第72話 新快速に乗って

 約束通り、和也は仕事明けに鉄輪とお互いの勤務予定を照らし合わせた。

 明けや非番が重なっている日、かつ別の予定が入っていない日を探した結果、訪問日時は三週間後の金曜日となった。和也が非番、鉄輪が明けとなっている。


 訪問まで比較的余裕があるように思えたが、忙しい日々を過ごしていると時間は驚く程に早く過ぎていった。約束の日が近づくにつれ、次第に緊張感が大きくなる。

 和也の緊張感を強めている要因は、主に鉄輪の家庭環境だった。鉄輪の祖父は新幹線の初代運転士であり元京都駅長、父親は現在の新大阪駅長という立場。万が一失礼な言動でも取ろうものなら、大阪駅にも話が回るだろう。最悪の状況を想定すると目眩がした。


 だが、今更約束を反故にする訳にはいかない。覚悟を決めて行くしかないのだ。

 訪問を翌日に控えた木曜日の夜。和也は忘れてはならない手土産を玄関に置くと、普段よりも早くベッドに入った。




***




 約束の日当日。和也は手土産のクッキーが入った紙袋を片手に、指定された五番線ホームで前から四両目の列に並び、鉄輪の乗っている新快速列車の到着を待った。


 通勤ラッシュが終わって落ち着きを取り戻したホームに接近メロディが響き、列車が滑り込んで来る。和也は開いた扉から乗車したが、鉄輪の姿は探すことをせずともすぐに見つかった。進行方向左側の扉近くに立ち、スマートフォンに視線を落としている。

 その服装は薄茶色のチェスターコートにクリーム色のタートルネック、黒色のパンツというコーディネート。ファッションモデルと言われても遜色ない外見は、きっと何を着ても様になるのだろうと思えた。羨ましい限りである。


 和也に気付いた鉄輪が、手にしていたスマートフォンをコートのポケットに仕舞いながら軽く右手を上げた。和也は「お疲れ様です」と会釈をしながら歩み寄る。


「休みの日なのに連れ出して悪いな」


「いえ、気にしないでください。別に予定もないですし」


 その発言は決して嘘などではない。何も予定の入っていない日を選んでいることは勿論だが、鉄輪からの誘いがなければ丸一日寝て過ごすつもりだった。

 とは言え、不足している睡眠時間の確保が急務である鉄道員にとって寝ることは立派な予定ではある。だが、断る理由としては些か弱く感じてしまった。


 扉が閉まり、列車が動き始める。和也は鉄輪との会話と、あまり見ることのない神戸方面の車窓を楽しみながら目的地の到着を待った。




 大阪の次の駅である尼崎ではそれなりの人数が降車し、和也と鉄輪は空いたボックス席に向かい合わせで腰掛けた。

 尼崎を発車してから約七分。『立花たちばな』『甲子園ぐち』『西宮』『さくら夙川しゅくがわ』と合計四つの駅を通過し高速で走行する列車内に、自動アナウンスが響いた。


『まもなく、芦屋。芦屋です。お出口は、右側です』


 芦屋駅は、その名の通り兵庫県芦屋市の中心地に位置する駅だ。

 芦屋市は全国的にも有名な高級住宅地であり、医師や経営者などを始めとした富裕層が邸宅を構えている。規格外の豪邸が立ち並ぶことで有名な六麓荘町があるのも芦屋市だ。

 和也も当然名前は知っているが、今までの人生で訪れたことは一度も無い。

 自分には一生縁のない駅だろうと考えながら車窓を眺めていると、正面に座る鉄輪が徐に立ち上がった。


「降りるぞ」


「え?」


 和也は鉄輪の放った言葉を瞬時に理解することができず、直ぐその後に続くことが出来なかった。

 数秒遅れて立ち上がり、進行方向右側のドア前に立つ鉄輪を追う。隣に立ち、その整った横顔に向かって問いかけた。


「鉄輪さんって芦屋に住んでいるんですか?」


「そうだよ。産まれもここだ」


 まさかの事実に和也は何も言葉を返せなかった。芦屋出身、在住とは流石に予想外である。

 鉄輪の態度や口調から滲み出ている傲慢さは、自らの家が世間よりも上に位置するという特権意識由来なのだろうか? などと考えてみたが、これに関しては鉄輪自身の産まれ持った性格のように思えた。


 列車が徐々にスピードを落とし始め、芦屋駅の停止位置丁度に停車する。扉が開き、和也は人生初となる芦屋市へと足を踏み入れた。




***




 芦屋駅は、和也が想像していた以上に巨大なターミナル駅だった。駅ナカにはスーパーや百貨店が入り、平日の昼間にも関わらず多くの人々で賑わっている。

 そんな駅の北口から外に出ると、客待ちのタクシーが数台停車している駅前のロータリーを左側に見ながら歩いた。幾つかの角を曲がり、閑静な住宅街の中を進む。


 道の両側に立ち並ぶ住宅はどれも家の大きさ、外観、設備などの規模が明らかに他の地域とは違っていた。まるでお手本のような高級住宅街である。

 住宅展示場にでも迷い込んでしまったのかと錯覚する程の豪華な家々に目移りしながら進むこと約十分。和也の右隣を歩く鉄輪が歩みを緩め、角地に立つ一軒の住宅を指差した。


「ここだ」


 和也は鉄輪の指差す方向へ顔を向ける。目に映ったあまりの光景に驚き、歩みを進めていた足が止まった。


「は……?」


 思わず、口から小さく声が漏れる。


 鉄輪の家は絵に描いたような豪邸だった。広い敷地の中に、クリーム色を基調とした洒落た外観の住宅が二棟並んで建っている。左側が二階建て、右側が平屋建てとなっており、両方の家を気軽に行き来できるようにするためか一階部分がウッドデッキで繋がっていた。

