まれた文化だと。」

「へぇ。こういうことを知るのはとても面白い。全く違うように見えて色々なところで繋がっているものですね。繋がりと言えば、ミクロネシア連邦は歴史上スペイン、ドイツ、日本、アメリカとは縁が深いので、あるもののルーツを辿ると実はあの国のものだったなんてことも珍しくありません。それぞれの国の良いものを取り入れたような変わったものも多いです。例えば今日のメニューの煮物に使われている調味料は日本由来の醤油ですね。」

「やっぱり。馴染みのある味だと思ったんだ。」リアムの説明に玲那斗が率直な感想を言う。

「それと、この国でメジャーといえば刺激的にカラフルな漬物ですが、あれはアメリカのジュースの粉と醤油やスパイスなどを合わせて漬け込んだハイブリッドな食べ物と言えるでしょう。食堂に並ぶこともありますので姫埜中尉もいかがですか?」

「その時は頂くようにするよ。」リアムの誘いにやや引き攣った表情で玲那斗は答えた。

 食事をしながら周囲を見渡すフロリアンがふと思ったことを口にした。

「そういえば、この支部にはセントラルと比べても様々な国の方がいらっしゃるように見えますね。」

「はい。この支部では太平洋地域からの登用以外にも欧州から訪れた元難民の方の積極採用が盛んです。2031年、ハンガリーで開催された国際連盟特別総会において総監が世界に向けて示した難民受入施策が着実に実行されています。受入後、機構に志願されて登用された皆は真面目に業務に取り組んでくれていますし、それによって以前に比べてさらに支部に活気が満ちるようにもなりました。」


 リアムの言葉を聞いたフロリアンははっとした。

 西暦2031年12月末。自身がまだ機構へ入る以前のこと。中央ヨーロッパの一国、ハンガリーで国際連盟特別総会が開催されていた丁度その時に現地に滞在していた為だ。

 その地である人物たちと共に過ごし、難民問題に対する認識や考えを深めたことが自身を機構入りに導いたと言って差し支えない。

 ハンガリーで出会い、自身の人生を変えてくれた人物の一人である少女とは今でも親密な交友を深めており、年に1度か2度は必ず共に過ごすようにしている。その為だけにまとまった休暇を取る程に。

「フロリアンが機構へ入ったのは難民施策が発表された直後辺りだったな。」懐かしむようにルーカスが言う。

「はい。僕が機構へ入るきっかけになった出来事といっても過言ではありませんから。」

 すると先程まで黙々と食事を楽しんでいたイベリスが食べる手を止めて言う。

「様々な人々が国や人種と言う垣根を越えて共に一つの目標を掲げて協力し合う。とても素敵ね。私の生きた時代における世界の価値観はまるで逆だったもの。」まるで自分のことのように嬉しそうな表情をしている。

 会議の後からずっと落ち込んだような表情をしていたことが気になっていた玲那斗は、彼女がそうして笑顔を浮かべてくれたことにほっとした。

 機構の制服を受領しに備品課を訪れた際、イベリスに会うことを楽しみにしていた隊員たちと笑顔で交流をしていたが、常に彼女を傍で見守る玲那斗にとっては普段と違い、どこか心ここに非ずといった様子に見えていたからだ。

「はい。イベリス様のおっしゃる通りです。何かを成し遂げようとするときに人種や国境という区切りは関係ありませんから。」

「そうね。」イベリスは笑顔で答えた。そして一言リアムへ注文を付ける。

「モーガン中尉、その…ずっと気になっていたのだけれど、私の名前に『様』を付けるのはやめて頂けないかしら?少し気恥ずかしくて…みんなや少佐のように、イベリスと呼んでくださって構いません。」

「しかし、突然そういうわけにもいきません。せめてイベリス『さん』と呼ばせてください。」

「えぇ、ありがとう。ではそう言うことにしてください。」

「承知いたしました。イベリスさん。」リアムは笑顔で言った。

 二人のやり取りに周囲も笑う。その後も6人は和やかな夕食の時間を楽しんだ。


                 * * *


 同時刻。

 首都パリキールにある大統領府内の応接室では大統領秘書官と連邦警察 国家警察官が会合を開いていた。

 ソファに深く腰を掛けた警察官が対面に座る秘書官に向けて言う。

「大統領の体調はいかがかな。」大統領秘書官にそう問い掛けた男性の名はウォルター・イサム。ミクロネシア連邦警察の中佐であり、薬物密売事件の総指揮を執っている人物だ。

