館長!魔法の書を開いたら中に描かれていた魔物が逃げ出しましたっ
巡月 こより
若き図書館長の苦労
「館長! 魔法の書を開いたら中に描かれていた魔物が逃げたしましたっ」
「なにっ? あれほど魔法関連の書を開くときは気をつけろと言っただろう!」
館長のクリティアスは報告に来た司書に向かって怒鳴った。その司書が縮み上がり、勢いよく頭を下げる。
「す、すみませんっ」
「まぁ、良い。それで、封鎖はしたな」
「は、はい。第1書庫の封鎖は済んでいます」
「分かった。では、”ハンター”を呼べ」
「はい。直ちに」
その司書が急いで館長室から出ていくと、クリティアスは椅子に座り直しため息を吐いた。その目の前にあるのは、件の魔導書だ。この図書館には様々な本が収蔵されているが、中には取り扱いに注意が必要なものもある。
学者が書いた研究書や騎士記した体験記は問題ない。たまに、暗号で書かれて判読困難なものも無いわけでないが、それでも魔女が残した本よりはずっとマシだ。
魔女は簡単には秘密を洩らさない。魔導書を開く際に正しい呪文を唱えないと開かないものがあったり、開いた瞬間に呪いが発動したりと、やたらと仕掛けが施されているのだ。今回の本もその一つだった。
入って来たばかりの新人だ、仕方ない、と自分に言い聞かせる。クリティアスは館長を押し付けられたことを後悔する日々である。
大体、何故若輩者の私が……。
突然、前任者が退任するというので、任命されてしまったのである。他にもベテランが何人もいるのに、だ。ここに勤める司書達は館長なんて面倒くさい仕事なんてしたくないのである。
「だが、今はそんなことを考えている場合ではないな」
クリティアスは例の本を持ち部屋から出て、第1書庫へ向かう。その道すがら、”ハンター”が後ろから彼に追いついた。ハンターというのは正式な職業ではない。それは彼女の特徴から、そう字されたのだ。館長の隣に並んだのは、魔女のオディール。この図書館で働く者の一人で、この本の海から探し物を探り当てるのを何よりも得意としていた。
美しい銀髪を三つ編みにまとめたオディールは足早に歩くクリティアスと歩調を合わせながら尋ねた。
「一体何があったんです?」
クリティアスは手に持っていた本をオディールに渡す。
「気をつけろ」
オディールは何事か呟いてから、本を開ける。頁をめくっていくと一か所絵が抜けているところがあった。
「そこに描かれていた生き物が第1書庫内部で逃げ出した」
「……なるほど。それを探せと?」
「そうだ」
「分かりました」
2人は第1書庫の重々しい扉の前に立った。
「行こう」
クリティアスが扉を開ける。2人は素早く中へ入り、再びその魔物が逃げ出さぬよう扉を締めた。そこへ幾千の紙吹雪が上から舞ってくる。
「は…?」
クリティアスが呆然と見上げ、落ちてくる紙切れを一つ掴む。それには文字が書かれていた。クリティアスの目が驚愕に広がる。
「この頁に描かれていたのハヌマーンですね。真っ白な猿のような見た目の小型の魔物で、知能も魔力もそれほど高くないので大して害は無い、とありますが…」
「どこが大して害はない、だ!」
「悪戯好きではある、と書いてありますね」
怒りに震えるクリティアスとは対照的にオディールが本を読みながら冷静に解説する。
「つまり、この紙吹雪はハヌマーンが本を千切っている、と」
「一刻も早く捕まえねば」
しかしながら、書庫は広い、しかも本の保護の為に照明は最小限で薄暗い。紙吹雪は収まったようだが、ハヌマーンは入ってきた2人に警戒して隠れてしまった。
「難儀しそうだな」
クリティアスが苦々しげに呟く。
「探してみましょう」
オディールは手を上げ、魔物の気配を探る。人の背の3倍程もある書架が何列も並ぶ広大な空間から小さな生魔物を探さなくてはいけない。オディールは神経を集中させる。
「……東の方向に魔法の気配があります」
2人は足音を立てぬように、慎重に東側に進んでいく。書架の間を目を凝らしながら歩いているが、白い猿のような生き物の姿は見えない。
「どこに隠れたんだ?」
苛立ちながらクリティアスが呟く。
「しっ」
オディールが口元に人差し指を当てる。聞き耳を立てると、どこからか何かが床にぶつかる音が聞こえてきた。
ここにあるのは、本だけ。
「とすれば、これはハヌマーンが本を床に落としている音か……」
「でしょうね」
2人は身を屈め、相手に姿を見られぬように歩いていくと、書架の上の方に尻尾を器用に棚に引っかけてぶら下がりながら、本を落としてしている。
「見つからずに捕まえられるのか?」
クリティアスが思わず呟く。
「私が風の魔法で持ち上げますから、館長捕まえてきて下さい」
「は?」
そう言うとオディールは言葉の意味を掴めないままのクリティアスを風の力で浮き上がらせた。
「ちょっ……」
クリティアスは無意識にバランスを取ろうと手足をばたつかせる。
「館長、頼みます」
オディールは指揮者のごとく腕を優雅に動かすと、それと連動するようにクリティアスの体が更に高く持ち上がり、そしてハヌマーン目掛けて一気に加速した。
「おい!」
悪態をつきつつもクリティアスは、魔物に向かって手を伸ばす。本を下にどんどん落としているハヌマーンの尻尾を掴む寸前、軽々と飛び上がり、ぽんっとクリティアスの頭の上に着地する。
物凄くコケにされている気がする……。大体これ、館長がする仕事なのか?
