第65話 赤煉瓦地下通路

 永崎の先導で、和也達は丸の内南口改札近くの業務用通路へと向かった。『業務用通路』と赤字で注意喚起がなされた青色の防火扉が、永崎の手によって開かれる。

 大阪駅や京都駅と似た無機質な通路を予想していた和也だったが、扉の先はその予想に反してあまりにも幻想的だった。


「うわあ……」


 思わず足を止めた和也の口から感嘆の声が漏れる。


 通路は、歴史を感じる赤煉瓦造りだった。天井は美しいアーチを描いており、等間隔に設置されている照明は大正時代のガス灯を思わせるレトロなデザイン。

 通路全体が暖かみのあるオレンジ色の明かりに照らされている様はとても現代の光景とは思えず、まるでタイムスリップしたかのようだった。


「ここはかつて、東京鉄道郵便局の専用地下鉄として使われていたんだよ」


 解説を始めた相楽の声に耳を傾けながら、和也は歩みを再開した。

 この通路が作られたのは東京駅と同じ一九一四年。約二百メートルの専用路線が敷かれ、一九七八年に廃止されるまでの間、二十馬力の電気機関車が郵便物の満載された台車を引いていたという。

 日本初の地下鉄道とも言われた存在の名残が、今現在も丸の内南口と八重洲南口の間を結んでいるのだ。


「今ここを通るのは駅員達と、車椅子を利用する乗客くらいだな」


「……それは何故ですか?」


 和也が不思議に思い疑問を口にすると、相楽は「あれのためさ」と進行方向左側の壁を指差した。

 そこには幾つかの横道が続いており、通路と同じアーチ状の入り口が照明によって仄かに照らされている。ここがゲームの世界ならば、間違いなくダンジョンへと繋がっているだろう。


 照明の下には大小二つのパネルが貼り付けられていた。大きいパネルには電車のイラストが描かれ、小さいパネルにはアラビア数字が書かれている。

 立ち止まって中を覗き込むと、真っ直ぐに伸びた道の突き当たりにステンレス製の扉があるのが見えた。両脇に設置された照明の淡い光を反射している。


「奥にあるのは、ホームへ繋がる業務用エレベーターだよ。パネルに書かれている数字は対応するホームの番線さ」


「へえ! だから車椅子を利用する方が通るんですね」


「今は各ホームに一般客用のエレベーターが整備されたから、昔ほど利用者は多くないがね」


 酷い混雑時など特定の条件下では今でも利用があるというが、あくまでも車椅子用。ここは一般客には公開されていない秘密の通路なのだと、相楽は話してくれた。


事前情報もなくこの通路に案内されれば、さぞ感動するだろう。和也は改めて通路内を見渡し、そう感じた。

 歴史の重みを感じずにはいられない神秘的で厳かな空間。この通路を形成するレンガは東京駅建設当時の物のため、百年以上もの長い間ここを通る人間達を見守ってきたことになる。

 物言わぬ大先輩の存在を全身に感じながら、和也は先を進む駅長達に続いた。


「この先です」


 一行を先導していた永崎が振り返りながらそう告げ、最も八重洲側に近い横道に入った。外見こそ他と変わらないが、ここにはエレベーターが設置されておらず、深緑色の頑丈そうな鉄扉がその代わりを担っていた。

 観音開きの扉は若干の錆が目立つものの、比較的新しいように思える。近年になって取り替えたのだろうか。


 永崎がポケットから鍵束を取り出し、その内の一つを鍵穴に差し込んで解錠した。

 金属の擦れ合う音と共に扉が開かれる。同時に、内部に仕舞われていた冷たい空気が外に流れ出した。

 ひんやりとした空気を肌に受けながら、和也は扉の向こうに視線を向ける。視界に映ったのは深くまで続く石造りの階段だった。通路と同種の照明によってぼんやりと照らされている。

 階段の手前に設けられた二畳程のスペースには、見慣れた動輪のマークが大きく彫られていた。まるで、この先には駅神が存在するのだと主張するかのように。


 落ち着いていた心臓が、再び激しく暴れ始めた。両足が固まったように動かなくなった和也の両脇を、相楽と神田が通り過ぎて行く。


「井上、早く来い」


 神田に促され、和也は一歩前へと進んだ。踏み込んだ扉の中は、周囲と少し空気が違うような気がした。それは温度ではなく、空気そのものの質。

 緊張によって生じた錯覚なのか、それとも駅神の存在を既に霊が感じているのか。


「では駅長、私はここで」


 扉の手前に立つ永崎がそう告げた。案内係としての仕事はここで終了なのだろう。


「ありがとう、永崎くん。助かったよ」

 

