四十三

 スラバキアの大軍団が王都に迫ってきたのは、それから四日後の朝であった。西大門を守っていた兵士たちがバルバッソに急報をもたらした。

「ついに来たか」

 バルバッソは、外城壁の中に設けられた石の階段を兵士と共に駆け上がった。物見の兵士が櫓塔から北西の方向を指さした。徐々に陽が昇って来、バルバッソの横顔を背後から照らし出した。

 ここから見ると北の方向にはサンルイーズ山脈の陰が微かに見え、西の方向は砂漠がまだ暗い地平線まで続いている。そのちょうど中間あたりにもうもうと立ち昇る砂煙と黒い影の塊が、地平線に沿って、少しずつ横に拡がっていくのがうっすらと見えた。

「城壁堡塁にいる兵士全員に伝令。第三次守備態勢で緊急招集!」

 兵士たちの慌ただしい足音が交錯し、外城壁の砦は騒然とした空気で満たされた。

 スラバキア軍の先鋒が王都に到着したのは、昼前のことであった。

 整然と進軍してきた騎兵が、弓矢の届かない距離を十分にとって隊列を変えていくのが見えた。蛇の鱗のような陣形だ。鱗が次第に横に広がっていき、外城壁の北門から西門にかけて王都を囲むように布陣が出来上がっていく。

 バルバッソは、思わず生唾を飲み込んだ。少なく見ても十万は軽く越えている。もしかすると、二十万近いかも知れない。獲物を呑み込もうとする蛇が蜷局を巻くように、王都は完全にスラバキア兵に包囲された。

 スラバキアの本隊が到着したようだ。整然と並んだ騎馬兵の間に巨大な破城槌や投石機がいくつも姿を現した。投石機には石で作られた車輪が備え付けられており、隊列の最前線まで騎馬に引かれ運ばれてきた。曲剣を腰に差し、大盾を構えた先鋒の騎兵がいったん後ろに下がる。

 時を置かずして、投石機から巨大な岩のような石が投擲され始めた。強靱な動物の腱をバネとして利用するこの投石機から発射された石は、大きな曲射弾道を描いて宙に舞い、外街壁の内側に落ちてきた。地面に着弾した石は砕けて跳弾し、広範囲にわたって構造物を破壊した。

 バルバッソは歯がみをした。この距離だと弓矢は届かない。時間と資材、人手が足りなく、王城側は投石機などの大規模破壊兵器を準備することが出来ていない。石の幾つかは外城壁を直撃し、堡塁全体が大きく揺れた。

 投石が飛び交う中、破城槌が前に出てきた。スラバキア兵は馬を下りて破城槌の後ろと横に取り付いて人力で前に押している。破城槌の前には木製の盾が備え付けられており、兵士たちはその後ろに身を隠しながら進んできた。

 バルバッソは西門を守る弓兵に合図した。既に城壁の上に三列に並んでいた弓兵が弓を引き絞り、一斉に矢を放った。矢は放物線を描いて、上から破城槌に降り注いだ。幾つかは槌の前方に備え付けられた盾の裏にいる兵士に命中し何人かが倒れるのが見えたが、ほとんどがその盾で防がれ、破城槌の勢いは止まらない。

 破城槌は西大門の前に達した。破城槌の上には屋根が付いており、城壁の上からの矢は全て防がれてしまう。

 巨大な丸太で作られた槌がその屋根から吊り下げられていた。巨躯のスラバキア兵たちが数十人、槌の横に付けられた取っ手を握り、一斉に後ろに引いた。振り子のように勢いが付いた槌が、門に激突する。耳を聾する音と共に外城壁全体が大きく揺れた。

 同じような音が他からも聞こえた。恐らく、西門だけでなく、北門、南門も同様の攻撃を受けているのだろう。

「このままでは、門どころか壁自体がもたん」

 バルバッソは心の中で呟いた。

 度重なるスラバキア兵の槌による攻撃で、門にはひびが入り始め、太い大木で作ったかんぬきも折れそうになっていた。

 その時であった。両手に戦斧を持ち、堡塁の縁から城壁の外側に飛び降りた兵士たちがいた。ドワーフ兵ラードル率いる鷹嘴隊を中心とする部隊であった。

 破城槌の屋根に飛び降りたラードルたちは、そのまま下にいるスラバキアの兵士に飛びかかった。屋根からスラバキア兵の上に落ちると同時に、兵士たちの脳天に戦斧を叩きつける。脳漿を振りまいて次々とスラバキア兵が倒れていく。

