第7節 -過去と今-

 会議を終えたマークתのメンバーとイベリスは、リアムに連れられ支部に滞在する期間中に各々が宿泊する部屋を案内してもらった。ジョシュア、ルーカス、フロリアンには個室が用意され、玲那斗とイベリスが同室となる。

 その後は夕食までの時間、各々が自由行動となった。

 ハワードとジョシュアは今後のスケジュールの細かい打ち合わせの為にミーティングルームへ向かい、フロリアンとルーカスはこれまでに起きた一連の事象の詳細データを確認する為にリアムと共に分析室へと向かう。

 玲那斗はハワードに言われた通り、イベリスが着用する機構の制服を受領しに二人で備品課へ向かっていた。


 備品課を訪ねる為、長い廊下を二人で歩いて行く途中イベリスが言う。

「ねぇ玲那斗。私はきちんと皆の力になれると思う?普段みんながどういった調査活動をしているか何も知らないまま、求められるがままにこの地に来て、何も知らない私がみんなの役に立つとは思えなくて。足手まといになるのではないかって凄く不安なの。」

 非常に重たい話の後だからだろうか。いつも自身に見せているような無邪気さは影を潜め、落ち込んでいるように見える。

「私は貴方にリナリアから連れ出してもらって、今の世界というものを知った。島の外では目に映るものは何もかもが新しくて、新鮮で美しくて、毎日が本当に輝いて見えるの。私の生きた当時、存在しなかったものがたくさん生み出されて人々の生活はとても豊かなものになっている。あの頃と変わることのない空を彩る星々の輝きを記録として残しておくことも出来てしまう。千年の間に歴史は流れ、人々の可能性は実を結び、世界がここまでの発展を成し遂げたのだと思うと凄く嬉しくもあった。過去を生きた私達の歴史と死は決して無駄ではなかったのかもしれないと。でも…」

 そこで言葉は途切れる。次に言う言葉に迷っているようでもある。

「昔からそうであったように、この世界は美しいものだけで満たされているわけではない。人々の幸福の為に発展したものもあれば、その一方で人々を苦しめる為に作られたものも同じように発展を遂げている。かつて、リナリアの地で起きた戦争の時にも人間の心が持つ醜さは十分に垣間見ることは出来たし、今の時代にもそうしたものがあるかもしれないとは薄々思ってはいたけれど、先のお話でそれを示す映像をこの目で見て改めて思い知らされた。今ではあの当時以上に人が人の命を絶つことが容易になってしまっている。無知とは、やはり愚かなものね。」

 最後は消え入りそうな声で彼女は言った。

 二人が歩く途中、支部に在籍する隊員たちとすれ違う。そんな時、彼らは皆笑顔で敬礼をしてくれる。

 彼らに対して玲那斗は敬礼を返し、イベリスは笑顔で軽く手を振って応えた。

 並んで歩きながらイベリスの素直な思いを聞いた玲那斗は自身の考えを伝える。

「それでも、君が見て美しいと感じたものは確かにこの世界にあって、この先もそれが変わることはないと思う。もちろん、イベリスが言うように今の時代も綺麗なものばかりでは無いことは確かだ。俺も君が知らない場所で嫌というほどそういうものを見て来た。けれど、人はそういったものを悉く乗り越えてまた新たな場所に辿り着くものだとも思う。今すれ違った彼らの笑顔を見ただろう?悲しいことを目にすると、それが強く印象に残って世界が暗く見えてしまうこともあるけど、この世界には彼らが見せてくれたような人同士の繋がりという明るさがまだまだ満ちている。諦めさえしなければ、今よりもっと多くの人々が笑って暮らせるような世界がいつか訪れるさ。」

