17、ちょっと後悔している

 昼間は危険なA地区だが、夜は至って平和だった。

 無事に夜間待機を終え、日中巡回担当の第二部隊と第四部隊に引き継ぎをする。

 守護兵団ガーディアン本部に一度戻り、解散前の朝礼を済ませ、私服に着替えれば後は帰って寝るだけだ。

 夜間待機明けの次の日は、休日である。

「あー、うー」

 いつもなら昼過ぎまで寝ている美夜子だが、その日は午前八時には起きていた。

 寝ぼけ眼のまま朝食を摂り、さて着替えようとクローゼットに向かい、ぴたりと動きを止める。

「··········偉い人、来るよなあ」

 今日は、ケイトと一緒に〈やすらぎの園〉の視察に行く日である。

 普段のケイトの振る舞いのせいもあって、あまり意識することはないのだが、守護兵団ガーディアン第五部隊NO.5隊長、一條いちじょうケイト・優里愛ゆりあは、この〈アズマ〉を統べる五大家の頂点、一條家の令嬢である。

 故に、ケイトには守護兵団ガーディアン第五部隊の隊長の仕事の他に、一條家の人間としての仕事があるのだ。

 今回の〈やすらぎの園〉の視察はまさにそれである。

 おそらく視察に行くのはケイトだけではない。他の一條家の人間や、評議員など、地位の高い人間が来るだろう。

 午前十一時に、守護兵団ガーディアン本部の前でケイトと待ち合わせをしている。休みを潰して一條の仕事に付き合ってもらうからと、ケイトが昼食を奢ってくれることになっていた。

 〈やすらぎの園〉に視察に向かうのは、午後二時。その時には、きっとケイト以外の偉い人と顔を合わせることになる。

「何着ていけば良いかな」

 化粧はいつも通りで良いとして、問題は服装だ。

 通勤時の服装の規定がないのを良いことに、今まではその日の気分や気温で着たい物を選んでいた。

 ケイトに一緒に食事をするだけなら、今までと同じで良いだろう。

 だが、今日はケイト以外の偉い人とも顔を合わせるのだ。気分や気温だけでは決められない。

「デニム…………は、論外。やっぱスーツじゃないと駄目か。ワンピースはパーティーっぽいし。パンツスーツ…………いや、スカートのが格が上なんだっけ? そこまで気にする必要ないか」

