十一

「ファルカー、先頭を行け」

 マリウスは一人の騎士を先頭に立て、続いてドルキン、マリウス、ミレーア、そしてもう一人の聖堂騎士であるアルギールの順に森の中を進んだ。太陽が頭上近くまで上り、陽が射してきた。一行を包んでいた霧も次第に晴れていった。

 森を抜けたドルキンたちは、眼前に広がるイータル湖の異景に瞠目した。湖自体の大きさはマーレン湖ほどではないが、湖畔には真っ白な植物が群生しており、湖面も純白のシーツを敷き詰めたように乳白色に光っている。湖のほぼ中央に島があり、その周りを白い巨木が取り囲んでいた。それらがそれぞれ空に向かって伸びており、白亜の周柱に見えた。

 ドルキンたちはイータル湖畔に到着した。水深は非常に浅い。水面が真っ白に見えたのは、湖底に白い沈水性植物がびっしりと繁茂しているのが、水深が浅いために水面を白く見せていたものであることが分かった。

 先頭を行くファルカーが、メイスを構えながら静かに湖面に足を入れた。湖底の太い藻のような植物が柔らかく脚に絡み歩きにくい。

 ドルキンが湖に足を踏み入れた、その瞬間であった。ファルカーの叫び声が上がった。ドルキンは顔を上げ、ファルカーを見た。

 ファルカーの膝から下が真っ白に見えた。いや、足下から湖底の白い藻が這い上っているのだ。膝から腰が白く染まり、ファルカーはメイスを放り投げて両手で藻を払おうとした。

 それは、藻ではなかった。白い小さな蛇がファルカーの足下から続々と這い上ってきているのだ。白金の甲冑の隙間から次々と白蛇が侵入してくる。

 ファルカーは気が狂ったように腕を振り回し、甲冑を脱ごうとした。しかし、甲冑の中には既に白蛇が満ちており身動きができない。ファルカーの動きが止まった。

 兜と甲冑の間から白蛇が沸き、円筒形の兜に呼吸と視野確保のために開けられた穴から次々と白蛇が落ちてくる。ファルカーは動きを止めたままゆっくりと湖の中に倒れた。水飛沫が上がる。その姿は、白い苔に覆われた小山のように見えた。一瞬の出来事である。

「来るな!」

 ドルキンは自分に続き湖水に入ろうとしていたマリウスを制し、足下から這い上ってくる白蛇を、手に持った腰の投擲ナイフで切り刻んで払い落とした。切っても切っても這い上がってくる。切りがない。

 数歩湖水に足を踏み入れていたマリウスは慌てて岸に戻り、ソールレットからグリーブに纏わり付いている白蛇をモーニングスターで叩き潰した。何匹かは甲冑の中に侵入していたため、サーコートと甲冑を慌てて外す。リネンを幾層にも重ねて縫い合わせたキルト状のギャンベゾン姿になり、侵入してきた白蛇を払い落とした。

 ミレーアは蒼白な顔色で立ち尽くし、両手で唇を押さえている。肩が大きく震えていた。アルギールはミレーアの手を縛めることも忘れ、呆然とハルバードを両手に持ったまま、この光景を眺めていた。

 ドルキンの銀狼の革鎧には甲冑のように白蛇が這い入る隙間はなかった。ドルキンは背負っていた神斧を背中から抜いて足許に叩き付けた。

 足元に絡みついていた白蛇が水飛沫と共に散り散りに逃げていった。アムラク神殿に奉ぜられたこの大斧には、不思議な力が秘められているようだ。白蛇はこの斧を忌避し、斧が振り下ろされた場所から渦が拡がるように散っていくのだ。

 本来の湖底が見えた。ドルキンは白蛇が散った跡を辿って、岸辺に戻ってきた。

「大丈夫か?」

 マリウスは頷き、ドルキンに言った。

「これは……いったい……サルバーラに何が起きているのですか」

「説明は後だ。聖下の御宣託に関係があるとだけ言っておく。とにかく、神殿に向かおう」

 ドルキンはマリウスの手を引き、立ち上がらせながら言った。

「向かうと申されても、どうやって……」

 アルギールが叫ぶように言った。

「とにかく、甲冑を脱げ。それから、私が先頭を行く。この斧で白蛇を追い散らすから、その跡を辿って素早く私に続け。それから、念のためにこれを持っておけ。メイスやハルバードでは対応できない」