「貴方は強いのね。私は薬によって苦しむ男性の映像を見ただけで足が竦んでしまいそうだった。自分の信じていたものが一瞬で崩れ去っていくように感じたわ。それでも、私は人の可能性を信じているの。今貴方が言ったように、困難なことに直面してもいつかは乗り越えることが出来ると。ただ、今はそれが本当に正しいことなのかどうか、少し自信が無いわ。」

「これからイベリスには、たくさんのものを見て、経験して、様々なことをその心で感じる場面が訪れる。良いことも悪いことも、美しいものも醜いものも、善も悪も。その時に心で感じたことを大切にしながら、それから少しずつ考えていけば良いんだと思う。焦らずに、ゆっくりと。今目に見えるものだけが全てではないよ。君は愚かなんかじゃない。」

「ありがとう。」

 玲那斗の言葉にイベリスは一言だけ返事をした。


 今は戸惑いの方が大きいのだろう。玲那斗は彼女の心の中を慮った。無理もない。彼女は自身が生きていた当時から千年の歳月が流れた現代について知り始めて1年しか経過していないのだ。

 その目で見て経験するほとんどのことが初めてで、良いことも悪いことも含めて彼女の中には現代知識が洪水のように情報として流れ込んできている。

 それらをひとつひとつ丁寧に考えていくなど常人には到底出来ることでは無い。今の時代を生きる人々であっても、年齢と同じ年数をかけて理解してきたことを僅か1年で理解するなど到底無理な話である。

 豊かになった人々の暮らしを見て眩しいばかりの輝かしさを感じるということは、人々を苦しめる悪意を見た時に底知れぬ恐ろしさを感じるということと同義でもあるだろう。

 これから様々なことを経験して、彼女自身がどういう思いを抱くのか。どういった考えに行き着くのか。それはもっと先の話になるに違いない。


 この先何十年掛けたって良い。何も急ぐことは無い。少しずつで良いのだ。


 しかし、根が恐ろしく真面目な彼女のことだ。きっと “今見たもの” をその場で “理解しなければならない” と思っているに違いない。

 故に自分に出来ることはおそらく今はただ一つ。彼女が思ったことや感じたことを聞き、理解して隣で支えていくことだけである。

 リナリアの地で目覚めた、自分の中に内包した “もう一人のレナト” も自分と同じことを思っているだろうという不思議な実感がある。

 そうだ。何も焦ることは無い。明日からの調査任務においても、彼女が気負わないように支えることに集中しておこう。


 玲那斗がそう考えていた時、目の前に備品課のプレートが掲げられた部屋が見えた。

「着いたよ。この部屋だね。」

 話し掛けられたイベリスは考え事から我に返った様子で正面に目を向けた。

 玲那斗が電子コールを鳴らすとすぐに女性隊員の応答する声が聞こえる。玲那斗もすぐに用件を述べる。

「セントラル1 -マルクト- マークת所属の姫埜中尉です。ウェイクフィールド少佐からの指示で参りました。」

『お待ちしておりました。どうぞ。』

 明るい女性の声が聞こえると同時に電子扉のロックが解除される音が聞こえた。

「さぁ、入ろうか。」

 玲那斗は彼女に優しく微笑みかける。彼を見てイベリスも少し表情を柔らかくして言った。

「はい。」

 玲那斗はモーガン中尉から渡された支部内で必要な認証キーをゲートへかざして扉を開け、イベリスと共に室内へと入室した。


 そして2人が部屋に足を踏み入れた瞬間、待ち構えていた “イベリスのファン” であろう満面の笑顔を浮かべた隊員たちに取り囲まれることになった。


                 * * *


 窓の向こうには太平洋が見える。この地に降り立った直後に降り始めた大雨は止み、太陽の光が海を煌かせていた。

 間もなく日が沈む。陽は西に傾き空が鮮やかなオレンジ色に染まってゆく。

 支部内にある小さなミーティングルーム。そこではハワードとジョシュアは今後のスケジュールについて細かい打ち合わせを行っていた。


「大統領府、警察、ヴァチカン教皇庁。これらの組織と緊密な関係を築くことは問題解決に向けてやはり必須か。」ジョシュアが言う。

「必要なのは情報だ。我々は起きた事象に関する調査を行い、その情報を手にする術、或いは事前に得た自然界のデータからこの先どんな事象が起きるのかを分析する術には長けているが、政治的な情報収集となると彼らよりも圧倒的に力が不足している。マルティムに関する情報や、少女が行う奇跡に対する教会の意向といった情報は各方面から教えてもらうほかない。」やや疲れた表情でハワードが答えた。

