二十四

 フォーラフル川を越えて逃げていくスラバキア騎馬兵の後を追い、渡河しようとしているヘルガーに追いついたオグランは、ヘルガーに向かって叫んだ。

「何をやっている、ヘルガー。深追いするな。戻って来い!」

 ヘルガーは左目の隅でオグランを一瞥したが、馬を止めようとしない。部下の騎兵を引き連れてそのままフォーラフル川を渡った。

 追われていたスラバキア兵は本隊と合流し、更に自国内へ引き潮のように撤退していった。ヘルガー一隊はその後を追う。オグランたちもヘルガーに続いて川を渡った。

 眼前に古代フォーラ神殿の遺跡が迫ってくる。美しい尖塔が、幾つも地上から生えたように屹立しており、朝日を浴びて黄金色の光を帯びていた。スラバキア兵はその尖塔群の間を縫うように整然と進んでいく。既に隊列は整えられ、兵たちも平静を取り戻していた。

 オグランはヘルガーの後を追って、遺跡と遺跡の間を通り過ぎようとした。そこは白亜の尖塔に囲まれた広大な神殿跡で、既に構造物は朽ちてほとんど土と化している。無造作に伸びた常人の腰の高さほどの雑草が生い茂っていた。

 オグランは馬を止め、左手を挙げてあとに続く部下たちに停止を命じた。砂塵が巻上り、馬たちの嘶きが聞こえた。

 神殿跡の中央に整然と隊列を整えたスラバキア兵数百騎が待ち受けており、その最前列で、オグランが騎乗している悍馬に見劣りしない、黒熊のような馬に髪を振り乱した素晴らしい肢体をした女が跨がっている。背中から大きな三日月型の曲刀を抜く。朝日を背後から浴びたその長い琥珀色の髪が血のように真っ赤に見えた。

 オグランは後ろを振り返り、唇を噛んだ。遺跡の陰から滲み出るように別のスラバキア騎兵が現れ、オグランたちの退路を断っている。王国兵たちの間に動揺が拡がった。

 その機を捉えたかのように、ヒルディアはオグランに向かって馬首を向け騎乗したまま疾駆してきた。ヒルディアに付き従っている騎馬兵たちは鶴翼に隊形を取り、オグランの隊を押し包むように前進してきた。

 オグランは背負っていた大剣を右手で引き抜いて両手で持ち、脚で馬躯を制してヒルディアを迎え撃つべく馬を走らせた。オグランとヒルディアの身体が馬上で剣を介して一つに交わった。ヒルディアの曲刀の一撃をオグランは大剣の刃で受け、鋭く刃がかみ合う音とともに火花が散った。

 オグランはヒルディアと行き違った勢いのままに、ヒルディアの後ろに続いていた騎馬兵たちを大剣で薙ぎ払った。数人が馬ごと身体を撫で斬りにされて地面にその四肢が飛び散った。ヒルディアも同様に、ファールデン辺境守備兵たちの頸を曲刀で刎ねていった。両軍の騎馬兵が激しくぶつかり合い、剣戟の音と悲鳴が交錯した。

 オグランとヒルディアは再び騎上で向かい合った。ヒルディアは両手で曲刀を持って構えた。オグランも同様に大剣を上段に構える。ほぼ同じ呼吸で二人は同時に馬体を蹴り、急速にお互いの距離を縮めた。

 擦れ違う瞬間、オグランは剣を斜めに振りヒルディアの胴体を狙って斬り下ろした。手応えがあった。しかし、真っ二つに斬り分かれたのは、ヒルディアが騎乗していた馬の胴体であった。ヒルディアはオグランの大剣が振り下ろされる一瞬前に騎上から宙に跳び、オグランの乗っている馬の頸を水平に薙ぎ払っていた。

 切断された馬の首がオグランの左肩を強打し、馬体はそのまま脚を折るようにして前のめりに倒れた。オグランは身体の流れに逆らわず、そのまま馬の前に頭から飛び込んで受け身を取りつつ一回転して膝を突き、大剣を中段に構え直した。目の前にヒルディアの燃えるような瞳が迫った。