 スーツに身を包んでいるために見かけでは分かりづらいが、おそらく体は相当鍛えられているのだろう。精悍な顔つきからそれがよく分かる。

 短く整えられたオールバックの髪は整髪料でしっかりとまとめられ、透き通ったスカイブルーの瞳からの射貫くような鋭い眼差しが真っすぐに送られてくる。

「とてもお疲れの様子です。正直、お体を壊されるのではないかと心配しています。」

 自身の健康をあまり顧みることなく、この国の未来の為に働き続ける大統領に対する不安を秘書官の男性が正直に吐露する。

 彼の名はウィリアム・アンソン。ジョージ・キリオンが大統領に就任して以来ずっと彼の傍で秘書官を務めている。

 マロンブラウンの豊かな髪は丁寧に七三に分けてまとめられており、エメラルドグリーンの瞳の奥には強い責任感が垣間見える壮年の男性だ。

 普段は大らかで柔らかな笑みを崩すことがない彼だが、今は自身が仕える大統領の身を案じてか、いつもに比べて不安が強く表れた表情をしている。

「とても責任感の強いお方だ。薬物事件も奇跡のことも含めて、自分が何とかしなければという思いがあるのだろう。出来ればしっかりとした休息をとってほしいと私も願うが、なかなか聞き入れてはもらえないだろうな。肝心なマルティムに対する捜査の進展をさせることが出来ていない私の口から言えたものではないが。」

「いいえ、中佐の活躍のおかげで被害が広がらずにこの国は救われているのです。そうご自身を責められるものではありません。それと、大統領には明日の会合に備えるという意味でも、今日の午後からはお休みになった方が良いと進言しようやく聞き入れて頂けました。しかし、明日からはまた普段以上に職務に没頭されるはずです。」

「今度話をする機会があれば私からも進言しておこう。お体は労わるべきだと。」

「宜しくお願いします。」

「夢も理想も大事だが、それにはまず自身の健康が何より重要だからな。」

「その通りだと私も思っています。」ウォルターの意見にウィリアムも同意した。

「ところでアンソン秘書官、明日の会合と言うのは例のW-APROと行うのだったな。リナリア事件を解決したという大西洋方面に所属する調査チームが派遣されたと聞いたが。」やや体勢を前のめりにしながらウォルターは言った。

「はい。大西洋方面司令 セントラル1に所属するマークתというチームの方々と支部の司令官、調査指揮を執っておられる方が明日の午前10時から行われる会合に出席します。」ウィリアムが答える。

「リナリアの件はメディアが頻繁に報じていたから私とて承知していることだが、例のアヤメと言う少女が起こす奇跡の解決…あれを本当に彼らが解決出来ると思うかね?」

「正直に申し上げてまだ何とも…ただ、何も策を講じずに手をこまねいているよりは僅かな可能性にでも賭けてみる方が余程建設的です。」

「それはそうだが、彼らを信じる価値があると?」やや厳しい視線をウィリアムに浴びせながらウォルターは言う。それに一切動じることなくウィリアムは返事をした。

「少なくとも私はそう考えています。かつて、国際連盟の総力をもって対応できなかった事件をあっさりと解決に導いた方々ですから。大統領も同じお考えのようです。」

「ふむ。」軽く溜め息をついたウォルターは前のめりになった姿勢を元に戻しながら言う。

「承知した。明日の会合で、大統領自身が彼らを信じるに値する人物達であると改めて認めたならば我々も持てる情報の提供を約束しよう。協力者が多いに越したことがないのは紛れもない事実だからな。」

 人を疑うことも仕事の一環という警察官ならではだろうか。ウォルターはこの地に応援としてやってきた調査チームのことをまだ訝しんでいるに違いない。ウィリアムにもそれは十分伝わってきた。


 現在の会合はマルティムによる薬物密売と聖母出現の奇跡に対する調査に向けて、警察の協力を取り付ける為の根回しと言うものだ。

 警察のトップである長官と大統領の間で、第三者機関に対する情報交換や開示に関する取決の合意は出来ているが、どこまでの情報開示をするかの判断は現場の指揮を執るウォルターの裁量に委ねられている。つまり、緊密な協力関係を築く為にはどうしても彼の信用を得る必要がある。

 密売組織に関する事情が絡む以上、機構の今後の調査において現地警察の持つ最新情報は絶対必要不可欠な要素となるはずだが、彼を納得させなければそれを引き出すことは叶わない。

 機構のマークתによる調査に一連の事件解決の望みを賭けている大統領と自分としては何としてでも彼を納得させ、情報を引き出したいと考えている。

 この話し合いはその為の布石であったが、彼から大統領の意向により情報開示するという言質を取ることは出来た。

 あとは大統領と彼らが実際に会合を行い、無事に終えることが出来ればそれだけで必要な条件は整うことになる。…そのはずだ。

 気になるのは “持てる情報を開示する” とは言ったが “全て” とは言っていないことだろうか。

 近年、警察から大統領府に対する情報提供も以前に比べて明らかにその情報量が減っているように見受けられる。何か意図があってのことなのかは分からないが、どうにも目の前に座る警察官には何か思う所があるらしい。

 だからこそこのような事前根回しを行って言質を取るなどという行為をしているわけだが、果たしてどこまで効果があるのかは未知数だ。


「ありがとうございます。明日の会合における話し合いの行方次第とはなりますが、その時はご協力をお願いします。」

 ウィリアムはひとまずのところウォルターにそう告げ話し合いを終わらせることにした。

 二人は席を立ちあがり握手を交わす。その後、ウォルターは部屋から退出していった。

 全ては明日の会合次第。大統領とマークתの最初の話し合いが実りあるものとなるようにウィリアムは願った。


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