三十

 緩やかな坂になっている螺旋の回廊を神殿の内周に沿って登っていくと、広い拝殿に出た。

 中央のフォーラ神像の上に大きなぼんやりとした青白い光の玉があり、ドルキンたちを見つけるといくつもの小さな光の玉に分かれた。キースが低く唸り警戒の声を上げた。ドルキンとマリウスは武器を構えた。

 次の瞬間、小さな光の玉が次々とドルキンたちを襲ってきた。ドルキンは水晶の剣で応戦しようとしたが、動きが素早く、身体の周りを纏わり付くように動くのでなかなか剣で捉えることが出来ない。子供のからかうような笑い声が響き渡った。

 邪霊を除ける守護の祝福を詠唱しようと手を上げたミレーアに、小さな光の玉が群がった。青色の光に包まれて動きを封じられる。詠唱が出来ない。

 ドルキンはミレーアを包んでいる光に向かって水晶の剣を振るおうとしたが、その剣を握る右手に同じように光の玉が群がり、それを封じようとした。マリウスがメイスでドルキンの手に纏わり付いた光の玉をたたき落とす。そのままミレーアの全身を包む光の玉にもメイスを振るおうとする。しかし、光の玉があまりにも薄くミレーアを包んでいるので迂闊に攻撃するとミレーア自身を傷つけてしまいそうだ。マリウスは逡巡した。

 ふと、前方の祭壇の上に二つの影が立ち上がった。一つはカミラ。もう一つはエルサスのものだった。

 カミラが右手の樫の杖を頭上に翳し、口の中で呪文を唱えた。鏡のように磨き上げられた床の上にどす黒い泉のようなものが幾つか湧き出で、冷たい溶岩のようにぼこぼこと泡立った。

 不浄が溢れたような泉から黒いローブとフードを纏った骨と皮ばかりの異形が生まれ出でるように現れた。両手で長く湾曲した鎌を持っている。三日月の形に弧を描いた、月の光のように冷たい光を放つその刃先が、ドルキンとマリウスを襲った。

 一方、エルサスは腰に差していた剣を抜いて両手で持ち、動きを封じられているミレーアに向かってふらふらと近付いて剣を振り上げた。見開かれた眼は虚ろで、光がない。

 キースがカミラに向かって走ったが、カミラの杖から閃光が走り、キースを直撃した。白い身体に血が散り、キースは祭殿の壁際まで吹き飛んだ。

「いかん、二人とも憑依されている」

 ドルキンは黒いフードの異形が繰り出す攻撃を姿勢を低くしながら避け、まずエルサスに体当たりした。しかしエルサスは怯むどころか、むしろドルキンの方が彼に払い倒された。水晶の剣がドルキンの手から飛んで落ちた。

 エルサスはドルキンに向き直り、馬乗りになった。少年とは思えない力で首を締めつける。ドルキンは背中の大斧に手を伸ばしたが、相手はエルサスだ。大斧だと手加減が難しい。

 かつてボードゥル戦争で最も悲惨だったのは、「憑依の呪詛」であった。呪詛で生まれた悪霊たちが森の民に憑依し、悪霊によって呪死させられた犠牲者たちは己も悪霊と化して同族を襲った。父親が子を襲い、娘が母親を襲う凄惨な仲間同士の戦いとなった。

 しかも呪死した人間はさらに他の人間へ憑依するために、瞬く間に東ファールデン全域に呪死と憑依が拡がった。凶悪な遠征軍たちによる蹂躙よりも、速く、確実に森の民を根絶やしにしたのだった。

 異形の者が次々と振り下ろしてくる鎌の攻撃を祝福儀礼が与えられた大盾とメイスで躱していたマリウスは、じりじりと後退りしながら悪霊たちに縛められているミレーアに近付いていった。この絶対的な不利の状況をなんとか打開するためには、まずミレーアを救出して守護の祝福を発動してもらう必要がある。しかし、この状況でミレーアを全く傷付けずに、悪霊だけに攻撃を加える自信はマリウスにもなかった。

 マリウスは横薙ぎに頭部を攻撃してきた黒いフードの異形たちに向かって大盾を投げつけ、異形たちが一瞬怯んだ隙をついてミレーアに突進した。青い光に包まれているミレーアをそのまま強く抱きしめた。

