34.人と竜は手を取る
影が消え、残ったのはイルムと未だに丸まって言葉を発さない黒竜だけだった。しかし、イルムはその様子を見下ろすと無遠慮に近づき、その塊をつまみ上げる。
「来ようとした俺も俺だけど、来させたお前がその態度って何なんだよ。聞きたいこと、話したいことがあったんだろ? セオ」
「……ふん、その名で呼ぶな。我をそう呼んでいいのはブリューナクだけだ」
黒竜はイルムを睨みつけ、降ろせと訴える。はぁ、とため息を吐いたイルムはゆっくりと黒竜をその場に降ろした。
そもそも竜における名とは契約者にだけ名づけることを許される。そしてその名は契約を結んでいる間だけ使われるもの、今黒竜はセオではない。
ブリューナクが死んだ今、黒竜は名前を持たない。
「お前の相棒はブリューナクでいいんだよな」
黒竜が話す気になったことでイルムは黒竜の横に疲れたように腰を下ろす。さっきの薄気味悪い影との会話でどうやら精神的疲労が溜まっているみたいだ。
それに対し黒竜はその小さな腕に顔を乗せ翼を可愛く畳み、まるで思い出す様に遠くを見つめていた。
「あぁ、……奴はどうなったのだ?」
「さぁな、お前たちが英雄と言われてからすでに百年経ってる。まぁ、どうやらブリューナクは変な奴らに狙われたみたいだけどな。ただお前も見ただろ、ブリューナクの親族を」
「……ぁあ、あの男か。ふっ、何を期待しているか知らんがブリューナクはただの農民。そんな男の血筋などなんの価値もないだろうに。我もブリューナクという男と契約しただけで奴の血と契約したわけではない」
黒竜はまるで小馬鹿にしたようにそう言い放つ。
「契約、ね。……お前の記憶の断片を見た。ブリューナクを恨んでるのか?」
漆黒のオーラに触れ、頭に流れ込んできた悲しき別れの記憶。そしてブリューナクに対する憎しみとは違う、別の感情を感じたイルムはその真意を聞き出そうとする。
「あぁ、恨んでいる。いつか助けてくれる人が来る……そんなあやふやなものを残して我の力を封じて、この地下洞窟に封じ込んだ。
……わかってる、ブリューナクが病によってもう戦場を飛ぶことはできなくなり、残った我を王国が危険な存在と考えたということも!
あのような謎の人間の魔法に侵食されかけていたことも!
そして我を封じ込めることで生かすことを選んだということも!」
黒竜は力強く歯を食いしばる。そしてその瞳から小さな涙がこぼれ落ちる。
「我は王国に追われようとも奴の傍でその命尽きる瞬間を見たかった。ちゃんと別れを告げたかった。
我は……我は……奴にとって何だったのだ? 幼き我を拾い、共に過ごし、飯を食べ、戦場を駆け抜けた。
──我は奴にとって相棒ではなかったのか?」
黒竜は震える瞳をイルムに向ける。不安と後悔と疑心が涙となって現れる。
今にも壊れそうな黒竜にイルムは無情にも答えることになる。イルムは黒竜のことを、というか竜自体を何も知らない。
そんな奴が何を言ってもそれは欺瞞でしかない。イルムはそんなことを聞きたくて、言いたくてこんなところに来たわけではない。
「知らん。……俺にはお前たち竜の事なんてわからんし、ブリューナクのことなんてもっと知らん。人間と竜の契約がどういうものか、俺は加護すら与えられていないからな。
……お前も分かってるだろうが俺の手は、いや全身は俺とお前の同族の血で染まってる。斬って、斬って、斬りまくった。
人間なんてそんなものだ。自分の目的のためになんだってやる。ブリューナクもそうだったってだけのことだ」
イルムは黒竜の目を離すことなくそう告げる。これまでイルムが行ってきたこと、そして見てきたこと。
イルムは目的のために竜を殺し、人を殺してきた。どんな正当な理由があろうともそれは世界への罪だろう。
そして王国と帝国がやってきた戦争とその裏で行われるしょうもないいざこざ。くだらない、まるで子供の喧嘩だ。
そんなことでも世界は、人間は罪を犯す。
だからブリューナクという人間がどんな罪の意識と願望をもって黒竜を封印したのか、そんなものどうせしょうもないエゴなのだろう。
しかし、それでもイルムにはブリューナクがどんな思いだったのかなんとなくわかっていた。
