王都アルバキーナは、別名「双頭の梟」と呼ばれている。これは、王都の中心にふたつの「城」が存在するからである。

 一つは、言うまでもなく国王の居城であるアルバキーナ城で、王都の東を流れるシュハール川に面しており、その川から引いた水を城壁の周りに貯え環状堀とした堅牢な要塞城だ。巨大な主塔(ベルクフリート)と複数の門塔、側塔、城壁塔に囲まれた広大な城内に王が住む居館(パラス)が拡がっている。

 もう一つは、唯一絶対の女神を奉ずる、国教たるフォーラ信仰の頂点に君臨する教皇の居城ともいうべき教皇庁である。教皇庁はユースリア大陸に散らばるフォーラ神殿を統括する聖堂神殿の一つで、教皇のみならず宗教儀式に携わる司祭や修道女、枢機卿たちが住む広大な居住区を擁する。その構造は複雑で、かつてはアルバキーナ城とも地下で繋がっていたといわれる。

 教皇庁は王城の北、王城よりもシュハール川の上流に位置していた。壮麗な神殿様式の建造物は北西に長く、フォーラ神の像が彫り刻まれた大理石の円柱がいくつも屹立する北の大門から、教皇庁正門に到るまで扇型に白亜の階段が緩やかに続いている。

 正門を守る重厚な鉄の大扉を開くと、正面が拝殿と祭殿に向かう大廊下、左が修道院と司祭や修道女たちの居住区に繋がる回廊になっている。右側は蔵書が収められた書庫と大広間、そして教皇に次ぐ地位である枢機卿たちの居室がある。

 枢機卿カルドール・ハルバトーレの執務室は、正面の大廊下から二階へ続く螺旋階段を上り詰めたところにあった。教皇フィオナ・ファルナードが崩御した今となっては、カルドールは事実上フォーラ神殿の政治的な最高位にあると言って良い。踝まで沈む毛織物の絨毯を敷き詰めたその部屋は、贅を尽くした調度品と背の高い巨大な暖炉が目を引く。

 重い鉄製の扉が、剣の柄頭で叩かれる音がした。

 カルドールは、膝の上に乗せていた若い修道女を両手で抱えて脇に置き、右手の中指に残る女の残り香を愉しんでから指を舐めた。癖を持った黒髪の頭頂部は薄くなり、長年の不摂生が祟り身体の線もぶよぶよと大きく崩れ、湿った黒い頬髭の上にある眼は灰色に濁っていた。

 身の回りの世話をするその小柄な修道女は蹌踉めいて執務机の脇に座り込んだが、すぐに身繕いをして立ち上がった。

 扉が軋みをあげて開かれ、一人の男が執務室の中に入ってきた。

「カルドール猊下、お呼びでございますか」

 聖堂騎士の正装である鎧とマントを身に付け右腰に剣を帯びたその男は、銀色の兜を左手に抱え、右手でカルドールに敬意を示す印を結びながら、低いよく通る声で言い、片膝をついた。

「うむ、ご苦労。どうだ、外の様子は。少しは落ち着いたか?」

 華麗な刺繍が施された大きな椅子に埋まるように座っていたカルドールは、その騎士に尋ねた。威厳に満ちた声音であるが、尊大な響きは隠しきれない。

「遺憾ながら、聖下御崩御の影響は大きすぎました。円卓の騎士の協力も得て神殿騎士を王都及び近郊の神殿に配し、人心の安寧に努めておりますが、領民信者のみならず修道院の者どもも恐慌状態に陥っております。僭越ながら、一刻も早く次期教皇聖下の御叙任を進める必要があろうかと存じます」

 騎士は面を伏せたまま答えた。

「次期教皇聖下の御叙任の準備は粛々と進んでおる。武力を用いても構わん。とにかくそれまで領民信徒を抑えておくのだ」

 カルドールは不機嫌そうに騎士の顔を一瞥した。

「ところで、マリウスよ。聖下がご崩御された後、聖下付きの修道女と聖堂騎士が一人、王都を出奔したのは知っておろうな?」

 カルドールはいったん起こした身体を、背もたれに預けながら言った。

「は……」

 マリウスと呼ばれた騎士は曖昧に言葉を濁した。

 マリウスは教皇庁の聖堂騎士で、若いが既に円卓に任じられており、若手騎士の中心的存在であった。引き締まった褐色の肌に癖のある暗いブロンドの長髪と顎を覆う短めの髭が精悍だ。