 後ろにいたスラバキア兵がラードルを引き倒そうと右腕でその肩を掴んだ。ラードルは振り向きざまにその右腕を斧で切り落とし、その兵士が怯んだところを左手の斧で喉笛を掻き切る。

 別のスラバキア兵がラードルに近付き、三日月型の曲刀で背中を切りつけてきた。ラードルは素早く態勢を入れ替えると左手の戦斧で曲刀の一撃を受け止め、その兵士の腹部を蹴り上げた。前屈みになったところを間髪を入れずに右手の斧でを水平に薙ぎ払った。スラバキア兵の首が飛んだ。革の兜が勢いで吹き飛び、長い髪が血飛沫と共に舞った。

 ラードルらゲリラ部隊の働きもあって、各大門を攻撃していた破城槌は沈黙した。ラードルたちは、破城槌の槌を吊っている縄を切り落とした。槌は大きな音を立てて地面に転がった。

 破城槌の脅威は去ったが、その代わり投石機による攻撃が一段と激しくなった。普通の石だけではなく、油を染みこませ炎を纏った藁や火薬が詰まった箱なども飛んでくるようになった。城壁内にある家屋のうち幾つかに火が点き、燃え盛り始めた。

 投石機から放たれた石の一つが、外城壁を直撃した。既に何度か直撃を受けていた場所なのであろう、石組みの壁が大きく崩れ、城壁の中から王都を包囲しているスラバキア兵が見えるようになった。

 バルバッソは兵に指示を出し、五百名ほどをその崩れた城壁へ向かわせた。

 城壁が崩れたのをスラバキア女王ヒルディアも見逃していなかった。自ら指揮して大軍を率い、一気にその場所へ馬で突撃していった。

 ヒルディアの後に続く騎兵たちはとりわけ巨躯の馬に跨がり、他の兵士よりも一回り大きな女とは思えない体躯をしている。巨大な斬馬刀を両手に持ち、馬を脚だけで捌いていた。スラバキア兵の中でも選りすぐりのヒルディア直属の近衛兵である。

 ヒルディアたちは崩れた城壁に達すると、そのまま馬を駆ってその瓦礫と化した壁を飛び越えた。次々と近衛兵たちが後に続く。あまりにもヒルディアの行動が速かったため、バルバッソの指揮する部隊の布陣が間に合わなかった。怒濤の勢いで傾れ込んでくるスラバキア兵たちに神殿騎士・王国兵連合軍は浮き足立ち、乱戦状態になった。

 崩れた城壁前に展開しようとしていた連合軍はヒルディアの近衛兵たちに囲まれ、斬馬刀による旋風のような激しい斬撃に切り刻まれ、その四肢が空中に血飛沫と共に舞い上がった。ヒルディアはそのまま外城壁を突破して王城に馬首を向けた。

 ラードルは鷹嘴隊を率い、崩れた城壁に到達したが、既に味方の兵士たちはヒルディアの近衛兵に蹂躙され尽くし、ほとんどが肉片と化し王都の土に還っていた。

 このままでは戦線が崩壊してしまう。なんとか敵の勢いを止めなければならない。

 ラードルはもはや生き残ろうと考えるのを止めた。彼の視線の先にあるのは、スラバキア騎兵の先頭で巨躯の悍馬を操って王城にひた走る、獅子の鎧の女戦士。体格の良い近衛兵たちに混じっても目を引くその体躯は躍動に満ち、美しくさえあった。スラバキア女王、ヒルディアである。

 ラードルは馬に飛び乗って鞭をくれ、ヒルディアに迫った。右手の戦斧を逆手に握り直す。周りから寄せてくるスラバキア騎兵たちを巧みに避けながら、ラードルはヒルディアの右後ろに迫った。

