鋭い突きを上段に放つと見せてこちらのガードを誘い、次の瞬間深く踏み込んで中段の装甲が薄い脇腹を巧みに狙ってくる。

 踏み込んできた突きをこちらが剣で払いざま腕に刃身を叩き込もうとすると、左手に持った大盾で弾かれる。

 穂先の根本部分にある羽根のような突起が、敵の身体に刺さった時に歯止めとなる槍の達人として知られるヘルガー・ウォルカーは、いったん剣のそれになった間合いをじりじりと外し、距離を取ろうとする。

 膠着状態になった。ヘルガーは間合いを取ろうとし、ナスターリアは間合いを詰めた。羽根槍の長い間合いは剣には不利だ。

 ヘルガーが更に後ろに下がろうとするところに、ナスターリアはむしろ走り込み、右足でヘルガーの大盾を強く蹴った。ナスターリアの急な動きに狼狽したヘルガーが盾を蹴られて一瞬両足が揃ったところに体身を入れ替えて振り向きざまに片手で剣を叩き付ける。

 ヘルガーもこれに応じて鋭い槍の一撃を放ったが、体勢が崩れていたため不十分な突きとなった。ナスターリアの反応は速かった。

 不十分なそのヘルガーの突きを左手の小盾で弾き、その反動で大きく後ろに仰け反ったヘルガーに身体を寄せるようにして頸元に剣の切っ先を見舞った。剣先が喉に触れる寸前で止める。ヘルガーの喉仏がごくりと動くのが見えた。

「そこまで!」

 ナスターリアやヘルガーと同じく、辺境守備隊の隊長であるオグラン・ケンガが立ち会いを止めた。ヘルガーは口の中で何事かを罵りながら、痩せた体躯に不似合いな大盾を背負い、細い白い眼でナスターリアを睨んだ。

 ナスターリアは涼しい瞳と一礼でこれに応じた。ヘルガーは大盾と槍を担いで、のそのそと剣技場の隅に退場した。

「次は俺の番だな。ニア、審判してくれ」

 ニアと呼ばれた小柄な褐色の肌をした女は頷いて前に出た。

 オグランは、背負っていた常人の背丈程もあろうかと思われる長い刃身を持つ大剣を、肩に担いで剣技場の中央に進み出た。

 ナスターリアとオグランはお互いに五、六歩ほどの間合いを置いて一礼した。ナスターリアは左手に小盾、右手に直剣を握り、オグランは巨大な剣を両手で持って下段に構えた。

 その瞬間、ナスターリアは急激に間合いを狭めた。そのタイミングを待っていたかのようにオグランは下段から上段に向けて大剣を斜めに振り上げた。

 盾で受けるような愚かな真似はしない。ナスターリアは紙一重、ぎりぎりのところでオグランが振る大剣を見切って、相手の懐に入る隙を窺った。

 しかし、オグランは振り切ったところで剣を止めず、そのままの勢いで肩に担いで突きの体勢に入る。この重い両手持ちの剣を、隙を作らずに振り回すオグランの膂力には凄まじいものがある。

 オグラン・ケンガは身長二メートルを超え、全身が分厚い筋肉の鎧で覆われている。盛り上がった僧帽筋で埋まった首と圧倒的な胸筋が太すぎて鎧が身に着けられないため、平時はもちろん戦闘時でさえ上半身は革製のギャンベゾンしか着ていない。彼が大剣を背負うと、それが普通の剣に見えた。

