ここまでが序章である②
片足をドンと壁に押し当て、僕のネクタイはグッと引かれる。この体勢でもちろん逃げ場はない。
「目が、本気なんですが」
「さっき、聞いてたでしょ。あんたは私の命を握ってるのよ。冗談なんて言うわけないじゃない」
「……命?」
「命よ。あれがバレたら私――死ぬわ」
「…………」
「
いやいやいや、だから怖いって! 三次元女子ってみんなこうなの!? 距離近いし、真っ直ぐ目見てくるし!!
あ〜! 家に帰りたい!
もちろんそんなことを口にも表情に出せるわけもなく、僕は必死に考え――とある結論に至った。
「あの、申し訳ないんだけどさっきからなんの話?」
必殺、しらばっくれ。
からの話題逸らし。僕は例のボールペンを制服のポケットから取り出して蜂ケ崎さんに突き付けた。
「僕はただ、蜂ケ崎さんにボールペンを届けにきただけなんだけど、ボールペンくらいで死ぬわけないし……なにか勘違いしてない?」
「ポ、ポッピング✩シャワーの限定ボールペン!!!! 失くしたと思ってたのに……くうぅぅ! 神すぎ!」
「………………え、蜂ケ崎さん?」
「っ………………」
僕でも分かる。これはやってしまった顔だ。
穴があったら入りたいよな、それも分かる。
オタバレと同時進行で自分のキモさを全面に出してしまったときの、あれ!! 大丈夫、僕も仲間だから! という意味を込めて頷いてみせると、蜂ケ崎さんは耳まで真っ赤にして「返して!」と僕の手からボールペンを奪い取った。
だけどそんな所業は今の僕にとってはどうでも良かった。蜂ケ崎さんがポッピング✩シャワーを好きだったことが確定したのだ。そして何より、話題逸らし成功!
「蜂ケ崎さん、アニメとか好きなの?」
また蜂ケ崎さんが目を見開く。僕から微かに距離を取り、淡い金色の髪を指で弄る。そして間を置いてから首を縦に動かした。
「やっぱり。そのボールペン持ってるくらいだもんな。僕も実はアニメとか好きで」
「それは知ってる。私……あんたのことずっと見てたし」
「…………。え、なんで?」
素で聞いてしまった。大体、ずっと見てたっておかしくないか。僕は蜂ケ崎さんが寝てるところしかしらないんだけど。
ところがはたまた一体どうしてか、沈黙が訪れてしまう。急に鳥の鳴き声とか聞こえるようになる。そういえば僕、コミュ障なんだった。
と、そこに蜂ケ崎さんが口を開いた。
「別に、大した意味はないから!!」
よく分からないが、ぷいっと顔を背け堂々宣言した蜂ケ崎さんはさらに声を張り上げる。
「今度、カフェに付き合って。ポッピング☆シャワー、語るわよ。……っ別にこれも、大した意味はないから!!」
「……」
「返事!」
「は、はい……」
僕が蜂ケ崎さんに圧倒されている間に、蜂ケ崎さんは器用に表情を入れ替え、笑みひとつないクールな横顔で「じゃあ」とその場を去っていった。
ジェットコースターみたいな女子だな。とはいえ、僕も誰かと「ポッピング☆シャワー」を語れるのは嬉しい。唯一、蜂ケ崎さんが囚われフェアリーだと知ってることだけは悟られないようにしよう。そう心に決めて、僕もその場を後にした。
その日の放課後。
僕は校門で声をかけられた。
「あの! 私の事、覚えてる?」
花の香りを漂わせる「かわいい」という言葉が似合う黒髪の少女。「囚われフェアリー」の一人。覚えてるも何も、僕もちょうど会いたいと思っていたところだ。
「昨日はどうも」
「良かった〜、覚えてた。あのね、昨日約束してくれたことなんだけど」
「大丈夫ですよ、それも覚えてます。同じ学校だったのはびっくりしましたけど、誰にも言わないので安心してください」
てっきりそういう用件だと思っていたのだが、当の彼女はきょとんとした顔をした。
「……びっくりした。優しいんだね、ありがとう!」
ストレート、包むってことを知らないのか。
