第73話 鉄道員一家

 この部屋は、一体何畳あるのだろうか? 通されたリビングダイニングを見て真っ先に浮かんだのは、そんな疑問だった。

 部屋は奥に長い長方形をしており、手前にリビング、奥にダイニングキッチンという間取り。リビングにはベージュの革張りソファや洒落たガラステーブルが置かれ、その真上は吹き抜けとなっていた。遥か上にある天井で、木目調のシーリングファンがゆっくりと回転している。


 床に敷かれているのは一般的なフローリングではなく、ヘリンボーンタイプの無垢材だった。ダークブラウンの落ち着いた色合いが、部屋全体の高級感をより一層際立たせている。


「広……」


 和也がぽつりと感想をこぼした時、奥のダイニングキッチンから「パパだ!」と元気な女の子の声が聞こえてきた。

 視線を移した先にあるのは、立派なアイランドキッチン。天板まで真っ黒なそれの陰から飛び出して来たのは、薄桃色のワンピースを着た小さな女の子だった。


 歳の頃は三歳前後だろうか? 笑顔で駆けて来る彼女の両肩の後ろで、丁寧に編まれたおさげ髪が小動物のように跳ねている。


「パパ! おかえりなさい!」


 女の子は父親の帰宅を大きな声で歓迎すると、半ば体当たりをするような勢いで鉄輪に抱きついた。鉄輪はそれを慣れた様子で受け止め、優しく抱きしめる。


「ただいま、陽茉梨ひまり


 鉄輪は子供特有の絹のような黒髪を撫で付けながら、陽茉梨と呼んだ愛娘に帰宅を知らせた。陽茉梨は嬉しそうに鉄輪の首に両手を回し、そのハンサムな顔に頬を擦り付けている。


「陽茉梨、パパのお友達だよ。挨拶してごらん」


 鉄輪がそう言って陽茉梨に和也を紹介した。お友達という表現が果たして正しいのか疑問ではあるが、小さな子供に対する説明としては分かりやすく適切ではあるだろう。

 和也が目線の高さを合わせるためにしゃがみ込むと、陽茉梨は和也の顔を興味深そうに見つめながら「こんにちは!」と元気よく挨拶した。その可愛らしさに、和也の口元が自然と緩む。


「かなわひまりです! さんさいです!」


「こんにちは、陽茉梨ちゃん。僕は井上和也といいます。よろしくね」


 和也が自己紹介を含んだ挨拶を返すと、陽茉梨はニコニコと無邪気で可愛いらしい笑顔を見せた。その目元や鼻の形など顔全体の印象が鉄輪によく似ている。女の子は父親に似ると言われるが、鉄輪親子も例外ではないらしい。


「陽茉梨、ママは?」


 鉄輪が、自分たち以外に人の姿が見えないリビングダイニングを見回しながら陽茉梨に尋ねる。


「ママね、トイレいった」


 陽茉梨がそう回答するのと同時にダイニングキッチン近くの引き戸が開きいた。

 姿を現したのは、紺色のワンピースを着用した二十代前半と思しき女性。「すみません」と謝罪の言葉を口にしながら小走りで向かって来る。

 女性にしては背が高く、ボブカットの黒髪が爽やかな印象だ。


「はじめまして。妻の涼子です」


 和也の正面に立った涼子が丁寧に腰を折って会釈をする。その姿や所作は美しく、新進気鋭の若手女優と言われたら信じてしまいそうな程だった。

 鉄輪の妻の姿として和也はステレオタイプのギャルを想像していたのだが、その予想は見事に外れた。タレ目がちでおっとりとした雰囲気を纏っているこの美人妻と、鉄輪が仲睦まじく過ごしている姿が想像できない。


