四十

 前教皇、すなわち第二十五代教皇サマリナ・アルバテスはその艶やかな美しさで知られ、信者からは「紅い教皇」と呼ばれていた。当時、齢五十を越えてそろそろ次の教皇選定が取りざたされるようになってからもその美しさは衰えることがなく、聖職者らしからぬ妖艶な魅力に溢れていた。

 サマリナは一晩として男の肌なしには過ごせない女であった。若い頃は王都近郊の修道院や神殿に忍んで現れ、司祭が用意した男と密会を重ねていたが、最近では好みの修道僧を教皇庁の自らの居室に招き入れ、旺盛な性欲を満たすようになっていた。野心に満ちた若きカルドール・ハルバトーレとサマリナがそういう関係になるのに時間はかからなかった。

 この時、カルドールは二十五歳。フォーラ神殿枢機卿を父に持つカルドールは若くして昇進を重ね、この年、最年少で大司教への昇進を果たしていた。もちろん、サマリナの強い後押しもあったからだが、それを割り引いても彼は優秀な聖職者であった。

「アムラク神殿で、『身世代』に啓示があったらしいね」

 白い脚を浅黒いカルドールの身体に絡ませながら、サマリナは呟いた。

「ええ、二人の修道女に啓示があったと聞いています」

 カルドールはサマリナの臀部に唇を這わせながら応えた。

「私はまだ、退きたくはない……」

 サマリナは喘ぎながら言った。

「聖下はまだまだ、お美しゅうございます。このままでいていただきとう存じまする」

「相変わらず口がうまいのう。口だけではなく、お前は私に何をしてくれるのじゃ」

「私に全てお任せください。聖下は何もご心配なさらずともよいのです」

 そう言いながら後ろからサマリナを貫いたカルドールは、ゆっくりと律動を始めた。サマリナの喘ぎ声が次第に大きくなってきた。カルドールは獣のように俯せになったサマリナの痴態を上から存分に眺めてから、暗い瞳を天蓋幕に向け、唇を歪めた。

 カルドールは深い眠りに落ちたサマリナをそのままにして寝台から滑るように降り、服を着た。彼女を起こさないように足を忍ばせて教皇の居室から出る。教皇の侍女である若い修道女が顔を赤らめてそこに控えていた。侍女は常に教皇の傍に控えておかなければならない。たとえ閨房で何が行われていてもだ。

 カルドールはその修道女を抱き寄せて、しばし唇を吸ってからその場を後にした。修道女は陶然とした表情でその後ろ姿を見送っている。

 教皇庁内の自室に戻ったカルドールは部下の司祭を呼び、行方不明になっているもう一人の身世代についての報告を聞いた。

「申し訳ございません。誠に遺憾ながら、今のところまだ見つかっておりませぬ」

 カルドールの足元に跪いた司祭はおそるおそる言った。

「不手際ではないか。あの娘をアルバキーナに連れてくるどころか、逃げられてしまうとは。『宵闇の刃』が聞いてあきれるわ」

「はっ、面目次第もございませぬ」

「今日、明日中に必ず探し出せ。くれぐれも、殺してはならんぞ。どんな手荒なことをしても構わんが、生きて私の前に連れてこい」

 サマリナを手懐けて今の地位と権力を得たカルドールであったが、世代交代の時期が迫り、教皇内の政治的な力関係にも変化が現れてきていた。サマリナ派と自他共に認めているカルドールが、次の教皇の御代にもその権力を振るうためには、誰が次期教皇になるのかを慎重に見極め、タイミングを見計らってサマリナから乗り換えなければならない。カルドールはサマリナと心中する気はさらさらなかった。

 彼が打とうとしていた次の手は、神の啓示を受けた身世代を、教皇に叙任される前に自分のものにしてしまうことであった。教皇候補といえども所詮は小娘に過ぎない。手籠めにして思い通りにすることは赤児の手を捻るようなものだ。しかし、今回、フォーラ神の啓示を受けた身世代は二人である。どちらか一人を選ぶと同時にもう一人を生きたまま排除しなければならない。身世代の生命に万が一のことがあった場合、教皇庁の審問官による徹底的な内部調査が行われるからだ。そうなるとカルドールといえども、事を穏便に収めることは難しい。

 授印の儀(公式に教皇庁から神の啓示を受けた身世代として認められる儀式)の際にその二人を品定めし、宵闇の刃にその周辺を洗わせていたカルドールは、フィオナとアナスタシアという名のその少女たちのうち、当初アナスタシアを標的にしていた。しかし、アナスタシアが以前から聖堂騎士と密会しているという報告を受け、急遽方針を変えたのであった。そして、フィオナを自分のものとして教皇に祭り上げる一方、邪魔になったアナスタシアを捕らえようとしていたのである。しかし、アナスタシアは啓示を受けた数日後、アムラク神殿から忽然と姿を消してしまっていた。

 司祭を下がらせ一人になってしばらく沈思していたカルドールは、白いローブに着替えてフードを被った。教皇庁の裏口から単身で王城へ向かった。

 当時アマード・アルファングラム三世は四十歳の男盛りであったが、寵愛していた二人目の王妃を病気で失い、失意の中にあった。一人目の妃も病気で失っており、獅子賢帝と呼ばれ公務については強い影響力を内外に示していた彼も、心のよりどころを求めていた。

 カルドールはこの王の心を巧みに籠絡した。教皇庁から王家への積極的な働きかけもあって、アマードは国王でありながらフォーラ神に帰依し、敬虔なフォーラ信徒となった。

 カルドールが訪れた先は、そのアマード・アルファングラム三世であった。当時の常識では、一介の大司祭が国王に直接拝謁することは儀礼上あり得なかった。国王が教皇以外の聖職者と直接会うことはなかったのである。しかし、カルドールはアマード王の洗礼の儀において教皇補弼に任じられた唯一の聖職者であり、事実上、教皇サマリナとアマード王の仲立ちをする立場にあった。そのため、アマードも時間さえ空いていれば優先的にカルドールに謁見することを許していた。

「その、アナスタシアという不埒な娘を捕らえればいいのだな?」

 玉座に深く腰を下ろしたアマードは、カルドールに言った。

「はい、その娘は神の啓示を受けたもうたにもかかわらず、あろうことか男と関係を結んでアムラク神殿を出奔いたしました。神のご意思に逆らうおうとする背信者であることは間違いございませぬ。サマリナ聖下もいたく心をお痛めのご様子で、ここは是非陛下のお力添えをいただきたく参上いたしました」

 カルドールはアマードの足元に控えて言上した。

「分かった。すぐサンルイーズ山麓に兵を遣わそう。カルバス大将の耳にも入れておく」

 アマードは即座に裁断を下した。

「ありがたき幸せ。聖下もお喜びになることでしょう」

 カルドールは、平伏して厳かに言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る