 ドルキンは三人に投擲ナイフを渡した。マリウスは一瞬躊躇したが、意を決したようにドルキンに言った。

「師よ、あなたの仰せの通りにしましょう。アルギール、松明を準備しておけ。蛇は火を嫌う。二人が逃走することはないと私が保証しよう。とにかく周囲への警戒を怠るな」

 アルギールは慌てて甲冑を脱いだ。松明に火を点け、荷物とハルバードを背負った。

 ドルキンは慎重に湖水に足を踏み入れた。白蛇たちが小さくうねってさざ波を作った。斧を両手で持ち、足許の水面に円を描くように払う。白蛇は斧の刃を嫌って四方へ散っていった。

 一行はドルキンの後に素早く続く。最後尾のアルギールは火の点いた松明で近づいてくる白蛇を牽制した。

 一行が湖中央の島に辿り着くまで十数分ほどであったろうか。結局水深はここまで変わらなかった。白蛇も島にまでは上陸してこなかった。

 ドルキンは注意深く島を観察した。上陸してみると、湖畔から見た時よりも大きく感じた。複雑に絡み合う白い巨木が島の中央まで続いているように見える。まさに自然が作り出した神殿であった。

「枢機卿は、神室がある島の奥の拝殿にいらっしゃるはずです」

 頬に生気が戻って来たミレーアは、島の中央を指さしながら言った。

「よし、行こう。だが、油断するな」

 ドルキンは神斧を両手に持ち、先頭を進んでいった。マリウスとミレーアがそれに続き、アルギールはしんがりを務めた。

 目の錯覚か?

 目の前にある白い巨木の太い枝が動いた。アルギールは思わず眼を擦り、その白い枝に触れた。

 アルギールの悲鳴にドルキンは振り返った。アルギールは腕から肩に掛けて白い巨大な枝に巻き付かれ、それを振り解こうとしていた。

 次いで、ミレーアの悲鳴が上がった。それまで白い巨木だと思っていた木々の枝が次々と白く太い蛇と化し、上から落ちてきた。ミレーアは数匹の白い大蛇に巻き付かれ、押し倒された。フードが外れ、プラチナブロンドの髪がこぼれた。

 ドルキンとマリウスは、素早く動いた。ドルキンは、ミレーアに巻き付き、胸から首にかけて締め付けようとしている白蛇の頭を左手で引き剥がし、右手の大斧でその首を断ち切った。鈍い音がして蛇が離れ、頭を失った胴体がのたうち回る。同じようにして脚から腰に巻き付いていた蛇を叩き斬る。

 マリウスはモーニングスターを握り、アレギールの首に噛みついていた白い大蛇の胴体を殴りつけた。鋭い棘で皮膚を引き裂かれた大蛇は、頭をマリウスに向けて威嚇した。その頭を叩き潰す。

「マリウス、切りがない、走るぞ!」

 ドルキンはミレーアを左手で抱きかかえ、大斧を右手に持って走った。

 マリウスはアレギールが事切れていることに気付き、強く唇を噛んだ。一瞬逡巡したが、アレギールの持っていた荷物とハルバードを取り、巻き付いてこようとする数匹の大蛇を躱し、ドルキンに続いて走った。

「拝殿だ!」

 ドルキンは、大きな波のように押し寄せてくる白い大蛇たちを大斧で掻き分けて叫んだ。マリウスも、ハルバードで大蛇を薙ぎ払いながら走ってきた。

 二人は拝殿の広い白亜の階段を駆け上って大きな扉の前で振り返り、それぞれ大斧とハルバードを構えた。無数の白い大蛇たちは階段の下で無念そうに蜷局を巻き、頭を持ち上げてこちらを威嚇している。だが、階段を登ってこようとはしない。

 ドルキンは抱えていたミレーアを拝殿の前に下ろし、マリウスの肩に手を添えた。マリウスの肩は震えていた。部下を失った哀しみが故だった。ドルキンは言った。

「勇敢な聖堂騎士だった。彼らは自分の義務を果たしたのだ」

「まだ若い未熟者でしたが、私にとってはかけがえのない者たちでした。ドルキン様、ありがとうございます」

 マリウスは、かつての師弟時代のようにドルキンに頭を垂れた。

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