第64話 東京駅

 久々の新幹線は、やはりワクワクした。猛スピードで過ぎ去る景色は爽快で、いつまでも眺めていられる。

 京都駅に到着した際、ホームに立つ職員の中に鉄輪の姿がないか車窓から探してみたのだが、惜しくも発見には至らなかった。

 ホーム担当である鉄輪が仕事をする姿を一度見てみたかったなと、少し残念な気持ちで京都駅の発車時刻を迎えたことまでは覚えている。しかし、それ以降の記憶はポッカリと抜け落ちており思い出すことができなかった。


 ぼんやりとする頭を振り、周囲を眺めた。トンネル内を走っているのか、窓の外は真っ暗で走行音だけが響いている。隣に目を向けると座っていたはずの神田はおらず、座席の上には栞の挟まれた文庫本が置かれていた。


 どこに行ったのだろうか? と寝ぼけ眼を擦りながら考えていると、足音と共に神田が姿を見せた。


「起きたか? まだ掛川だよ」


 そう声をかけながら、文庫本を退けて座席に腰を下ろす。


「よく寝てたな。昨日は眠れなかったのか?」


「そうですね……。布団に入ってもなかなか寝付けなくて」


 和也は答えながら、昨夜の自身の状況を思い返した。駅神から何を話されるのか? という疑問の堂々巡りで、布団に入ってからも眠たくなるどころか逆に意識が覚醒してしまう始末。

 考えれば考える程眠れなくなると分かっているのにやめられない。一度眠りについては直ぐに目が覚めることの繰り返しで、総合的な睡眠時間が仕事よりも酷いのではないかと思える状態だった。


 京都駅を発車してから掛川駅を通過するまでに掛かる時間は、約一時間。足りない睡眠時間を補うにはまるで足りておらず、今も目を閉じれば忽ち夢の世界に誘われそうだ。


「眠れそうなら眠っておけ。後で辛くなるぞ」


 神田の言葉に後押しされ、和也は目を閉じた。途端に意識が沈み込み、全身から力が抜けていく。絶え間なく響く走行音が優しい子守唄のように和也を寝かしつけた。




***




「井上、もう起きろ」


 和也は囁き声で目を覚ました。肩をゆすられ、重い瞼を僅かに開く。未だ夢うつつな和也の意識を車窓に映る壮大なビル群が覚醒させた。


「もう東京に着くぞ」


 睡眠によって落ち着いていた心が、その一言によって再び緊張し始めた。鼓動が激しく、やや息苦しい。そんな体を落ち着かせようとする和也の耳に、終点到着間際を知らせるチャイムと自動アナウンスが届いた。


《間も無く、終点、東京です。中央線、山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線、総武線、京葉線と東北、上越、長野新幹線はお乗り換えです。お降りの時は――》


 神田が座席を立ち、荷棚から荷物を下ろし始める。和也も立ち上がって手渡されたビジネスバッグを受け取ると、スマートフォンと水筒を中へ仕舞った。

 再び座席に座り、東京の車窓を眺める。普段テレビでしか観ることのない車両が行き来している光景は、まるでドラマの世界に入り込んでしまったかのよう。


 ――いよいよだ。


 新幹線が徐々に速度を落とす。そして、東京駅の十四番線ホームへと入線した。


「行くぞ。忘れ物するなよ」


「はい」


 神田の後に続いてデッキへと向かう。既に並んでいる数人の列に並び、扉が開くのを待った。


 先にホームドアが開き、僅かに遅れて扉が開く。エアーの抜ける音と共に、ホーム上の騒がしさと冷えた空気が車内に流れ込んで来た。

 数十年ぶりに東京駅のホームへと降り立つ。NR中日本仕様の駅名標に書かれた『東京』の二文字が、和也の皮膚をゾクリと粟立てた。


 ――ついにここへ戻って来た。


 何も知らない子供だった自分が鉄道員となり、あの日渡された依代と共に再びこの駅へと舞い戻っている。僅かながらに信じられない気持ちだった。

 無意識に、ビジネスバッグの外ポケットへと手が伸びる。そこに仕舞われている依代にとっては、里帰りになるのだろう。

 懐かしいか? と心の中で問いかけてみたが、当然の如く返事はなかった。


 お土産と称して渡された依代。これの意味を知るまであと少し。


 神田によると、案内役の主席助役が丸の内南改札口で待っているとのことらしい。目的地へと向かうために乗り換え改札を抜け、NR関東の管轄側に入った。

 踏み込んだ瞬間に空気が変わる。大阪駅以上の雑踏、客引きの声、絶え間なく響く走行音とそれに伴う振動――その全てが懐かしかった。


 辿り着いた丸の内南改札口を抜けた和也を、東京駅の象徴的な存在であるドーム天井が出迎える。依代を手にした始まりの場所。

 思わず立ち止まって見上げたくなる衝動を抑え込み、先を歩く神田の後に続いた。


 ドーム天井下の広場に、一人の男性駅員が立っていた。目尻の細かい皺や深いほうれい線を見るに、神田よりも少し年上だろうか。グレーの色合いが落ち着きあるNR関東の制服を見に纏っている。

