36、今、タコ殴りにしてるから
一瞬、言葉を失った高崎だったが、すぐにいつもの調子を取り戻していた。
通信機の向こうから、威勢の良い怒鳴り声が流れてくる。
〈やっぱ悲劇のヒロイン気取ってんじゃねえか、このボケ! 生意気に格好つけてんじゃねえよ!〉
「うるさいなあ、そろそろ通信切りますね」
〈はあ!?〉
「それとも、通信機を壊した方が良いですか? この通信を頼りに、私の位置情報割り出してるんですよね」
〈おい…………おい、待てよ。お前、何を考え〉
高崎の言葉が、中途半端なところで途切れた。
ついに壊れたか、と思ったあたりで、低い女の声が聞こえてくる。
〈どこが痛いの? みゃあこ〉
「ケイトさん」
〈怪我してるんでしょう? どこが痛いのか、教えてちょうだい〉
ふつりと、何か張りつめていたものが切れたような気がした。
全身を蝕んでいた痛みが、急に強くなったような気がする。
「どこって、そんなの全部ですよ」
じわりと目蓋の奥が熱くなった。
平気な振りをしたいのに、声が震えてしまう。
〈全部? 具体的には?〉
「右手··········脇腹も。それから、肩と、背中と、足も」
〈本当に全部ね〉
「だって、しょうがないじゃないですか!」
ケイトの声は優しかった。
美夜子が癇癪を起こしても、怒鳴りつけたり、説教をしてこない。
「右手は、噛まれたし、脇腹は踏まれたんです。他にも、瓦礫の破片が当たったり、穴から落っこちたり、災厄獣に体当たりされたり、雨のせいでびしょ濡れになるし··········もう、ぼろぼろなんです」
〈そう。動けないのね。盾は使える?〉
「
〈そう。わかったわ〉
「だから、もう··········間に合わないですよ、戻ってください。ケイトさん」
雨が、酷く冷たかった。
動けない。もう目を開くだけの気力すら残っていない。
災厄獣と戦うための装備も、使えなくなった。
次に災厄獣と遭遇したら、戦うどころか逃げることすらできないだろう。
第五部隊の面々が、美夜子のところにたどり着くまで、生きていられる自信がない。
〈間に合わせるわ。だから、もう少しだけ待ってて〉
〈甘ったれんな! このっ〉
やや離れた場所で、高崎の怒鳴り声が響く。
また説教が始まるのかと身を固くした途端に、中途半端なところで聞こえなくなった。
〈あー、高崎さんのことなら気にしなくていいわよ。今、梨乃と森村くんの二人掛りでタコ殴りにしてるから〉
「梨乃ちゃんが? タコ殴り?」
〈あんたと約束したからって言ってたわよ〉
────そんな最低野郎、私が殴り飛ばしてやりますよ。
真面目な顔で言い切った梨乃のことを、思い出す。
つい数時間前のことなのに、ずいぶん昔のことのように思えた。
〈高崎さんの言ってることも、全部間違いってわけじゃないわ〉
ケイトの声は穏やかだ。
だから、落ち着いて聞いていられる。
〈あんたがやったことは、
目を開く。涙と雨で滲んだ視界は、随分と暗かった。
水溜まりの中に、災厄獣の青い血と、美夜子が流した赤い血が混ざっている。
〈私、梨乃、高崎さん、森村くん、それから、朔間と中山さん。美夜子のところに誰が行くのか決めるの、大変だったわよ。立候補者が多すぎて。藤谷くん、桜田くんも行くって言ったのよ。伊山さんなんて、怪我してるのに病院に行きたがらなくて、大変だったんだから〉
美夜子が相槌を打たなくなっても、ケイトは怒らない。そのままの調子で続ける。
〈サラマンダーが大型相手に戦闘を始めて··········だから、迂回する必要があったの。それで遅くなっちゃった〉
車のブレーキの音が、聞こえたような気がした。
ばたばたと走る足音も。
〈みゃあこ、あんたに死んで欲しくないって、生きていて欲しいって人は、たくさんいるのよ〉
「美夜子先輩っ!」
────梨乃の声。
通信機を通してのものではなかった。すぐ近くにいる。
「見つけた··········っ、見つけました! ケイト隊長!」
〈すぐに連れて来て!〉
「ちょっとこれどうやって··········うわっ、梨乃ちゃん!? 朔間さんまで!」
「この高さなら飛び降りた方が早いしね··········やると思った。高崎さん、ワイヤの準備をしましょう。男が三人いれば、引き上げられるでしょう」
「··········おう」
「高崎さん。なんか拗ねてません? さっき梨乃ちゃんと一緒になって殴ったこと、まだ怒ってます?」
「けっ。どうせ俺は最低野郎だよ」
周囲が、急に騒がしくなった。
暖かい手が、美夜子の肩に触れた。
「ああ、先輩。ごめんなさい、私、こんな」
「梨乃、落ち着いて。美夜子さん、聞こえてますか? すぐに手当てしますから、もう少しだけ頑張ってください」
(··········ああ、来てくれたんだ)
目を開けているはずなのに、周囲が暗い。
すぐ傍に、梨乃や朔間がいるはずなのに、その顔が見えなかった。
返事をしなければと思うのに、声が出ない。
それでも、美夜子は不思議と穏やかな気持ちになっていた。
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