第6話
「今後の食事の為にも、市場に行ってみたいんだけど」
俺がそう言うと、クートは眉を潜めた。
「あそこはまだ、魔王様の支配力が及ばない地です。危険ですので、お勧めは出来ません」
「危険なの? っていうか、魔王って魔界の主なんじゃないの? 魔界全土の支配者なんでしょ?」
「確かに『魔王』は、魔界の主です。ですが、魔界というのは特殊な場所なのです」
そして知らされる、魔界という世界。
「つまり、魔界の全ての場所が、開拓されているわけじゃないんだ」
「はい。誰も行ったことの無い場所というのが存在します」
なんでも、魔界のうち半分くらいは、そういった場所なのだという。
魔力が暴走していたり、空気も水も無い場所だったり、そもそもどうやって行ったらいいのか分からなかったり、そんなバラエティに富んだ世界なのだという。
さすがは魔界、なんでもありである。
「残りの半分も、生命のある者は存在できない場所や、極めて少数の生物しか生息できない場所もあります。ですから、実質的には四分の一強程度が『魔界』ということになりますね」
意外と狭いんだな。っても、元々の大きさを知らないから、いまいちイメージが沸かないが。
「でも、市場っていうくらいなんだから、人とかもいるわけでしょ? 行けないって事はないと思うんだけど」
「行くことは可能です。ですが、あそこは特定の支配の及ばぬ土地なのです。不届きにも、魔王様に害を為す者が、現れないとも限りません」
へー、そういう場所なのか。出来れば行きたくない所ではあるな。しかし、このままの食生活が続くのは厳しい。
毎食毎食木の実では、とても耐えられない。やはり、無理をしてでも行かなくてはならないだろう。
「なんとかしてよ、頼むよ」
「ですが、危険です」
「そんな事言わないでさ。何かあったら、クートが護ってくれるんでしょ?」
俺は彼女の手を取り、じっと瞳を見つめた。かなり狡いやり方だが、それだけに効果はあった。
「……分かりました。魔王様は、この私が命に代えてもお守りします」
「ありがとう! いやあ、感謝するよ!」
なんとか市場に行ける事となった。ただ、さすがにクートだけでは何かあった時に困る(マイア談)ので、万が一の為に、変身魔族のキルヴィスも一緒である。
「それでは、お乗り下さい」
ペガサスに変化したキルヴィスの背中に乗り、市場まで一直線。いやあ、変身能力ってのは、いろいろと役に立つもんだ。
『これくらい、お安いご用です』
馬の口では会話が出来ないので、念派のようなものを飛ばしてくる。いろいろと特殊能力があって羨ましい。さすが魔族である。
彼の背に乗って約十分。もう市場とは目と鼻の先だという。
「ここからは、歩いた方が良いでしょう。あまり目立つのは良くありませんので」
キルヴィスから降りて、徒歩で市場に向かう。キルヴィスはというと、今は姿を消している。なんでも異次元みたいな世界に潜んでいて、何かあったらいつでも来れるらしい。本当に便利な奴だ。
「でもさ、よく経済活動が成り立つよね。魔界だと、そういう信頼関係とか無さそうなんだけど」
「弱い者達は徒党を組んだり、他の力のある者の庇護を受けたりしますから、そこまで一方的な搾取はありません」
「なるほど、バックに暴力団がついてるみたいなもんか」
そういう形でバランスが取れているわけだ。なんか、戦後の混乱期みたいだな。
五分ほどで、市場に到着した。
「ここが市場です」
「ふーん。でも、あんまり人がいないね」
「ここはまだ、外れですから。中心に行けば、もっと賑やかです」
そうか、それは楽しみだな。俺は好奇心いっぱいで、周囲を見回した。
「なんか、思ってたのと違――あれ?」
あるものが、俺の目にとまった。そして、俺の目はそれに釘付けとなる。
突然足を止めた俺に気づき、クートが振り返る。
「如何なさいましたか」
「あ、あれ、あれ――!」
俺は思わず駆けだしていた。そして、木の杭につながれていたそれに抱きつく。
「牛だ! ねえ、これ牛なんじゃないの!?」
「はあ、確かに魔王様の以前いらした世界にいる、牛という動物に、非常に近い種族ではあります」
「ってことは、食べれるんだろ? 食べれるんだよね!? やった、やった、天の助けだっ!」
一人ではしゃぐ俺。通行人から変な視線を送られるが、そんなの知ったことか。
クートが黙り込むほどに、ハイテンションで騒ぐ。いやだって、牛だぜ? 牛肉だぜ? 焼き肉だぜ? カルビにロースにミノにタンなんだぜ?
