31、良い子だ、ついておいで

「う、ううう、伊山さん、伊山さぁぁん」

「だからもう大丈夫なんだから、泣くな桜田! いい年した男がみっともない」

「ま、まだ僕十九ですよおぉぉ」

 災厄獣が息絶えたのを確認した瞬間、桜田は膝から崩れ落ちて泣き出してしまった。

 その隣であぐらをかいた伊山が、桜田の頭を平手でべしべしと叩いている。

 本人が言う通り、桜田春樹はまだ十九歳。森村の次に年少の隊員だ。

 背は高いが色白で、全体的に線が細い。男にしては長めのふわふわとした柔らかな茶髪は、染めたり巻いたりしているわけではなく生まれつきらしい。

 対する伊山は二十八。美夜子の一つ年上だ。

 流石に美夜子よりは高いものの、男にしてはかなり小柄で、梨乃やケイトよりも背が低い。高崎のように横幅があるわけでもないので、おそらく第五部隊に所属する男性隊員の中では一番小柄だろう。

 眉が太く、短く刈り上げた黒髪はいかにも硬そうで、身体の小ささをカバーするために日々筋トレに勤しんでいる。

 伊山に対して「小さい」「チビ」等は禁句である。

 梨乃は蒼光銃を手に、周囲の警戒にあたっていた。

 時折、えぐえぐと泣きじゃくる桜田を見て、呆れたような表情を浮かべている。

 美夜子は、相変わらずべしべしと桜田を叩いている伊山の傍で片膝をついた。耳元で囁く。

「私がこの前似たような状況になった時は、全身打撲で二週間入院コースだったんですけど。伊山さん、大丈夫ですか?」

「…………お前、すっごい嫌な言い方するな。それ、わざとやってんのか?」

 伊山が半眼になった。桜田を叩く手を止めて、ため息をつく。

「珠野みたいに予備燃料エネルギーパック爆弾とかやってねえからな。二週間は行かないだろ。精々一週間だ」

「おやまあ」

「…………けど、正直きついわ」

「ですよねえ」

 盾で直撃は防げたとは言え、衝撃は殺しきれない。美夜子達が駆けつけるまでの間に、何回か災厄獣の咆哮を浴びただろう。

 紺色の戦闘服で隠されているが、おそらく、伊山の上半身は青アザだらけのはずだ。

「一度、中間報告しにケイトさん達のところに戻ります。伊山さん達も、良かったら」

「助かる」

「お菓子の差し入れ期待してますよ。私、さくらママのクッキー希望します。梨乃ちゃんはビター系のチョコが好きです」

「美夜子先輩っ」

 小声だが、切羽詰まった様子の梨乃の声を聞いて、美夜子は伊山をからかうのを中断した。

 梨乃が美夜子の背後を指さしている。

 崩れ掛けたビルの向こう側に、巨大な災厄獣の姿があった。

(大型…………!)

 通常、守護兵ガードマンである美夜子達が相手をしているのは、一般的な成人男性と同じぐらいの大きさの小型の災厄獣だ。

 今、ビルの残骸の向こう側を歩いているものは、小型の災厄獣より二回りほど大きい。頭から足先まで、二メートルはあるだろう。

 爬虫類のような頭は分厚い鱗に覆われ、胴体は黒く硬い毛に覆われている。手足の鉤爪は長く太い。

 小型の災厄獣相手ならば、口を開いた隙に喉奥を貫いてやれば良いが、大型にはそれが通用しない。

 いくら押し込んでも、急所である喉奥まで届かないのだ。

 不用意に接近すれば、致命傷を与える前に八つ裂きにされてしまう。

 守護兵ガードマン達は、息を殺して、ゆっくりと前進する大型災厄獣を見つめていた。

 このままやり過ごせるなら、それが一番良い。

 その後に、隊長であるケイトにどこで大型災厄獣を見たのかを報告して、英雄ヒーローに出動要請を出す。

 それが通常の流れだ。小型災厄獣の群れを発見した場合も同様である。

(気付くな、気付くなよ…………!)