「まずは明日、大統領府へ赴き何を話すことになるのか…どういった連携を行うことがベストなのかについての判断はそれからだろうな。緊密な関係を築くことが望ましいとはいえ距離感は重要だ。」

「無論。彼女のこともあるからな。」

 一通りの議論を重ねた二人の間には僅かな静寂が訪れる。話が煮詰まってきたことで翌日の行動に対する方向性を見出すことが出来た。


 話が一段落したことを感じ取ったジョシュアは手元に用意した甘めのコーヒーを一口飲む。そして、先程の会議が始まる前の会話の中で気になった言葉をハワードに尋ねた。

「ハワード。先程は深く聞かなかったが、俺個人としてはやはり聞いておきたい。お前さんが国際連盟に対して抱いている疑念とは何だ?」

 単刀直入に聞く。ここで言葉を濁すことに意味は無い。

 繰り出された質問を頭の中で吟味するようにハワードも手元に置いていたブラックコーヒーを一口飲む。そして軽く溜め息をついて言った。

「聞いてどうする。」

「国連に対して俺も疑念を持っている。」自身の質問に問いを重ねたハワードへ向けてジョシュアは答えた。

 ハワードはしばし悩んだ様子を見せた後にジョシュアに対してある提案をした。

「交換条件だ。私が彼らについて考えていることを話した後、お前も彼らについて感じていることも話す。どうだ?」

「良いだろう。」その提案にジョシュアは乗ることにした。

 ハワードは再びコーヒーを口に運ぶ。そしてカップを机に置くと両手を口の前で重ねるように組み言った。

「茶番だった。」

 開口一番に繰り出された言葉にジョシュアは眉をひそめた。

「何もかも。2034年、私はセクション5局長の指示によりリナリア島で起きる怪異についての調査をする為に艦隊を率いて現地へ向かった。」

「散々な結果に終わった例の事件か。事の始まりから終わりに至るまで、当時世界中のメディアが過去に例を見ない程に熱を込めた報道をしていたな。あれは異常だった。」

「言ってくれるな。事実ではあるから反論は出来ないが。私は今でも思い出す。正直に言えば彼女の、イベリスの力を私は今も恐れている。常軌を逸した怪異を目の前で体験すれば誰だってそう思うだろう。…いや、目の前で体験するより以前に私は恐れていたのだ。本音を言えば最初から行きたくは無かった。成功する見込みは無くても、失敗する理由はいくらでも積み重ねることが出来たのだから。」肩をすくめながらハワードは言う。

「お前さんがそう言うということは、事前通達の時点から余程の無理難題を言われたと見える。決定に意見はしなかったのか?」

「命令は絶対だ。当時私に下されたのはとても簡潔な命令だったとも。 “国連加盟国より選抜される艦隊を率いて無人島の調査を行い報告をせよ” とな。準備期間の短さも含めて無謀だと思った私は何度か局長へ計画の変更を迫ったが、最後まで指示が覆ることは無く、上から返ってくるのはいつも決まってこのセリフだけだった。 “これは世界の総意に基づく調査計画だ” と。」