「なんだ、どうした? いつものお前のキレがないぞ!」

 汗は筋肉の表面に薄く拡がっているものの、息も上がらずにその鉄の塊のような大剣を肩に担いでオグランは言った。

「鬼の中隊長殿が、そんなことじゃ困るぜ」

 ニヤリと笑ってオグランは肩に担いだ大剣を再び両手に持ち、ナスターリアの細い腹部に向かって横殴りに斬りつけた。

 ナスターリアはそれを避けられなかった。赤いキルトのギャンベゾンすれすれで剣が止まった。ヘルガーとニアから思わず声が漏れた。

「やめだ、やめだ。こんなんじゃ練習にならん。ヘルガー、ニア、先に上がっていてくれ」

 ニアは軽く肩を竦め、顎でヘルガーを促し、螺旋階段を上がっていった。ヘルガーはぶつぶつ言いながらニアの後を追った。

 オグランのスキンヘッドの下にある小さな丸い眼が曇った。斜めに大きな切り傷の跡がある頬を太い指で掻きながらナスターリアの顔を覗き込む。

「大丈夫なのか? 今朝から様子がおかしいぞ。隊長がそんなことでは部下に示しがつかん。どうしたんだ」

「オグラン……お前に聞いて欲しいことがあるんだが、部屋まで来てくれるか?」

 ナスターリアは意を決したように、伏せた眼をオグランに向けて言った。まともにナスターリアと眼が合って、瞳を覗き込まれたオグランは大きな身体に似合わず狼狽え、耳の下から鼻まで真っ赤になった。

「あ、ああ。いいとも。なんだ、改まって」

 ナスターリアは持っていた盾と剣を剣技場の壁に架け、先に立って螺旋階段を上がっていった。オグランは大剣を背負い、その後に続いた。思わず、ナスターリアの形の良い脚に眼がいったオグランは慌てて眼をそらす。

 西の砦には大隊長の私室と、その他の隊長が共有して使っているいくつかの私室がある。ナスターリアはそのうちの一つを使っていた。松明が二つおきに灯された薄暗く狭い廊下の途中に、その私室はあった。

 鍵を開けたナスターリアは、簡素な木製の机の前にある傷だらけの椅子を扉側に向けて座った。壁に架けられた燭台の蝋燭から、頼りなげな光がナスターリアの端正な横顔に陰を落とした。

「入ってくれ」

 扉の前で入り口を巨体で塞ぐように立っていたオグランは、身体を二つに折って部屋に入ってきた。

「そこを閉めて」

 オグランは後ろ手に扉を閉めた。立ったままナスターリアを見つめる。

「母が……王都に私の母がいることは知っているな?」

「母? お前のお母さん?」

「もう十年も会っていないけれど」

「ああ、知っている。去年大隊長が亡くなった時、王都に帰るって言っていたのは、お母さんがいたからだろう?」

 一瞬落胆の表情を見せたオグランは、背負った大剣の柄に彫られた竜を指先で弄りながら言った。

「今朝早くに、その母が体調を崩していて、あまり良くないという知らせがあった」

「……あのドワーフか」

 オグランは腕を組み天井を見つめた。

「王都に帰りたいというのか?」

 暫く黙って再びナスターリアに視線を落としたオグランは、深く息を吐きながら言った。

 ナスターリアはオグランの視線に眼を反らし、頷いた。

「お前、何か隠してるな? あのドワーフが来てから、お前の様子がおかしいことには気付いていた。去年王都に帰ることを断念したお前が、突然お袋さんの話をするのも納得がいかん。本当にあのドワーフは、そのためだけにわざわざこんな辺境くんだりまで来たのか?」

 オグランは、閉じた部屋の扉の前から大股にナスターリアの前まで歩いてきた。ナスターリアの足許に跪いてその手を取る。ナスターリアの肩が、ぴくりと動いた。

「俺には全部、話をしてくれ。一体何があった? どうしたというんだ?」

 ナスターリアは、オグランの瞳を見つめ返した。グラウコーピスの瞳が哀しみとも諦めともつかない複雑な表情を見せて、そして閉ざされた。たとえオグランといえども、将軍の密命を漏らすわけにはいかない。

「何も隠してはいないよ、オグラン。私は王都に帰る。私の隊は、貴方に指揮を執って欲しい」

 オグランは静かに立ち上がった。暫くそのままナスターリアを見下ろし、その柔らかい赤毛を見つめていたが、岩のような掌で彼女の赤毛に触れ、そして踵を返して扉の方へ歩いていった。

「分かった。必ず、帰ってこいよ」

 オグランは振り返らなかった。

 その巨体が消え、静かに扉が閉じられた。ナスターリアは、一瞬椅子を離れて扉の方に駆け寄りかけ、辛うじてそれを思いとどまった。握りしめた拳の、細い指が白くなった。

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