第12話 べヘリ=ギンガム

タクミとルコンは先行して孤児院に向かった。レオがタクミを先に行かせたのは、すでに孤児院周辺には別の部隊が先行して一定の現場把握が済んでいて、タクミを斥候として動かしても危険は少ないと判断したからだった。


タクミは都市を抜けて西の森に入る。西の森にはいつもと変わらない長閑さと不穏さを併せ持つ雰囲気があった。ルコンは上空からタクミを追ってくる。ルコンに変化がなければ危険はないとアンジュに言われていた。


「魔物か盗賊の類を見つけると、鳴きながら下から見て左回りに旋回します。その後にタクミさんのところに降りてきますので、接近か迂回を指示してください。ルコンが案内します。」


ルコンに変化はない。タクミは最短経路で孤児院に向かった。


孤児院に到着したタクミが目にしたのは、粉々の瓦礫となった建物と、トカゲの魔物の屍体だった。魔物の屍体からは大量のゴーストを抽出できるため回収が望ましいのだが、今は警戒を優先しているのだろう、そのまま庭だったところに放置されていた。


レポートによると、建物を壊したのは熊の魔物とあった。タクミは建物の壊れ方から力の加わった方向を計算し、熊が建物にダメージを与えた位置に当たりをつけようとした。


しかし、タクミは少し妙だと思った。


(“これだけの大きい建物が全て粉々になってるなら、かなり大きな衝撃があったはず。それが一撃だとしても数撃だとしても、瓦礫の残った位置からベクトルの痕跡を観察できるはずなのに、瓦礫は全て真下に崩れ落ちてる感じだ。この建物はゴースト技術を使ってブロック状にした土の塊を接着していったもの、全体を壊すには全体に均等に衝撃が伝わらないと無理じゃないかな。地震みたいに。魔物がどうやってここを壊したのか、ゼルさんに後で確認しておこう。”)


次いでタクミは院長と猿の魔物が交戦した痕跡を探した。院長の攻撃には特徴があり、地面にその斬撃痕が残るためわかりやすい。


「ここだな。」


タクミは地面に手を置いて魔物の残滓を調べた。しかしここでも違和感を感じる。


(”ゴーストの残滓は感じるけど、なんだろう、魔物っぽくないな。むしろ魔装に近いような。”)


タクミは森の西に目を向けた。そこには見知った痕跡が残っていた。


「さすが院長。」


タクミは痕跡を見つけたことを手を振ってルコンに伝えた。そして森の奥へと進んでいった。


タクミが見つけたそれは、院長が自ら開発したゲル状の魔術具、通称ゼリー君の液滴痕だった。ゼリー君は院長の武器にも使われているもので、普段は液体状だがゴーストを注入すると固まるという性質を持ち、その硬度を自由に調整できるというものだ。


院長はそれを体のどこかに仕込んでおき、気絶したら液体に戻って少しずつ体から流れ落ちるようにしておいたのだろう。タクミはそれを見つけ、森の奥のほう、特定の方向に続いていることを確認した。


ルコンを呼び、アンジュに方角を伝える。そして孤児院に戻ってレオ達を待った。ルコンはレオとは逆の方向、院長の痕跡のある方向へと飛び立って行った。



「おい、お前達の目的はなんだ?」


孤児院長のべヘリは正午を迎える当たりで目を覚まし、先行して歩く猿の姿と自分を担ぐ熊の姿を見て、自分が気絶させられて連れ去られたのだと状況を把握した。


「おっ、やっと起きましたか、誘拐されたというのに、話に聞いてた通り図太い方ですね。昨日の夕方からずっと寝たままでしたよ。」


猿が答えた。


「質問に答えてないぞ。」


べヘリはそう返した。


「貴方を拐うことが目的ですよ。ある人に頼まれましてね。へへへ。これからその人のところに連れて行ってあげますよ。」


「お前らは何者だ?」


「それには答えられませんねぇ。」


「・・・魔物じゃないってことか?」


「それも着けばわかりますよ。」


べヘリはそこで黙った。喋りながら逃げる算段をつけていたのだが、熊の拘束がキツく直ぐには逃げられそうがなかった。拘束を抜ける手立てはあるが、猿はまだしもこの熊はヤバい。ゼル、魔装のリアム、ヴィルの三名相手に一人で応戦し、これを撃破。しかも誰も死んでいないことから手加減をしたように思える。更に建物を破壊するほどのパワーを持っているとなると、戦闘で勝利するのはおろか、スピードでも振り切れる確証はない。


