三十一
カミラが召喚した黒いローブの異形が振り下ろしてくる鎌を両手で持った斧槍で巧みに捌き、マリウスは左側の異形に肉迫した。
地を蹴ると同時に斧槍を両手で振り上げ、鎌を振り下ろして隙ができた異形の頭上へ振り下ろした。手応えもなく頭から腰の下まで斧槍の斧部分が貫通し、床を砕いて止まった。黒い水蒸気が飛び散るようにしてその異形は霧散した。
マリウスは、もう一人の異形が背後から自分に迫ってきていることを気配で感じていた。そいつがマリウスに向かって鎌を一閃させた瞬間、マリウスはそのまま斧槍を大きく旋回させてその攻撃を弾き、異形の腰の辺りを横薙ぎに切り払った。異形は黒いローブごと両断され、同じく黒い水蒸気を上げて飛び散った。
神殿の魔物に憑依されたカミラは再び呪文を詠唱し始めていたが、それよりも一瞬速く、人の姿となったキースが呪文を唱えた。
カミラとキース、それぞれの手から発した眩しいまでの光の塊がお互いに向かって放たれ、交錯した。キースの発した火の精霊の矢が一瞬速くカミラを直撃し、彼女は背後に吹き飛んだ。キースは呪文詠唱を終えると同時に姿を白狼に変じ、カミラの放った雷の精霊の矢を紙一重で避けていた。
カミラの姿は銀色のリンクス(オオヤマネコ)に変わっていた。祭壇の脇に倒れて起き上がれないでいるが、腹部が呼吸と共に動いているところを見ると死んでいるわけではなさそうだ。その傍らに駆け寄った白狼は、焦げたカミラの美しい銀色の背を舐めた。神殿の魔物も、人型ではない獣に憑依することは出来ないようだ。
憑依する主を失った魔物は一つの大きな青い光の玉となってまとまり、祭壇上の空間で揺れ動きながらマリウスの隙を窺っている。
「この魔物は私に任せてください」
ミレーアが祭殿の中央に進み出た。両手を大きく広げて祝福の詠唱を始める。マリウスがその脇で護っているため、魔物は近付くことが出来ない。
ミレーアの身体の中心からまばゆいばかりの大量の光が発して、マリウスでさえあまりの眩しさに思わず目を逸らした。
ミレーアの柔らかなプラチナブロンドの髪が光と共に踊り、彼女の身体が宙に浮いた。瞬く間にその光は祭殿の中を満たした。青い光の玉の魔物が、ミレーアが発した光の渦に呑み込まれた。
湖に落ちた血痕が薄まって水に混じって消えるように、青い光が少しずつ剥がれ落ちては消え、その後に両手で抱えることが出来るほどの大きさの透明な珠が残された。中心にどす黒い影がとぐろを巻くようにちろちろと蠢いている。これがこの神殿の魔物の本体だろうか。
マリウスはその珠に近付き、斧槍を振り上げて叩き付けた。その瞬間、その珠は落ちた水滴が弾けるように、四方に散った。
神殿の中央に屹立している尖塔が真っ白な光に包まれて、灰色の濃い霧で薄暗い夕闇のようになっていた辺り一面が、突然朝が訪れたように明るくなった。
眼の前に突如広がった白い閃光に、ドルキンとナスターリアは反射的に手で眼を覆った。エルサスを挟んで対峙していた二人は、スヌィフト聖堂神殿の尖塔から発した光が神殿の外に向かって四方八方へと拡がっていくのを見た。天上へ伸びた光が重たい灰色の雲を裂き、その裂け目から青い空が覗いた。
エルサスに纏い付いていた青い光は消え去り、その周りを蠢いていた黒い影も一つ一つ消えていった。しかし、エルサスは倒れたまま、ぴくりとも動かない。ラードルがエルサスの胸に耳を当て、鼓動を探った。ラードルは身体を起こしてナスターリアを見、首を振った。
「聖堂騎士、ドルキン・アレクサンドル殿とお見受けした。私は王国兵副司令官、ナスターリア・フルマードと申す」
ナスターリアは、腰から抜いた刺突剣(レイピア)を構えたまま言った。眼は細められ、瞳は冷たく青い光を放っている。
「殿下に何をなされた? なにゆえ殿下を弑し奉った?」
ドルキンは無言だった。説明をして理解してもらえる状況ではない。
