第5話

「ああ……お腹空いた……」

 机に突っ伏し、情けない声を上げる。横にいるクートが、やれやれとため息をついた。

「何もお食べにならないからです」

「だって、あんなの食べられないよ」

「好き嫌いはほとんどない、とお聞きしましたが」

「あれは好き嫌いとか以前の問題だよ……」

「困りましたね」

 クートは少し考え、

「では、果物は如何でしょう」

「果物、それだ!」

 俺はぽん、と手を打った。

「果物ならば大丈夫! 俺も食べられるよ!」

「でしたら、すぐにご用意致します。しばらくお待ちください」

 そう言って、クートは部屋を退出した。



 ようやく飯にありつける。期待に胸を膨らませ、わくわくしながら待っていると、銀の大皿が運ばれてくる。

「やった! 食い物だ!」

 そんな俺のぬか喜び。


「……なにかな、その、禍々しい物体は」

「はい。こちらは人面リンゴと申しまして、味が良く、栄養もあるという非常に優れた食品で――」

「却下! そんなのいらない!」

「はあ。では、こちらは如何でしょう。果物とは少し違いますが、茸の一種で、動頭寄生茸(ドウトウキセイダケ)という物です。生でも煮ても食べられる、大変美味な食材ですが」

「……下についてるのは何」

「動頭寄生茸は、他の生物の頭部に寄生して、脳を栄養素として繁殖します。ですので、宿主の頭部が――」

「そんなの食えるかっ!」

「ならばこちらの人面バナナを――」

「いらん!」

「生きたフェアリーを養分として育つ、妖精レモンは――」

「却下!」

「でしたらとっておき、人肉と同じ味のする似肉スイカ――」

「もうたくさんだっ!」



 結局何も食べられず、ふらふら状態の俺。試合前のボクサーみたいな経験をする羽目になるなんて、想像だにしなかったぜ。

 無駄に出た消化液のせいで、胃が痛い。気力が低下し、なんだか動くのも億劫になってきた。

 気を紛らわす為にせめてもと、窓の外を見る。ああ、空はどんよりとしていて、太陽が出ているのに薄暗い。暖かな日の光でも浴びれば、多少は気持ちが落ち着くだろうに。

 ぶつぶつと文句を言いながら、ぽけっと風景を眺める。と、中庭に生えている一本の木に、なにやら丸っこい物が見えた。


「クート、あれは?」

「あの木ですか? あれはミルマグルという植物です。一年中緑の葉が枯れることなく、春には花を咲かせ、夏から秋にかけては実をならせます」

「あの実……食べられないの?」

「一応、食べられることは食べられますが……。あまり味の良い物ではありません」

「いい! この際味なんてどうでもいいから! あれを取ってきてよ!」



 持ってきてもらったミルマグルの実は、あまり見た目の良いものではなかった。薄黄色の表面にはトゲトゲがあり、その先端は黒光りしている。

 しかし、それくらいはたいした事ではない。エルフの子供だとかに比べたら、遙かにマシな食材だ。俺は早速、それを食べてみることにした。クートに皮を剥いてもらい、フォークに刺して一口。


「……良し!」

 思っていたほど、不味くはなかった。

 リンゴのような食感で、甘さも酸っぱさもほとんど無い。あまりに薄味すぎて、美味しい物だとはとても言えないが、空きっ腹の今の俺にとっては、この上ないご馳走である。

 無表情のまま、ナイフでミルマグルの皮を剥くクート。その横で、貪るように食らいつき、胃の中に詰め込んでいく。

「魔王様、そんなに焦らなくとも、ミルマグルはたくさんあります」

「ひひゃ、るっろられれらかっらもんれ」

「何を仰っているのか分かりませんが」


 皿の上に山に盛られたミルマグルを、瞬く間に平らげ、俺は最後の一切れを飲み込んだ。

「――っぐ。ふはぁ」

 俺は満足の吐息を漏らす。

「いやいや、腹がふくれるってのは、有り難いもんだ」

 丸くなった腹を撫でつつ、満腹の幸せを噛みしめる。

「いやー、とにかくこれで、なんとか飢え死にする事は無さそうだ。しかし、クートも意地悪だよな。ちゃんとした食べ物もあるのに、あんなとんでもない物ばかりを出してくるんだから」

