4、英雄が来るまでの時間稼ぎ
目が覚めた途端、大きなつり目に睨みつけられていることを自覚した。
顔立ちは人形のように整っている。大きな瞳は暗い茶色。
肌は透き通るように白く、鼻筋はすっと通っている。唇は愛らしい桜色。
肩よりやや下まで伸ばした髪は瞳と同じ色で、顔の華やかさを引き立てるように緩く巻かれている。
百人の男とすれ違えば、きっと九十五人は振り返る。モデルか女優をやっていると言われても違和感はない。
そんな美貌に見蕩れていたら、急に左肩に激痛が走った。思わず悲鳴を上げる。
「いった、痛、いたたたたたたたっ! 痛い、痛いですケイトさん!」
「痛くしたんだから当たり前でしょうが」
可憐な桜色の唇から、屈強な大男ですら震え上がるような低い声が漏れた。
彼女はこれ以上ないほど酷く腹を立てているようだった。
「まったく、
「あ、あの時はそれくらいしか思いつかなかったんですよぅ…………あ! ケイトさん、あの子は? 私、ちゃんと抱えてたはずなんですけど、男の子!」
「梨乃がついてるわ。あっちこっち怪我だらけだけど、生きてるわよ。みゃあこ、あんた梨乃にも謝っときなさいよ。めちゃくちゃ心配掛けたんだから」
無骨な四角い戦闘用車両が三台、美夜子たちを取り囲むように停められている。
車に設置された通信機は、ひっきりなしに隊員たちからの報告を伝えていた。
〈
〈高崎だ。四番通りで災厄獣を確認した。排除する〉
崩れかけたビルの壁に、A地区全体の地図が投影されている。その中を忙しく動く赤い点は、守護兵団第五部隊隊員の現在位置だ。
〈こちら藤谷。A地区六番通りの災厄獣、二十四匹を確認。全て小型です。今のところはただのんびりと歩いているだけですが…………〉
「わかってるわ、藤谷くん。無理な交戦はしないで。ただ、連中の位置は知りたいわ。見失わないようにそのままついて行って」
〈承知しました〉
美夜子の相手をしながら、ケイトの意識は壁に向けられている。
負傷者用の担架の上に、美夜子は仰向けに寝かされていた。
身体中のあちこちに鎮痛剤を染み込ませた湿布が貼り付けられている。左腕には添え木があてられていた。
身を起こそうとすると、身体の左側に嫌な痛みが走る。
「ちょっとは大人しくしてなさい」とケイトに窘められ、起き上がるのを諦めた。
少し離れたところに、梨乃と少年がいる。
少年は美夜子と同じように担架の上で、身体中湿布だらけだったが、上体を起こすだけの元気はあるようだった。
美夜子の視線に気づいたのか、少年の近くで片膝をついていた梨乃が立ち上がる。まっすぐこちらに近付いてきた。
「おでましね。梨乃、しっかりお説教してやりなさい。この子、私の言うことなんか全然聞かないんだから」
「はい、隊長。任せてください」
口元にうっすらと笑みを浮かべ、ケイトは美夜子から離れていった。
入れ替わるように、梨乃がやって来る。
「美夜子先輩」
「や、やあ梨乃ちゃん」
目が据わっている。ケイトと同じか、それ以上に腹を立てているように見えた。
「私、ものっすごく大変だったんですからね」
「そ、そっか。ご、ごめ────」
「
「ちょっと待って梨乃ちゃん。あの災厄獣、生きてたの? 至近距離であの爆風浴びたのに?」
思わず、梨乃の言葉を遮る。
あの後、災厄獣がどうなったのかまでは確認できていなかった。
しかめ面の梨乃が言う。
「そうですよ。多分先輩の狙いは、
「ああ、うん。それもあるけど、できたらあれでとどめを刺したいなーってのも少し…………いや割と大分期待してたんだけど」
確かに災厄獣の急所は、喉奥だけである。
それ以外の部位は、いくら傷つけても致命傷にはならない。災厄獣の怒りを買うだけだ。
