25、そんなことだろうと思ってました

 思う存分寄宿舎の中を歩き回った後、美夜子は施設長室を目指して外に出た。

 正方形の建物から、ケイト達が出て来るのが見える。

 入口の方に、見送りに出た施設長らしき男と中里の姿があった。岩渕とケイトに向かって深く頭を下げている。美夜子がいることには、気づいていないようだった。

「あっ、ケイトさん! もう終わっちゃいました?」

「··········みゃあこ」

 何となく、ケイトの顔色が悪いような気がした。

 どうかしたんですかと美夜子が尋ねる前に、右の頬を奇妙に痙攣させた岩渕が言う。

「あら、珠野さん。お散歩はもうおしまい?」

「はい。おかげさまで。色々見て来れました」

 こちらは妙に上機嫌なように見える。相変わらず眉間にしわを寄せ、目に映るもの全てを睨みつけているようだが、唇の端に僅かに笑みが滲んでいるような気がした。

「一体何をしていたのかしら。あなたがぐずぐずしている間に、お話は終わってしまったのよ」

「ああ、それなら大丈夫です。私はただの下っ端ですし、同席したところで大した意見は出せませんから」

 にこやかに返してやると、岩渕の口元から笑みが消えた。

 だったらどうしてついて来たのかしら、と吐き捨てるように呟かれたが、聞こえなかったことにする。

 門の外に停めた車まで戻る途中で、美夜子は一度〈やすらぎの園〉の方を振り向いた。ちょうど顔を上げた中里と目が合う。

 にっこりと笑いかけてやると、中里の顔が瞬く間に青くなっていった。

「知り合い? 副施設長と」

「ええ、まあ。〈笑顔の里〉時代にそれはそれは可愛がって頂きました」

 ケイトの問いに答えてから、美夜子は真顔になった。

「え、嘘。あの人今副施設長なんですか。出世したなあ。十二年前の『成人の儀式』の時、私をA地区に放り出した張本人なんですけど」

「··········そう。そんな人が、今でも児童保護施設で働いてるのね」

 ケイトの声が暗い。酷く落ち込んでいるようだった。

 どう声を掛ければ良いのかと美夜子が迷っているうちに、それぞれの車に到着する。

 乗り込む直前に、岩渕が勝ち誇ったように言ってきた。

「ケイトさん。あなたはもう少し、大人になるべきね」

「あなたのような人が大人だと言うのなら、私は一生子供で構いません」

「まあ」

 岩渕がわざとらしく口元を両手で覆った。

「そういうところが子供なのよね」

 ケイトが反論する前に、岩渕はさっさと護衛の男たちと共に高級車に乗り込んでしまった。

 美夜子とケイトも、松野が待機している車へと乗る。座席に収まったケイトは、両手で頭を抱え、深いため息をついた。

「ケイトさん。何があったんですか」

 松野が車を発進させた。砂利ばかりの足元が悪い道なのに、ほとんど振動を感じなかった。

「家出だって言ってたわ。『成人の儀式』については、決して認めようとしなかった」

 ケイトはぽつぽつと語り始めた。

 〈やすらぎの園〉の施設長や職員たちは、今回の騒動はあくまでも生徒が勝手に脱走してしまったからだと主張している、と。

 〈やすらぎの園〉が用意したシナリオはこうである。

 奉仕活動の際に使用する紙やすりを少年たちが盗み、たまたま施錠されていない窓を見つけて、脱走防止のための鉄格子を削っていた。

 少年たちがそんな真似をしたのは、少女たちの「女」に狂わされたからで、彼ら五人には不純異性交遊の疑いがあった。

 純情な少年たちを、「女」を利用した少女たちが騙し、唆した結果、今回の無謀な冒険につながってしまった。

 〈やすらぎの園〉としては、今後このようなことがないよう、施錠管理の徹底と、備品チェックの強化、また、生徒同士の不純異性交遊が発生しないよう、監視を強化するつもりである────

