34、夢ならもっとマシなものを

 守護兵団ガーディアン第五部隊の高崎隆二と広岡恵美に発見された後。

 酷い発熱と脱水症状で衰弱していた美夜子は、公立市民総合病院に入院し、治療を受けることになった。

 その時の記憶は、ほとんど残っていない。

「お前、名前は? 住所は? 親は何やってるんだ。なんでA地区なんかに居たんだ?」

 一條の街まで戻る戦闘車両の中で、いかにも不機嫌そうな太い男の声に、そう問い詰められたことを覚えている。

 あれは高崎だったのか。それとも、別の誰かだったのか。

 ────知らない。親なんかいない。何も知らない。

 熱で朦朧とする頭で、そんなことを思ったのを覚えている。

 実際には、決して口を開かずにやり過ごそうとしたことも。

「おい、何とか言えよ。黙ってたらわからないだろ」

 そう言われても、相手が諦めるまで黙っているのが一番被害が少ないのだ。

 子供が何かを口にしたら、大人はそれを罵倒の材料にする。

「無視するなよ。お前さあ、いつまでそうやっていじけるつもりなんだよ」

 男は忌々しげに舌打ちをした。

 吐き捨てるようにそう言われても、美夜子は口を閉ざし続けた。

 


 名前と年齢、親が居ないこと、児童保護施設〈笑顔の里〉にいたこと、『成人の儀式』のこと。

 美夜子がまともに話せるようになったのは、熱が下がり、脱水症状から回復した後のことだった。

 毎日のように見舞いに来てくれた、広岡恵美のおかげである。

 灰色の上下以外の服を持っていない美夜子のために、彼女は着替えや下着などを用意してくれた。

「こんにちは。私は広岡恵美。守護兵ガードマンです」

 恵美は、美夜子のことを問い詰めたりしなかった。

 毎日のように現れては、ぽつりぽつりと自分のことを話していく。

 二十歳で守護兵ガードマンになったこと。兵種は闘士バトラーで、狙撃手スナイパーである高崎と組んでいる。

 年齢は今年で二十八歳。辛い食べ物が好きなのだが、シシトウだけはどうしても駄目なのだという。辛かったり辛くなかったりと、味の予想ができないものは苦手なのだそうだ。

 恵美は、美夜子に相槌を要求したりしなかった。聞いているのか、と詰め寄ってくることもなかった。

 初めて恵美に名前と年齢を告げた時、彼女はふわりと微笑んでくれた。

「美夜子ちゃん。綺麗な名前だね」

 ────大人というのは、子供のことを忌み嫌っているものなのだと思っていた。

 目が合っただけで不愉快そうに顔をしかめ、声を聞いたらため息をつき、事ある毎に感謝を要求して、指示通りに「ありがとうございます」と言っても誠意が足りないと舌打ちする。

 お前のために時間を割いてやったんだ。

 お前のためにどれだけ金を掛けたと思っている。

 誰に育ててもらったと思ってるんだ。

 そういうことを、恵美は言わない。

 十五歳を過ぎて初めて、子供を罵倒をしない大人と出会った。



 鈴子が死んだことを知ったのは、いつだっただろう。

 病室に取り付けられた小型モニタから流れたニュースを見たのか。

 それとも、恵美から聞かされたのか。

 覚えていない。

 ただ、顔から血の気が引いていったことは、覚えている。

 手のひらが冷たくなっていったことも。

 呼吸をするたびに、肋骨のあたりに冷たい刃を差し込まれたような、嫌な痛みが走っていたことも。

 悲しい、とは思わなかった。泣かなかったはずだ。

 ただ、胸の痛みのせいで、まともに呼吸ができなかった。

「────私たちが駆けつけた時には、鈴子ちゃんは、もう…………その後に、美夜子ちゃんを見つけたの」

 恵美の、静かな声を覚えている。

「美夜子ちゃん。あなたのせいじゃない。あなたは悪くないの」


 本当にそうだろうか。

 今まで、鈴子のことをまるで気に掛けていなかった。

 呑気に病院のベッドで眠り、暖かい食事を食べて、恵美との雑談に興じていた。

 鈴子は死んでしまったのに。

 鈴子は助けてもらえなかったのに。


 体調が快復した後、美夜子の処遇をどうするかで、大人たちは頭を抱えていた。

 熱が下がり、脱水症状も治ったのなら、いつまでも病院にいる必要は無い。

 だが、退院させようにも、美夜子には帰るための家がなかった。

 美夜子は、産みの親のことを覚えていなかった。物心ついた頃にはもう〈笑顔の里〉で暮らしていた。

 美夜子の親は、〈笑顔の里〉の教師いわく、『 目先の快楽に飛びついて後先考えずに性行為を行った挙句、〈笑顔の里〉に後始末を押しつけた実に今どきの責任感のない若者』なのだと言う。