 ヒルディアは巨大な曲刀を軽々と振り、オグランを攻め立てた。オグランは大剣の刃でこれを受け、すかさず大剣をヒルディアの頭をめがけて振り下ろした。オグランの僧帽筋が膨れ上がり、常人の目には止まらない速さで大剣が何度も振り下ろされる。ヒルディアはこれを刃一枚のぎりぎりで見切って捌いた。

 オグランは、ヒルディアが曲刀を逆手に持ち直す瞬間を見逃さなかった。右脚でヒルディアの腹部を蹴り、重い剣を振り上げる時間を惜しんで大剣の柄頭で顔面を殴った。ヒルディアの鼻腔から血が吹き出し、豊満な体躯が仰向けに倒れた。オグランはそのヒルディアに馬乗りになり、大剣の刃を頸元に押し付けた。

 オグランがヒルディアの首を取ろうとした時、オグランの腹から槍の穂先が生えるように突き出てきた。

 オグランの手から大剣が落ちた。オグランは信じられないものを見るように自らの腹を見下ろし、槍の穂先を両手で掴んだ。しかし、羽根槍の羽のような突起が背中に引っかかって、前からは容易には抜けない。

 オグランは左手を背中に回して背中から槍を抜こうとした。振り返ったオグランが見たものは、大盾を背負ったヘルガー・ウォルカーであった。手にした槍をオグランに突き立てている。

「ヘルガー……何故だ?」

 ヘルガーは一度槍をオグランから抜いて大きく振り被り、体重を乗せて再びオグランの背中に深々と刺した。オグランの形相が変わった。羽根槍が刺さったまま立ち上がったオグランは、身体を大きく回してヘルガーを背中から振り落とした。

 大剣を拾い、上段に構えてヘルガーに迫る。ヘルガーは立つことができずに座り込んだまま後退った。

 オグランは剣を振り下ろした。が、その瞬間、オグランの肘から先がヒルディアの曲刀に切り払われ、大剣を握ったままの腕が宙へ飛んだ。

 振り返ったオグランの腹部にヒルディアの曲刀が深々と刺さった。ヒルディアは曲刀を捩じりながらオグランの腹から引き抜いた。オグランは臓腑を撒き散らしながら、大木が倒れるように仰向けに倒れた。

 ヘルガーはようやく立ち上がり、左足でオグランの頭を蹴って唾を吐いた。

「ざまあねえぜ」

 オグランが率いていた兵士たちはほとんどがヒルディアの曲刀の餌食となったか、スラバキア兵に切り刻まれていた。ほぼ全滅である。

 ヒルディアは、曲刀を背中に納めた。その時、少し離れた遺跡と遺跡の間からファールデン王国兵と思われる一群の兵隊が姿を現した。

 ニアであった。オグランの後を追って、数百騎を引き連れて進軍してきたのだ。

 ニアは、ヒルディアたちから距離をおいて隊列を整えた。射手に弓を引かせた状態で待機させる。倒れているオグランを目にしたニアは、悲鳴に近い声を上げた。

「オグラン!」

 ニアは、油を塗りたくったように紅い返り血を浴びたヒルディアと、薄ら笑いを浮かべているヘルガーを睨み付ける。ニアの一隊が弓を引き構えているため、スラバキア兵も軽々に動けない。矢を放つ合図のために左手を肩の高さまで上げたまま、ニアはヘルガーに問うた。

「ヘルガー。裏切ったのか? 何故だ!」

 ヘルガーは鼻で嗤って応えた。

「俺が仕えているのはアルバキーナの王様でもフォーラの女神様でもねぇよ。ずうっと前からな。この大陸を支配するのはファールデンじゃあない。スラバキアだよ。我が敬愛する女王が、この大陸を治めるのだ」

 ヘルガーは恭しくヒルディアの足元に跪き、そのつま先に接吻した。

 スラバキアはファールデン王国からは蛮族と蔑まれ、教皇庁からは異民族として異端扱いを受けていたが、元々はファールデンよりも歴史が古く、狩猟の女神を信仰する女性だけで構成された独特の騎馬民族国家であった。