 被っている制帽の鉢巻が赤く金線が一本入っていることから、役職は助役だ。待ち合わせ相手に違いないだろう。

 神田は「お待たせ致しました」と声をかけながら助役に近付いた。到着に気が付いた助役が体を向け、「お待ちしておりました」と会釈する。


「東京駅、首席助役の永崎えいざきです」


 永崎が簡単な自己紹介をしながら差し出した右手を、神田が握る。


「大阪駅、首席助役の神田です。急なお願いにも関わらず受け入れていただき感謝します」


「こちらこそ、日程の返事が遅くなりご迷惑をおかけしました」


 主席同士が言葉を交わす様子を眺めていた和也にも、続いて永崎の手が差し出された。


「あ、えっと……同じく大阪駅、輸送係の井上です」


 緊張から直ぐに声が出せなかった。恥ずかしさを感じながら、その大きく分厚い手を握る。永崎は「よろしくお願いします」と笑顔を見せた。


「では、駅長室へご案内します。こちらへ」




***




 東京駅の駅長室は大阪駅とはまるで違っていた。倍以上の広さがあり、壁紙や調度品に至るまで高級感に溢れている。天井まで届く高さの窓が二つ設けられており、それを覆える長さのカーテンがタッセルで左右に纏められていた。


 貴賓室と見紛う豪華絢爛さに視線を奪われている和也の耳に、「ようこそいらっしゃいました」と歓迎の声が届く。

 正面に視線を戻すと、一人の男性が堂々たる足取りでこちらに向かって来るのが見えた。身に纏っている制服は、NR関東の駅長にのみ許された白色。


「はじめまして。私が東京駅長の相楽さらくです」


 そう挨拶して相楽は手を差し出した。その手に嵌められた白手袋は、おろしたてなのか汚れ一つ付着していない。


「はじめまして。大阪駅の井上です」


 和也は笑顔を作ろうとしたが、長時間に渡る緊張の影響か上手く力が入らなかった。きっと、朝に神田から指摘されたような固い表情をしているのだろう。

 仕方なく和也は笑顔を作ろうとするのをやめ、そのままの表情で差し出された手を握った。


「話は聞いているよ。クレマチスの依代を持つ子だね」


「はい。本日はよろしくお願いします」


「こちらこそ。会えてよかった」


 相楽は力強い握手をすると、続けて和也の隣に立つ神田に手を差し出した。

 相楽と神田が挨拶を交わす声を聞きながら、和也は再び駅長室を見渡した。部屋の壁には有名書道家の作品と思われる書や見事な富士山の絵、そして初代駅長『後藤新平』と東京駅設計者『辰野金吾』の写真が飾られていた。写真の下にも書が飾られているが、あれは本人の直筆だろうか?


 中でも和也の目を引いたのは、壁際のガラスケースに収められている四つの制帽だった。左から赤、濃緑、濃紺、赤の順で、それぞれの帽子の奥には証書の入ったファイルが開いた状態で立てられている。何かの文章とサインが書かれているようだが、文字が小さく内容は分からない。

 和也は文章を読もうと、ゆっくりガラスケースに近付いた。


「それは姉妹駅の制帽だよ」


 背後から聞こえた声に振り返ると、和かに笑う相楽と目が合った。隣に立つ神田が「すみません」と頭を下げる様子を見た途端に羞恥心が湧き上がり、顔面が忽ち熱を帯びる。

 見慣れない物が多くあることが面白く、興味の向くままに行動してしまっていた。そのような幼稚な行動が許される年齢はとっくに過ぎ去っているというのに。


「すみません! 勝手にウロウロして……」


「構わないよ。ここには面白い物が沢山あるからね」


 相楽はそう言って笑うと、「折角だから」と部屋の中に飾られている物品を紹介してくれた。


「まず、この制帽だが――」


 相楽がガラスケースを手で差し示し、説明する。左から順にオランダの『アムステルダム中央駅』、アメリカニューヨーク市の『グランド・セントラル駅』、台湾新竹シンチュー市の『新竹駅』、ドイツの『フランクフルト中央駅』の駅長制帽とのことだった。

 姉妹駅提携に至った理由は、歴史的な建造物を有していることと起点駅であることの二つの理由からだという。


「そして、この富士山の絵画は――」


 続いて相楽は壁に掛かった絵画を指し示し、作者が近代日本画壇の巨匠『横山大観』であることを説明してくれた。

 作品名は『富士に雲』。一九四七年、東京大空襲で爆撃を受けた東京駅が修復された際、資材不足で殺風景だった駅長室を見た大観が直々に寄贈したのだという。

 また貴賓室には、同じ大観の作品である彩色画『富士に桜』が飾られているとのことだった。


「最後にこの部屋」


 相楽が言いながら床を指差す。


「この駅長室の中心線が、東京駅ゼロキロポストの基準になっているんだよ」


「へえ」


 和也が感心して声を上げると、相楽は如何にも嬉しそうに顔を綻ばせた。


「こんなところかな? 貴賓室の松の間や竹の間、会議室の梅の間なども案内したいが……残念ながら時間が足りないね」


 相楽は言いながら、嵌めている腕時計に目を落とす。再び視線を和也達に向けた時、その表情は変わって真剣さを帯びていた。


「では行こうか。我らのの元へ」

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