第4話
目を覚ますと、そこは大きなベッドだった。昨日意識を失った、あの大部屋ではない、別の場所へと移されている。
驚くくらいの、綺麗でふかふかのベッドである。王侯貴族はこんな所で寝ているのだろうかと、それくらい別物の気持ちよさである。
起きあがろうとして頭を上げると、まだふらふらと頼りない。ったく、あんな状況で気絶するとは、なんて情けないんだろう。
はっきりしない頭で、ぼんやりと考える。さすがに夢にしては長すぎる。夢の中で二度も目覚めるなど、そうそう無い話だ。
『マジで、夢じゃないのかな……』
夢でないとすれば、それは現実である。が、その割りには、あり得ないようなことばかり起きている。初めて見る生き物と世界、そして体験。もしかしたら、本当に異世界に来てしまったのかもしれない。なんとなく、そう思えるようになってきた自分がいる。
ファンタジーかSFか、どちらにしろフィクションの世界である。従来の常識や価値観は捨てるべきなのか。しかし、心情的にはそれも難しい。
ガチャリ、扉が開いた。入ってきたのは、いつものメイドである。確か、名前はクートだったか。
「お目覚めになられたようですね。御気分は如何ですか」
「ああ、うん。だいぶ良くなったよ」
「そうですか。それは良かったです」
そして、コップに入った怪しげな液体を差し出した。
「気付けのお薬です。どうかお飲み下さい」
「こ、これを……?」
緑色でどろっとした、いかにも不味そうな代物である。青汁の原液を、更にヤバくした感じだ。
「数種類の薬草を煎じたものです。味は良くありませんが、効果は抜群です」
あまり気は進まなかったが、仕方なく飲む。……うげ、凄く苦くて不味い。思わず吐き出しそうになるが、真剣に俺を見つめるメイドの手前、なんとか我慢して飲み干す。
「うう……」
あまりにも悪い後味に、渋い顔をしていると、
「はい、お口直しです」
渡された水を飲み干して、ようやく一息ついた。
「ふう」
コップをクートに返し、再びベッドに横になる。身体にだるさが残っていて、もう少し休んでいたい気分だった。
彼女の話によると、あれから十時間近く眠っていたらしい。俺が意識を失ったのを見て、残された彼女達は慌てて原因を調べたとのことである。
「特に重大な病気などではなく、貧血を起こしたようなものだと思われます」
「そうか」
とりあえずは一安心だが、昨日のことを思い出すと、いろいろと恥ずかしい。
「えっとさ、その、他の人達はなんか言ってた?」
昨晩の自分は、自分でもどうかしていたと思う。いくらあんな風に迫られたからって、我を失いすぎである。
「皆、心配しておりました。特にミルティは自分のせいだと泣き喚いて、なかなか大変でした」
そっか。彼女には後で、謝っておいた方がいいかもしれない。
「に、しても」
俺はため息をつく。要するに俺は、急に訪れたエッチな場面に緊張しすぎて、そのまま倒れてしまったのだろう。
情けない話だ。確かにまだ、俺にそういう経験は無い。にしても、ここまで無様なのはどうなのか。こんなのが魔王だなどと言われているのだから、滑稽極まりない。
落ち込んでいる俺を見かねたか、クートがそっと俺の手を取った。
「魔王様、なんら恥じる必要は御座いません。魔王様はきっと、純粋すぎるのです」
純粋な魔王ってのも変な表現だが、彼女の気遣いには素直に感謝しておこう。こういうときは、変に意識した行動を取らない彼女がありがたい。
「所で魔王様、お食事はどうなされますか」
「飯か」
そういえば、こっちに来てからまだ一度も、食べ物を口にしてはいなかった。あまりの事態に、それどころではなかったのだ。
腹を押さえてみると、ぐぅ、という情けない音がした。それも当然だ、ほぼ二日間、何も食べていないのだから。
「腹が減ったな」
一度意識すると、もう我慢が出来なくなっていた。
