5、必要な嘘

 少女を乗せた担架が、三号車の壁に固定される。

 彼女を背負ったままここまで全力疾走してきた朔間の膝が、がくんと崩れかけるが、ぎりぎりで持ち直した。

 中山が運転席の梨乃に向かって言う。

「出してくれ」

 戦闘車両が動き出す。担架が固定されていない壁に背を預けた中山が、大きく息をついた。右腕がだらりと不自然に垂れている。

「中山さん、腕…………」

「ああ。ちょっとやらかしてね。美夜子ちゃんほど酷くはないから、大丈夫だよ」

「私だって元気ですよ」

「担架に乗ってる子に言われてもなあ」

 中山健吾。今年で三十らしい。身長は百八十センチを超える長身だが、かなり細身だ。針金のようだとよく言われている。

「ほんとは俺が運ばなきゃだったんだけど、こんなザマだったから。朔間に頑張ってもらうしかなかったんだ」

 朔間────朔間さくまうららは、少女の担架の傍で膝をついていた。少女に縋り付くように、その左手を握りしめている。

 年齢は、美夜子と梨乃の間あたりの二十代半ば。肩の上で切りそろえた黒髪が、汗で頬に張り付いている。

 身長は美夜子よりやや低いくらいで、守護兵団第五部隊の中で一番小柄な守護兵ガードマンかも知れない。

「ユイちゃん、もう少しだよ。すぐに治してあげるから。もう少し、もう少しだけ頑張って」

 担架の上の少女は、小柄な朔間と同じぐらいの体格だった。

 右腕の肘から先を災厄獣に食いちぎられ、身体の半分が赤く染まっている。止血のために包帯で傷口の周りをきつく縛っていた。

 担架の上に、艶を失った長い髪が広がっている。血の気が引いた顔は青白く、呼吸も弱々しいが、少女には意識があった。

 朔間の言葉に小さく頷き、掠れた声で言う。

「リョウくん、は…………?」

「ユイ!」

 後部座席から身を乗り出すようにして、リョウが叫んだ。両手を固く握りしめ、目を大きく見開いてユイを見つめている。

「いるよ、ユイ。俺、ここに!」

「リョウくん…………よかった」

 青白い顔をしたユイが、安心したようにふわりと微笑む。

 それから彼女は、当たり前のように続けた。

「ケンちゃん、は…………それに、ユウくん。アユちゃんも。私、必死で…………はぐれちゃったから…………」

 リョウと朔間が、息を呑む。

 美夜子は、つい先ほど耳にした高崎からの通信を思い出していた。

 ────…………高崎だ。A地区五番通り、少年二名の遺体を発見。生存者捜索を続行する。

 大丈夫だと言わなければ。今のユイは、かなりの重傷を負っている。

 こんな状態で、もしかしたら仲間の少年二人が亡くなったのかも知れないなどと、伝えられるはずがない。

「みんなも来るよ」

 そう言ったのは、リョウだった。

 手が真っ白になるまで握りしめ、震えそうになる身体を必死に抑え込みながら、何とか笑顔を作ろうとしている。

「後から、来るんだ。みんな。だから、大丈夫」

 ユイの左手を握ったまま、朔間は身を固くしていた。

 中山は、片手で両目を隠すように覆っていた。

 美夜子は、呆然とリョウを見つめている。

 運転席の梨乃は、通信機の音量を下げた。

 大人たちは何もできなかった。リョウだけが、ユイのために嘘をつき続けた。

「俺とユイは怪我してるから、先に行くんだ」

「そっか、そうだよね。良かった」

「うん」

「みんな後から来る。ケンちゃんも、ユウくんも…………あ、アユだって」

「そっか。良かったあ」

 リョウの瞳に、涙が浮かぶ。

 ユイにそれを見られてはまずいと思ったのだろう。少年は慌てたように片手で目元を拭って、後部座席の向こうに消えた。

 朔間が、ゆっくりと息を吐く。それから、穏やかな調子で言った。

「ユイちゃん、帰ったら、何食べたい?」

「帰ったら…………」

「帰って、治療して、しばらく入院しないといけないかもだけど、私、お見舞い行くからさ。何が良いかな」

 朔間の声は明るく、楽しげだった。きっと、努力してそうしている。

「なんだろう…………何が良いかな。私、甘いの好きだけど、ケンちゃんは苦手だから」

「そうなんだ。じゃあ、色々用意しないとだね」

「みんな…………みんなで食べれるのが、良い」

「みんなで食べれるのだね。うん。わかった。じゃあ、みんなが好きなのを買って行くよ。ユイちゃんは何が好き?」

「私…………私は…………」

「…………ふ、ぐっ、うぅぅ」

 朔間とユイの会話の合間に、小さな、本当に微かな嗚咽が、聞こえたような気がした。

 後部座席からだ。精一杯身体を捻って、美夜子はそちらを見た。

 中山と目が合う。

「中山さん、左手は動くんですよね」

「動くけど、担架から下りるための手伝いならしないからね」

「意地悪だなあ」

「あとでバレたら、ケイト隊長に怒られるのは俺なんだよ。…………心配なのはわかるけどさ」

 中山にそう言われて、美夜子はゆっくりと目を閉じた。

 担架の上で固定されたままでは、後部座席の様子はわからない。

 それでも────瞼の裏で、後部座席の向こう側で、身を丸め、口元を抑えて、必死に嗚咽を噛み殺す少年の姿が見えたような気がした。







 ────その日。

 守護兵団ガーディアン第五部隊は、軽傷の少年一名、重傷の少女一名を保護し、少年二名と少女一名の遺体を回収した。

 三十匹近くいた災厄獣の群れは、応援に駆けつけた英雄ヒーローサラマンダーによって、一匹残らず討伐された。

 保護された少年は、「児童保護施設の職員が成人の儀式と称して自分たちを街の外へ出した」と主張したが、施設側はそれを否定。好奇心旺盛な少年らが勝手に施設を抜け出したのだと主張している。

 重症の少女は右腕を災厄獣に食いちぎられていたが、幸い、一命を取り留めた。

 今は、公立市民総合病院に入院している。

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