そんな、踊り出しそうになる俺の肩を、とんとんと叩く者がいた。
「おう、兄ちゃん、うちのに何か用か、アン?」
振り返ると、立っていたのはガタイの良い、厳つい顔をしたオッサン。目つきが悪く、頬に傷があり、いかにもな感じの人(?)である。
「そいつは俺んだ。勝手に触ってんじゃねえよ」
「ご、ごめんなさい。つい」
慌てて離れる。が、オッサンの追求は止まなかった。
「つい、なんだよ」
「いえ、その、立派な牛――ええと、動物だなって思って」
「たりめえだろうが。テメエ、舐めてんのか、アン?」
どん、と突き飛ばされ、尻餅をつく。
「ここの毛が毟れちまったじゃねえか。これじゃ、とても売り物にはなんねえな。どうしてくれんだ?」
「毟れたって、見ても全然分かんないですけど」
「そりゃお前が素人だからだろ。俺からすりゃ、こりゃあ致命的だな。相応の代償を払ってもらわないとな」
男は大袈裟にため息をついた。……もしかしてこれは、恐喝という奴ではないだろうか?
「お前、なかなかいい女連れてるじゃねえか。ま、今回は特別サービスだ。そいつで勘弁してやるよ」
「ええっ? な、何を言ってるんだ、そんなの――」
「ウルセエ! テメエは黙ってろよ!」
怒鳴られ、俺の足はすくんでしまう。さすがは魔界、迫力もハンパない――って、そんな事言ってる場合じゃない!
オッサンは下卑た笑いを浮かべ、いやらしい目つきでクートを見た。クートはすっと俺の前に出て、オッサンに向き合う。
「我が主がご所望です。それを置いていきなさい」
「交換か。まあ、いいだろう。で、代わりに何をよこすってんだ、ん?」
「交換する品は――貴方の命で如何ですか?」
「あんだとぉ」
オッサンの眉が吊り上がる。
「我が主に対し、あまりに無礼な振る舞い。本来ならば万死に値する行為ですが、今回だけは大目に見ましょう。これを置いて、立ち去りなさい」
「ハ、寝ぼけるのも大概にしとけよ」
オッサンの手が、クートの胸元を掴もうとしたその時。
彼女が何かを小さく呟いた。すると、空から幾筋もの雷が迸る。
「げえっ!?」
落雷はオッサンを取り囲むように落ち、まるで光の牢獄のように取り囲んだ後、焦げ臭い臭いだけを残して消え去った。
「次は、当てますよ?」
「ひ、ひぃぃっ……!」
オッサンは腰砕けになりながらも、全速力で逃げ出した。後には俺とクート、そして牛(みたいな動物)のみが残される。
「行っちゃったよ……」
「では、これを連れていきましょう」
「い、いいのかな、本当に」
「あの者は、大牧場の所有者です。一頭いなくなったところで、痛くも痒くもないでしょう」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
いくら先にむこうがインネンを付けてきたとはいえ、これではこちらが強盗も同然である。ここが魔界で、法律も憲法も存在しない無法地帯であるとはいえ、果たしてそんな事をしてもいいのだろうか。
俺は悩んだ。悩み、考え、腹が鳴り、苦悩し、腹が鳴り、葛藤し、腹が鳴り…………結局、目先の食欲に負けた。
「そういや、あれから結構時間が経ってるもんな」
しかも、食べたのは消化に良い果物だけである。早くも俺の胃腸は、警告信号を発していたのだった。
「スマン、おっかないオッサン。いつかきっと、この埋め合わせはするからな」
逃げ帰っていった方に両手を合わせる。もしも今度会うことがあれば、何か交換出来る品を渡すことにしよう。
「それにしても、さい先良いな。この調子で、俺の食生活を改善していきたいもんだが」
冷静に考えてみる。魔界にはミノタウロスがいる。だから、牛がいてもなんら不思議は無い。そして、ここに牛そっくりの動物がいる。
その理屈で言えば、人魚がいるんだから魚もいておかしくないし、レプラコーンは山羊と人間だ。
「よし、なんとかなりそうな気がしてきたぞ」
そんな期待と共に、中心地へ。想像していた市場とはかなり勝手が違う。
「確かに人は多いけど……店はどこにあるんだ?」
ファンタジー物の映画に出てくるような、様々な種族の人達が往来を行き交っている。耳が尖っていたり背が低かったり……それだけを見れば随分繁盛しているようにも感じられるが、肝心の商店が見あたらない。