僕はなんて返していいか分からず鼻の頭をかいた。
「私、
「一年の秋葉航介です」
「秋葉君かぁ。これもなにかの縁だよね、ファンじゃないって言ってたけどまたライブ来てね」
「いや行かないですよ」
「え〜、そこは普通行きます! ってところなんだけどなぁ。秋葉君って面白いね」
「ていうか、卯ノ花って生徒会長と同じ名前なんですね」
「うん、会長はお姉ちゃんだから」
生徒会長の妹がアイドル――いやだからアニメかよって。
目の前の彼女……卯ノ花さんも、昨日とは打って変わって落ち着いている様子だし、僕が大人しくしていればこの件は大丈夫だろう。
卯ノ花さんは学年も僕と同じらしく、やはりその容姿と愛嬌ゆえにモテるらしかった。校門のところで二人で話していると、物凄く視線を感じたし、卯ノ花さん自身も声を掛けられていた。
「人気者なんですね」
「う〜ん、そんなことないと思うんだけどな。きっと、本当にこっちを見てほしい人に見てもらえなきゃ意味ないよ」
「八方美人止めたら一発だと思いますよ」
「だね」
卯ノ花さんは肩を竦め困ったように笑うと「じゃあね」と、どこか儚げに僕に別れを告げた。
でもだからといって、きっとそれに意味はなくて、卯ノ花さんはどこをどうとっても僕とは住む世界の違う人間だ。
それから数日が経過した。
「頼むよ!! 一生の頼みだから」
僕はなんの前触れもなく、アイドルオタクの百瀬から気持ち悪いくらいに手を合わせられていた。この流れで頼み事なんてハイリスクなやつでしょ絶対。
「なに?」
恐る恐る聞く。
「はっ、聞いてくれるか!」
「いやいや話を聞くだけだから。頼みをきいてやるわけじゃない」
「それでも良い、まず聞いてくれ」
「うん」
「――一緒に生徒会に入ってくれ」
やっぱりハイリスク、ローリターンじゃないか。リターン0まであるぞ。
「そんなすっげぇ嫌そうな顔するなよ!!」
「ごめんつい」
でもいきなり生徒会に入ってくれだなんて、何事だろうか。百瀬も冗談で言っているわけではないようだ。
「今年は生徒会が人気無いらしくてさ、今のところ一年は俺だけなんだよ。寂しすぎるだろ!?」
「ご愁傷さま。二、三年生と仲良くしろよ」
冷たくあしらうと、百瀬が哀愁を漂わせ始めた。僕を仏とでも思っているのかキットカットのお供えまでされてしまう。
「生徒会室でアニメ見ていいからさぁ、頼むよ!」
「……正直、その提案は魅力的だけど僕じゃなくたって百瀬が誘えば生徒会くらい入ってくれるよ」
「秋葉が良いんだよ俺は!」
「…………恥ずかしいやつだな」
「言わせんなよ、言わせただろわざとだろ!?」
僕は必死な百瀬を横目にため息をついた。僕が良いとか、本当に悪趣味なやつだ。
「……仕方ないな、まあ名前だけなら」
諦めなそうだし。というのは胸の内にしまっておく。
「マジか!」
「言っておくけど僕には三次元に
「大丈夫、いざという時だけ頼るからさ」
そんなこんなで、なんだかんだ僕は生徒会に所属することになった。なってしまったと言うべきか。自分が優しすぎて怖いくらいだ。百瀬に仮だな。
「そういえばさ、最近蜂ケ崎さんと仲良いよな? ボールペン返して友達にでもなったのか?」
そう、一度彼女とカフェに行ってから僕は教室でもたまに彼女と会話していた。
やっぱりというか、そうこなくてはというか、蜂ケ崎さんと僕は話が合った。ポッピング☆シャワーに限らず、二次元愛が僕と同等なのだ。三次元に対してはツンケンしていたりクールだったりするくせに、次元が一つ下なだけで蜂ケ崎さんはデレデレだった。
「まぁオタク友達というか」
「蜂ケ崎さんがお前と同じ趣味とか意外だよな」
「まったくね」
でもだからこそ一つ気になっていた。蜂ケ崎さんはどうして、あの卯ノ花さんとアイドルをやっているんだろうか。彼女はどちらかと言えば僕寄りの人間だ。なのに蜂ケ崎さんは「囚われフェアリー」を「自分にはこれしかない」と言ったのだ。