「世界の総意、か。国際連盟が取りまとめて決定された調査計画ならそうとも言えるのかもしれないが。」ジョシュアのこの言葉に対し、ハワードは厳しい口調で答えた。

「各国の総意?そんなものはない。あの調査計画は公式な手順に則って立案、承認されたものではない。そもそも調査計画そのもの自体が議会に提出されてすらいないんだ。」

「何だって?そんなものが正式な計画として承認されたというのか。」

「そうだ。さらにそんな計画を世界中のメディアが “不自然なほどに” 持ち上げ煽った。」

「ハワード、まさかお前さんはあの計画が何かの陰謀だと思っているのか?」

 その問いに対し、明確な返答をしないままハワードは言った。

「2隻の船の損失によって調査が失敗に終わった後で顕彰の話をセクション5の局長から受けた時、私は同時に別の指示も受けた。リナリア島で目撃した彼女のことについて一切の口外を禁じ、その場にいた乗組員全員へ徹底した緘口令を敷けと。併せて調査報告資料からもそれらの記載は全て削除された。不自然だ。どう考えてもな。最初から最後まで、まるでこの結末が訪れることを望んでいた誰かの掌の上で踊らされているような違和感を覚えた私は局長へ詰め寄った。今回の調査計画の経緯について最初から説明を求めると。だが、結局返ってきた答えはただ一つ。 “世界が望んだ調査計画だ” という言葉のみ。彼らの言う世界というものが本当に言葉通りのものなのか、彼らは本当に我々が思う “世界” の為に活動をしているのか信じることが出来なくなった私は国連からの離脱をその場で決意した。」

 ハワードは再びコーヒーカップを手に取り口に含み、それを流し込んで言う。

「最初から終わりに至るまで何もかもが異常だ。強引に過ぎる。件の調査計画は、求められる事実を得る為だけに最初から失敗することを前提として立案され実行されたとしか思えない。我々の知らない “世界” によって。」

 話を聞いたジョシュアは頭の中で考えをまとめて言った。

「つまり、俺達の認識上では存在しない “世界” というものがあると、そう考えているわけだな。あの計画はその存在によって立案されたものだと。」

「各国国家元首や国際連盟の各セクションよりも強力な意思決定権をもつ何か…議会承認すら必要としない、そんな何かがあるのではないか。そう思わせるだけの異常さがある。」

「それが国際連盟に対する疑念というわけか。」ジョシュアが呟いた。

 その言葉に対してハワードは無言で頷く。妄想や憶測の域を出ない話ではあるが、彼には確信めいた何かがある様子だった。

 そのことに対しては自身にもまた心当たりがあった為、一切の否定はしなかった。

「さぁ約束だ。お前の話も聞かせてほしい。さしずめ、その内容は件のリナリア島調査に関するものだろう?」自身の話を言い終えたハワードが切り出す。

「察しが良いな。」

「そうであってほしいという願望が幾分か混ざっていたがね。」そう言ってハワードは軽く笑った。同じようにジョシュアも笑った後、自身の思っていることを話した。

「お前さん達がリナリア島への調査を敢行して失敗に終わった数か月後、国際連盟から機構に対してある依頼が持ち掛けられた。知っての通り、同じ島に対する調査についての依頼だ。ある日、総監に呼び出された俺は直々にリナリア島に対する調査の指示を受けた。その時はごくありきたりな感想を抱いたものだ。 “ついに来たか” というな。」

 国際連盟が総力を挙げて調査失敗した事実がある以上、機構に対して話が持ち掛けられるのは自然の成り行きだった。

「予想外だったのは国際連盟からの依頼にはある条件が付随していたことだ。」

「条件?」怪訝な表情を浮かべながらハワードが言う。同意を示しながらジョシュアは答えた。

「依頼内容には調査に参加するメンバーなどについての細かい指示が含まれていた。」

「不干渉の原則に違反する内容だな。」

「そう、機構の調査に対する人事権など国際連盟にあるはずがない。しかし総監はその条件を呑んだ上で依頼を引き受けていた。」

「その人選に対する条件の内容とは?」

「玲那斗を絶対に調査メンバーから外さないこと。彼と親しい者だけで調査に赴くこと。これが絶対だと規定されていた。誓約と言っていいだろう。」

 ハワードは困惑の表情を浮かべた。機構のデータベース内に存在する【リナリアの奇跡】に関する調査報告書には玲那斗とイベリスの詳細な関係性についてはあまり触れられていない為、当然の反応とも言える。