「目のつく場所に商品を置いたら、すぐに盗まれてしまうのです」
ここは魔界、治安の悪さは折り紙付きだ。平和な日本とはだいぶ違うようだ。
「あちらをご覧下さい。あそこに並んでいるのが、商人達です」
クートの指差す先には、たくさんの人(のような魔物)や、そのものズバリの魔物が、何かの建物の前で一列になっていた。彼らの足下には文字らしきものの書かれた札が置いてある。
「あれを見れば、扱っている商品が分かるという仕組みです」
なるほど、買い手は札を見て判断するわけか。俺も見てみたいが、いかんせんこちらの文字は読めない。
「食料品関係は、向こう側になります」
クートの示した辺りに並ぶ者達は、皆、身体が大きく、力がありそうだった。その反面、こう言っては失礼だが、あまり賢そうには見えない。服装も泥や土で汚れていて、全体的に見た目が農民っぽい。
そんな中で、ただ一人、妙に小綺麗な格好をした者がいた。背は低く、愛嬌のある顔だが、その目は妙に鋭い。
そしてもうひとつ特徴的なのは、足下にある札の数がハンパないことだ。他の者がひとつかふたつ、多くても五つくらいなのに対し、彼だけは三十以上の札が並んでいる。
「あの人、凄くたくさんの商品を扱っているんだね」
「ガーダット族です。彼らは交易のみで成り立っている種族ですから」
どうやら魔界にもブローカーなんてのがいるらしい。
「あまり時間をかけると、城の者が心配致します。今日の所はあの者の品を見ることにしては如何でしょう?」
「ああ、うん。それでいいよ」
どうせ交渉なんかはクートがするのだ。品物を選ぶ時以外は、全て彼女に任せるのが無難だろう。
男の後についていき、一軒の小屋の中に入った。外からでは、いかにも粗末なボロ小屋にしか見えなかったが、中はかなりしっかりしているようだ。そして、床一面に、たくさんの品物が並んでいた。
「ねえ、クート! 今日の晩飯はアレにしてよ! それからアレとアレ、こっちのも美味そうだ!」
そこは食材の宝庫だった。野菜に果物、魚に肉と、ほとんどの品が揃っていた。
嬉しさのあまりテンションの上がる俺に対し、クートはあくまでも冷淡だ。
「あれは一般の魔物達が食するような物です。貴方様が口にするような代物ではありません」
「いつの時代の話だよ。時代は二十一世紀、人類皆平等だぜ?」
「ここは魔界です。平等ではありません」
「ああもう、どうでもいいから! 俺はこういうのが食べたいんだよ!」
クートはかなり渋っていたが、強く言ってなんとか認めさせた。彼女はいろいろと口うるさいが、最終的には折れてくれるのでありがたい。マイアやミルティなんかとはちょっと違う所だ。
俺達は、大量の食材を手に入れることが出来た。
値段交渉の際、何故か突然、奥から出てきた完全武装のリザードマンの一団に囲まれたり、そいつらをクートが問答無用でぶっとばしたり、怒った商人が新手を呼んだり、呼ばれた何者かが出てきた瞬間雷撃で黒こげにされていたり、それを見た商人が土下座をしたり、クートがえげつない値切りをしていたようだが、俺は見ない振りをして乗り切った。
「これで後は、醤油でもあれば言うこと無いんだけどなあ」
荷物を抱え、そんな事を呟く。クートは全部自分が持つと言っていたが、さすがにそれは悪いので、半分を自分で持ったのだ。
「醤油、ですか。確かにこの世界にはありませんね」
俺の独り言に、クートが反応する。となると、自分でなんとかするしかないわけだが……。家庭科の授業の調理実習でも、醤油の作り方とかはやらなかったしなあ。
「確か、大豆から作るんだったよな」
大豆を発酵させて、それから…………駄目だ、もう判らん。これじゃ、お話にならない。
そもそも、大豆がこの世界に存在するのかも不明だしな。さっき見た中にも、なんか豆っぽい奴はあったけど、あれ、赤と青のまだら模様だったし、絶対に代用品にはならないだろうと思う。
魔王様降臨 いいが博士 @iiga
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