何でもない、ブリューナクも人だ。大切な存在を思う気持ちはどんな人間だって変わりはない。
「……俺にはめっちゃ可愛い妹がいるんだ。もし妹が死ぬかもしれないと言われたら、俺ならこの世界をぶっ壊すか、妹を信頼できる人間に任せて自分だけでその元凶を叩く……かもしれない。
ブリューナクもそうだったんじゃないか? ……お前には生きてほしかったんだ。お前の意見なんてどうでもいい。どれだけお前が自分を恨んでも、生き抜いてくれさえすれば何でもいい。
そして未来、お前の存在を忘れた世界でお前を見つけた奴とまた飛び立ってほしかったってことだろ」
自己犠牲、イルムが最も嫌うその言葉に無意識なうちに拳に力が入る。しかし、その行為を否定することはできない。その行為によって今イルムは生かされているのだから。
「…………ふざけた奴だ。勝手に決めて勝手に死んで勝手にあるかもわからない未来にかけて。人間とは本当にろくでもない奴らだ」
「…………あぁ、本当に」
イルムと黒竜の会話はそこで止まってしまう。隣から聞こえてくる小さな小さなうめき声がイルムの耳に届く。
しかしイルムもまたそんなろくでもない人間を知っていた。勝手に自分の懐に入り込んで、勝手に息子のように可愛いがって、勝手に娘のことを託してきたそんな男を。
消えることないあのときの感触が今でもその手に残っている。拭い切ろうとも拭えない。託されたのだ……最後までその責任を果たさなければならない。
それがイルムにできるその男への恩返しなのだから。
白い世界の中ただ静寂が続き、しばらくしてようやくイルムが黒竜にしゃべりかける。
「これからどうする? 世界ぶっ壊すか? そうなると俺止めなきゃならんのだが」
「……いや、姿を変えて世界を見て渡ろう。それに先程の奴の言葉からどうやらブリューナクの死に何かよからぬ者達が関わっているようだからな」
黒竜は頭上を見上げる。その瞳にはもう暗さはどこにもない。前に進もうと言う気持ちが現れている。
そんな姿にイルムは目を細めてニヤッと笑う。
「なぁ、どうせなら俺と来ないか?」
「……どう言う事だ?」
黒竜は目を細めて、訝しむようにイルムを見上げる。イルムは開かれた手のひらを見ながら、問いに答える。
「俺の探している組織とお前が探す組織が同じみたいだからな。俺は今そいつらを追ってここに来ている。だから協力しないか?」
黒竜はイルムの誘いに驚くように目を見開くと、考えるように目を閉じる。そしてしばらくして目を開くと決意が決まったようにまるで試すように口を開いた。
「……我はすでに魔法をブリューナクに譲渡しているぞ」
「なめんな、契約も魔法もいらない。俺は今学園に通ってるんだが、ちょっとした理由でパートナーが必要なんだよ。そこでお前、どう? 嫌になったら出てっていい。まぁ、退屈はさせないぞ」
イルムは胡坐をかいた膝に頬杖をついて、黒竜に手を差し伸べる。
黒竜はその光景にまたしても既視感を覚える。
『セオ、俺と世界を旅しないか? きっと楽しいぞ!』
そんな記憶を思い出し、懲りないなと思いながらも黒竜は口角が上がるのを感じる。
「––––くくっ、良かろう。だが……我は我より弱い人間を背に乗せることはしない」
黒竜は思い出し笑いのように喉の奥で笑い、挑発するようにイルムを見上げる。
イルムはその答えにニヤッと笑う。
「望むところだ」
黒竜から伸ばされた小さな手を取りイルムは面白そうにそう答えるのだった。
あとがき
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第一部は明日の終章で完結します。終章は少し長くなってしまいます。
昨日、星を三人の方々からもらいました。ありがとうございます。
少し考えたところ、やはり総文字数が多くなっていくと新しく読んでみようとする人が少ないのか、自分の話が面白くないのか……フォロワーが全然伸びませんね。最近ちょくちょく減りますし、難しいですね。
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