「フォーラ神の御名において、お前に重要な任務を与える。聖下殺害の容疑者である聖堂騎士ドルキンと修道女ミレーアの追捕を命ずる。その間、教皇庁の衛士長としての任は一時解くこととする」

 マリウスは頭を垂れたまま唇を噛んだ。そして、顔を上げてカルドールに向かって言った。

「恐れながら、猊下」

 一呼吸置いてマリウスは一気に続けた。

「ご存じの通り、ドルキン卿は私の師匠でございます。彼はフォーラ神への信仰も深く、一生をその御心に捧げた者であります。私の知る限り、ドルキン卿が聖下を弑するなど、あるべからざることと存じまする」

 カルドールは濁った険のある眼で、じろりとマリウスを睨んだ。怒気にこめかみの血管が浮いた。

「お前の意見など、聞いておらぬぞ」

 腹の底に響く強い声で言ったカルドールは、苛立ちを押さえるかのように眼を閉じた。

「……だが、他ならぬお前の申し立てだ。何も知らぬとあれば寝覚めも悪かろう」

 カルドールは眼を閉じたまま続けた。

「ドルキン卿は聖下が崩御された直前に、密かに聖下に拝謁しておるのだ。我々枢機卿たちにも知らされず、お前たち円卓の者どもも知らずにおったろうが……」

 マリウスの表情に驚きが走った。初耳だったのだろう。

「どうやって聖下と繋ぎをつけたのかは、分からぬ。だが、聖下と最後に接したのはドルキン卿と聖下付きのミレーアだけなのだ。その翌朝、聖下は遺体となって発見された。遺体が発見された経緯はお前もよく知っておろう」

 もちろん知っている。あの日のことを決して忘れることはできない。マリウスは言葉を呑み込んだ。

「失礼いたしました。何卒、ご寛恕のほどを」

 マリウスは再び頭を垂れ、カルドールに赦しを請うた。

 師たるドルキンの罪を信じたわけではない。しかし、これ以上抵抗を試みてもカルドールの怒りを買うばかりである。それよりも、ドルキンと直接話をし、事の真偽を問うた方が良いと判断したのだ。

 カルドールの執務室を退室したマリウスは、教皇の寝室で観たその光景を思い起こして軽く身震いした。

 衛士の報告は速やかに行われ、マリウスより前に教皇の寝室に入った者は教皇付きの修道女と彼女を見つけた衛士のみであった。衛士長として教皇庁の刑事に従事していたマリウスは、カルドールよりも先に現場に駆けつけたのである。

 寝室の中は、凄惨を極めていた。 

 教皇の小柄な身体は寝台の上にあったが、五体が寝台の天蓋を支える柱に括り付けられていた。ぎりぎりまで引き延ばされた手足と首の骨は内部から砕かれており、皮膚だけで辛うじて身体が繋がっていた。

 胸から腹にかけて寝衣ごと縦に切り裂かれており、内臓は全て取り出されているように見えた。そしてそれが、あたかも祭壇に供えられた生け贄のように、寝台の側にある脇卓の上に載せた硝子の器に盛られているのだ。両眼は抉られ、歯も全て折られて切り取られた舌が別の生き物のように頭の横に転がっていた。

 血液の量から判断して、これらの残忍な行為は教皇が生きているうちに行われたことは明白であった。人間の所業とは思えなかった。ましてや、ドルキンがあのような真似をするはずがない。

 マリウスはしかし、教皇崩御の直前にドルキンが教皇に会っていた事実をどうとらえれば良いのか迷っていた。普段のドルキンであれば、枢機卿や他の円卓の騎士たちはともかく、マリウスには一言あるはずであった。

 いったい、教皇に、いや、ドルキンに何があったのか。

 マリウスは教皇庁の大広間の脇にある従者用の小扉を開き、外へ出た。教皇庁に併設されている修道院に向かう小道を歩きながら、マリウスは考えに耽っていた。

 頭を切り換えなければ。教皇を殺害したのが誰であれ、ドルキンを追う以上、優秀な若手の騎士を選んで同行させなければならない。誰を選ぶか。

 マリウスは部下のうち二人を選んだ。大人数を編成すると万が一のことがあった場合に話が大きくなり、内々で済ませるべき話も済まなくなる。

 マリウスは深い溜息をつき、彼の今の心のように重い石造りの門扉を開き、修道院に入っていった。

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