24、〈やすらぎの園〉のシナリオ
施設長室は、寄宿舎の向かい側にある正方形の建物の中にあった。
吉原の案内で施設長室へ向かったケイトと岩渕は、引きつった笑みを浮かべた五十代の男女二人に迎えられた。
男の方が、〈やすらぎの園〉の施設長、
「いやあ、どうもどうも。岩渕先生、一條様。お忙しいなか御足労頂き、まことにありがとうございます」
「このたびはうちの生徒がご迷惑をお掛けしまして、本当に申し訳ありません」
山田が岩渕に握手を求め、中里は岩渕とケイトに向かって深く頭を下げた。
岩渕は差し出された手をちらりと見ただけで、握手には応じなかった。冷たい声で言う。
「時間を無駄にしたくありません。さっさと済ませましょう」
施設長室の中には、来客用の革張りのソファが三台、大理石のテーブルを挟んで向かい合わせに置かれていた。
三人掛けのソファに、岩渕とケイトが腰掛ける。隣同士ではなく、しっかり一人分の隙間を開けていた。
山田と中里はその向かい側の一人掛けのソファにそれぞれ収まった。
護衛の男たちは、岩渕とケイトのソファの後ろで仁王立ちになっている。
ここまで案内してきた吉原は、一度「お茶とお茶菓子をお持ちしますっ」と言って退室した後、黒い盆に四人分の湯のみと、焼き菓子が入ったバスケットを載せて戻ってきた。
岩渕、ケイト、山田、中里の順に湯のみを置く。焼き菓子が入ったバスケットをテーブルの中央に置いた後、無言のまま立っている護衛の男たちの方をちらりと見た。
途方に暮れたような表情になっている。
「それは私の護衛よ。いないものとして扱ってちょうだい」
「あっ、は、はいっ。失礼しました」
岩渕に面倒くさそうにそう言われて、吉原はぺこぺこと頭を下げた。
ひたすら身を低くして、完全に頭を上げることはないまま、逃げ出すように退出する。
山田や中里に促されるより早く、岩渕はテーブルの上に置かれた湯のみを取った。
一口含んで、口の中を潤してから、重々しい声で言う。
「────さて。今回の〈やすらぎの園〉の家出騒動のことだけれど」
「申し訳ありませんっ、岩渕先生!」
山田と中里が、揃って頭を深く下げた。顔を上げないまま、早口に言う。
「私どもの管理が不充分だったために、生徒の脱走を許してしまいましたっ! 全て私の教育が行き届かなかったためでございます!」
「勝手に出て行った挙句、
山田に続いて、中里まで今にも泣き出しそうな声を出す。ケイトは呆然とそれを見つめていた。
「家出をした子達は、一体どこから出てしまったの?」
「消灯時に、宿直担当の教員が窓や扉の施錠確認をしているのですが、その日はうっかり見落としてしまったようで」
「一階の大食堂の窓の鍵が、開いておりました。脱出防止のための鉄格子を嵌めておりましたが、どうも少しずつ削って、二本ほど外れるような細工をしたようです」
山田と中里が、滑らかにすらすらと家出について語り始めた。
奉仕活動に使用した紙やすりの数が合わなかったことがある。おそらく、脱走を企てた少年らがこっそりと持ち帰り、教師達の目を盗んで鉄格子を削ったに違いない。
今回脱走した生徒五人は特に仲が良く、不純異性交遊の疑いがあった。
本人達は駆け落ちのつもりだったかも知れない。少年達が少女を連れ出そうとしたのか、それとも少女達が少年を唆したのか────
「ちょ、ちょっと待ってください!」
山田と中里の二人によって、いつの間にか少女二人が悪女に仕立てあげられていた。
少年達は純粋で幼かったから、少女達の「女」に惑わされてしまったに違いないと言うのだ。
「男の子の十五歳なんてまだまだ子供ですけれど、女は何歳だろうと女なんです。まったく、いやらしいったらありゃしない」
「ええ、まったく。あの年齢ですでに『女』を武器にすることを知っている。おぞましいことです」