「ご期待に添えなかった事に関しては、深く謝罪致します。ただ、意地悪などではありません。私としましても、精一杯の努力をしたつもりです。いえ、結果の伴わない努力には何の意味もありませんし、その事に関して言い訳するつもりは、毛頭御座いません。ただ、ミルマグルなどは魔王様には相応しくない食材です。そのような物をお出ししては、失礼に当たります」

「なるほど、あのとんでもない料理の数々は、『魔王に相応しい料理』だったわけだ」

 確かに、魔王ならば喜んで食べそうな代物である。


「魔王様のお口には合わないようでしたが、あれらは魔界において、最高級の料理ばかりなのです」

「ふーん」

 俺は考えを巡らせる。魔王向けの料理は、俺にとって合わないのならば、クートの言う『魔王様に相応しい食材』以外の中になら、美味しいものがあるかもしれない。

「ねえ、食料とかってどこで買ってくるの?」

「魔王様、魔界には『購入する』という概念はありません。基本は物々交換です」

「物々交換……じゃあ、お金とかは無いのか」

「発行する場所がありませんから」

 クートに言われてはっとする。


 貨幣というものは、国が発行するものだ。発行した国が価値を保証してくれて初めて成り立つ、それが貨幣であり、紙幣なのだ。

 例えば日本銀行が発行している一万円札は、日本政府が無くなれば、ただの紙切れに成り下がる。これはアメリカのドルもそうだし、中国でもヨーロッパでも、どこもそうなのだ。それぞれの国の政府が保証しているからこそ、価値が認められるのである。

 では、魔界ではどうか。政府という組織が存在しないこの地では、そもそも紙幣や貨幣という物が存在しない。


 いや、厳密に言えば、他の地から奪ってきた金貨や銀貨などはあるらしいが、それらは金や銀といった素材そのものの価値を認められているだけであって、市場に流通しているわけではない。

 そもそも、悪人だらけの魔界において、まともな経済活動が成り立つとは考えにくい。物々交換が成立しているだけでも、立派だと言うべきかもしれない。


「でも、いろいろと大変そうだな。物々交換だと、なかなか欲しい物が手に入らなかったりするんじゃないか?」

「魔王様がお生まれになった世界に比べれば、少々面倒かもしれません。ですが、なんとかなるものです」

「でもさ、細かい部分で揉めたりなんかしないの?」

「揉め事は頻繁ですが、すぐに決着がつきますから」

「すぐって……どうやってつけんの?」

「基本的には、力のある者の都合が優先されます」

 うわお。つまり実力行使ってことですか。

「それじゃ、弱い立場の人が可哀想だね」

「弱肉強食は世の定めです」

 そりゃまあそうかもしれないけど。素直に受け入れられるほど、俺は魔界に染まってはいないわけで。やっぱ、人間は助け合っていくべきだと思うんだ、うん。

「でもさ、そんなやり方だと、取引自体が成立しにくくならない? だって、弱い連中は自分の持ってる物資を、他に出さなくなるじゃないか」

 どうせまともな取引をしてくれないのなら、最初からしない方がマシ、そう考えてもおかしくない。その結果、市場に出てくる物資が減り、交換自体が出来なくなってしまう。

 そうなると、弱い者だけでなく、強い者にとっても不利益になってしまうんじゃないだろうか。

「欲しい物があっても、手に入らなくなったら、意味無いだろ」

「手に入れればいいのです」

「いや、だから、それが無理だろって話なんだが」

「緊急の際は、略奪をすればすむことです」

 無茶苦茶である。

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