 祈るような気持ちで美夜子が拳を握りしめた時に、大きく目を見開いたまま固まっている桜田の喉が波打った。

 伊山が半ば飛びつくようにして、桜田の口を抑える。

「落ち着け。気付いてない。大丈夫だ」

 目に涙を溜めた桜田が、喉元まで迫り上がった悲鳴を必死に飲み下しているのが見えた。その耳元で、伊山が自分にも言い聞かせるように小声で「大丈夫」と繰り返している。

 梨乃は蒼光銃を握りしめていた。美夜子も赤光刃の柄を持つ手に力を入れる。

(もし────もし、気付かれたら)

 伊山は戦えないだろう。桜田も無理だ。

 大型災厄獣は守護兵ガードマンでは手に負えない。英雄ヒーローが来るまで待つしかない。

(逃げる? でも、大型を街に近付けるわけには────)

 大型災厄獣が、ゆっくりと向きを変える。

 目が、合ったような気がした。

「…………っ、気付かれた!」

「美夜子先輩!」

 ほとんど弾かれるように、美夜子は地面を蹴っていた。背後から、梨乃の悲鳴が聞こえる。

 大型災厄獣の口が、ゆっくりと開いていく。そんなはずはないとわかっているのに、にんまりと笑っているように見えた。

「最初だけで良い! 梨乃ちゃん、手伝って!」

 青い光が、大型災厄獣の左目に突き刺さる。間髪入れずに左肩、左の鉤爪に、梨乃の銃撃が命中する。

 大型災厄獣が、大きくよろめいた。その隙に、美夜子は全体重を乗せた一撃を、災厄獣の腹に叩き込む。

 ────キィィェエアアァァァッ!

 災厄獣が吼えた。内蔵を見えない手で握りこまれるような、背筋が冷たくなる感覚に襲われる。

 ぎりぎりと奥歯を噛み締めて堪えていると、頭上でびゅん、と風を切る音がした。

 自分の顔から、血の気が引いていくのがわかった。

 無我夢中で災厄獣の胴を蹴り飛ばし、後ろに跳ぶ。鼻先を掠めるように、長い鉤爪が降ってきた。

「────先輩っ!」

「撃たないで!」

 視界の端に、蒼光銃を構える梨乃が見えた。

 片手で制して、赤光刃を構え直す。

 大型災厄獣は、不機嫌そうに長い尾を地面に叩きつけていた。

 必死に呼吸を整える。この短時間で、全力疾走をした直後のように息が上がっていた。

「この先は、私一人で。七番通りの方に誘導します。大型を、街に近付けるわけにはいかないから。伊山さん、梨乃ちゃん、お願いしてもいいですか」

 もしも────もしも、大型災厄獣と遭遇して、やり過ごすことができなかった場合。

 一條の街に向かって逃げることは、禁止されている。

 街に大型災厄獣を連れて行くことになるからだ。

 逃げるのなら、街とは反対の方向。七番通りの方しかない。

 倒すことができなくとも、手も足も出ない相手であろうと、守護兵ガードマンには、一條の街を護る義務がある。

 だから、誰かが囮にならなければならなかった。

「────わかった」

「そんな、でも、先輩!」

 通信機から、梨乃の泣きそうな声がする。

 美夜子は口元に、うっすらと笑みを浮かべた。

「大丈夫だよ。梨乃ちゃん」

 大型災厄獣と、目を合わせる。見せびらかすように、赤光刃を振り回した。

 災厄獣の目付きが一気に険しくなる。牙を剥き出し、今にも唸り声を上げそうだ。

(そうだよ。あんたの腹に穴を開けたのは、この私)

 全力で赤光刃を叩き込んだのに、災厄獣の腹には小さな青い染みが浮かんだだけだ。分厚い毛皮に阻まれて、引っかき傷程度のダメージしか与えられていないのかも知れない。

 だが、誰がその傷をつけたのか。誰が襲いかかってきたのか。

 ────災厄獣は、襲撃者を決して許さない。

「女と猫は、なかなか死なないから」

 災厄獣が、地面を蹴った。

「良い子だ、ついておいで!」

 災厄獣に背を向けて、走り出す。

 美夜子は英雄ヒーローではない。だから、大型災厄獣を倒すことができない。

(でも、私は守護兵ガードマンだ)

 英雄ヒーローが来るまでの時間稼ぎで構わない。

 守護兵ガードマンとして、可能な限り、大型災厄獣を一條の街から引き離さなければ。

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