『一條の街はッ! 俺が! 護るッ!!』

 クローゼットの中に頭を突っ込み、ああでもないこうでもないとぶつぶつ独り言を零す美夜子の背後で、勇ましい青年の叫び声が響いた。

 テーブルの端に置いた、小型のノートパソコンから、短調の勇壮な音楽が流れる。

 無音なのは寂しいから、とBGM代わりにニュースを流していたのだ。

 服装選びに必死でほぼ見ていないが、確か最近できたばかりの飲食店についての特集をしていた。ふわふわの卵が口の中で蕩けて最高らしい。今はどうやらCMに入ったようだ。

 瓦礫だらけの荒野の中を、赤と黒の大型バイクが疾走している。

 カメラが少し引き、画面の右側に炎模様ファイアパターンのライダージャケットを羽織った青年が現れた。左腕でヘルメットを抱えて、爽やかな笑顔を浮かべている。

 燃え盛る炎のような赤い髪と赤い瞳。人懐っこい笑みを浮かべているせいか、少し幼げに見えるが、年齢は二十歳を超えるか超えないかといったところだろう。

 彼の足元には、「守護兵団ガーディアン第一部隊NO.1英雄ヒーローサラマンダー、火村ひむら勝利しょうり」という文字が表示されていた。

「サラマンダー、結構可愛い顔してたんだねえ」

 クローゼットからノートパソコンに視線を移して、美夜子はしみじみと呟いた。

『待たせたなッ! 守護兵団ガーディアン第一部隊NO.1! サラマンダーだ! 英雄様ヒーローが助太刀に来たぜえええッ!』

 聞き覚えのある台詞と共に、サラマンダーの身体が赤い光に包まれる。

 赤と黒の炎模様ファイアパターンはそのまま、ライダージャケットが甲冑に、ヘルメットが兜に変化する。

 〈クリスタ〉の物語に出てくる騎士のようだ。右手には、彼の身長とほぼ同じぐらいの大剣が握られていた。

 赤い騎士を乗せた大型バイクは走り続けた。その向こうに、小型災厄獣の群れがいる。

「ああ、これ、リョウくん見つけた時の…………」

 災厄獣の数は二十以上。守護兵ガードマンでは対処しきれない数だ。

 だが、サラマンダーは全く怯むことなく、たった一人で群れの中へと突入した。

 大型バイクが停止する。災厄獣が、驚いたように目を見開いた。

『準備運動にはちょうど良いんじゃねえの』

 顔の半分以上が兜で隠され、露出しているのは口元だけだ。それでも、サラマンダーは不敵に笑っていると、美夜子は思った。

 災厄獣が腕を振り上げ、口を開けている。その内の一匹に剣を突きつけ、サラマンダーは言った。

『さあ、死にたい奴から掛かって来なッ!』

「これ、どうやって録ってるんだろ」

 確か、英雄ヒーローが操る光の研究のために、彼らが出動する時はドローンによる撮影が行われていたはずだ。

 その時の映像が、こうしてCMとして使用されている。

 BGMが変わった。更に激しく、力強いものになった。

 サラマンダーが剣を一振りするだけで、災厄獣が真っ二つになる。剣の先から放たれた炎に吹き飛ばされた災厄獣は、火達磨になって踊った。

 災厄獣がいくら咆哮を浴びせても、サラマンダーは涼しい顔だ。鋭い鉤爪を振り下ろしても、少し身体を捻る程度で回避されてしまう。

 二十匹以上いたはずの小型災厄獣の群れは、あっと言う間に殲滅された。サラマンダーが大剣を肩に担ぎ、宣言する。

『────任務完了』

『こうして、英雄ヒーローサラマンダーの活躍により、一條の街の平和は守られた』

 締めは、サラマンダーとは別の男性のアナウンスだ。低く落ち着いた声だが、何故かはしゃいでいるように聞こえてしまう。

『君も守護兵ガードマンになって、英雄ヒーローを目指そう! 訓練生募集中!』

「…………」

 ────あの日。

 災厄獣に襲われていた、リョウとユイを助けた日だ。少年二人と少女一人を助けられなかった日でもある。

 安田やすだけん

 梶村かじむら雄太郎ゆうたろう

 坂崎さかさき歩美あゆみ

 このうち、安田健だけは発見された時にまだ息があったと聞いている。

「もう大丈夫だ、あと少しだけ頑張れ」と森村が声を掛けた途端、安心したようにふっと笑みを浮かべ────森村の腕の中で、息を引き取った。

 リョウは軽傷とはいえ、全身傷だらけだった。

 ユイは一命は取り留めたが、災厄獣に右腕を食いちぎられている。

 また、二人を保護する時に、美夜子と中山の二人が負傷した。

 このCMの中では、そんな悲劇はなかったことになっている。災厄獣の群れを華麗に倒す英雄ヒーローがいるだけだ。

「なろうと思って英雄ヒーローになれるんなら苦労しないんだよねえ」

『九時! 九時九時!』

 苦々しく呟いたところでCMが終わり、再びニュースが始まる。目覚まし時計を模したキャラクターが無邪気に現在の時刻を告げてきた。

 そこで、ようやく我に返る。

「おっと、いけないいけない」

 ケイトとの待ち合わせは十一時。遅くとも、九時四十分ぐらいには家を出たい。

 美夜子は再びクローゼットの中に首を突っ込み、ああでもないこうでもないと自分の服相手に格闘をし始めた。

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