第74話 客間での会合
「これが例の……」
幹雄がそう呟きながら、和也から手渡されたクレマチスの依代を見つめる。正面からは勿論、持ち上げて照明の光に透かすなどあらゆる角度から観察するその視線は真剣そのものだった。
隣に座る勇も、依代を興味深そうに覗き込んでいる。
「まさか駅神様がそのようなことをなされるとはね」
勇は依代から視線を外すと、腕を組んで残念そうな面持ちで言葉をこぼした。
「依代を摘ませるだけでなく、神使に生活を見張らせて鉄道員の力まで目撃させるとは……」
「それ程までに切羽詰まった状況ということだろうな。駅神様は私達よりも遥かに現状を深刻と捉えられているようだ」
勇とは反対に駅神を擁護するような発言をした幹雄だったが、表情は勇と同様に優れない。眉間に刻まれた皺の深さが、物事の深刻さを表している。
幹雄は「ありがとう」と言葉を添えて和也に依代を返すと、大きくため息をついた。
「駅神様のされたことは正直受け入れ難いが、昔よりも鉄道員の数が大幅に減少したことは事実だからな……」
現実は、既に駅神の行いを受け入れざるを得ない状況に陥っている。その事実を理解している人間であっても、決して簡単に認められる行為ではないようだ。
特に鉄輪家のような、何世代にも渡って駅神と関係を持ってきた立場からすると尚更なのだろう。
「なあ、親父」
和也の右隣に座っている鉄輪が幹雄に向かって声をかけたその時、客間の扉がノックされた。鉄輪が続けようとしていた言葉を止める。
勇が「どうぞ」と声をかけると、扉がそっと開かれた。
姿を見せたのは、少しウェーブのかかった黒髪を後ろで一つ結びにしている中年女性。鉄輪の妻である涼子と同様に背が高く、クリーム色のケーブルニットとスキニーデニムを合わせた格好をしている。
少し気の強そうな目つきをしているが、かなりの美貌の持ち主だ。街中で出会うことがあれば、間違いなく記憶に残るだろう。
そんな女性の両手にはお盆が抱えられており、湯呑みが四つ載せられていた。
「到着したなら教えなさい、将臣。涼子さんがわざわざ知らせにきてくれたのよ」
「悪い、母さん。うっかりしてたよ」
鉄輪が女性のことを『母さん』と呼んだ。どうやら、この女性は鉄輪の母親らしい。目つきの強さは鉄輪の性格の大元だろうか。
母親が「全くもう」とため息混じりに呟きながら、視線を和也に向ける。その途端、力強い目つきが柔らかく変化した。
「初めまして。将臣の母の直美です。わざわざ来てくれてありがとうね」
直美は和也に挨拶をすると、湯呑みを四人それぞれの正面に置いて回った。
和也は「ありがとうございます」と一言添えてから湯呑みを持ち上げた。入れたばかりであろうお茶は温かく、湯気とともに豊かな茶葉の香りが漂ってくる。
緊張と会話で乾いた喉を潤すため湯呑みを口元に運ぼうとした時、和也の腰に何かが触れた。柔らかく、暖かい塊。
「こら、『ひかり』。ここはあなたの来るところじゃないのよ」
直美の叱責を聞きながら、和也は視線を落とす。和也の腰に体をピッタリと寄せていたのは、赤色の首輪を嵌めた一匹の猫だった。全身を覆う茶色の体毛には豹のような美しい模様があり、体つきも本物の豹のようにしなやかだ。
突然の来訪者に対して困惑する和也に向かって、鉄輪が声をかける。
「ベルガルのひかりだよ。懐っこい奴でな、客人にはいつもこうするんだ」
ベンガルとは猫の品種のことだろう。残る列車愛称である『ひかり』の名を冠する存在が犬ではなかったことに少々驚いたものの、グリーンの瞳を持つ小さな顔は犬達にも引けを取らない程に凛々しいものだった。
「撫でたいなら撫でてもいいぜ」
鉄輪からそう言われ、和也は恐る恐るひかりの額に指を伸ばした。ひかりは興味津々に和也の指の匂いを嗅いでいたが、触ろうとしているのだと気付いた途端、分かりやすく嫌そうな表情をつくりその場から逃走した。