クリティアスの頭に血が昇る。彼は頭に乗った魔物を捕まえようと両手を伸ばすが、自分の髪の毛を掴んだだけだった。ハヌマーンは飄々の隣の書架に飛び移ってまた本を捨て始める。
「やめろっ」
再びハヌマーンを掴もうと手を伸ばすが、またその隣の書架へと憎らしいほど軽々と移動して、小馬鹿にしたように笑い声を出した。
「こら待て!」
クリティアスが捕まえようとしては、魔物が逃げるという行為を更に何度か繰り返すのを見ながら、オディールが冷めた目で見守る。
館長、意外と運動神経無いわね。
「……駄目そうだわ、これ」
クリティアスの怒りのボルテージが最高潮に達し、今度こそ捕まえてやると息巻いてハヌマーンに突進する。
が、案の定ひょいっとハヌマーンに避けられて書架に激突した。その勢いが良すぎたのか、書架がぐらりと傾き、本がばさばさと落ちる。
「あ……」
オディールが唖然としている間に、傾いた書架が隣の書架に当たり傾く。またその書架が隣の書架に当たり、まるでドミノ倒しのように次々書架が倒れていく。その書架から落ちた本の山からもうもうと煙が上がり、視界が遮られてハヌマーンが何処へ逃げたのか分からなくなってしまった。
オディールはため息をついて、クリティアスを床へ戻す。彼は渋い顔を表情を浮かべている。
「……すまん」
「他の方法を考えないといけませんね」
オディールは肩をすくめ、魔法の書を開く。ハヌマーンに関する記述で何かしら捕まえるヒントがないか探すためだ。
「好きなもの……果物、特に赤くて丸くてツヤツヤのオレンジやリンゴ。しばしば太陽を果物と間違え手を伸ばして捕まえようとするような行動がみられる、か」
「果物、だと……」
この部屋には当然そんなものは置いていない。しかし、闇雲に捕まえに行っても結局被害を増やすだけなので、何らかの方法でおびき寄せて油断したところを捕まえなければならない。何か果物の代わりになりそうな物はないかとオディールは周囲を見回す。
例えば何か匂いを出せるような呪文が書かれている本とか幻を見せられるような魔法の書などである。しかし、この膨大な本の海、比喩的な意味でなく床に本が散らばっている状態では見つかるものも見つからない。
オディールは思わず天を仰ぐ。そこには今は閉じられているが天井には採光用の丸い天窓があった。彼女は目を見開く。
これだわ。
「館長、あれを使いましょう」
オディールは天を指した。
クリティアスの運動神経は当てにならないので、オディールは自分で捕獲することにした。彼には天井の丸窓の開けさせ、その窓から陽が差し込む床の上を片付けるように頼む。これは館長の仕事なのか、と一瞬考えたが床に本をばら撒いた責任の一端は自分にあるので大人しく従った。
天窓を開けるためクリティアスは壁際に移動し、レバーを下げる。すると、しばらく開けられていなかった窓の蓋が軋んだ音を立ててゆっくりと開かれていく。そこから漏れる光に舞い散る埃がきらきらと光る。
あたかも地から太陽が昇るように床に赤い光が徐々に広がっていき、丸窓が完全に開き切るとそこに真ん丸の赤い太陽が現れた。それを見届けたオディールはその床の近くの書棚の陰に隠れる。クリティアスが床の本を退けると、彼も姿を潜めた。
これで上手くいくのか……?
半信半疑に床の赤い円をクリティアスが凝視する。しばらく待っていると、かさかさと小さい音が聞こえてきた。ハヌマーンが落ちた本の間から様子を窺いながら、興味津々に近づいてきた。周りに誰も居ないことを確かめるようにキョロキョロしながら、ゆっくりと赤い円に近づく。オレンジだとでも思っているのか陽の当たっている周囲をぐるぐると回っている。
その姿は愛くるしい縫いぐるみのようであったが、生憎魔物なので捕まえなくてはならない。ハヌマーンはついに手を伸ばし赤い場所に触れるが、勿論陽の光が当たっているだけなので何もない。キーキーと甲高い声を困惑気に鳴いて、躍起になって果物を掴もうとしている。
後ろから自らを捕まえようとする手が伸びているとも知らず、夢中でハヌマーンは明かりの中を掻いている。
オディールはむんずとハヌマーンを掴んだ。騙されたことに気が付いたハヌマーンは滅茶苦茶に暴れたが、彼女は構わず床に置いた件の魔法の書の、開いた頁の空白に魔物を押し付ける。本人の繊細な見た目とは正反対の豪快な仕草で、魔物を封印し、本を閉じた。
「これで私の任務は完了です、が……」
オディールは床に倒れた複数の書架、そこから落ちた本達、そしてハヌマーンに千切られ散らばる紙片を見た。無残としか言いようがない状況である。クリティアスの眉間に皺がまた一つ刻まれた。この惨状の半分くらいは自分の所為である。
あぁ、頭が痛い。
「司書達を全員を呼んできてくれ……」
これはしばらく徹夜だな、とオディールは思った。
館長!魔法の書を開いたら中に描かれていた魔物が逃げ出しましたっ 巡月 こより @YuzukiYowa
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