間章二
仮面の裏に見えた涙
彼女が彼に出会ったのは粒の大きな雪が地面に積もり、吐き出す息が白くなるそんな冬の夜のことだった。
異様に静まり返った大きな屋敷が立つ敷地の庭で彼女と彼は向き合っていた。
彼女は雪の上に裸足で立っており、その身に纏う服も薄くひらひらとしたネグリジェに大きなもこもことした上着を羽織っている。
寒さに体を震わせながらも彼女は上着を巻き込むように体をを抱きしめて、かじかむ口を開く。
「どうして、どうして、お父様を殺したの?」
困惑という意味を込められたその言葉に彼は顔を隠す仮面に触れる。
「……これが俺の任務だから」
感情の起伏のない声で彼は答える。まるで突き放すようにこれ以上関わるなとそう言っているようだ。
しかし、それでは睨み付ける彼女の気は治らない。
「ふざけないで! 任務だから……貴方はその剣でお父様を殺したっていうの⁉︎」
彼女の視線の先には赤い液体をポツポツと落とす銀色の剣がある。
落ちたその血は雪を赤色に染め上げ、そこだけ窪みのように赤い水溜りを作り上げた。
「そうだな。ちょうど持っていたからな」
彼はその剣を振り払い、へばりついた血を飛ばす。その剣は誰でもない、彼が殺した彼女の父親のものだ。腰に差した黒色の鞘に入れると彼はさらに言葉を続けた。
「俺にとってお前の親父さんは邪魔な存在だったってことだよ。……運が悪かったと思ってくれ」
「貴方が……それを言うの?」
彼のそんな無責任な感情のこもっていない言葉に信じられないものを見るように驚いたあと、彼女は彼をまるで親の仇を見るように、いや実際そうなのだろう。
そんな視線を受けた彼は気にすることなく肩をすかせて見せる。
「確かに、殺した張本人が言う言葉じゃねぇな。…………俺が憎いなら見つけてみろ……それでいつか殺してくれ」
背丈の倍はあるその鉄柵を乗り越えて行った彼は一瞬にしてその姿を消した。
彼女はその最後に小さく呟かれた言葉の意味を理解できず、その後ろ姿を見送るように見てしまっていた。
そして、彼が居なくなってしばらくして呆然と背後を振り返った。
そこには血に染まった屋敷があった。積もった雪は点々と血が染み込んでおり、その異常が容易に想像できる。
壁にも窓にも廊下にも、ベタベタと張り付いたような血の跡、そしてその血を垂れ流す死体に彼女は歯を食いしばる。
これが彼のやりたかったことなのか、彼女の不満は積もるばかりだった。
「なんなの⁉︎ あの男⁉︎」
※
それから一年の月日が流れ、彼女はある地下室の前に緊張気味に立っていた。軍人学校に入学して一年で教官から呼び出され、ここに向かうように言われた。
考えられる理由は何一つ彼女の記憶にはなかった。しかし、今彼女が着ている迷彩柄で竜の刻印のついた軍服からどのような用件で呼ばれたのかは何となく予想はついていた。
だからこそ彼女はより緊張している。
コンコンというノックの後、どうぞという落ち着いた女性の声が聞こえ、少し驚いた彼女はゆっくりとその扉を開いた。
「失礼します! セントラル軍人学校の生徒ユリス=クーベルであります」
「キリス=バトロン大尉だ。……今回君をここに呼んだ理由は簡単だ。うちの部隊に入らないか?」
キリスはそう簡潔に用件を伝える。予想していたこともありユリスは顔を強張らせることはなく、事前に持ち合わせていた疑問を口にする。
「……私はまだ学生の身分ですが?」
「それに関しては大丈夫だ。私の権限でどうにかしよう。ここは少し特殊でね。……少し前に一度軍人学校に視察に行ったんだが、君は飛び抜けて優秀だ。学生で遊ばせているのは惜しいからな」
確かにユリスは優秀だった。その身体能力と洞察力そして頭脳は学校一と言える。そして、それらは全て学生の域を超えていた。それに目をつけたということだろう。
「そういうことでしたか。うちの部隊は特殊、と申しましたが何が特殊なのですか?」
「それは……言えないな。君が入隊すると約束するまでは」
──怪しい。
ユリスがその言葉を聞いて思いついた感想はそれだった。ここは軍の本拠地、詐欺ということはないだろうが、部隊室が地下にある時点でなんとなく違和感はあった。
この部隊は隠された非公式な者なのではないのか。それに部隊長が女性な部隊など聞いたことがない。
「……お断りします。私は危ないことに突っ込む気はありませんので」
「ふむ、そうか、それは残念だ」
「はい、期待に応えられず申し訳ありません。では私はこの辺で」
肩を落としたキリスを見たユリスは一礼して巻き返そうとするとキリスはユリスに聞こえるか聞こえないかの間くらいの微妙な声量でボソリと呟いた。
「一年前の大量殺人、クーベル家の壊滅事件」
「──! ……知ってたんですか」
その小さく呟かれた言葉に目を見開く。
その事件は情報規制がされており、世間的には没落したということになっているのだ。事件の存在を知る人間は数少ない。
