「おんぼろ時計の油さし」

 一度壊れて動かなくなった懐中時計は、そこに錆が生えて、固く動かなくなってしまう。もう一度円滑に動かすには、油を差し、錆を磨かなければならない。

 凡そ五百年、いがみ合い、動くことの無かった、一つの時計の中の、大きな二つの歯車。もう少しでその歯車はお互いに馴染み、時計を動かすために一緒に動き出してくれそうだ。



 エリザベス女王との謁見を終え、上司の先生が戻ってくる迄の間、カンタベリーはバッキンガム宮殿のすぐ傍にある文房具屋に行った宮殿の中の教会というものは、やはり緊張する。

「いらっしゃいませ(サンキュー・フォア・カミング)、先生。チョークかペンかが必要ですか?」

 商品整理をしていた店主が、両手を広げて歓迎してくれる。カンタベリーは女司祭だ。確かに、それらの文房具はいつもどこかの教室で足りなくなっているが、今日欲しいものはそれではない。

「ハロー、オーナー。どちらも入り用ではないの。手紙が欲しいんです。ええ、なるべく心の和やかになるような。」

「ホォ、先生の教会での印刷物ですか? それでしたらモノクロのものが良いでしょう。」

「いえ、個人的な手紙を出すの。カラフルで、…そうね、パステルカラーなんてのは、女性は好きだけど、男性から見たらどんなものがお好き?」

「ンンンン………。とりあえず、ご案内しましょう。」

 店主に連れられて、区画に案内されると、他の棚よりも随分と小さく、またレパートリーも少なく見えた。まあ、当たり前だ。二十一世紀にもなって、大量の手紙を手書きしようなんていう人間は随分減った。自分の教会でも、一つのサインを千以上にコピーして使う。しかし今回は、二人に全く同じ文面の手紙を書かなければならないので、ページ数が必要だった。

「このセットは、封筒と便せんが十枚ずつ入っています。」

「とても小さいわ。」

「では、こちらはどうでしょう? 封筒はありませんが、便せんだけで二十枚入っています。」

「うーん…。そんなにいらないのよね。でも便せんはこれくらいの大きさが良いわ。封筒とセットになっているといいわね、普通の封筒だと、多分沢山の書類に埋もれてしまうわ。」

「でしたら、ユニークな柄が良いですね。こちらのダリの絵なんかはどうでしょう。『時計』という絵をモチーフにしたものです。」

 そう言って差し出された手紙の便せんは、歪んだ輪郭の時計が散らされていて、それだけを見ると、花が散らされている便せんとあまり変わらなかった。しかし、裏返して付属している封筒を見てみると、丁度封をするために折りたたむと、サルバドール・ダリの代表作『時計』を再現するように、大きな時計を折り曲げることが出来るデザインなっている。それ以外は、くすんだ古い紙のような風合いの無地だ。恐らくこの色合いも、『時計』を意識したものだろう。ひらひら、と、封筒の動きを少しシミュレートすると、何とも言えない仕掛けをデザインされたこの封筒が、幼い少年の積み木遊びのように微笑ましく思えてきた。

「まあ、可愛いわ!」

「こちらは便せんが十枚、封筒が五枚入っておりますよ。」

「封筒は余ってしまうと思うけど、大きさが丁度良いわ。これ、これにします。おいくら?」

「ああ、後で事務所に領収書を持って受け取りに行きますよ。大事なお手紙なんでしょう、どうぞすぐにお書きになって、お出しになると宜しい。」

「まあオーナー、ありがとう! それじゃあ、またね(ゴッド・ブレス・ユー)。」



 拝啓。

ローマン・カトリックお兄様、マーティン・プロテスタントお兄様。

今年も私の家で、祈りの会を開こうと思います。

時代は21世紀になり、人心は孤独を抱えて苦しんでいます。富める所には心の貧困が、貧しいところには死が当たり前にあります。我らキリストに従う者、私達のお父様初代教会からの慈しみの伝統を、今こそ世に還元するべきです。その為には、中世のいざこざをいつまでも引きずっている訳には参りません。不肖の妹ですが、カトリックに名を連ねる者として、またマーティンお兄様達プロテスタントにも名を連ねる者として、精一杯和解の場を設け、尽くさせて頂きます。

既にコンスタンティンお兄様からは、出席の旨を頂きました。ギリシャ語で歌われる聖歌は、とても評判が良いのです。もし出し物に困っているようでしたら、このカンタベリーにリクエストさせて下さい。

マーティンお兄様のおうちでは、ルーテルお姉様と一緒に作られたクラシック音楽がとても有名とお聞きしております。かの大バッハや、ヘンデルの作った合唱曲から、現代の賛美歌に至るまで、賑やかで楽しい曲が揃っています。大衆に馴染み深いものも多いので、是非それらの中から、お兄様が演奏の得意な曲を聴かせていただきたく思います。カルヴァンお兄様は、何をお歌いになるのかしら。けれども皆さんがいらしてくださったら、きっと素敵です。

ローマンお兄様へのリクエストですが、私が幼い頃、眠れない時に歌って下さった、クリスマスの歌があったのを覚えていますか? 私も幼くて、タイトルが思い出せないのです。あの頃教会音楽は皆ラテン語でしたから、今もラテン語で伝わっているのでしょうか…。覚えているのは「ヴェーニー、ヴェーニー、インマーヌエー」という歌い出しと、「イースラーエール」という歌い終わりです。「インマーヌエー」は、「Emmanuel」だと思うのですが、心当たりのある歌が多すぎます。「イースラーエール」も、「Israel」だと思うのですが、今度は逆で、探しても見当たりませんでした。ベツレヘムやナザレ、ガリラヤなら見つけることが出来たのですけれど。お兄様も覚えておられないかもしれませんが…是非、思い出して、もう一度歌って欲しいのです。あの歌を聴くと、私はとても安らかな気持ちになれます。

まれ現れた以上、対立の歴史を歩まざるを得ない宿命を持った私達だからこそ、安らぎの価値をよく知っていると言えるでしょう。私達よりも遙かに短く神に召し上げられる命が、それを少しでも得られるのなら、これ程本望なことはございますまいに。

勿論、お兄様方だけに出し物を要求したりしません。私たちも歌います。我が国が誇る最高峰オーケストラの一つ、ロンドンフィルハーモニー管弦楽団に勝るとも劣らない教会音楽隊でお迎えいたします。聖歌も賛美歌も歌えます。お二方のリクエストを聞かせていただけたら、それを一生懸命練習します。私達が歌の橋を架けますから、どうかその上を渡ってくださいね。

 貴方方を愛する妹、カンタベリー・カトリックより。


「よしできた。」

「カンタベリーさま! お呼びですか?」

「ああ、司教、ご機嫌よう。テゼの会のプログラムは出来てるわね? 招待状を書いたから、お二方に送ってちょうだい!」



 一度壊れて動かなくなった懐中時計は、そこに錆が生えて、固く動かなくなってしまう。もう一度円滑に動かすには、油を差し、錆を磨かなければならない。

 神よ、ああ、神よ。私をこの世に生み出したもうた、父であり母であるお方。

 私こそが、貴方が遣わした油注がれたメシア。この身この心全てから油を搾り取り、キリストの家族という時計を動かしましょう。

 神は、平和ではなく、争いをその家族の中に置く。兄と弟、姉と妹、父と子を引き裂く剣を置く。

 ―――より強く、結び直す為に。


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Alleluia MOEluia BLuia!~カルペ・デイ PAULA0125 @paula0125

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