18、ふわとろ卵のオムライス
午前十一時。
出発ぎりぎりまでああでもないこうでもないと悩んだ結果、白いブラウスに灰色のジャケットと灰色のスカートを選んだ。足元も灰色のパンプスだ。バッグは革製に見えるものを選んだ。
黒と最後まで迷ったが、灰色の方がまだ重く無いだろうと判断した。これなら偉い人が来ても大丈夫だろう。
そう思っていたのに────
「あら、珍しい格好してるのね」
「め、珍しい格好…………」
「ちょっと、勘違いしないでよ。新鮮だったって意味よ」
待ち合わせ場所に指定されていた
ケイトが身につけているのは、紺色のパンツスーツだ。今はジャケットを脱いで、白いブラウス一枚になっている。足元はスーツと同じ、紺色のハイヒールだ。
ネックレスや指輪、イヤリングなどの装飾品は着けていない。化粧もいつも通りだ。だが、何故か周りがきらきらと輝いているように見える。
(そうだったー! ケイトさん、女優も涙目の超美人だったー!)
首元のボタンをいくつか外し、ジャケットを肩に担ぐ。行儀にうるさい年配者の目に入ったら怒鳴られそうな着崩し方をしているのに、それが不思議と様になる。
こんなことなら、もっとかっちりしたスーツを着てくるべきだったと、今更ながら美夜子は後悔した。
何を着たところでケイトの隣に立った途端に、その努力は水の泡になりそうな気がするが。
「さっきから何変な顔してるの?」
「いえ、何でもないです。事実を再確認したというか再認識したというか」
「事実って?」
「ケイトさんは美人だなあ、と」
「あらそう」
ケイトはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「ありがとう。褒められるのは大好きよ」
「そういう悪そうな顔にも華があるんだから、凄いですよね…………」
「いつまでそれ続けるの? 早く行くわよ」
「あ、はい。すみません」
早足に歩き出したケイトの後を、美夜子は慌てて追いかけた。
ケイトが選んだ店は、
「予約していた珠野です」
「珠野様、二名様ですね。お待ちしておりました」
出迎えに来た店員に案内され、美夜子とケイトは席についた。
一條の名前で予約をすると大騒ぎになるので、こうして食事に行く時は、大体ケイトは一緒に行く相手の名前を借りている。
店内には卵を模したランプが吊るされ、橙色の暖かな光を灯していた。
店員の制服は、たすき掛けをした着物に袴、それにエプロンだ。女性店員は淡い桜色、男性店員は紺色と色分けされている。
「はい、これ。好きなのどうぞ」
当たり前のように美夜子をソファ席に座らせ、自分はその向かいに収まると、ケイトはメニュー表を美夜子に向かって差し出した。革のような手触りの、重みのあるメニュー表だ。
この店の内装や、店員の制服、メニューなどは、〈アズマ〉がまだ〈ニホン〉だった頃、外国の文化を受け入れ始めた頃の時代を模しているらしい。浪漫を追求した結果なのだと、メニューの表紙に書かれていた。
値段は昼食にしてはやや高めだ。だが、月に一度のご褒美ぐらいでなら、美夜子でも手が届く。
「ふわとろ卵のオムライス…………卵サンド、卵サラダ、エッグマフィンにプリンにカスタードケーキ、絶対美味しい、みんな美味しい、天国!」
「みゃあこは卵好きだものねえ」
「大好物です!」
メニューの端を両手で握りしめつつ歓声を上げた美夜子を、ケイトは穏やかに見つめていた。
しばらくあれこれと悩んだあと、美夜子はふわとろ卵のオムライスとプリン、ケイトは卵サンドを注文した。
ふわとろ卵のオムライスは絶品だった。
半熟の卵はまさにとろけるようで、濃い黄色とデミグラスソースの色合いが美しい。チキンライスは甘めだが、卵の美味しさを引き立たせるような味つけになっている。
美味しい美味しいと連呼しながら食べていたら、ケイトが卵サンドを一切れ寄越してきた。有難く頂き、代わりにオムライスを取り皿に分けてケイトに渡す。
「卵サンド、美味しいですねえ」
「さすが、特集されるだけあるわ」
あっと言う間に平らげて、後は美夜子のプリンと食後のコーヒーを待つだけになった。
「美味しいのって幸せですねえ。プリン楽しみです」
「みゃあこ、ほんと美味しそうに食べるわよねえ。でも気に入ってもらえて良かったわ。休みの日に引っ張り出しちゃったし」
「ケイトさん、休みの日はいつもこんな感じなんですか? ほらその、おうちの仕事」
「…………私は、正妻の子じゃないから。なかなか関わらせてもらえなかったんだけど、最近やっと手を出せるようになったわ」
一條ケイト・
「
ケイトの声が低い。きっと、美夜子の知らないところで、不愉快な思いや悔しい思いをして来たのだろうと思う。
「ケイトさん頑張り屋さんですから。でもあんまり無理しないでくださいね。隊長が倒れたら大変です」
「ありがとう。倒れない程度に頑張るわよ」
店員が、食後のコーヒーとプリンを持ってきた。
プリンはクリームや果物などが一切添えられていない、シンプルな固めの焼きプリンだ。
スプーンを片手に歓声を上げる美夜子に、ケイトが言う。
「そうそう。この後の視察だけど、岩渕さんも一緒だから」
「岩渕さん? まさか『もっと気軽に中絶を!』の岩渕さんですか?」
────あえて強い言葉を使います。児童保護施設に暮らす子供達は、生まれるべきではなかったのです!
画面を睨みつけ、忌々しそうに吐き捨てた中年女性の姿が脳裏に浮かぶ。〈笑顔の里〉の教師達にそっくりだと思ったことも。
「そうよ。元々岩渕さんだけの予定だったところを、割り込ませてもらったの」
食後のコーヒーを一口飲んで、ケイトは言った。
「あんなことを平気で言う人が視察して、何をするつもりなのか────ちょっと気になるじゃない?」
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