「出来るだけ早く、お願いしたいんだけど、いいかな?」
「では、こちらへ」
メイドに案内され、部屋を出る。広い廊下を歩いて、食堂らしき部屋へと入った。
『やたら広い建物ってのも、移動が面倒臭いな』
寝室から食堂まで、五十メートル以上ある。城全体では、どれだけ大きいのだろう。
豪華で大きなテーブルにつき、料理の来るのを待つ。広い食堂の中、俺一人なのがちょっと寂しい。
綺麗に並べられたナイフやフォークを弄りながら、ある重要な事に気が付いた。
「この世界って、俺達の住んでる世界と、同じ食材があるのかな?」
ナイフやフォークは、日本のレストランでも見慣れた物だ。銀のスプーンもあるし、なんと箸まで並んでいる。
これだけ見ると、ファミレスなんかと大差は無い。ハンバーグとライスが出てきても、何らおかしくは無い。
しかし、ここは魔界である。人間も住んではいるらしいが、人口比では極めて少ないとのことだ。そうなると第一次産業も、人間以外の連中がやっている、という事になるわけで……。
牛を飼うゴブリン、鶏に餌をやるコボルト、羊を追い回すワーウルフ……駄目だ、全く想像がつかない。というか、コメディーにしか思えない。
『いや、希望を捨ててはいけない。確かに、住んでいる生き物が全く同じではないかもしれないけど、似たような何か別の物とかがあるはずだ! 調理してしまえば、それほど大きな差はない、きっとなんとかなるさ!』
そんな俺の淡い期待は、料理が来た瞬間でぶち壊される事になる。
「最初の品は、兜焼きです」
どん、と目の前に置かれるでかい皿。その上には、恨めしそうな顔をした、巨大なトカゲの頭が……。
「こっち見てる! メッチャこっち見てるよっ!?」
「はい。つい先ほど獲れ、それをすぐに調理したという、新鮮なレッサードラゴンに御座います」
「ド、ドラゴン……」
てことはあれか、国民的テレビゲームの題名になっていたり、昔話で背中にガキんちょ乗せてたり、名古屋在住で燕や虎や巨人と戦いつつ、怪しいコアラ飼ってたりするアレですか。
「ちょ、ちょっと前菜には重すぎるんじゃないかな……?」
「でしたら、こちらはどうでしょう。こちらもなかなかの美味です」
「……俺、カニバリズム(人肉嗜食)な趣向は無いんだが」
「これは人ではありせん。ツノテナガザル、猿の一種です」
「猿もイヤだ!」
「では、こちらならばどうでしょう。取れたてピクシーの姿焼き――」
「いい! いらない! 持って帰ってくれ!」
とりあえず、人型のものは全て断った。どれだけ味が良かろうと、さすがにそんなのは食えない。
「こんなものを食うくらいならば、飢えて死ぬ方を選ぶぜ。武士は食わねど高楊枝、だ」
いつお前は武士になったんだとか、そういうツッコミは置いといて、強がってみても、飢餓感はひっきりなしに襲いかかってくるわけで。
「いかん……腹が減りすぎて、なんか気持ち悪くなってきた」
仕方なしに、スープに匙を入れることにする。
材料が不安だが、とりあえず形が無くなっていれば、なんとか自分を誤魔化せるだろう。
スープのたっぷり入った匙を、口元に近づける。ちょっと生臭いのが気になるが、我慢すれば食べられない事も無――
「……」
「如何なさいましたか、魔王様」
「……クートさん、これはなんでしょうか」
「その、スプーンの上の物ですか? それは良く煮込んだエルフの子供の目だ――」
「もう嫌だ! こんな料理、たくさんだ!」
結局、俺が普通に食べられるような代物は無かった。
「そもそも、なんで人型とかばっかりなんだよ」
猿とかピクシーとか、どうあっても無理なもんばっかりだ。牛とか豚とか鶏とか、そういうポピュラーな食材は存在しないのか。
「なら、虫などは如何ですか? 良く肥えた芋虫のグリルとか、ガザダ虫の素揚げとか」
「……いらない」
なんでゲテモノばっかなんだ。魔界にまともな料理は無いのか?