とはいってもここは軍、情報規制した組織の大尉であるキリスが知っていてもおかしくはない。
「知らないわけないだろ。私が直々にスカウトするんだ、その人間の過去を知らないでどうする。……それに私が知らないわけないからな」
キリスは何か意味深気味にそう口にすると、ユリスは訝しむようにキリスのほうに振り返り問いただそうとする。
「どういう––––」
「ちゃーす」
しかし、ユリスの言葉はそんな呑気でやる気のなさそうな男の声によって打ち消された。
「イルム……その挨拶はどうにかしろと言ってるだろ」
「前にきちんとしたときに腹抱えて笑ったあんたに言われたくない」
キリスはどこか呆れるように額に手を当てるが、部隊室に入ってきたイルムは不貞腐れたように不満げに言う。
ユリスはイルムの方を見ることはなかったが眉を顰めていた。どこかで聞いたことのある声。
「……それでも後輩になるかもしれない子の前だ。ちゃんとしろ」
「まるで俺がちゃんとしていないような口ぶりですね。部隊室で酒飲んでつぶれていたキリスさん。……それに後輩ってこんなブラックなところに入りたいと思う奴なんて絶対にやばい奴ですよ。やめときましょう」
そんな偏見を口にするイルムにキリスは苦笑いするが、ユリスはそんな二人の会話を聞いていたが視線はキリスから離れることはなかった。ユリスは疑問の解を聞くまで帰らないつもりなのだろう。
そんなユリスの態度にキリスはニヤッと笑って顎を使って後ろを見ろと促す。
ユリスは首を傾げ、後ろを振り返る。
そこには眠たそうに大きなあくびをして、室内にあるソファの背もたれに全身を預けるようにだらしなくする彼だった。
ユリスは彼を見た瞬間何かに駆られるように彼の真正面に回り込んだ。
「な、なんだ⁉︎ ──って……」
「貴方……––––っ!」
イルムの顔と髪形と声、そしてその腰に刺さっている黒い鞘を見た瞬間、ユリスは吐きだされた衝動のまま彼の胸倉をつかみ上げた。
グイってソファに押しつけられたイルムは苦しそうに歯をかみしめるがユリスの顔を今一度見た瞬間、目を見開いた。
「お、まえ」
「久しぶり、一年ぶりね」
イルムの脳裏によみがえったその記憶を確かにするようにその呟きを放つ。
その瞬間イルムは苦虫を噛み潰したような顔をするがすぐに責めるようにキリスを睨みつけた。しかしキリスは机に頬杖を突き、まるで見守る様にその様子を眺めている。
「まさか貴方が軍の人間なんて知らなかったわ。どこぞの殺人鬼かと思ってた」
「俺から見たら今のお前の方が殺人鬼ぃぃぃ、あ嘘、だから首を離せって。まじで死んじゃうから」
「……ふんっ!」
冷たく見降ろしたユリスは乱暴にその手を離した。ソファに倒れ、ゴホゴホとせき込むイルムをよそにユリスはキリスの前に立った。
キリスは面白そうに何かを期待するようにユリスに顔を向けた。
「キリス大尉、前言撤回します。私を大尉の部隊に入れてください」
「ほぉ、どういう心境の変化だ?」
「殺したい人が今見つかったので」
ユリスは隠すことはせず、正直に何ともないように言ってのけた。その言葉にソファからユリスたちを見ていたイルムは目を剥いたように驚くと、光の速度で首を振ってキリスに反対の意志を告げた。
視界の端でイルムの行動をとらえつつも、ふむ、と考えるように口に手を当てる。
「軍人でも理由のない殺人は許容できないな」
「別に生物的に殺そうなんて思ってはいません。社会的に精神的に殺します」
「……そうか。ならいい」
「は⁉」
ソファから聞こえてくる奇声を無視してキリスはゆっくりと椅子から立ち上がり、その手をユリスに伸ばす。
「私の部隊『ファントム』にようこそ。歓迎しよう、ユリス=クーベル」
「……」
ユリスは一瞬の間をおいてその手を取った。
ユリスはあの日誓ったのだ、イルムを殺そうと。
あの血濡れた屋敷の中、イルムがユリスの父親を殺したとき父親の言葉が今でもユリスの頭にこびりつく。
『ははっ、子供のくせに生意気なことだ。だが……君なら任せられる。娘を頼む、そして…………ありがとう』
ユリスが駆け付けた際最後に聞いたその父親の安心しきった感謝の言葉、それはユリスが一度も父親から聞いたことなかった言葉。
その時見えた仮面の隙間から見えたイルムの瞳から見えた一粒の涙が、そしてユリスに言ったあの言葉がユリスを駆り立てる。
ムカつく、理由は知らない、しかしどうもムカつくのだ、イルムという存在に。
だからユリスは口にする。父親が感謝したイルムという人間を殺したい《知りたい》と。
「よろしくお願いします、キリス大尉」
あとがき
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今二部のプロット作ってるんですけど、意外とキーボードを叩くことが出来てますので毎日更新を止めることなく出来るかも?
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