「お前は喋らんのか?」


べヘリは熊に問うてみた。


「・・・・・・。」


反応はない。


「そいつは真面目なやつでしてね、暫くは声を聞くことはないですよ。」


猿が口を挟んできた。


その時、上空で鳥の鳴く声が聞こえた。


「お前には聞いてない。いや、目的地まであとどのくらいか教えろ。」


「そのうち着きますよ。」


「じゃあ腹が減ったから何か食わせろ。」


「そうですね、私達の食べ物で良ければ上げますよ。」


そう言って熊に合図すると、熊は肩にかけた革製のバックから丸い茶色の何かを出して、肩に担がれながらも手はフリーになっているべヘリに手渡してきた。


「なんだこれは。」


「ブレッドという名前の食べ物ですよ。パンと呼ぶやつもいますね。どうぞ召し上がって下さい。」


べヘリは興味深そうにその食べ物を見回し、一口小さく食べてみた。


「うまい。」


硬い表面とは裏腹に中はふんわりしており、ほのかに香る甘みが食欲を刺激する。携帯食だろうに、旨みを維持していることに驚いた。べヘリは一気に食べ切った。


「もっと寄越せ。」


すると、熊がまたバックから同じような色合いの長い何かを取り出して手渡ししてきた。


「これもブレッド・・・パンのほうが呼びやすいか、これもパンか?」


猿はチラリと後ろを見ただけで返事をしなかった。が、熊が頷いて答えてくれた。


べヘリはその長いパンを両手で触ってみる。さっきのパンよりも硬い。べヘリはそのまま先端に齧り付こうとしたが、それを熊がいつの間にか手に持っていたナイフで制してきた。


「うおっ。」


べヘリは驚いて少し仰反るが、熊の腕のホールドが堅牢で熊から離れられず、刺してきたら逃れることはできないと悟った。


しかし刺されることはなく、熊はナイフを使いべヘリが両手で持ったパンを二つに切り分け、ジェスチャーで切り口から食べろとべヘリに伝えてきた。


べヘリは両手に分かれたパンを見比べて、左手に持っていた方を口に運んでみた。


「かひゃい。」


口に入れたものの、中々噛み切れない。べヘリは手と首を使って噛み千切るようにパンを切り取り、口の中で噛み続けた。そして柔らかくなり細切れになったところで飲み込んだ。


「美味い。硬さが気になるが、咀嚼のたびに感じる歯応えと滲み出てくる味。通常の食べ物より咀嚼の回数が多くなるが、飽きずに食べられる。最初の一口が大変なのも、かえってその後の旨みを増大させているような。これは悪魔の食べ物か。」


べヘリの喜び方と食べっぷりに満足したように、熊はニコニコとべヘリの食べる姿を観察していた。そしてナイフをバックにしまい、代わりにバックの中に入れてある瓶からビスケットを取り出して口に放り込んだ。


それを見逃さないべヘリではない。


「なんだそれは、それも食べ物か、食わせろ。」


その言葉に熊はバックからビスケットをもう一枚取り出してべヘリの口元に持っていき、べヘリは躊躇なくそれに噛みついた。


「甘い。使われているのは砂糖か。そして柔らかい。見た目は硬そうなのに口の中でフワリと溶ける。絶妙なバランスだ。まだあるなら寄越せ。」


しかし熊は首を振ってパンを指さした。


「先にこれを食えというのか?わかった。」


べヘリは硬いパン、いやもう正式名称で良いだろう、フランスパンを噛み千切りながら一生懸命食べた。千切るのに苦労したが、食べるペースが落ちることなくすべて食べ切った。


「食べたぞ、さっきの甘いやつを寄越せ。」


熊は一本指を見せて最後の一枚だと伝えた。しかしべヘリはそれを少し待ての合図と受け取っていた。熊はビスケットをバックから出してべヘリに渡すと、べヘリは一通り眺めてから口に入れた。


「美味い。」


べヘリは至福の表情でビスケットを噛み砕き、食べ終わってから熊に睨みつけた。


「全部寄越せ。」


熊は静かに首を振った。


「なら他の食い物だ。まだ何かあるだろ。」


熊はただ首を振るだけだった。


「嘘をつくな!もっと食わせろ!」


べヘリは熊の肩の上で暴れるが、それで熊の重心がブレることはなかった。少し暴れて疲れたのだろう、べヘリは徐々に大人しくなり、グッタリとしてしまった。


「・・・小便にいかせろ。」


熊は首を振り、猿が振り向いて言った。


「したければそのままして下さい。貴方を下ろすわけにいきません。小さくても大きくても大丈夫です。私達は平気ですので。」


「ふざけるな、こっちは一児の母親だぞ。妙齢のマダムだぞ、そんな恥ずかしいことできるか。大体あったかくて匂うので毛が濡れたらこいつも嫌だろう。お前は離れてればいいだろうけどな、こいつの身にもなってみろ。」


