16、好きなだけ喚いてろ
夜の十時。
女性教師に指示された通りに、美夜子と鈴子は昼間に奉仕活動を行っていた部屋の中に居た。
「寒いね」
両手を擦り合わせ、少しでも暖を取ろうと努力しながら鈴子が言う。同じようにしながら、美夜子は小さく頷いた。
既に消灯時間は過ぎている。他の子供達は、身を寄せあうようにして眠っているはずだ。〈笑顔の里〉の中はしんと静まり返っていた。
部屋の中には、美夜子と鈴子しかいない。教師の姿はなかった。
それから一時間ほど経ち、本当にこの部屋で合っていたのかと不安になったところで、ようやく昼間の女性教師が現れる。
女性教師は、最初に鈴子、それから美夜子の方を見て、わざとらしく片方の眉を上げて見せた。
「お前達のような常識知らずの無礼者が時間を守るとは思えませんでしたが、どうやら奇跡的に時間通りにやって来たようですね」
「··········」
「〈笑顔の里〉の先生方の教育の賜物です。感謝しなさい」
「··········。はい、ありがとうございます。先生」
「ふん。最後まで、お前達は心を込めて感謝するという事が出来ませんでしたね。口先だけでは意味が無いと、何度言えば理解するのか」
女性教師は、美夜子と鈴子を見下すように顎を上げた。
美夜子は奥歯を噛み締める。
所詮、大人などこんなものだ。子供を見下し、罵倒し、支配することに悦びを覚える。
お前達のためにこんなに苦労をしてやっているんだと怒鳴り散らし、感謝が足りないと大仰に嘆いて見せる。
だが、それに耐えるのも今日までだ。『成人の儀式』さえ終われば、自由になれる。
「『成人の儀式』は、一人で成し遂げなければなりません。群れなければ何もできないお前達には到底達成することなどできないでしょうけれど、精々頑張りなさい」
「はい。ありがとうございます、先生」
「まずは、お前から」
女性教師は、鈴子の方を指さした。
「多忙なわたくしが、わざわざお前の『成人の儀式』のために、こんな夜中まで時間を割いてやっています。心優しく生徒思いの先生を持ったことに感謝なさい」
「··········感謝します、先生」
鈴子の言葉に、女性教師はわざとらしいため息をついて見せた。
「せっかく最後の機会をくれてやったと言うのに、それすら無駄にするのですね」
「··········」
「まあ、良いでしょう。お前のような失敗作に期待したわたくしが馬鹿でした。これ以上、時間を無駄にするわけにはいきません。ついて来なさい」
女性教師はくるりと背を向けて、すたすたと歩き出した。
その背中に向かって、美夜子は思いっきり舌を出す。鈴子が声を立てずに笑った。
「じゃあ、行くね」
「うん」
「頑張ろうね、みやちゃん」
「うん、鈴ちゃん。頑張ろう」
鈴子が右手を差し出してきた。両手で包むようにして、それを握る。
美夜子の手も、鈴子の手も、どちらも氷のようだった。
けれど、鈴子の手を握った時、ほんの少しだけ胸の奥が暖かくなったような気がしていた。
それから、しばらくの間、美夜子は一人で待たされていた。
まさか忘れ去られたのではないかと不安になったところで、ようやく女性教師が現れる。
「どうしてお前なんかのために、わたくしが働かなければならないのでしょうね。こんな真夜中に。残業代など出ないのに」
「··········」
「教師は聖職。やって当たり前。できて当たり前。どれだけ無能でどうしようもない駄目な生徒の担当になったところで、その努力や労力は評価されません」
「··········」
「お前のような失敗作のために、わたくしを始めとした多くの先生方が、多忙ななか貴重な時間を割いて、大変な努力をして育ててやったのですよ」
「··········」
「あら、聞こえない振り? 言いたいことがあるなら言いなさい。馬鹿なお前にわかるように、先生が優しく説明してあげますよ」
────どうせ何を言ったところで、罵倒しかしないくせに。
喉元までせり上がってきた反論を無理やり飲み込んで、美夜子はただひたすら歯を噛み締めていた。
女性教師が睨みつけてくる。それでも無言を貫いていると、女性教師はこれみよがしにため息をついてみせた。
「だんまりですか。都合が悪くなるとすぐこれ。最近の若者は本当にどうしようもない馬鹿者ですね」
歯を噛み締めるだけでは足りなかった。
両手を強く握りしめ、女性教師の罵倒を聞き流す。
「これ以上の指導は時間の無駄です。ついて来なさい」
女性教師が美夜子に背を向けて歩き出した。両手を強く握りしめたまま、その後に続く。
