三十六

 ちょうどその頃、王都に達してアルバキーナ城を眼前に捉え始めたバルバッソ率いる海賊船たちは、大きく渦を巻く川の流れを巧みに利用して城の上流側に集結しつつあった。

 大きな声で部下に指示を出し、甲板上で舵を操るバルバッソの横で、エルサスが呆然と王城を見つめていた。カミラとキースも人の姿となってエルサスの傍らに立っている。

 もはやそれは、エルサスの知る王城ではなくなっていた。炎を上げて燃え盛る城壁は半壊しており、かつて朝陽を浴びて美しく輝いていた城壁塔や門塔、外殻塔はことごとく折れて崩れていた。何よりも異様なのが、かつては王の居館があった場所から城の主塔にわたって、赤茶色の巨大な肉塊がこびりついており、城全体を覆っていることであった。

 所々から湯気のようなガスを吐き出しているその肉塊を、エルサスは見たことがあった。王都を発つ前、教皇庁の聖堂内の祭壇で、エルサスたちを襲った、あの魔物である。

 ドルキンたちが教皇庁の聖堂から脱出した際、出口を塞いでいた肉塊を取り除きはしたが、あの魔物自体を斃すことが出来ていたわけではなかった。敵味方を問わず新鮮な生肉を餌にして、腐肉の魔物はさらに巨大化して聖堂を破壊し、成長を続けて王城にまで達したのであった。

 王城の兵士たちにそれを阻止出来るわけがない。兵士や王都の領民たちはなすすべもなく腐肉の生け贄として摂り込まれ、その一部と化していった。今やこの腐肉の魔物は、王城を中心として王都の主街道であるメイヌ・タレラートに沿って拡がり始め、このままでは王都全体を腐肉で満たすのも時間の問題であった。


 マリウスは、シバリスとエレノアの話から、ナスターリア・フルマードは既に王都にはいないと判断していた。ナスターリアなしに王国兵と連携することは難しいだろう。しかも、王都の王国兵はほぼ壊滅していると思われる。

 ヴァレリアでの報告によると、ファールデンに侵入したスラバキアの兵数は軽く数十万に達する。大事なことは、彼らが王都に達するまで出来るだけの兵数を集めること。そしてそれを王都防衛を主眼として要所要所に配置し、効率的に運用することだ。

 マリウスは、王都及び近郊における王国兵と神殿騎士の残存勢力を集めること、その戦力をもって王都の外城壁でスラバキアの侵攻を食い止めることを最優先とした。残念ながら他の州都を護る時間的、人的余裕はない。

 マリウスは、まずファルマール神殿の神殿騎士団長フォーレンと話をし、その部下を数名王都近郊に点在する神殿に送って、そこの神殿騎士たちに招集を掛けさせた。一方、王国兵の残存勢力については情報がない。

 シバリスによると、ナスターリアと行動を共にしていたドワーフ兵が外城壁の砦に篭もっているという。まず、彼に会う必要があるだろう。マリウスは傭兵とファルマール神殿の騎士から数名を選んで、王都の南西側から外城壁に向かうことにした。戦いをするのではない。話をするのだから少人数の方が良い。


 聖堂騎士ドルキンから受けたふくらはぎの傷は思いのほか深かったが、そのわりには早く回復してきていた。ドワーフであるラードルがもともと頑強であったこともあるのだろうが、やはりドルキンが意図的に短い間だけ動けなくする程度に巧みに剣を入れた、というのが事実なのだろう。何度も戦場で修羅場をくぐったラードルにはそれが分かった。

 ナスターリアと別れて数日が経過していた。東ファールデンから王都に帰還したナスターリアとラードルを待っていたのは、辺境守備隊隊長ニア・サルマからの伝言であった。

 スラバキアによる長城攻略と必死の攻防、ヘルガー・ウォルカーによる卑劣な裏切り、そして辛うじてスラバキアを撃退はしたもののオグラン・ケンガが壮絶な死を遂げてしまったこと。ニアの命を受けて王都に辿り着いた兵士は淡々と報告したが、それを聞くナスターリアが感情を抑えることは難しかった。

 ナスターリアとラードルはカルバス将軍の裁可を得て、王都に常駐している兵のうち二個大隊を率いて再び辺境の長城を目指すことにした。しかし、着々と準備を進めていざ出発という時にその異変は起きた。

 突如王城に現れた肉塊の化け物は、抵抗を示した兵士や神殿騎士たちだけではなく、王都領民を手当たり次第に襲い、貪り食った。教皇庁、王城を中心として王都に阿鼻叫喚の地獄絵図が展開した。ナスターリアとラードルは王都の外城壁門を開放して生き残った領民を避難させるのが精一杯であった。

 混乱の中、辛うじてシバリスとエレノアを城から救い出したナスターリアは二人を安全な場所に移し、自身は単身で辺境の長城要塞を目指して出立したのであった。

 ラードルは怪我のこともあったのだが、ゲリラ戦専門部隊、鷹嘴隊の隊長として、混乱に陥った王都に残る道を選んだ。たとえ相手が人外のものであったとしても、最後まで王都を守って死するは兵士の本懐というものだ。

 いま、ラードルは王都をぐるりと囲む城壁のうち王城から一番遠い外城壁の堡塁に、生き残った鷹嘴隊の兵士と共に潜んでいた。

 王都アルバキーナを囲む城壁は大きく三つからなる。一つは王城を囲む内城壁、もう一つは今ラードルがいる王都全体を囲むように築かれた外城壁である。この二つの城壁は外部からの侵入に備えて構築されたもので、城壁も高く分厚く堅牢な構造になっており、同時に要塞としての機能も果たしている。特にこの外城壁は王都にとっては実質上の最終防衛線と言え、戦時において敵にここを突破されると、王都は陥落を免れない。

 尚、外城壁と内城壁の間に、行政・宗教施設区域とそれ以外の区域とを仕切る城街壁と呼ばれる、どちらかというと都市基盤施設として設けられた城壁があるが、戦時における戦略的重要性は低い。

 そこへ、ラードルの部下の一人が息せききって駆け込んできた。

「ラードル隊長、申し訳ありませんが、すぐ上がってきていただけますでしょうか」

「どうした?」

 ラードルは外城壁の中に設けられた石の階段を、その部下の後に続いて駆け上がった。

「あれです」

 部下は王城と反対側の、西の方角を指差した。

 王都の外城壁の外側には農地が拡がり、ぽつりぽつりと農家が点在していた。その農地の更に向こうは乾いた荒れ地となっており、人の住む家屋は見当たらない。

 ラードルは右手を翳して部下が指し示した方向を見た。数名の人影がこちらに向かってくるのが見えた。

「あの装備は、神殿騎士かと思われますが……」

 ラードルは険しい表情でしばらくその人影を注視していたが、ふいに表情を和らげて言った。

「門を開けてやれ。ただし、警戒は怠るなよ」

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