「魔王様、何もお食べにならないのは、お体に響きます」
「なら、ちゃんと俺が食べられる物を持ってきてくれよ」
「申し訳ありません。こちらとしても、魔王様がお気に召しますようにと、熟慮に熟慮を重ねてのメニューだったのですが……」
なるほど、考えに考えてアレか。……ここが魔界で無かったら、そうとう嫌われてると判断するしか無いのだが。
「もっとさ、俺のいた世界にもあるような、そういう料理は無いの?」
「魔王様の元いた世界ですか」
「そう」
「蟻とか蜂の子とかゴキブリなどですか」
「……なんでそんな、マイナー食材ばかりをチョイスするんだ」
確かに蟻や、食用のゴキブリを食べる国もあるし、蜂の子は珍味として知られている。が、その全部を、俺は食いたいとは思わない。虫系は苦手なのだ。
「では、魚介類などは如何でしょう。魔王様のお生まれになった地では、生の魚などを召し上がっていたそうですが」
「刺身か。それはそそられるな」
マグロの刺身は大好物だ。貝やウニも美味い。デビルフィッシュなんて言うくらいだから、魔界でもタコとかは獲れるんじゃないだろうか。クラーケンとか、要はでかいイカなわけだし、その類ならけっこういけそうだ。
「では、活け作りを用意いたします」
「お、いいね。頼むよ」
「では、少々お待ち下さい」
一礼をして厨房へと消えるクート。俺はわくわくしながら、料理の来るのを待つ。
「お待たせ致しました。活け作りです」
「おお!」
「本日は、珍しい食材が入っていますので、ご期待に添えるかと存じます」
クートの言葉に、テンションは上がる。珍しい食材か、一体なんだろう。カニとかウニとかかな。伊勢エビだったら、もう嬉しくて泣いてしまうかもしれない。
俺は箸を握りしめ、心を躍らせて待った。そして、ようやく現れたその料理を見て、あまりの事に絶句した。
「如何致しましたか? ささ、どうぞお召し上がりください」
「……じゃない」
「は?」
「魚じゃない! 魚じゃないよ!」
「鱗といい背びれといい、魚に間違いありませんが」
「違う! あれは魚じゃなくて………………人魚だっ!」
そう、俺の前に差し出されたのは、下半身魚上半身人間の、美しい女性だったのだ。
「魔王様。逃げられぬよう、魔力で拘束してありますので、どうか存分にご堪能ください」
そして渡される、巨大なナイフとフォーク。
「……これで、どうしろと?」
「はい。ナイフで肉をそぎ落とし、こちらのソースにつけてお召し上がりください」
ソースは、まるで血のように真っ赤。というか、匂いからして、間違いなく血か、それに近い液体だ。
「う、うわぁ……」
想像を絶する現実に、俺はもう、どうしていいやら分からなくなっていた。言葉は通じるのに、常識が全く通用しない。まともなコミュニケーションが、全然取れていないのだ。
目の前の人魚は、なんとか逃げだそうと暴れている。しかし、クートの言う通り魔法の拘束があるらしく、身体は僅かにしか動かないし、何かを叫ぼうとしているが声は出せないようだ。
彼女の顔は恐怖に歪み、声にならない絶望の悲鳴を上げる。下半身が鱗とはいえ、綺麗な女の人からこんな目で見られるのは辛い。なんで俺が、こんな目に遭わなくちゃならないんだよ。
「無理」
「は?」
「無理」
「無理……何がですか?」
「俺、食えないよこんなの!」
「はあ、お口に合いませんか。でしたら、このままオーブンに入れて、丸焼きにしては如何――」
「無理! 嫌! 駄目! 人魚なんて食べるもんじゃないっての!」
とりあえず、人魚は逃がしてもらった。
クートは残念そうな顔をしていたが、俺のことを魔王だなんだと担ぎ上げるつもりなら、これくらいの要望は聞いてもらわないといけない。
「なんとか共食いは避けられたか……」
正確には、人魚と人間では共食いにならないんだろうが、感覚的には似たようなものである。そういうのはなんとしても拒否しなくてはならない。
「とは言うものの、やっぱキツいなあ……」
やはり腹は減るのだ。なんたって、こっちに来てからずっと、何も食べていないのである。
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