 記載として存在するのは “姫埜中尉が問題の根底にある少女との対話を行い、最終的な事件解決にあたっての決定的役割を果たした” という内容である。

 機構内において、玲那斗とイベリスが共に仲良く過ごしているのはそのことが起因になっていると誰もが解釈をしている。

 先の会議において誰よりもイベリスの様子を玲那斗が気にかけていたのもそれが理由だろうとハワードも思っていた。

「結果論として判明した事実ではあるが、あの調査は最初から玲那斗が同行しなければ絶対に成功することは無かった。いや、むしろ玲那斗1人が現地に訪れていたとしても成功したと言い換えることも出来る。本人達がこの場に居ない手前、詳しい事情については省かせてもらうが、これだけは覆すことが出来ない事実だ。」

「理解し難いな。それでは、まるで…」

 まるで国際連盟の中に “その事実を最初から知っていた人物がいた” ようではないか。ハワードはその言葉を言いかけたが、あることが頭に浮かび思い留まった。しかし、その考えはジョシュアによって語られた。。

「先程のお前さんの話を聞いた時にも頭をよぎった考えだが、国際連盟から機構へ依頼を行った人物は、 “玲那斗がいることで調査が成功することを予め知っていた” のではないかと思っている。あまりにも話が出来過ぎているからな。詳しい説明をしないままにこう言うのも憚られるが、イベリスは世界中でただ一人、玲那斗があの島へ行くことでしか救われなかった魂だ。千年に渡る長い呪縛は玲那斗が島へ辿り着き、特定の条件を満たすことのみでしか解き放たれないものだった。」

「確かに出来過ぎだな。」ただ一言。ハワードは小声で言った。

「国際連盟による大規模調査計画の実行と失敗も、メディアによる喧伝も、原則を破った機構への調査依頼も、その結果も含めて全て、最初からひとつの筋書きとして用意されていた。そう言いたいのか?」

 ジョシュアの話を聞いたハワードは一連の流れについて想像できる結論を口に出してまとめた。

「結果として長きに渡る怪異が終息を迎えたことは事実であり、イベリスという超常の存在を見出すことが出来た。お前さんも知っての通り、国際連盟の正式調査報告から削除されたと言われるイベリスの目撃情報に関する詳細は “機構へ譲渡された資料にだけ” は記載が残っていた。初めから機構へ依頼する目的の為だけに情報を収集したのではないかと勘繰ってしまいたくもなる。不思議なのは、その筋書きを用意した人物ないし組織が仮に実在するとして、その存在はどうやって彼女を認識し、玲那斗とイベリスを関連付けて考えることが出来たかだ。ここまで大掛かりな筋書きに沿ってことを起こそうと思えば、もはや未来に起きる出来事を何もかも “予言” でもしていない限りは不可能だろう。」

 予言。ジョシュアからその単語を聞いたハワードが反応を示す。

「予言、予言か。ジョシュア、お前は【予言の花】という言葉をどこかで聞いたことがあるか?」

「いや、今初めて聞いた言葉だ。」

「そうか、なら良い。」

「予言の花という言葉に何かあるのか?」困惑の表情を浮かべながらハワードに問う。

 ハワードは少し迷った様子を見せた後に口を開いた。

「国際連盟に在籍していた頃、一度だけその言葉を耳にしたことがある。局長が誰かと電話しているところを偶然聞いただけではあるが、確かに予言の花という言葉を口にした。」