「なーにが施錠管理よ、ばっかじゃないの。備品チェックとか監視強化してどうするってのよ。大体、鉄格子二本外した程度じゃ誰も外に出られやしないわよっ!」

「け、ケイトさん。ケイトさん。落ち着いて」

「··········。みゃあこはなんか落ち着いてるわよね。私よりよっぽど怒りそうなのに」

「まあ、そんなことだろうと思ってましたし」

 ケイトが息を飲む。ゆっくりと顔を上げて、呆然と美夜子を見つめてきた。

 できるだけ軽い調子にしようと努力して、美夜子は言う。

「十二年前、私の時もそうでした。『成人の儀式』について誰も信じてくれなかった」

「みゃあこ··········」

「大人なんてそんなものですよ」

 へらりと笑ってみせてから、美夜子はジャケットのポケットから携帯端末を取り出した。録音を再生する。

 ────なあ、聞いてるか? お前一人養うのに、今までどれだけ掛かったと思う? 金、時間、食べ物、服、命。みーんな先生たちがお前のために消費してきたものだ。これがどれだけ大変で凄いことか、お前、本当にわかってるか?

「それは··········」

「〈やすらぎの園〉の教師の発言です。··········ケイトさんたちが施設長室でお話してる間に、これを配ってきました」

 見守りペンを取り出した。ケイトの手のひらにそれを載せて、自分の携帯端末の画面を見せる。

「見守りペン。ひらがなだけですけど、登録済の端末宛にならメールが送れますし、何より、位置情報がわかります。ソーラーパネルで充電しているので、いざという時に使えないなんて可能性は低いです」

 下沢しもさわ芽衣めい

 高岡たかおか朱里あかり

 前島まえしまゆづき。

 美夜子の携帯端末には、三人の子供の名前が登録されていた。

「つい最近、リョウくん達の騒ぎがありましたから、しばらくの間は大人しいでしょう。ですが、ほとぼりが冷めたらまたやります。··········〈やすらぎの園〉は、〈笑顔の里〉と同じでした。名前が変わっただけ。施設の在り方が問題視されて解体されたなんて、大嘘だったんですね」

(笑顔だのやすらぎだの、よくつけたもんだ)

 声がどうしても暗くなる。

 〈笑顔の里〉は解体されていなかった。〈やすらぎの園〉に名前を変えただけだ。

「もし、『成人の儀式』の日がわかったら··········それだけじゃなくて、小児趣味の変態に売り飛ばされそうとか、人体実験に利用されそうだとか、とにかく何か大変なことがあったら私に連絡して欲しいとお願いしてあります」

「売り飛ばすって··········実験って」

「それくらいやっても不思議じゃありませんよ。なにせ、十五歳の子供を平気でA地区に放り出すような連中です」

 すっかり項垂うなだれてしまったケイトから見守りペンを取り上げて、握り込む。

 どれだけ頼りなかろうと、今はこれだけが頼りだった。

「見つかったら、きっと取り上げられます。だから気休めのお守りです。でも、もしこの子達から連絡があったら────助けて欲しいと言われたら、私は行きます」

「みゃあこ」

 低い声で、名前を呼ばれた。はい、と向き直る。

「その時は、私にも教えて」

「はい」

「··········。よし、じゃあ、今日は呑むわよ。付き合いなさい、みゃあこ」

 いきなり腕が伸びてきて、問答無用で抱え込まれた。目を白黒させて叫ぶ。

「えっ、えええええっ、なんでそうなるんですか、ケイトさん!」

「うるさいうるさい。今日は意地悪ばあさんに虐められて傷心なのよっ。奢ってあげるから慰めなさいっ」

「ご馳走してくれるのは嬉しいですけど」

 肩をつかまれ引き寄せられて、ケイトの胸元に顔を埋めるような形になる。おまけに、肩や背中を温めるようにさすられた。

「松野も付き合いなさい。お酒は駄目でも、ご飯なら大丈夫でしょ」

「おや、ご一緒させて頂けるんですか」

 ケイトの胸に顔を埋めたままでは、運転席の松野がどんな表情をしているのかわからない。

 それでも、美夜子は、松野が穏やかに笑ったような気がしていた。

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