二十五

 左手に鷲と金の天秤を意匠したファールデン王国の紋章が鋳込まれている丸い鉄の盾を持ち、右手に幅広のブロードソードを持った兵士と、両手で長槍を握った兵士が辺りを見回し警戒しながらその石造りの修道院に近付いていった。建物の周りは、既に数十人の王国兵士によって取り囲まれている。

 槍を持った兵士は扉の蝶番側に身を寄せた。剣を持った兵士が深く息を吸って、扉を拳で叩いた。覗き窓が開き、老人のものらしい眼が見えた。

「どちら様じゃな?」

 老人が思いのほか透る声で、扉の向こうから尋ねた。

「王都守備隊である。扉を開けよ」

「何の御用かのう」

「聞きたいことがある。扉を壊されたくなければ、大人しく扉を開けよ」

 兵士は剣の切っ先を、覗き窓の老人の眼に向けた。覗き窓に蓋がされ、鍵を開ける音がした。扉が少し、開いた。

 剣を持った兵士は、軽鉄のブーツの足先を開いた扉の隙間にこじ入れた。もう一人の兵士は、槍を背負って両手で扉を強引に引き開ける。剣を持った兵士がすかさず扉の内側に入った。庭に潜んでいた数人の兵士が扉に殺到する。

「手荒いことはやめてくだされ……」

 剣を持った兵士に突き飛ばされたシバリスは、尻餅をついたまま兵士たちに言った。建物に乱入してきた兵士のうち二人が剣を突きつけてきた。他の兵士は修道院の奥まで踏み込んで捜索を始めている。最後に入ってきた隊長らしき男がシバリスに尋ねた。

「マリウスという名の聖堂騎士を探している。ここは奴が育った修道院と聞いているが、立ち寄ってはいないか?」

 シバリスは首を横に振り、応えた。

「確かにマリウスは幼き頃この修道院で育ちましたが、もう何年も顔を見ておりませぬ。あの者がどうかしましたか?」

「奴が何をしたかを知る必要はない。隠し立てするとためにならんぞ? 正直に申せ」

 王都南部方面守備隊副長はシバリスの質問には答えず、さらに問いを重ねた。

「なにも隠してはおりませぬよ。この修道院ももう古くなってしまいましてのう。訪う者もすっかりいなくなりました」

 修道院の中を捜索していた兵士たちがばらばらと戻って来た。

「部屋を全て捜索しましたが、誰もおりません。この爺、独りのようです」

 副長はシバリスに言った。

「奴がもしここに立ち寄るようなことがあれば、すぐに守備兵に報告せよ。いいな?」

「承知いたしました」

 シバリスは逆らわず穏やかに応対し、一介の老人を完璧に演じていた。手掛かりにならぬと見た副長は、兵士たちに命令した。

「一度城に戻って司令官閣下の指示を仰ぐ。そこのお前とお前、ここに残れ。念のためにこの爺を見張っておれ」

 兵士たちは足音高く修道院から出て行った。

 扉の外に二人見張りが残った。シバリスは扉に鍵を掛け、軽い溜息を吐いた。

 覗き窓の蓋を外し、外を見てみる。兵士たちが修道院の門をくぐって出ていくところであったが、ちょうどそこに通りかかった馬に騎乗した二つの影が現れた。

 一人は女のようであった。軽装備の甲冑にフードとマントを身に付けている。もう一人は男であろう、背は低いがずんぐりした筋肉質の小山のような身体をしている。

 女の方が副長と話をしている。シバリスは嫌な予感がした。

 その予感は的中し、一度修道院を離れかけていた兵士たちが、またこちらに戻ってくるのが見えた。覗き窓の蓋を素早く閉める。

「エルサス殿下が聖堂騎士らに拉致されただと? 見た者がいるのか?」

 ナスターリア・フルマードは、王都南部方面守備隊副長に問い掛けた。副長はナスターリアの身分と階級を知って、直立不動で立っている。

「はっ、城壁塔におりました見張りの兵が、シュハール川を下って逃亡する聖堂騎士と拉致された殿下を目撃しております。フォルカ司令官閣下の指示で捜索をしていたところ、この村の船着き場で発見し、捕らえようとしたのですが……」

「逃げられたのか? 王都守備兵ともあろう者が、たかだか一人の聖堂騎士に後れを取ったというのか?」

 ナスターリアの表情が険しくなった。切れ長の眼が細められ瞳の光りが分からなくなる。副長の顔色が蒼白になった。言葉にできない重圧をナスターリアから感じ、額に玉のような汗が浮き始めた。