「私は、殿下奪還の勅命を受けて貴公たちを追ってここまで来た。貴公の師匠であるシバリス殿からも話は伺い、だいたいの事情は理解しているつもりだった」
「シバリス師と?」
ドルキンの眉間に皺が寄った。
「しかし、殿下のお命を奪ったとあれば話は変わる。このまま縛につき、我らと王都まで同道いただくか、さもなければ……」
ナスターリアの眼が据わり、その光が増した。じりじりとドルキンに近付いてくる。いつの間にかラードルがドルキンの背後に回っていた。
ドルキンは静かに間合いを計った。
ラードルの間合いがドルキンまであと数歩に達した時、右手で水晶の剣を持ったまま地面の砂と小石を握りラードルの顔に向かって投げた。同時にラードルに向かって走る。左手に持った斧で背中を護った。
小石を避けるために手を翳して一瞬、視界を失ったラードルはドルキンの体当たりをまともに食らった。大きく踏み込んで突かれたナスターリアの刺突剣の刃先が、ドルキンが背中に回した斧に当たって火花が散った。
ドルキンは左手の斧の重さを活かし、斧頭の近くを握り直してナスターリアの剣を大きく弾き、そのまま振りかぶった斧をラードルに叩きつけた。
ラードルは辛うじて右手の戦斧でこれを受けたが、戦斧の刃は砕けて大斧がラードルの鎧の右肩に食い込んだ。ラードルがぐっと怯んで動きが止まったところを、ドルキンは右手に持った水晶の剣でそのブーツごと右ふくらはぎを刺し貫いた。
ナスターリアは刺突剣を弾かれて少し仰け反ったためにラードルをフォローするのが一瞬遅れた。改めて刺突剣を目にもとまらぬ速さで繰り出した時にはドルキンの体勢は完全に元に戻っており、ナスターリアの突きは全て捌かれた。ラードルは立ち上がろうとしたが、ドルキンの傷の付け方が巧みだったのか立ち上がることが出来ない。
そこに、神殿の石扉からマリウスとミレーアが出てきた。マリウスはその場の状況を素早く見とると、斧槍を下段に構えた。ナスターリアは数歩後ろに下がって間合いを取り、ドルキンとマリウスの両方が見える場所で構えを取り直した。
「ドルキン様、これは?」
ミレーアが尋ねた。その後ろから、人の姿をしたキースが気を失ったリンクス姿のカミラを両手で抱きかかえて現れた。
「今、説明している暇はない……」
ドルキンはナスターリアから眼を離すことなく、ミレーアに言った。ミレーアも緊迫した空気に言葉を呑み込んだ。
「ナスターリア、といわれたな。これだけは申しておく。我々は殿下を拉致していないし弑してもいない。それに、シバリス師と話されたとのことだが、師の仰ったことに偽りはないし我々もその教えに反することは一切しておらぬ。それでもこのまま我々と戦うと言われるのであれば、応じよう。貴公次第だ」
ドルキンはナスターリアに言い、エルサスを背負って後退りながらその場を離れ始めた。ミレーアたちは先に立つマリウスの後ろに従って、ドルキンとナスターリアを交互に見ながら神殿の門をくぐる。
ナスターリアは唇を噛み、それを見送るしかなかった。ドルキンとマリウスの二人を相手に勝ちを得る可能性は低かった。ラードルの傷も気になる。
ドルキンたちの姿が見えなくなると、ナスターリアはラードルに駆け寄った。
「すまん。不覚をとった」
「立てるか?」
ナスターリアはラードルに肩を貸して立ち上がった。
「治療が必要だろう。お前を一度王都まで連れていく。それからまた彼らの後を追うよ。さすがにシバリス殿が育てた騎士だけはあるな……出来ることなら敵には回したくなかったが」
ナスターリアはドルキンたちが消えた森の先を見ながら呟いた。暗雲が綺麗に去った空は青く、森は緑の木々に覆われ、姿を一変させていた。ナスターリアのグラウスコーピスの瞳から冷たい光が消え、本来の彼女らしい情熱的な趣が戻ってきた。
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