「は、はじめまして。井上と言います。鉄輪さ――ご主人には、いつもお世話になっております」


 どうにも落ち着かず噛み放題な挨拶となってしまった。恥ずかしさのあまり顔全体へと急速に血液が集まっていく。

 和也は周囲の注目を自分の顔から逸らそうと、手に下げていた手土産入りの紙袋を涼子へ手渡した。


「あの、これ……よかったら皆さんで」


「ありがとうございます。わざわざすみません」


 謙遜する涼子の声に、陽茉梨の「それなに?」という疑問の声が重なる。和也が「クッキーだよ」と説明すると、陽茉梨は分かりやすく目を輝かせた。


「やったー! ひまり、クッキーすき! みせてみせて!」


 陽茉梨が興奮した様子で紙袋へと駆け寄り、中身を覗き込む。中に入っているクッキー缶が目に入ったのか、「わあー!」と感嘆の声を上げた。


「おやつの時間になったら食べようね」


「やったー! たのしみ!」


 陽茉梨はそう叫ぶと、嬉しくて堪らないのかその場でピョコピョコと数回飛び跳ねた。

 手土産の菓子を何にしようかと随分悩んだものだが、こんなに喜んでもらえれば悩んだ甲斐もあったというものだろう。

 自らの選択が間違っていなかったことにほっと胸を撫で下ろした和也の隣で、鉄輪が口を開く。


「陽茉梨。パパ達はこれからお爺ちゃん達とお話があるから、ママと二人で待てるか?」


「うん! でも、みんなでクッキーたべたいから、おやつのじかんにはかえってきてね!」


「分かった。約束な」


 そう言葉を返しながら陽茉梨の頭を撫でる鉄輪の表情は、訓練では見せたことのない優しい表情だった。




***




 隣に建つ親世帯の建物とは、ウッドデッキだけでなく屋内の通路でも繋がっているようだった。大きな掃き出し窓から望むウッドデッキには屋外用のソファセットが置かれており、鉄輪曰く夏場には皆でバーベキューをするのだという。

 またそれ以外にも、過ごしやすい気温の際には本を読んだり昼寝をしたりと、各々が自由に過ごせる居場所として活用されているとのことだった。


 通路を抜けた先、親世帯の建物は子世帯とは違い和を感じる内装となっていた。木目の美しい薄茶色の床板を踏みながら、鉄輪の後に続く。

 歩みを進めた先にあったのは、レトロモダンなデザインの焦げ茶色の扉。それが鉄輪によって開かれる。


 扉の先に広がっていたのは、客間と思われる広々とした和室だった。鮮やかな緑色が美しい琉球畳が敷かれた部屋の中央には、木の一枚板で作られた頑丈そうなちゃぶ台が置かれている。

 そのちゃぶ台の向こう側には男性二人が横並びに座っており何か言葉を交わしていたのだが、和也はどうしてもその二人に視線を集中させることができなかった。


 鉄道員が四世代続くこの家には、きっと関係者が多く訪れるのであろう。男性二人の真後ろにあたる壁には造り付けと思しき棚があり、そこには様々な鉄道グッズが飾られていた。

 横長のガラスケースに収められた東海道新幹線歴代車両の模型、何かしらの記念に造られたのであろう盾やメダル。

 中でも和也の目を惹いたのは、壁の中央に堂々と掲げられているゼロ系新幹線の連結器カバー。所謂だ。本来は白色である鼻だが、飾られている物はオレンジ色に塗装されており『よろしくNR』と大きく文字が書かれている。


「お! 連れて来てくれたか」


 二人のうち右側に座っている男性が和也達に気付き、会話を止めて立ち上がった。和也も飾り棚に向いていた視線を男性へと移す。

 グレーの長袖シャツを着用しているその男性は、年齢五十代前半頃。丁寧に整えられた七三分けの髪には、年相応の白髪が混じっていた。


「はじめまして。将臣の父で、新大阪駅長の『鉄輪幹雄』です」


 幹雄は自己紹介を終えると、和也に一礼した。それに続くようにして左側の男性が立ち上がる。

 年齢は七十代後半から八十代頃だろうか? 頭髪は随分と薄くなり深い皺も目立つものの、真っ直ぐに伸びた背筋は非常に若々しく活気に溢れていた。


「祖父の『鉄輪いさむ』です。今日は、わざわざ来てくれてありがとう」


 勇が目を細めて笑う。意志の強そうな目をしていることから頑固な性格という印象を強く感じたが、笑顔を見る限りはごく普通のお爺ちゃんのように思えた。


 現役の駅長と元駅長が目の前にいるという現状。和也は緊張から震え上がりそうになったが、第一印象を良くするべく大きな声で挨拶した。


「はじめまして! 大阪駅所属の井上和也です。よろしくお願いします」

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