「だから、待ってください! 『成人の儀式』はどうなったんですか!」
ケイトが声を荒らげると、山田と中里は揃ってぽかんと口を開けた。信じられないという顔だ。
「は··········? 『成人の儀式』、ですか?」
「そう言えば、そんな言い訳をしていたそうですね。でたらめですよ、でたらめ。叱られるのが怖いからそんなことを言ったんでしょう」
「そうでしょうか。私には彼らが嘘をついているようには見えませんでしたが」
冷静になろうと、ケイトは膝の上に置いた手を握りしめた。
怒鳴りつけてはいけない。冷静に、落ち着いて話さなければ、聞いてもらえない。
「災厄獣の恐ろしさは、まだ十五歳の子供でも充分に承知しているはずです。〈やすらぎの園〉を出た後、何故彼らは
「··········」
山田はむっつりと黙り込み、中里は目を伏せてしまった。ケイトは奥歯を噛み締める。
「亡くなった三人のうちの一人、
左の脇腹を食いちぎられた、少年の無惨な遺体を思い出す。背の高い、坊主頭の少年だった。
「『成人の儀式』と称して、夜中に彼らを連れ出して、A地区に放り出した大人がいる────そちらの方が自然ではありませんか?」
「ケイトさん」
岩渕が低い声で言う。
「ケイトさん、あなた、結婚はなさってるの?」
「────は?」
思わず間抜けな声が出た。それとこれが何の関係があると言うのか。
岩渕は涼しい顔で続ける。
「出産経験は? 子育て経験はあるのかしら」
「··········。独身です。子供を産んだことはありません。それが何か?」
声がどうしても尖ってしまう。平静を保とうと努力したが、岩渕のことを一瞬睨みつけてしまったかも知れない。
女性育成委員会会長は、勝ち誇ったかのように唇の端を吊り上げた。
「そう。独身で、出産経験も無ければ子育て経験もない。だからいつまでも娘気分で、子供の考えを述べるのね」
「なっ··········!」
「いいこと、ケイトさん。子供はね、嘘をつく生き物なんです」
岩渕が、初めて、はっきりそれとわかる笑顔を浮かべた。
「子供はね、大人に叱られるのが何よりも怖いんです。だから叱られないために、どんなでたらめだろうとそれらしく話して言い訳する。何度も話しているうちに、その嘘を真実だと思い込んでしまう。ケイトさん、あなたは騙されたのよ」
「話をすり替えないでください。鉄格子を二本外したところで、梶村くんは外に出られない。ましてや、
「ケイトさん」
ケイトの言葉は、岩渕には届かない。
「児童保護施設の子供たちは、基本的に施設の外に出ることを禁止されています。どちらに行けば
先程までむっつりと黙り込んでいた山田が、こちらの目を決して見ようとしなかった中里が、今は満面の笑みを浮かべている。
「ええ、そうです。岩渕先生の仰る通りですよ」
「一條様はまだお若いんですものね。仕方ありませんわ」
指先が冷たくなっていくのがわかった。血の気が引いていくのを自覚する。
「··········大人は、嘘をつかないとでも?」
「少なくとも、子供よりは信用できるわ」
掠れたケイトの声は、笑顔の岩渕にばっさりと切り捨てられた。
女性育成委員会会長が、手を打ち鳴らす。笑みは消えて、いつもの険しい表情に戻っていた。
「切り替えましょう。この話はこれでおしまい。次は予算の確認よ。資料、持って来て」
「は、はいっ」
岩渕の指示に山田が飛び上がり、中里は慌ててテーブルの上に資料を広げ始める。
ケイトは────冷たくなった指先を、ただひたすら握りしめることしかできなかった。
(どうしてそうなるの)
どれだけ手に力を込めても、指先は冷えきったままだった。
熱が、戻って来ない。
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