だが、あの災厄獣は既に手負いだった。急所である喉奥でなくとも、とどめの後押しになるのではと、多少期待していたのだが。
「多少よろけてましたけど、ぴんぴんしてましたよ。なんとか仕留めましたけど。それまでは良いんですけど、問題はその後ですよ。美夜子先輩もリョウくんも気絶してましたし、私一人じゃ二人同時に運べません。どちらかを隠して順番に運ぶのも考えたんですけど、災厄獣の群れが近くにいるってわかってるのに、気絶した怪我人放置して離れられますか?」
「ご、ごめん。梨乃ちゃん、ほんとごめんなさい」
「謝らなくて良いですよ。そもそも、私が仕留めきれなかったのが原因ですし。でも、美夜子先輩、私、本当に────」
「みゃあこさん」
か細い少年の声がする。
いつの間にか、担架から降りた少年が、美夜子達の方に近づいて来ていた。
少し右足を引きずっているが、自力で立って、歩いている。
「やあ、リョウくん…………で合ってるかな」
「は、はい。佐伯リョウ、と言います」
リョウは、服の端を両手で握りしめていた。梨乃が励ますように、少年の肩に手を掛ける。
「お、俺…………今年で十五になって。成人の儀式、やらなくちゃいけなくて」
「成人の儀式?」
「先生に言われたんです。この街を出て、荒野を越えて、隣の街にたどり着いて、やっと一人前の大人になれるんだって」
「…………。そっか」
隣の街は、このA地区を超えて、更に百キロ以上離れている。
徒歩で、ましてや子供の足でたどり着ける距離ではない。
「夜のうちに、皆で外に出て。頑張って歩いてたんですけど、昼ぐらいから、あいつらが出てきて」
「…………」
「俺たち、五人、居たんです。でも、ばらばらになっちゃって」
少年の、細い膝が崩れた。
服の裾をつかんでいた手が口元に移動する。がたがたと震えながら、それでもリョウは喋ることを止めなかった。
「五人、居たんです。俺たち。でも、さっきの化け物が出てきて、成人の儀式が終われば、隣の街にさえ着けば、もう自由なんだって思ったのに」
右手を彼の方へ伸ばした。
───大丈夫だよ。他の子も、必ず見つけてあげる。
そう言ってやりたいのに、言えなかった。
代わりに、少年の腕に触れる。肩までは届かなかった。
「リョウくん…………頑張ったね」
〈朔間です。A地区五番通りで少女一名を保護。右腕を食いちぎられています。応急処置はしました。これから戻ります〉
通信機から、早口にまくしたてる女の声が流れた。既に走り出しているのか、息が荒い。
ケイトが噛み付くように応える。
「ここまで戻って来たら、そのまま街まで戻りなさい。三号車を使って」
〈承知しました〉
朔間の言葉に小さく頷き、ケイトが美夜子の担架まで戻ってくる。頭側に回り込み、担架の端を両手でつかんだ。
「梨乃は足側をお願い。この馬鹿を三号車まで運ぶわよ」
「わかりました」
「ば、馬鹿ってひどい!」
美夜子の抗議は、あっさりと無視された。
梨乃がリョウから離れて、足の方に回る。
一人取り残されたリョウは、まだがたがたと震えていた。
梨乃とケイトが動き出すと、彼は大きく息を吐き、それから口をへの字に曲げて、手の甲で乱暴に目元を擦っていた。
「自分で歩けるわね、リョウくん」
「··········はい」
ケイトの声は優しい。少年は、小さく呟いた後に自力で立ち上がった。
それを見て、美夜子もほっと息をつく。
ケイトの合図で担架が持ち上げられた。停車している三台の戦闘車両の内、一番左端に停められたものへと向かう。その後を、リョウが足を引きずりながらついて行った。
戦闘車両は、運転席、後部座席の更に後ろに、負傷者を運ぶための広い空間がある。