 スラバキアには男が存在しないため、子孫を残すために他の国や民族の男の元に行き交わる。国に戻った女が男児を産むと、そのまま殺してしまうか不具にして奴隷にした。

 ファールデン王国始祖アグランドが東西ファールデンを統一して以降もしばらくその習慣はファールデンに残っており、歴代の王もこれを特に咎めることはなかった。しかし、第十三代国王グラフゥスが女神フォーラ信仰を国教と定めて以降これが教義で禁じられ、ファールデンに入ったスラバキアの女たちは、みな異教徒として地下牢に投獄され、そのほとんどが拷問を受けた上に惨殺された。

 スラバキア歴代の女王たちにとってはファールデンは子孫を残すためには必要な土地であり、宗教上認められている男の狩り場であった。また、長く続いた虐殺と弾圧の歴史によって、ファールデン王家は彼女たちにとって民族的復讐の対象そのものであった。しかし、ファールデンの国力は強く、長らくそれを実現することが出来なかった。

 スラバキアの女王たちは代々ファールデンに密偵を多く放って機会を待ち、密偵たちも世代を継いでその女王たちに仕えていたのである。ヘルガーの一族も、数代前にスラバキアからファールデンに侵入した密偵の末裔であった。

 もう躊躇するものは何もない。オグランの仇を取るのだ。

 ニアが矢を左手を素早く下ろすと同時に、数百の矢の雨がスラバキア兵の頭の上に降り注いだ。

 それとほぼ同時に、スラバキアの騎兵がニアたちに向かって殺到した。何人かは矢を受けて馬から転げ落ちたが、騎兵の勢いは止まらず、そのまま王国兵の隊列の中に傾れ込んできた。ニアは、隊列が乱れた部下たちに向かって叫んだ。

「退くな! 迎え撃て!」

 ニアが叫び終わらないうちにヒルディアの曲刀がニアを襲った。馬が大きく竿立ちになり、曲刀の一撃は避けられたものの、ニアはそのまま落馬して背中を強打した。痺れて身体が動かない。辛うじて左手で左の腰から剣を抜いた。

 ヒルディアはその左手を右足で踏みつけ、そのまま右膝でニアの胸を押さえつけた。ニアの息が詰まった。

 ヒルディアは曲刀を無造作に振り上げた。

 ニアがもはやここまで、と眼を瞑ろうとした時、背後から近付いてきた大きな影が、ヒルディアに体当たりした。ヒルディアがニアの上から転げ落ちる。

「逃げろ。兵を連れて撤退し、国境線を守れ」

 両腕を失い血まみれのオグランがヒルディアに覆い被さり、言った。

「ぐずぐずするな! このままでは全滅する。国境を越えて態勢を立て直すんだ」

 ニアははだけた鎧を左手で押さえて立ち上がり、右手で馬の手綱をつかんだ。

「オグラン!」

「俺はもう保たん。王都に……ナスターリアに伝令を飛ばしてこの状況を伝えるんだ。こいつらを王都に一歩たりとも入れてはならん」

 ニアは身が引き裂かれる思いで馬に跨がり、兵に退却の下知を出して馬の腹を蹴った。涙が止まらない。

 馬は大きくいななき、フォーラ神殿の遺跡の間を駆け抜けていった。何人かのスラバキア兵が退却していくニアと王国兵の後を追った。

「ナスターリア……」

 混濁していく意識の中でオグランは呟いた。目が霞む。

 最期の力を振り絞って覆い被さっていたオグランを、ヒルディアは身体から引き剥がして立ち上がった。凄絶なまでに美しい笑顔を見せる。

「死なすには惜しい男だが」

 ヒルディアは俯せに倒れて動かないオグランを脚で踏みつけ、両手で掴んで振り上げた曲刀をその頸に向かって裂帛の気合いと共に振り下ろした。オグランの頭が血飛沫とともに朽ちた神殿の床に転がった。

 オグランの首を拾って左脇に抱え、しばらく考え込んでいたヒルディアは、兵士たちに命じた。

「いったん国境から退く。本隊に合流せよ」

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