15、望まれない子供、不幸な母親

 三十分ほど雑談に興じた後、そろそろ職場に行かなければと美夜子は立ち上がった。

「リョウくん、もうちょっと居る? 外に不審者居るかも知れないから、もし何だったら送って行くけど」

「あ、大丈夫です」

 もちろん、不審者とは中里をはじめとした〈やすらぎの園〉の職員のことだ。

 リョウがうっすらと苦笑する。

恵美めぐみさんが迎えに来てくれることになってるので。あの··········落ち着くまでは、一人で出歩かない方が良いって言われてて」

「そっか、恵美さんが来るんなら大丈夫だね」

 恵美は、高崎の妻である。

 すらりと背が高く、艶やかな黒髪が印象的な美しい女性だ。

 今は専業主婦だが、数年前までは守護兵ガードマンとして災厄獣の喉奥に赤光刃を叩き込んでいた。

 巡回中の怪我が元で、右目の視力が著しく低下してしまったため引退を余儀なくされたが、不審者如きに遅れを取るような人ではない。

「すみません。迷惑掛けて··········」

「気にしない気にしない。リョウくんは何にも悪いことしてないんだから。駄目なのは不審者の方だよ」

 リョウとユイに拒否されたが、〈やすらぎの園〉の職員はまだ二人を諦めていなかった。何としても、子供たちの勝手な家出として処理したいらしい。

 中里のような〈やすらぎの園〉の職員の他にも、下世話なスクープを求めている記者もいる。

「何かあったらすぐ連絡してね。悪いやつなんかまとめてぶっ飛ばしてやるから。ほら見て力こぶ」

「あはは··········」

「珠野さん、全然出来てなーい」

 リョウとユイに向かって、腕を曲げて叩いて見せる。

 高崎や中山のように、立派な力こぶは出来なかったが、礼儀正しい二人は素直な笑顔を見せてくれた。




 本部に出勤し、私服から紺色の戦闘服に着替えて、守護兵ガードマンとしての装備を整えた後。

 守護兵団ガーディアン第五部隊の隊員たちは、戦闘車両に乗り込んで、外層街がいそうがいの外れにある監視塔まで向かった。

「お疲れ様です。一番通りから三番通りまで、討伐数五体です。全て三番通りで発見。一番通りと二番通りでは災厄獣は発見していません」

「お疲れ様です。四番通りから七番通りまで、討伐数十二体。小型がうろちょろしてるくらいだ。変なのはいない」

 今日巡回担当だった、第六部隊と第四部隊からの報告を聞いた後、第五部隊の隊員たちは監視塔に入った。

 十三階建ての監視塔の最上階には、A地区内に仕掛けたカメラの映像を確認するためのモニタルームと、双眼鏡で監視をするためのバルコニーがある。

 その下には、守護兵ガードマンのための仮眠室や、トレーニングルーム、談話室などがあった。

 いざと言う時に備えて待機しているので、完全に気を抜くことはできない。

 だが、いざと言う時が来なければ、モニタの確認当番とバルコニーでの監視当番の時間以外は自由である。

 その日、美夜子と梨乃の担当は、午前一時から一時半までの間にモニタ確認、三十分の休憩後、午前二時から三時までの間にバルコニーで監視だ。

 午後七時。

 夕食を済ませた後、モニタ確認とバルコニー監視の担当者以外は、思い思いの時間を過ごしていた。

 美夜子は、五階の談話室へと向かう。

 革張りのソファのうちの一つに陣取り、美夜子はぼんやりと、談話室の液晶モニタを眺めていた。

 画面の向こうでは、険しい顔をした中年女性が美夜子達を睨みつけていた。

 画面右上のテロップには、『望まれない子供、不幸な母親を産まないために』と表示されている。

「最近の若者は、命の大切さというものをまるで理解していません」

 顔の半分を覆うような大きな眼鏡を掛け、灰色のスカートスーツを身につけた、ショートカットの中年女性。

 彼女の隣には、白いシャツに緑色のエプロンを着た若い女性が、身を縮めるようにして立っていた。

 灰色のスカートスーツの女性は、女性育成委員会会長の岩渕いわぶち滋子しげこ

 エプロンの女性は、児童保護施設〈笑顔の国〉の職員、坂本さかもとあずさと言うらしい。

「性行為の結果が何を生むのか、若い人は理解していないのです。だから安易な性行為をする。その結果、子供が出来て、後悔するのは女性なんです」

 岩渕の声は低い。張り上げている様子もないのに、その声はよく響いた。

「遊びで行為に及んだ男性は、決して責任を取りません。逃げます。男性なら逃げられるんです。しかし、女性はできません」

 岩渕と坂本の姿が消えて、画面が切り替わる。

 児童保護施設〈笑顔の国〉の敷地内で、継ぎ接ぎだらけの古着を身につけた子供達が走り回る姿が映った。

「今、この一條いちじょうの街には、児童保護施設が八つあります。彼らの大半は、不幸な母親から産まれた、生まれて来ることを望まれなかった子供達です」

 ────生まれて来ることを望まれなかった子供。

 ソファの上で、美夜子は膝を抱えた。手が白くなるまで、強く握りしめる。

 外層街がいそうがいの一番外れ。監視塔の次にA地区やB地区に近い場所に、児童保護施設は集中している。

 収容されている児童の多くは、親に子育てを放棄され、捨てられた子供だった。

 画面が切り替わる。再び、岩渕と坂本の姿が現れた。

「この坂本先生を始め、児童保護施設の先生方は精一杯、限界まで努力をされています。しかし、命の大切さを理解できない若者のせいで、先生方の負担は増えるばかりです」