 馬に乗り移れるよう左側に上体を傾け低い姿勢を取った。手綱を手放し、左手をヒルディアの馬に伸ばした。

 その時、巨大なハンマーで殴られたかのように、ラードルの身体は激しい衝撃を受け、ヒルディアの後ろの宙に大きく放り出された。右方向から迫ってきていた巨躯の近衛兵がラードルに馬ごと体当たりを食らわせたのである。

 斬馬刀を手にした近衛兵たちが、地面に落ちて転がったラードルに殺到した。

 女王ヒルディアは自分の背後で起きていたことなど、全く意に介していなかった。王城は目前である。数の力をもって一気に王城を陥すつもりであった。ヒルディアは商業地区を越え、王都の中枢を囲む城街壁まで到達した。

 ヒルディアが城街壁の大門に迫ったとき、城街壁の上からファールデン王家の紋章を鮮やかに染め抜いた旗幟がいくつも立ち上がり、折からの強風に大きくはためいた。同時に、弓兵が矢を放ち始めた。

 ヒルディアの近衛兵は彼女の周りに集まり、斬馬刀で盾を作った。城壁から放たれた矢は斬馬刀の刃に当たって地に落ちた。

 ヒルディアの後に続いていたスラバキアの騎兵たちは馬体を止めず、そのまま滑らかに隊列を変えて整えていった。あっという間に幾つかの小隊に分かれ、蛇の鱗のような陣形ができあがる。

 大門上の櫓に陣取っていたナスターリアが合図すると、城壁の上から火矢が降り注ぎ始めた。突然飛来した火矢にスラバキア兵の乗った馬が動揺して嘶き、前脚を大きく振り上げた。それと同時にスラバキアの隊列の中で爆発が起こった

 火矢が刺さった樽や木箱が、次々と爆発し始めたのだ。

 ナスターリアは、外城壁が突破される事態に備えて、城街壁の外側に大量の爆発物を仕掛けていた。見た目はただの樽や木箱だが、中には相当量の爆薬が仕込まれており、誘爆しやすいように表面に引火性の松脂をまぶしてある。

 かなりの数のスラバキア兵たちが四肢を爆薬に吹き飛ばされ、戦闘能力を失った。ヒルディアは火矢の届かない位置まで隊列を下げた。改めて陣形が組み直され、スラバキア兵とファールデン兵が一定の距離を置いて対峙した。

 辺りが静まりかえった。聞こえるのは馬の嘶きのみである。両軍は城街壁前の広場を挟んで睨み合いになった。

 にわかに空がかき曇り、大粒の雨が降り出したのはその時であった。

 ナスターリアは、空を見上げた。いつの間にか空を覆っていた厚い雲が、深紅に染まっている。雨粒が目に入り、視界が赤く滲んだ。ナスターリアは、思わず自分の両手を見た。雨に当たった部分が血に濡れたように真っ赤だ。

 それは雨ではなかった。血が、深紅の雲から雨のように降り注いでいるのだ。城壁の兵士たちに動揺が走った。

 思わぬ事態に動揺したのはスラバキア兵も同様であった。全身に血を浴びて修羅のようになったヒルディアは空を仰いだ。

 血の色に染まった雲の中から、天空を全て覆い尽くすのではないかと思われるほど巨大な紅い梟が舞い降りてきた。表面は羽毛ではなく赤く爛れた皮膚で覆われている。全身から血が溢れており、それが地上に降り注いでいる。

 紅い梟の羽ばたきで生じた烈風はあたかも竜巻のように地上に巻き上がり、幾人ものスラバキア兵たちが馬ごと宙に舞った。城街壁の石組みの屋根が次々と吹き飛んだ。ナスターリアたちは城壁にしがみついた。

 紅い梟が地上に降り立ち、天を仰いで耳を聾する鳴き声を上げた。地上にあるものが強烈な衝撃波で震動する。ナスターリアは耳を塞いでその衝撃に耐えた。城壁にしがみついていた何人かが、鼻と耳から血を流して倒れた。

 梟は巨大な嘴を地上に振り下ろし、馬ごと数十人のスラバキア兵を咥えた。そのまま呑み込む。兵士たちの悲鳴が上がった。

「まさか……」

 ナスターリアの背筋が凍った。

 これが、ドルキンが言っていた、聖堂神殿の領域から解き放たれた最後の魔物であり、ついに王都に降臨したのであった。

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