 美夜子には、頼りにできる親や親戚は居なかった。

 しかし、〈笑顔の里〉に戻ることだけは、断固として拒否していた。

 十五歳は、まだ保護者が必要な年齢だ。一人では生活できない。

 しかし、当時の恵美はまだ独身で────数年後に高崎と結婚するが────美夜子の里親にはなれなかった。

 他に、十五歳の少女の里親になってやろうという物好きな大人はいない。

 そんなある日、痺れを切らせた〈笑顔の里〉の教師が、美夜子の病室へ乗り込んできた。


 その日、美夜子はベッドの上で上半身を起こし、いつものように見舞いに来た恵美はベッドの脇の丸椅子に腰掛けていた。

 この前食べたら美味しかったもの、面白かったドラマ、最近の天気の話────話題にしていたのは、そのあたりだ。

 いいなあいいなあ、それ、私も食べたい。じゃあ今度持ってきてあげる────そんな和やかなやり取りをしていた時に、〈笑顔の里〉の女性教師が乱入してきた。

「まああ、美夜子ちゃん。大丈夫? わたくし、ほんっとうに心配したのよぉ」

 ノックすらせず病室に入ってきた女性教師は、クネクネとしなをつくりながら、気色の悪い猫なで声を出した。

 眉を下げ、唇の両端を引き上げて、アニメキャラクターの声真似でもしているかのような、奇妙に甲高い声で話している。

 顔の半分が隠れるような大きな丸メガネを掛けた、中年の女性教師だ。髪は耳の下あたりまでのショートヘア。化粧はしておらず、喪服のように真っ黒なパンツスーツを身につけている。

 その女性教師の姿を見た途端に、美夜子は全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。

 耳元で、ひび割れた罵声が響く。

『お前なんか、災厄獣の餌になる価値すらない! お前なんか、お前なんか、生まれて来なきゃ良かったんだあぁぁぁっ!!』

 ────鈴子と、美夜子をA地区まで連れて行った、あの女性教師。

「失礼ですが、あなたは?」

「あ、あぁらまあ、わたくしったら。失礼しました。〈笑顔の里〉に務めております、中里と申します」

 怪訝な顔をした恵美に、中里は深々と頭を下げた。

 子供が相手の時は勇ましく「他人にものを尋ねる時は名を名乗りなさい」などと言っていた教師が、相手が大人の時は愛想笑いを浮かべたままぺこぺことお辞儀を繰り返している。

「この度は、うちの子が本当にご迷惑をお掛けしました。こんなに手厚く看病して頂けるなんて、本当にありがたいことでございますわ」

「…………。守護兵団ガーディアン第五部隊の広岡です。あの、今日は、何を────」

「さあ、美夜子ちゃん。帰るわよ」

 恵美の脇をすり抜けるようにして、中里が美夜子の腕を掴んだ。

 気色の悪い笑みは維持したまま、先程よりはやや低い声で言った。

「もう元気になったんだから、病院にいなくたって良いでしょう。わがままはもうおしまい。〈笑顔の里〉に帰るわよ」

「…………っ」

 掴まれた腕に、嫌な痛みが走る。

 中里は、美夜子の腕を握り潰そうとしているようだった。

「ごめんなさいねえ、広岡さん。わたくしたちったら、ついつい甘やかしちゃって。この子、わがままばっかりで大変だったでしょう?」

「いえ、そんなことは」

「今回のことは、わたくしたちも非常に反省しておりますの。指導力不足を指摘されて当然ですわ。最近の子は甘やかされ過ぎていますから、もっと厳しく躾をしなければ────」