「あら残念。そんな気分じゃなかったみたいだ」
鉄輪は「また挑戦してみろよ」と和也に言葉をかけると、湯呑みを口元に運んだ。
和也も退室する直美に一礼すると、同じくお茶を喉に流し込んだ。ほのかに苦く、後から甘みが追いかけてくる味わいからは、隠しきれない高級感を感じる。
普段は味わえないお茶の風味をじっくり感じていると、鉄輪がそっと湯呑みを置き「親父、さっきの続きだが」と口を開いた。
「これから先、井上以外にも依代を持った鉄道員が現れる可能性はあると思うか?」
息子から投げかけられた疑問に対して幹雄は一呼吸置いてから頷くと、落ち着いた口調で話し始めた。
「ゼロではないだろうね。実際、井上くんは能力を会得して活躍できている。戦力の増強に効果があるということは証明されているんだ」
幹雄の答えに和也の胸がズキリと痛んだ。
もしも同様の立場の鉄道員が現れたら、自分は何をしてあげられるだろうか。
「未知なる第五世代に、鉄道員不足を補える特別な力があればよいのだがね……」
静かに話を聞いていた勇が、小さく言葉をこぼす。すると、それを耳にした幹雄が素早く反応した。
「本当にその通りだな。第四世代をも上回るような非常に強力な力を持っていれば、ターミナル駅であっても短時間で討伐を終えられそうだ」
「まあ、人一人ができることなど限られてはいるだろうが、少なくとも討伐しきれないという状況は回避できるだろう」
未知なる第五世代――これは恐らく鉄輪の一人娘である『陽茉梨』のことだろう。鉄輪から子供の将来についてなど聞いたことはないが、自分と同じ道を歩ませるつもりなのだろうか。
自身の父と祖父が盛り上がる中、何も言葉を発さない鉄輪の様子が気になり、和也は視線だけを右隣に向けた。視界に入った鉄輪の俯く横顔は、歯を食い縛り何かに耐えている……そんな様子だった。
***
入室して直ぐ和也の視界に飛び込んできたゼロ系新幹線の鼻を、勇が意気揚々と解説する。
「これはNR発足直後、ゼロ系に取り付けられていた鼻だよ。実は私も運転していた一人でね、記念に貰えないかと交渉して譲り受けたんだ」
昭和六十二の四月一日。膨大な赤字を抱えて経営が破綻した国有鉄道は、分割民営化されNRとして生まれ変わった。発足当日、新幹線は『よろしくNR』、在来線は『こんにちはNR』のヘッドマークを掲げて走行していたそうだ。
自身が産まれる遥か前の話は興味深く、和也は「へえ」と自然な相槌を打ちながら耳を傾ける。
「ただ、これがトラックで家に届いた時は婆さんにしこたま怒られてね……。こんなに大きいものをどうするんだ! って酷く怒鳴られたよ」
「流石にこのサイズが突然届けられたら、僕もびっくりしますね」
鉄道愛溢れるあまりに巨大なコレクションを追加収集してしまった若き勇とそれを叱る妻の姿が容易に想像できる話に、和也は緊張の続いていた心が少し解れるのを感じた。
偉大な功績を残した人物であっても、このようなエピソードはしっかりと持っているようだ。
鉄輪家とも友好的な関係が築けそうだと思い始めた時、鉄輪が「時間だ」と口にしながら立ち上がった。視線は左腕に嵌められた腕時計に落とされている。
その姿を見て、和也も大切なことを思い出した。思わず「あ」と声が漏れる。
「陽茉梨ちゃんとクッキー食べないといけませんよね」
「流石だな。覚えてたか」
鉄輪は笑顔を見せながら、感心したように言う。そんな二人のやり取りを見ていた幹雄から何の話なのかと尋ねられ、和也はざっくりとした話の概要を説明した。
「そうか。それでは、私達も行こうかな」
「是非。クッキーは沢山ありますから」
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