壁に担架を固定するための金具があり、最大で四人の重傷者を収容できるようになっていた。
左端に停められていた戦闘車両に、美夜子を乗せた担架が固定された。リョウは後部座席の左側に収まった。
慌ただしく戦闘車両から降りたケイトが、梨乃に向かって言う。
「梨乃は運転席で待機してて。朔間たちが担架を固定したら、すぐに出発よ」
「はい!」
梨乃が運転席に乗り込む。その時、通信機から押し殺したような男の声が聞こえてきた。
〈…………高崎だ。A地区四番通り、少年二名の遺体を発見。生存者捜索を続行する〉
リョウの肩が大きく跳ねる。
美夜子は言葉を失っていた。声を掛けてやりたたいのに、何と言えば良いのかわからない。
〈あと一人、いるはずよ。見つけてあげて〉
ケイトの声だ。高崎と同じぐらい、低く重いものになっている。
〈ああ。全員、見つけてやらないとな〉
やや離れたところから、若い男の声がする。嗚咽まじりに「ちくしょう」と呟いていた。
「嘘だ…………ケンちゃん、ユウくん、なんで」
リョウが、呆然と呟く。
「なんで、そんな…………だって、俺より足早いのに」
ケンちゃん。ユウくん。それが二人の名前なのだろう。
災厄獣と遭遇する恐れのあるA地区やB地区は、一般人の立ち入りを禁じている。
リョウのような少年が、そう何人もいるとは思えなかった。
「リョウくん」
名前を呼んで、その後が続かない。
美夜子は唇を噛み締めた。
今、高崎が発見した二人の少年の遺体は、リョウの仲間である可能性がかなり高い。
戦闘車両の中に、重苦しい沈黙が漂っていた。
それを吹き飛ばすように、場違いなほど明るい青年の声が、通信機から流れてくる。
〈待たせたなッ!
腹の底に響くようなエンジン音と共に、一台の大型バイクが戦闘車両のすぐ近くに停止した。
大型バイク、風にはためくライダージャケットに、口元しか見えないヘルメット。全てに黒地に赤い
〈来てくれて嬉しいわ、サラマンダー。私が第五部隊の隊長、
〈けいとゆりあ? 変な名前だなー。まあいいや。んで? 災厄獣はどこにいんの?〉
〈うちの副隊長を、見張りにつけてるわ。今からあなたのカメラに、位置情報を転送する〉
〈おっ、サンキュー。この点々のとこまで行けば良いのね〉
大きなヘルメットに隠されて、サラマンダーの表情はほとんどわからない。
だが、美夜子には、彼が不敵に笑ったように見えた。
〈すぐぶっ飛ばして来てやるから、安心してろよ、
轟音と共に、バイクが走り去る。
小さくなる後ろ姿を横目で追いながら、美夜子は顔をしかめた。
「────時間稼ぎ?」
美夜子、梨乃、ケイトの声が綺麗に揃う。
一度目を見開いた後、美夜子は思わず吹き出した。
「あんな言い方はないですよねえ」
「ケイト隊長に
〈あの
戦闘車両の中の空気が、少しだけ軽くなったような気がした。
ただの現実逃避だ。それはわかっている。
〈盛り上がってるところすみません。全部聞こえてますよ、お姉さん方〉
苦笑混じりに割り込んできたのは、副隊長の藤谷だった。他にも忍び笑いを漏らしている隊員がいる。
ケイトはわざとらしく咳払いをした。
〈蜥蜴の坊やの躾は後回しにするとして…………そういうわけだから、藤谷くん、サラマンダーがそちらに向かったわ。合流したら援護してあげて〉
〈承知しました〉
ケイトと藤谷のやり取りが終わる。
それと、ほぼ同時に、
「朔間、中山、戻りました!」
二人の
小柄な女性隊員と、長身の男性隊員だ。
女性隊員────朔間は、ぐったりと目を閉じた血まみれの少女を背負っていた。
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