「まさかとは思うが、現実世界に先の未来を予言できる人物がいるとでも言うのか?」

「妄想の産物だ。そんなものを信じているわけではない。ただ、イベリスという超常の存在やアヤメという奇跡の少女が現実に存在することを考えれば有り得ないとも言い切れない。」

 二人の間には沈黙が流れる。

 なぜなのかは分からないが、これ以上はこの話題に踏み込まない方が良いという予感を二人ともが感じ取っていた。

「妙な話をしてしまったな。すまない、忘れてもらって結構だ。」ハワードが嫌な静寂を断ち切るように言う。

「良いんだ。こっちこそ、嫌なことを思い出させるような話題をしてすまなかったな。」ジョシュアもハワードに対し過去の苦い記憶を詳細に思い出させたことに詫びを入れた。

「構わんよ。交換条件を持ち出して話すと決めたのは私だ。お前が相手なんだ。本当に思い出すことが嫌なら断っているに決まっている。」冗談めかしてハワードは言った。

「そうだったな。」ジョシュアも笑う。


 お互いが顔を見合わせて笑い合い、ジョシュアが溜め息を交えつつ言う。

「過去のことはさておき、問題は今この地で起きていることだな。」

「そうだ。明日から早速お前達にも取り組んでもらわなければならない。少し話が逸れるが、私は過去のイベリスに対して畏怖の念を抱いたように、今はアヤメというあの少女にも同じような印象を抱いている。どちらも同じように超常の力を以てそれを現実世界に現出させる存在だ。しかし、イベリスと対峙した時とアヤメという少女をこの目で見た時に決定的に違うと感じたことがある。」

「二人の違い?」

「あぁ、この目で見た感想だ。お前も知っての通り、イベリスは人を傷つけることに対して極度に否定的な意思が見られる。忘れないでほしいが、今私がお前とこうして生きて話が出来ているのは、リナリアに私達が近付いた時の彼女に “その気が無かったから” に過ぎない。彼女は自身が持つ超常の力で私達を殺そうと思えば簡単に殺すことが出来たのだ。しかし、彼女は人が傷付くことを何よりも嫌っている。リナリア島での一件もそうだが、新型薬物で苦しむ男性の映像を流したときに彼女の見せた反応がその証明であり、彼女という存在を今一度この目で直接見ることで私はそう確信した。しかしアヤメという少女は違う。彼女は対象に対する明確な殺意を持って例の事象を起こしている。とても強い意思だ。私にはそれが恐ろしく感じる。」

「神の名を用いた代理殺人、か。」ジョシュアが呟く。

「間接的にではあるが、ヴァチカンも今回の奇跡で宣言された内容に対して、既に否定的な見解を持っている事実を我々に伝えてきている。どのような理由であれ、神の聖名において人を殺めるなどということがあってはならないと。派遣されたという二人と直接会った際にも同様のことが伝えられるだろう。」

「異常気象調査という名目はどこへやら。奇跡の原理を調べつつ、各機関から受けた情報と併せて大量殺戮の実行を防ぐ。さながらCIAやMI6的な活動に従事することになりそうだな。」

「とどのつまりはそう言うことだ。」今まで口にしなかった事実をハワードはあっさりと口に出す。それに対してジョシュアは苦笑気味に言う。

「だが彼らも超常現象相手の調査など行わないだろう。映画やドラマの世界でそんな物語があった気がするが。しかし、リナリアに続いて今回も異例尽くしの調査になりそうだ。マークתはいつから超常現象専門の調査チームになったんだ?」

「そう言ってくれるな。我々がマークתとイベリスの力を必要としていることは紛れもない事実。その存在こそが我々にとっての希望の光なのだから。宜しく頼む。」

「むず痒いことを言う。何はともあれ、引き受けた以上は全力で調査にあたることは約束する。それが俺達の使命だからな。こちらこそ宜しく頼む。」

 二人は話し合いの終わりに改めて固く握手を交わし、その後は昔話に花を咲かせることとなった。


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