――僕は少しだけ、蜂ケ崎さんに興味がわいた。
❀ ❀ ❀
「はぁあ、今日か」
「あからさまに落ちてるな」
百瀬と廊下を進む。今日は事前に百瀬から言われていた生徒会の顔合わせの日だ。一年生の生徒会役員が全員集まり挨拶をするらしい。こういう場があるから、無性に引きこもりたくなるんだ。百瀬によると、人数は相当少ないらしいがそれでも陽キャだったらどうするんだよ! と思わずにはいられなかった。家に帰りたいマジで。
そうこうしてる間に生徒会室の前だ。
中に入ると、最奥の席に会長である卯ノ花先輩が腰掛けていた。ポニーテールの良く似合う人で、僕の知る卯ノ花さんとは姉妹のはずだけど纏う雰囲気は全然違っていた。
「来たか。まだ君らだけなんだ。適当に腰掛けといてくれ」
僕らを一瞥した会長が言う。その流れで百瀬が僕の紹介をしてくれた。
「百瀬君が頼み込んだんだって? 優しいな君は」
「同感です」
腕を組んで大きく頷いてみせる。
「そこは謙遜しろよ!」
「謙遜にメリットあるか?」
「め、メリット!? 合理主義者かお前は」
「ははは! 秋葉君だったか、面白いな」
どのくらいの時間だったか、歓談していると「失礼します」と伸びやかな声が響いた。しかしそこに居たのは僕の予想に反して良く知る人物だった。
「蜂ケ崎さん!?」
百瀬が声を上げる。ということは僕だけじゃなく、百瀬も何も知らなかったらしい。
「……秋葉航介と、えっとごめん誰?」
蜂ケ崎さんはいつも通り、クールだ。驚くわけでもなく、僕と目を合わせたりもしない。
「百瀬だよ!!」
「そう。よろしく」
短く挨拶を済ませた後で蜂ケ崎さんと初めて目が合った。口元が「なによ」と動く。なんで生徒会に? とジェスチャーすると、また「別に」と不貞腐れた顔で返された。
「あと一人来るから、それで全員だな」
そう会長が言った矢先、ノックだけが聞こえすぐにドアが空いた。
「入りま〜す! ってあれ、なにこのメンバー……」
妹でアイドルの方の卯ノ花さんだ。
僕は思わず額を抑えた。リスキーすぎる!! 地獄だ。
揃っちゃったよ『囚われフェアリー』。卯ノ花さんは顔面蒼白、蜂ケ崎さんですら口をパクパクさせた後でギリっと卯ノ花さんを睨んでいる。
しかしそこに会長が立ち上がり声を上げた。
「よし、揃ったな。生徒会といえど、今年は集まりが悪くてな。君たち4人が生徒会1年の部だ。――これは濃いメンツが集まったもんだが、ここに来たからには協力してもらうからな」
にっ、と強気な笑みを浮かべる。
こんなの聞いていない。
僕はもっと平穏に、オタ活をして高校生活を充実させる算段だったのに――。
「ハラハラするメンバーだけど、君と一緒なのは嬉しいかも?」
卯ノ花さんに耳打ちされる。
直後、休む間もなく蜂ケ崎さんに腕を引かれた。当てつけるかのように耳打ちする。
「今日、カフェ行くわよ。……別に今日のも特別な意味はないからっ」
な、な、なんなんだ!! 僕は片耳を抑えた。
後ずさりする。
僕は三次元に耐性ないんだよ!!
百瀬と会長は呑気に冗談を言い合っている。
蜂ケ崎さんと卯ノ花さんの視線が交わる。
この時の僕はまだ知らない。僕がこの先彼女たちとなにを築き上げて、壊して、また手に入れていくのかを。
まして「隠れアイドルでも彼女にしてくれますか?」なんて衝撃的な言葉を突きつけられることなんて、到底。
信じたくなんかない。だけど思い返せばそうなのだ。
つまるところ、ここまでが 序章 なのである。
隠れアイドルでも彼女にしてくれますか? 成瀬 灯 @kimito-yua
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