「ダメですよ。したければそこでして下さい。」


熊も頷いている。


「おまえ、変態か?」


熊は首を振る。


「ったく、40過ぎてお漏らしとはな。我慢できなくなったら本当にするからな。覚悟しとけよ。」


べヘリは悪態をついてから、追跡隊が追いつくための時間稼ぎの準備を始めた。


べヘリの愛用するゼリー君は、ゴーストの流し方で意のままに形と強度を自由に変えられるのが特徴だ。とはいえ、剣のように切ることを前提にした魔術具には強度が数段劣り、故にこの熊相手にダメージを通すことは到底不可能だろう。そこでべヘリは、足から零して追跡の目印としていたゼリー君を糸状に変え、ゴーストを操作して自分の体に巻きつけるように動かした。少しずつ、熊に気付かれないように熊の腕と自分の体の隙間に糸を入れていく。ゼリー君で熊との間に空隙を作るのが目的だった。


五時間くらい経っただろうか、陽が沈もうとしてきたとき、べヘリは再度鳥の鳴き声を聞いた。


「おい、一つお前らの秘密を当ててやろうか。」 


べヘリは唐突にそう口にした。


「長い事黙ってたと思ったら、いきなりですね。暇つぶしに聞いてあげますよ。」


猿が答えた。


「お前らの雇い主だがな、ユグリナフって名前だろう?背と髪が長くて不潔でいつもブツブツ呟いてるやつだ。」


「・・・・・・。」


猿は答えない。


「その沈黙が答えだ。そいつはな、私の旦那だよ。私を拐うやつなんかそいつしかいないからな。」


「・・・・・・どうですかね。答え合わせを楽しみにしてて良いと思いますよ。」


「それは無理だな。なぜなら、」


そこで会話を切り、べヘリは自分の胴部を覆ったゼリー君へのゴースト入力を切って液体に変えた。熊は急に感じた水気に、小便と思ったのだろう、ホールドを少し緩めてしまった。そのタイミングでべヘリは足を後方に伸ばし、足から後方の木に伸ばして固定しておいたゼリー君の糸を硬化させ、糸がピンと張ったところで伸ばした足を引きつけて熊のホールドから一気に抜けた。ヌルッとした液体になったゼリー君を滑り剤に使ったため、上着は熊の肩に脱ぎ捨ててある。


「逃げるからだ。熊くん、パンをご馳走様だ。」


上半身が胸を隠すサラシのみとなったべヘリは、直ぐさま後方へと駆け出す。熊はゼリー君の糸で地面と縫い付けられており、一瞬だけ動き出しが遅くなっている。


熊が体を強引に回転させて糸を引きちぎっている間、猿は素早く反応して踵を返し、べヘリを追った。


「投網。」


べヘリは最後に残ったゼリー君を使い、網状に変えて猿に放った。猿はそれを横に飛んで躱したが、そのまま直線上に飛んだ網は猿の後ろで糸から脱出したばかりの熊にヒットし、熊の動きをまた鈍らせることに成功した。そしてできるだけ熊から離れるべく、べヘリは駆け続けた。初めからべヘリの狙いは猿と熊の分断だった。


べヘリが駆け出して40メートルくらい進んだところだろうか、森の中での猿の身軽さには勝てず、アッサリと追いつかれた。そして猿が背後からべヘリを蹴り倒そうとした瞬間、天空から猿に向かって矢の雨が降り注いできた。猿は咄嗟に頭上の矢を腕で薙ぎ払ったが、何本かは抜けて猿の肩と足に突き刺さった。矢が消えて残った猿の傷からは、血が滲み出る様子が見られなかった。


「やっぱりな、お前ら魔物じゃないだろ。魔装の類だな。それがユグリナフの答えか?」


べヘリは駆けながら叫ぶ。叫びながら、横から現れた狼を視認し、その背中に飛び乗って離脱を試みた。


「レイブンの飼い犬だな。頼むぞ。」


狼の背中は暖かかった。さっきまで誰かを乗せてきてたのだろうか。


猿がべヘリを追走しようとした直後、横から気配なく現れたのはタクミだった。ゴーストが漏れ出ないタクミは気配が希薄になる。


べヘリを追うために地面を蹴って宙に浮いた猿を、タクミは思い切り蹴り上げた。猿はそれを腕で防御するが、勢いは殺せず森から突き出て上空へと飛ばされてしまった。そこに大量の矢が絶え間なく殺到する。猿は飛んでくる矢を捌きながらも、直線の矢と曲線の矢に対して徐々に反応が追いつかなくなり、少しずつ被弾していく。また、矢のエネルギーに負けて、少しずつべヘリの逃げる方向とは逆に押し流されていた。


「下から突き上げてくる矢で地面に落下させてくれませんね、威力といい精度といい、これはかなりの使い手です。」


猿にはまだ余裕があり、地上ではタクミと熊が相対していた。

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地球の双子、異世界を救う 世上石亥 @yonouesekigai

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