 相楽からの労いの言葉に続き、和也と神田も礼を述べる。永崎は三人に対して一礼すると、「行ってらっしゃいませ」との言葉を残して扉を閉めた。


 大きく重い金属音が空気を揺らす。相楽が閉められた扉に歩み寄り内側から鍵を閉めた。カチャリという施錠音によって更に緊張が高まるかと思ったが、不思議と気分は落ち着き始めていた。

 もう後戻りはできない。そう考えたことで、ようやく覚悟が決まったのだろうか? 軽い緊張はあるものの脈はそれ程激しくない。


「では行こうか」


 相楽の言葉に、和也はしっかりと頷きを返した。相楽、神田に続いて階段を降りる。

 大きな石を積んで造られた階段は、現代のコンクリート製とはまた違った踏み心地だった。天然ならではの凹凸が足裏を通して伝わってくる。

 この階段も、長い歴史の中で多くの鉄道員がに会うために降りたのだろう。素敵な出来事を伝えようと笑顔で、不満を抱えた怒り顔で、時には涙を浮かべながら――


 遠い過去に思いを馳せながら、更に深くへ降りて行く。そして最後の一段を降りた和也を出迎えたのは、大阪駅よりも幾許か立派な祠だった。


 祠は壁際に造られた石積みの土台に載せられており、それを挟むようにして壁掛け照明が取り付けられている。

 その手前には、扉と同じ深緑色の金属製ベンチが一つ置かれていた。

 左から相楽、神田、和也の順に腰掛けて目を閉じる。脳内の雑念を取り払い、駅神に対して結界への立ち入りを要望することだけに集中した。


 遠くから列車の走行音が聞こえてくる。足元を揺らす微かな振動を察知できる程に集中力を高めた時、脳が浮き上がるような感覚に襲われた。




***




 和也は、アイアン製のベンチで目を覚ました。周囲は出入り口を残して同素材のフェンスで取り囲まれており、依代であるクレマチスが隙間なく蔦を這わしている。


「井上の持っている依代と同じだな」


 神田が、フェンスの内側に向かって花を咲かせるクレマチスを見つめながら言った。「あの日と同じか?」との問いに、和也は頷きで答える。

 あの日と同じ景色、同じ匂い。だが、あの日に感じた不気味な視線を依代から感じることはなかった。鉄道員として覚醒したためなのか、それとも依代が歓迎しているのか。


 ベンチから立ち上がり、駅神の元へ向かうためにフェンス内を抜ける。その時、一匹の三毛猫が大きなトピアリーの陰から姿を見せた。尻尾を垂直に立て、力強い足取りで和也達の元へと向かって来る。

 結界内に存在している動物、そして例の志麻さんと同じ三毛猫という品種。NR関東側の神使と見て間違いないだろう。


「神使様、お出迎え感謝致します」


 和也の予想を裏付けるように相楽が発言した。相楽の慇懃な礼に、和也と神田も続く。

 神使は何も言わず、細長い瞳孔を備えた金色の瞳で和也達をじっと見つめてきた。西の神使と同じく、全てを見透かせるのではないかと思える瞳で見つめられること数秒、神使は抑揚のない声で言葉を発した。


「駅神様がお待ちだ。我に着いて来い」


 それだけを告げ、神使は踵を返す。

 その声色に和也は驚いた。可愛らしい志麻さんのモデルとあって勝手に雌猫を想像していたのだが、神使の声色は腹に響く低い雄のものだった。


 ――長谷川が知ったらどう思うだろうか。


 脳内に広がったそんな雑念を振り払い、神使の後に続いて結界内を歩く。

 眼前に広がる光景は、やはりあの日と何も変わっていなかった。置かれている品々も、あらゆる物に青々とした蔦が巻き付いていることも。


 中央に鎮座する白いガゼボの重厚感も。


 あの中で紅茶を嗜む駅神の姿とカミツレ茶の青リンゴに似た香りが一瞬脳裏に蘇り、そして消えた。

 相楽がガゼボの出入り口で立ち止まる。フェンスと同様に隙間なく巻きついている蔦の影響で内部は見えないが、深く一礼する相楽の姿を見れば誰が中に居るのか簡単に想像がつく。


「駅神様、お連れ致しました」


「ご苦労だったね」


 酷く懐かしい声だった。

 落ち着いていた心拍が再び激しくなる。和也は心臓の鼓動によって全身が激しく震えているような感覚を覚えながら相楽の隣に立ち、ガゼボの中へと視線を向けた。


 蔦に覆われたガゼボの中心。そこに置かれたガーデンチェアには、白色の詰め襟を着用した男性が腰掛けていた。

 白髪に覆われた髪、六十代頃に思える外見。結界内の景色と同じく、あの日と変わらない姿の駅神が和也を見つめて微笑んだ。


「やあ、十五年ぶりだね」

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