 確信はなかった。しかし、マリウスの白金の鎧はメイスや盾と同様に祝福儀礼を受けている。祓魔の効果があるかも知れない。

 果たして、ミレーアを包んでいた青い光の玉の群れは、背筋が凍るような甲高い悲鳴を上げて、マリウスの腕や胸の間から引き千切られるように四散し、霧消した。

「大丈夫か?」

 マリウスはミレーアに言った。

「く、苦しいです……」

 マリウスに強く抱きすくめられたミレーアは、顔を赤らめて呟いた。その瞬間、大きな鎌が二人を襲った。

 マリウスはミレーアを拝殿の脇にある天鵞絨の幕に向かって突き倒し、自らは背負っていた斧槍を手に取り、その柄で振り下ろされた二つの鎌を受け止めた。無論、この斧槍も祝福儀礼が与えられている。同時に、左手に握っていたメイスをミレーアへ向かって放り投げた。

 華麗な刺繍が施された幕から起き上がったミレーアはメイスを受け取り、それを両手で構えながら光の玉を牽制し守護の祝福を詠唱した。暖かいオレンジ色の光がミレーアを覆い、青い光の玉たちはミレーアに近付くことが出来なくなった。

 その状態でミレーアは別の祝福を唱え、左手に生じたオレンジ色の淡い光をドルキンとエルサスに向かって投げつけた。ミレーアの手から放たれた祝福の光はエルサスを直撃した。

 ドルキンの首を締めつけていたエルサスは一瞬怯み、ドルキンから手を放した。ミレーアが自由になっているのを一瞥すると、そのまま拝殿の外へと駆け出していった。

 身体を起こしたドルキンは水晶の剣を拾い、その後を追う。ミレーアの祝福が使える状態になっているのであれば、ここはマリウスだけに任せて大丈夫だろう。

 憑依されたエルサスは、尖塔の最上階にある拝殿から螺旋回廊を一階の聖堂に向かって駆け下りた。少年の足とは思えないほど速い。

 複数の青白い光の玉が空中に生じ、ドルキンめがけて襲ってきた。ドルキンは水晶の剣を左手に、大斧を右手に持った。光の玉を左手の剣で斬り払い、払い切れないものは斧の刃で防ぎながら走った。

 斬り払われた光の玉は次々と甲高い叫び声を上げて飛び散った。剣の隙間をかいくぐった光の玉も、纏わり付こうとするのをドルキンが巧みに防ぐので憑依することが出来ない。

 一階の聖堂に駆け込んだエルサスは、石扉を押し開けて神殿の外に出た。神殿の門から内側の敷地はまだ魔物の領域のようだ。そしてそこには、神殿の中にはいなかった森の民たちの呪死した霊たちがあちこちにたむろしている。

 エルサスは門の手前でドルキンを待ち受けていた。その周りを魔物によって活性化された霊たちが、黒い影と化して盛んに飛び回っている。

 ドルキンはエルサスを傷つけてもやむを得ないと覚悟した。この状況で紙一重の攻撃をすることは不可能だ。憑依されたエルサスをもはや子供とは思わない方がいい。

 ドルキンは両手で大斧を持ち直し、エルサスに向かって走った。憑依して呪死させようと黒い影が一斉にドルキンを襲った。鬼の形相になったドルキンは次々と黒い影を切り裂き、悪霊たちは斧の霊力によって滅せられていった。

 ドルキンが黒い影を引き裂くために振るった斧が、その重みで一瞬の隙を作ってしまう。そこを狙って、エルサスが剣でドルキンを襲った。エルサスには天性の剣の才能があるようだったが、ここではそれがドルキンにとっては裏目に出た。振り下ろした斧を握った上手の右手首をエルサスは的確に捉えて狙った。

 ドルキンは自ら右側に倒れて辛うじてそれを躱した。はやり手加減はできない。

 倒れたドルキンはそのまま受け身をとって一回転し、エルサスの背後に回り込んだ。斧を左手だけで持ち、水晶の剣を右手で再び腰の鞘から抜いた。左腕をエルサスの左脇から首に巻き付け固め、右手の剣をエルサスの首筋にあてがった。エルサスは人間のものとは思えない力でこれに抗った。

「殿下、お許しください」

 ドルキンは心の中で呟き、右手の剣を手前に引こうとした。

 その時、ドルキンは背後に悪霊とはまた違う殺気を感じた。慌ててエルサスの身体を放し、前に蹴った。同時にもう一度地面に自らも身体を投げる。一連の動きは頭で考えたというよりも身体が勝手に動いていた。

 ドルキンがいた辺りを一丁の戦斧が風を切って飛び去り、傍にあった石柱を砕いて地面に落ちた。

「動くな!」

 女の声だ。ドルキンは左足を立て、地面に右膝でひざまずいた姿勢のまま声の方を見た。

 小岩のようにがっちりとした小男がエルサスに走り寄った。女は白鉄の鎧に黒いマントとフードを身に着けていた。

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