ナスターリアは馬を下り、半ば失神しそうになっている副長に問うた。

「ここは?」

「はっ、この修道院は、その聖堂騎士が育った場所との情報がありまして、念のため捜索を……」

「案内せよ。私自ら捜索する」

「はっ!」

 副長はぎこちなく身体を回し、ふたたび修道院の門をくぐった。ナスターリアと、馬から下りたラードルもこれに続いた。兵士たちは慌てて副長の後を追う。

 副長は修道院の扉の前に立ち、二人の見張りの兵士を下がらせて叫んだ。

「じじい! もう一度ここを開けよ!」

 扉はなかなか開かなかった。扉を叩き壊そうと近寄ってきた見張りの兵士が手斧を構えた時、ナスターリアがそれを制止した。

「お前たち、何をやっている。領民に対して手荒な真似をするな」

 ナスターリアはフードを脱いで扉の前で敬礼し、口上を述べた。

「王国辺境守備隊隊長ナスターリア・フルマードと申す。夜分恐れ入るが、公務執行のためにいささかお尋ねしたい儀があり罷り越した。扉を開けていただけぬか」

 鍵を開ける音がし、扉が開いた。白い髭を生やし、薄い灰色のローブを着た老人が現れた。ナスターリアは改めて敬礼した。

「御老体、ご面倒をおかけします。お邪魔してもよろしいか?」

 ナスターリアはあくまで丁重な態度を崩さなかった。シバリスは彼女を一目見て、尋常な遣い手ではないことを見極めた。

 表には顕さないが、シバリスは静かに緊張していた。

 シバリスはナスターリアを建物の中に迎え入れた。ラードルは建物の外で退屈そうに、兵士が持つ松明の灯りに照らされた庭のプリペットの生垣を眺めていた。ナスターリアは一緒に屋内に入ろうとした兵士を制し、外で待っているように指で示した。

「御老体。実は、アマード・アルファングラム三世陛下のご嫡男、エルサス王子が聖堂騎士に拉致され連れ去られたとの報告が上がっております。その聖堂騎士は御老体もご存じの者とのことで、我らは王命により彼を追い、殿下を取り戻さねばなりませぬ。少しでもご存じのことがあればお教え願いたい」

 ナスターリアはシバリスの眼を見ながら語りかけた。シバリスの瞳の色は全く変わらなかった。老境を迎え、残りの人生を全て神への祈りに捧げる、一介の老修道士に見えた。

「あの者がそのような大それたことを……。先ほども兵士の皆様にお話しいたしましたが、ここ数年マリウスには会うてはおりませぬ。しかし、そういう事情であれば、よけい私のところには参りますまい……。お役に立てず、誠に申し訳なく存ずる」

 ナスターリアはシバリスをしばらく見つめていたが、ふと視線を外し、辺りを見渡して言った。

「先程も兵士たちがお邪魔したとは思いまするが、もう一度部屋を検めさせていただいてよろしいか? 御老体にご案内いただけると助かります」

「はいはい、よろしゅうございますよ」

 シバリスは頷いて、部屋の中へ振り向こうとした。シバリスが背中を見せた瞬間、ナスターリアの眼が殺気をはらみ、鋭く瞬いた。剣を抜き、シバリスを一閃のもとに……。

 切られた、とシバリスは感じた。思わず身体が動いた。しまった、と思った。そして、シバリスは背中に浴びせかけられたのが剣ではなく、ナスターリアの声と殺気であったことに気付いた。

「御老体、只者ではないな。素性を明かされよ」

 ナスターリアの剣は実際には抜かれてはいなかった。シバリスは静かに眼を閉じた。ナスターリアの心の剣に反応してしまった自分を悔やんだ。ゆっくりと振り返ってナスターリアを見た。

「私はシバリスと申す修道士でございます。特に隠すような素性ではござらぬが、以前は王都神学院の教授を務めておりました」

 表情を変えぬままじっとシバリスを見つめていたナスターリアは、呟いた。

「シバリスという名の聖堂騎士が、かつて円卓の騎士の最高位にあったと聞いたことがある。もう引退されたそうだが」

「それは同名の別人でありましょう……」

 シバリスは眼を閉じて静かに言った。

「御老体。申し訳ないが、身柄を拘束させていただく。話は、城で詳しくお聞かせ願いたい」

 シバリスは抵抗しなかった。抵抗できなくもないが、こちらも無傷では済むまい。また、エルサスはあの日から行方が分からなくなっているので家捜しされても困ることはないが、隠れているエレノアを下手に見つけられても困る。

 シバリスは、ナスターリアに後ろに付き添われる形で修道院を出た。副長はシバリスの腕に手枷を付け、馬に乗せた。シバリスは、脇を騎乗したナスターリアと副長に固められ、城まで護送されていった。

 シバリスが王国兵士らに捕縛され、修道院から連れ去られてどのくらいの時間が経っただろうか。修道院の小さな礼拝堂の壁に彫り込まれているフォーラ神の像が静かに動いた。

 闇の中で神像が生きているかのように動き、止まる。神像の裏に人一人がやっと入れる空間が開き、修道院の壁に地下へと繋がる出入り口が姿を現した。

 細い手が神像の腰の辺りに触れ、次いで長い髪の少女の白い顔が現れた。神像の胸の辺りに覗き窓の仕掛けがあったが、シバリスから使うことを禁じられていたため、エレノアはシバリスに何が起きたのかを知ることが出来なかった。複数の人間の怒鳴り声や騒がしい物音が消えてしばらく時間が経ったので、表へ出てきたのだ。

「シバリスさん」

 エレノアは小さな声で呼んでみた。返事はない。

 エレノアは真っ暗な修道院の中を、足を忍ばせて歩いた。雲に隠れていた月が再び顔を覗かせ、窓からその明かりが差し込み、エレノアの影を壁に長く映した。

 修道院の中に人の気配はない。エレノアは溜め息をつき、礼拝堂にある古びた木の長椅子に腰掛けた。そして、途方に暮れたように、小さな窓から仄かな光を投げかけている細く青い月を見上げた。

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