12、悔しかったら大人になれ

〈笑顔の里〉の子供たちは、起床後、大食堂で朝食を済ませた後、施設の教師による『ありがたいお話』を聴く。

 午前中は国語や算数の授業があり、午後は奉仕活動の時間だ。

 奉仕活動は、曜日によってやることが分けられている。

 月曜日は、〈笑顔の里〉の清掃。

 火曜日は、普段お世話になっている教師に感謝の手紙を書く。

 水曜日は、造花や模型などの商品の作成。

 木曜日は、商品の袋詰め。

 金曜日は、〈笑顔の里〉の清掃。

 土曜日と日曜日は休日扱いだ。授業と奉仕活動が無くなり、教師の人数が減る。

 休みと言っても、〈笑顔の里〉の外に出ることは固く禁止されている。

 土曜日や日曜日は特にやることもなく、空きっ腹を抱えたまま寝るしかなかった。

「今年、成人の儀式を受ける者は、今すぐ私のところへ集まりなさい」

 その日は、木曜日。

 水曜日に作成した色とりどりの造花を、ひたすら袋に詰め込んでいる時に、いかにも不機嫌そうな女性教師の声が聞こえた。

 美夜子の他に、一人の少女が手を止めて、女性教師の元へ行く。

 子供達が集まるなり、女性教師は叩きつけるような怒声を上げた。

「多忙なわたくしがお前たちのためにわざわざ時間を割いてやっているというのに、何の挨拶もないのですか!」

「あ、ありがとうございます。先生」

「お忙しいなかお時間を割いて頂いたことに感謝します、先生」

「全く心がこもってないですね。指導されてから感謝の言葉を口にしたところで無意味です」

 それから女性教師は、挨拶の大切さや感謝の重要性について語り、最近の若者の躾がまるでなっていないことをひとしきり嘆いてみせた。

「わたくしがお前たちと同じぐらいの年齢の時は、挨拶を忘れたことなどありませんでした。これくらい、わざわざ指導されずとも、少しでもまともな頭があれば自然と身につくものです。それなのに、最近の子供と来たら────」

 こうなったら、女性教師の気が済むまで、美夜子たちはひたすら黙って耐えるしかない。

 五分ほど罵倒を続けた後、女性教師はわざとらしく咳払いをした。ようやく本題に入る。

「今年、お前たちは十五歳になりました。わたくしをはじめとした先生方の、絶え間ない努力のおかげで、お前たちは『成人の儀式』に参加する資格を与えられたのです」

「はい、ありがとうございます。先生」

 少女達の相槌に満足したのか、女性教師は横柄に頷いた。

「よろしい。では、今夜十時にもう一度この部屋へ集まりなさい」

「あの、すみません。先生」

 美夜子の隣にいた少女が、思い切ったように手を上げた。その途端に、女性教師の顔がぐしゃりと歪んだ。

 眉間にシワが寄り、唇がへの字にねじ曲がった。不愉快であることを全く隠そうともせず、低い声で言う。

「誰ですかお前は。他人にものを尋ねる時は名を名乗りなさい」

「申し訳ありません。先生。野々宮鈴子と申します」

「まったく最近の若者はこれだから。わたくしが子供の頃は、お前達のような礼儀知らずの失敗作など、こんなにたくさんいませんでしたよ」

 〈笑顔の里〉の教師は、子供達の名前を覚えようとしない。子供に自分の名前を名乗ることもない。

 教師同士が名前を呼び合うことはあるが、子供が教師の名前を呼ぶことはない。

 うっかり名前を呼んでしまうと、「常識知らずの半人前が偉大なる先生の名前を穢した罪」で反省室送りにされてしまう。

 だから、このやり取りは、教師と子供の挨拶のようなものだった。

「ご指導に感謝します、先生。あの、成人の儀式の後は、〈笑顔の里〉に戻ることは無いと聞きました。何か準備する物、用意すべき物はありますか?」

「お前…………お前は!」

 女性教師が大きく目を見開いた。鈴子に向かって人差し指を突きつけ、怒鳴り声を上げる。

「お前達はこの〈笑顔の里〉でいったい何を学んで来たのですか。何の生産性もなく無力で軟弱なお前達が今まで呑気に生きて来れたのは、一体誰のおかげだとお思い? 非常識なお前達には到底わからないでしょう。教えてあげます。感謝なさい。この〈笑顔の里〉で働く、わたくしたち先生のおかげです!」

 女性教師の怒りは止まらない。こうなったら、子供達は、教師の気が済むまで怒鳴られ続けるしかない。

「お前達は感謝すべきなのです。今まで〈笑顔の里〉の先生方に育てて頂いたご恩を思えば、そんな無礼で図々しい質問など口が裂けても言えないでしょう!」

「申し訳ありません。先生」

「口先だけの謝罪など何の意味もないと、何度言えばわかるのですか!」

 鈴子が謝ったところで、女性教師の怒りは収まらない。

 女性教師はその後三十分ほど怒鳴り散らした後、ようやく満足したのか、

「本来ならば反省室行きになってもおかしくないほどの愚かな行いですが、今回は特別に許しましょう。心優しい先生を持ったことに感謝しなさい」

「はい、ありがとうございます。先生」

「今夜十時、この部屋に来るのですよ」

「承知しました。ご指導に感謝します、先生」

 女性教師は、最後に二人を強く睨みつけた後、乱暴な足音を立てて去って行った。

 大人の姿が完全に見えなくなった後に、美夜子と鈴子は揃って大きく息を吐いた。鈴子が両手を合わせて謝罪してくる。

「ごめん、みやちゃん。失敗した」

 頭を下げる鈴子に対して、美夜子はひらひらと片手を振った。

「大丈夫だよ。あいつら、何でキレるか全然わかんないし。運が悪かったんだよ」

 今回は質問をしたことで怒鳴られたが────大人達はあくまでも「指導」、「叱ってやっている」と言い張るが────、何かを言いつけられた後、何を準備すれば良いのかを尋ねなかったために「やる気がない」と決めつけられて怒鳴り散らされることもあるのだ。

「あともうちょっとだよ、鈴ちゃん」

 何を切っ掛けにして大人が怒鳴るのか、子供にはわからない。

「『成人の儀式』さえ終われば、自由なんだ。頑張ろうね」

 『成人の儀式』を乗り越えて、大人になれば────子供ではなくなれば、自由になれるのだと、信じていた。

 

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