「嫌だっ!!」

 中里の手を、美夜子は無我夢中で振り払った。

 ベッドから飛び降りて、恵美の身体を盾にするように、その背中にしがみついた。

「やだ、やだやだやだやだ! 絶対嫌だ!」

「美夜子ちゃん」

 腰に両手を当てた中里が睨みつけてくる。

 だが、美夜子は黙らなかった。

 黙るわけにはいかない。今、大人の言いなりになって〈笑顔の里〉に戻ったら、どんな仕打ちを受けるか、わかったものではない。

 またA地区に放り出されるかも知れない。

 狭くて真っ暗な反省室に閉じ込められて、今度こそ死ぬまで出して貰えないかも知れない。

 背筋が凍りついたかのように、冷たくなっていった。足の感覚がない。恵美にしがみついていなければ、膝から崩れ落ちてしまいそうだった。

「戻らない、絶対戻らない! 〈笑顔の里〉だけには、絶対!」

「もう、わがまま言わないの」

「戻ったら、戻ったら今度こそ殺されるっ!!」

「な、何、そんなでたらめな」

 中里は、美夜子の言葉を笑い飛ばそうとした。恵美に向かって言う。

「真に受けないで下さいね、広岡さん。叱られたくないから、でたらめを言ってるんですよ」

「嘘じゃない、でたらめなんかじゃない!」

 美夜子は必死だった。

 今、口を閉ざすわけにはいかない。大人の言いなりになってはいけない。

 泣きたくなどないのに、目の前がじわじわと滲んでいった。寒いわけでもないのに、身体ががたがたと震えている。

 恵美の背中にしがみついていなければ、まともに立って居られなかった。

「生まれてこなきゃ良かったって言った! 災厄獣の餌になる価値すら無いって言ったんだ! 戻ったら殺される! 今度こそ殺される!」

「美夜子ちゃん。いい加減にしなさい」

「やだ、やだやだやだ! 死にたくない! 死にたくない! もうやだ! もう嫌だ────!!」

 最後の方は言葉にならなかった。

 泣きじゃくる美夜子の背に、そっと手を置いて、恵美が言う。

「中里先生。今日は、お引き取り願えますか」

「え、ですが、私は〈笑顔の里〉の代表として────」

「お引き取り下さい」

 中里の顔から、愛想笑いが消えた。今までで一番低い声で言う。

「まさかとは思いますけど、広岡さん。その子のでたらめを信じてなんかいませんよね?」

「お言葉ですが、中里先生」

 その時の恵美の言葉を、美夜子は一生忘れないと思う。

「美夜子ちゃんは、でたらめを言うような子じゃありません」


 守護兵ガードマンの訓練生になるには、いくつかの条件をクリアする必要がある。

 年齢が十五歳以上であること。五体満足で、身体的、精神的な障害を持っていないこと。

 守護兵ガードマンが、場合によっては命を失うことも有り得る、危険な職業だと理解していること。

 訓練生になった時点で守護兵団ガーディアンに所属することになるので、正規の守護兵ガードマンの三分の一程度ではあるが、給料が支払われた。

 訓練期間は二年間。その時の成績によって、近接戦闘が得意な者は闘士バトラーに、銃の扱いが上手い者が狙撃手スナイパーになる。

 一人前の守護兵ガードマンになるために、訓練生たちは、朝早くから夜遅くまで厳しい訓練に明け暮れることになる。自宅に帰っている余裕はない。

 そのため、守護兵団ガーディアン本部のすぐ近くに、訓練生のための寮があった。

 十五歳の、何の経験もない少女を雇ってくれる企業は見つからなかった。だが、守護兵ガードマンの訓練生にはなれそうだった。

 訓練生になれば寮に入れる。正規の三分の一程度とは言え、給料を支払われるので、十五歳の子供一人でも自立できそうだ。

 これしかないと思った。〈笑顔の里〉に戻らないで済むなら、何でもやろうと思っていた。

 しかし、恵美はそれに難色を示した。

 守護兵ガードマンは危険な仕事だ。生半可な覚悟でできるものではない。

「良いんじゃねえの?」

 美夜子に賛成をしてくれたのは、高崎の方だった。

「あいつ、家族居ないんだろ。そういう奴こそ、守護兵ガードマンに向いてるよ」

 その時の高崎の言葉も、美夜子は一生忘れないだろう。

「もし万が一のことがあった時、悲しむ人間は少ない方が良いからな」

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