 岩渕が片手で坂本を示した。

 坂本が小さく頷く。

「あの、私達、一生懸命やってるんですけど、でも、どうしても人手が足りなくて、もっと子供たち一人一人に手や時間を掛けてあげたいんですけど」

「とにかく」

 岩渕が、坂本の言葉を遮った。一瞬、坂本を強く睨みつけたような気がする。

 坂本の肩が、怯えたように小さく跳ねた。

「あえて強い言葉を使います。児童保護施設に暮らす子供達は、本来、生まれるべきではなかったのです」

「そ、そんなことはっ」

「これ以上不幸な母親を増やさないためにも!」

 坂本の言葉は、再び岩渕に遮られた

「若い女性達への性教育の促進、また、もっと気軽に中絶手術が出来るよう、女性教育委員会会長として、私は────」

「ずいぶん辛気臭いもの見てるのね」

 画面が切り替わる。険しい顔の岩渕と、怯えた顔をした坂本の姿が消えて、露出度が高い衣装を着た女性アイドルが画面の中央に現れた。

 ちょうど、歌を披露している最中だったらしい。鼻に掛かった、誰かにしなだれ掛かるような甘えた歌声が響く。

 ────『女の子はみんなお姫様、ずっと王子様を待っているの』

「まったく、仕事してないで子供産めって言ったり、子供ができたら中絶しろって言ったり、どっちにすりゃ良いのよって感じよね」

 画面が再び切り替わった。今度は、お笑い芸人やタレント達のクイズ番組だった。

 リモコンを片手に持ったケイトが、美夜子の隣に腰を下ろす。もう片方の手には、缶ジュースが二本握られていた。

「飲む? オレンジとりんご」

「··········りんごでお願いします」

「はい、どうぞ」

 赤い缶を差し出され、ありがたく頂くことにする。握りしめていた両手を開いて、包むようにして缶を持った。

「ケイトさん、今大丈夫なんですか」

「藤谷君と代わったから大丈夫。今は休憩中」

 いざと言う時は指示を出す立場にある隊長のケイトや、副隊長の藤谷は、夜間待機の間、大体モニタルームに居る。談話室で顔を合わせるのは、珍しかった。

「あんなの真に受けることないわよ、みゃあこ」

 長い足を行儀悪く組んで、ケイトは手にした缶ジュースを飲み干した。

「最近の若者はー、とか。昔は良かったー、とか。言いたいだけなんだから」

「そうですよねえ··········」

 リモコンを膝に置き、空いた方の手で、ケイトは美夜子の肩を軽く叩いた。美夜子は大きく息を吐く。

 ケイトの言う通りだ。そう思う。だが────

 ────児童保護施設で暮らす子供達は、本来、生まれるべきではなかったのです。

 岩渕の言葉が、耳の奥にこびりついて離れない。

「ねえ、みゃあこ。ひとつお願いがあるんだけど」

「何ですか」

「今度の休み、〈やすらぎの園〉の視察に行くことになったの」

 〈やすらぎの園〉。リョウとユイが居た保護施設だ。

 十五歳になる少年少女に、『成人の儀式』と称して、災厄獣が跋扈するA地区へ放り出した施設である。

「『成人の儀式』については一條うちでも問題視しているわ。何とかしたいと思ってる。だから··········みゃあこ。急で悪いんだけど、あなたにも一緒に来て欲しいの」

「私も?」

(··········ん?)

 何かが引っ掛かった。

 災厄獣の活動時間は昼間だ。だから、夜の間はモニタ監視と双眼鏡での監視のみを行っている。

「児童保護施設への視察は、定期的にやってはいたのよ。でも、一條の人間だけでは見抜けなかった。だから、他の視点が欲しいのよ」

 児童保護施設の『成人の儀式』では、ロクな装備を持たせないまま、夜中に子供をA地区やB地区に放り出す。

 リョウ達の『成人の儀式』の日、夜間待機の担当だった第四部隊の隊長と副隊長は、子供たちの侵入に気づけなかったことをを厳しく追及され、その責任を取るために解任された。

 今日、引き継ぎの際に顔を合わせた第四部隊の隊長は、つい先日選定されたばかりの新任のはずである。

 また、監視カメラやモニタに不備はなかったかの確認や、カメラの死角の再調査、待機中の隊員たちの態度────例えば、モニタ監視担当が居眠りをしていなかったかなど────はどうだったのかの聞き取り調査が進められていると聞いている。

 監視カメラには死角がある。双眼鏡での監視でも、見落とすことはあるだろう。

 だが、まったく何の訓練も受けていない十五歳の少年少女が、一切カメラに映らず移動することなど────夜間待機をしていた守護兵ガードマン全員が、子供の姿を見落とすことなど、ありえるのだろうか。

「··········みゃあこ?」

 ケイトの声で我に返る。

 不思議そうに首を傾げ、こちらを覗き込むケイトに向かって、美夜子は慌てて両手を上げた。

「あ、はい。すみません。ちょっとぼーっとしちゃって」

「どうかしたの?」

「何でもない、何でもないですよ」

 ぱたぱたと顔の前で手を振ると、右手に持った缶ジュースがちゃぷちゃぷと平和な音を立てた。

「ええと、次の休みですよね。わかりました。お供します」

(··········気のせいだ)

 胸中で自分に言い聞かせる。

なんて、そんなこと…………そんなこと、ありえない)

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