あちこち錆び付いた大きな門をくぐり抜け、美夜子は生まれて初めて〈笑顔の里〉の外に出た。
門の向こうには、人の足で踏み固められた土の道が続いている。細い道の両脇には鬱蒼とした森が広がっていた。
空気が冷たい。吐いた息が白かった。
美夜子の前をすたすたと歩く女性教師は分厚いコートを羽織っているが、美夜子はいつも身につけているぺらぺらな灰色の上下だけだ。
女性教師の後を追い、ひたすら足を動かすことだけに集中していると、突然開けた場所に出た。
月明かりの下で、壁に大きなひびが入った建物や、上の方が崩れかけたビルの影が、くっきりと浮かび上がる。
「ここは、
女性教師の言葉に、美夜子は思わず息を呑んだ。
「A地区って··········災厄獣が出るところじゃないですか!」
災厄獣の恐ろしさは、教師達から叩き込まれている。
爬虫類の頭、獣の胴、鋭い鉤爪の手足。雑食性で、人間すら捕食する化け物。
外には災厄獣がいるから、決して〈笑顔の里〉から出てはいけないと言い聞かされてきた。そんな化け物から守ってやっているのだから、教師達に感謝しろとも。
握りしめた拳が、無様に震え始めていた。噛み締めていなければ、歯が鳴ってしまいそうだった。
(────寒いからだ)
美夜子は、必死に自分に言い聞かせた。
この震えは、寒さのせいだ。恐怖などではない。寒空の下に薄着でいるから、震えてしまうのだ。
「そうですよ。『成人の儀式』は、この荒野を超えて、隣の
女性教師が、唇の両端を吊り上げた。生まれて初めて、大人の笑顔を見たような気がする。
「お前のような出来損ないでも、災厄獣の恐ろしさは知っているでしょう? 先生方のご指導の賜物です。感謝なさい」
女性教師が両腕を大きく広げた。不気味な程優しい笑顔を浮かべている。
「逃げても構いませんよ。今までの無礼を深く反省し、これからは先生方に決して逆らわないと誓うのなら、特別に〈笑顔の里〉へ戻ることを許してあげましょう」
「··········わかりました」
顔の内側が、カッと熱くなる。凍えきっていたはずなのに、顔だけが燃えるように熱かった。
胸の奥底が、どんどん冷たくなっていく。頭に血が上っているのに、妙に冷静になっている部分があった。
「反省する気になりましたか? それなら───」
両手を広げたままの女性教師に近付く。目の前で美夜子が片手を上げても、女性教師は薄ら笑いを浮かべたままだった。
その右頬を、平手で張り飛ばす。
「あがぁっ」
汚い悲鳴を上げて、女性教師が倒れ伏した。すぐに上半身を起こし、叩かれた右頬を抑えて、血走った目を美夜子に向ける。
美夜子は、それを冷ややかに見下ろしていた。
「おまえっ…………お前お前お前えぇぇぇっ!!」
女性教師が絶叫する。構わずに、美夜子は女性教師の脇を通り抜けた。
目の前には、廃墟が連なる荒野が広がっている。
「これだから最近の若者はっ! すぐに暴力を振るう! 無礼者っ、恩知らずっ、非常識な馬鹿者が!」
背中に女性教師の罵倒が突き刺さる。全て無視して、災厄獣と遭遇するかも知れない荒野を歩き続けた。
「お前みたいな甘ったれにできるもんか! この軟弱者! ひ弱! 役立たず! 無能!」
────大人など、みんなこんなものだ。
子供に向かって甘やかされている、無能だ、軟弱者だと罵声を浴びせながら、育ててやっていることを感謝しろと言う。
お前達のためにこんなに苦労してやっているんだと主張する。
子供の意思や気持ちは、全て無視するのだ。
大人にとって重要なのは、大人の心だけ。子供のことなどどうでもいい。
「お前なんか、災厄獣の餌になる価値すらない! お前なんか、お前なんか、生まれて来なきゃ良かったんだあぁぁぁっ!!」
(好きなだけ喚いてろ)
────これだから最近の若者は。無礼者。恩知らず。非常識。馬鹿者。甘ったれ。軟弱者。ひ弱。役立たず。無能。お前に価値はない。お前なんか生まれなければ良かった。
どれもこれも〈笑顔の里〉の大人達言われ続けてきた言葉だ。物珍しさや有難みなどとうの昔に失っている。
大人は子供のことを貶め、見下し、怒鳴りつけることさえできれば良いのだ。
「このろくでなしの恩知らずが! 自分がどれだけ甘やかされて来たのかを思い知れ! お前を育てるのにどれだけ金が掛かったと思ってる!」
女性教師の罵声は止まらない。
全て無視して、美夜子は歩き続けた。
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