 敷地を取り囲む重厚な石造りの塀は和也の身長よりも高く、車を余裕で二台は停められる大きさのガレージが備え付けられている。

 シャッターが閉じられているため内部の様子は分からないが、きっと見たこともない高級車が停められているのだろう。


「でか……」


「二世帯住宅だからな。子供が産まれたのを機に、元々住んでた家を潰して建てたんだ。親父と金を出し合ってな」


 鉄輪によると、左側の二階建て住宅が息子である鉄輪夫婦の家。右側の平屋建て住宅が両親と祖父の暮らす家とのことだった。

 家族全員の意見を取り入れているため、非常に暮らしやすく気に入っているという、


 鉄輪の後に続き、入り口の門扉に近付く。観音開きのアイアン製門扉の脇には、『鉄輪』の二文字が彫られた御影石の表札が掲げられていた。どうやら、ここは本当に鉄輪の家らしい。

 鉄輪が門扉を開け、自宅敷地内へと入って行く。和也も「お邪魔します」と控えめに挨拶をしながらその後に続いたが、一歩足を踏み入れた途端に突如として犬が大きく吠え始めた。


「うわっ!」


 突然のことに驚いた和也は、反射的に敷地外へと飛び出した。鳴き声の低さから考えるに、吠えているのは恐らく大型犬だろう。それも一匹ではない。

 恐る恐る敷地内を覗き込むと、玄関へと続くアプローチの左側に頑丈そうなアメリカンフェンスが設置されているのが見えた。家を取り囲む塀と同等の高さがあるそのフェンスの奥には人工芝が敷かれており、二頭の大型犬が放し飼いにされていた。


 茶色と黒の毛並みに精悍な顔つき。犬についてあまり詳しくはない和也でも、この犬種がジャーマンシェパードだということは分かる。警察犬にも採用される、頭が良く飼い主に忠実な犬種だ。

 二頭のシェパードは飼い主とともにやってきた正体不明の人物を警戒しているようで、和也に向かって吠え続けている。


「静かに!」


 鉄輪が二頭のシェパードに対して強い口調で告げると、途端に二頭は吠えるのを止めた。黙ったまま、じっと自らの主人をアーモンド型の瞳で見つめている。


「座れ」


 鉄輪が冷静な口調で指示を出す。すると、二頭は大人しくその場でお座りの姿勢をとった。


「いい子だ! 偉いな」


 鉄輪は笑みを浮かべながらフェンス越しに手を伸ばし、二頭の頭を撫でた。二頭は主人に褒められたことが堪らなく嬉しいようで、スリムな尾を千切れんばかりに振っている。


「もう入っても大丈夫だ。驚かせて悪かったな」


 鉄輪からそう声をかけられ、和也は再び敷地内へと足を踏み入れた。和也が近付いても先程のように吠えたりせず、しっかりと主人からの指示を守っている。


「可愛いだろ? こいつが兄の『のぞみ』」


 鉄輪は黄色の首輪を嵌めた右側のシェパードの頭を撫でながら和也に紹介した。のぞみは嬉しそうに両目を細め、飛びつきたい衝動を抑えているのか前足をソワソワと動かしている。


「で、こっちが弟の『こだま』。のぞみよりも甘えん坊なんだ」


 鉄輪がそのように紹介した矢先、青色の首輪を嵌めたこだまが勢いよく立ち上がりフェンスに前足を掛けた。突然の行動に、和也は思わず身構える。


 鉄輪はやや興奮状態のこだまに「座れ!」と再度指示を飛ばした。指示を受けたこだまは、残念そうに「きゅうん」と鳴きながらも素早く腰を落とす。真っ直ぐに鉄輪を見つめて次の指示を待っている間も、尻尾は溢れんばかりの喜びを表現し続けていた。


 愛犬の名付けに新幹線の列車愛称を用いるとは、流石は鉄道員一家だと言わざるを得ない。そう感心すると同時に一つの疑問が湧き上がる。『のぞみ』『こだま』と続けば後一つ残っているのだが、『ひかり』の名前を冠した存在もどこかにいるのだろうか。


「あの、鉄輪さん。もしかして、ひかりって名前の子もいるんですか?」


「ひかりは家の中だ」


 鉄輪は和也の問いにそう答えると、のぞみとこだまに向かって「フリー」と告げた。その言葉には指示を解除する効果があるようで、大人しく座っていた二頭がお座りの姿勢をやめて仲良く戯れつきながら走り去って行く。

 その様子を見届けた鉄輪は「さて」と呟きながら和也に向き直った。


「家に入れよ。歓迎するぜ」

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