第50話 天神橋筋商店街
神田の案内で到着したのは、天神橋筋商店街のお好み焼き店だった。引き戸タイプの出入り口には紺色の暖簾が掛けられ、その手前には真っ赤な提灯が六つ吊り下げられているという外観。神田曰く、この商店街で長年続いている店とのことだった。
「たまに来る店なんだ。美味いぞ」
神田はそう告げると、暖簾をくぐって引き戸を開けた。途端にソースやマヨネーズの香りを含んだ温かな空気がふわりと押し寄せてくる。その香りを受け、暫くの間静かだったお腹が思い出したように大きく鳴り響いた。
店内は真っ直ぐに伸びる通路の両側に半個室の座席が並んでいる構造で、平日の昼間にも関わらずそれなりに繁盛していた。壁には天井に届くほどの高さにまで大量のサイン色紙が飾られており、有名人の来店が多い名店であることを示していた。お笑い芸人から俳優、アイドルまで幅広い。
店員の案内で右側の手前から三番目の座席に着いた。テーブルの中央には大きめの鉄板が備え付けられている。
出されたお冷やを一口飲みながら壁に掛けられたメニューへ視線を移すと、「何が食べたい?」と神田がネクタイを緩めながら問いかけてきた。
「えっと……」
縦書きのレトロなメニュー表には、種類豊富なお好み焼きのラインナップが並んでいた。いかぶた玉、いかえび玉、いかにく玉、いか玉、ぶた玉、えび玉……。季節限定を除いてもお好み焼きだけで十種類が用意されており、更にねぎ焼きが九種類、山芋焼きが六種類。
迷うなというのが無理な状況であったため、和也は空腹の限界近い胃袋に判断を委ねた。直感で美味しそうだと思ったものを注文するのが正解だろう。
「じゃあ、僕はぶた玉で」
「飲み物はどうする?」と聞かれ、和也はメニューへ視線を戻した。ラインナップはコーラ、レモンジュース、オレンジジュース、烏龍茶の四種類。オレンジジュースを注文したい気分ではあったが、やはり子供っぽいだろうか? などという余計な心配が浮かび口にすることができなかった。
「烏龍茶でお願いします」
神田が店員を呼ぶと「すぐ参ります」と声が返ってきた。その言葉通り、すぐに紺色のエプロンをつけた三十代と思しき男性店員がこちらへ向かって歩いて来た。伝票とペンを片手に「お待たせ致しました」とお決まりのセリフ口にする店員へ、神田が注文内容を告げていく。
和也がお好み焼きのぶた玉、神田がえび玉。飲み物は二人とも同じ烏龍茶だ。
店員が注文を伝票に書き留めてその場を後にすると、神田が声を潜めて話し始めた。
「実は駅神様に、どうして井上が依代を持っていることを知っていたのか質問していたんだ。存在を知った日から何度もな」
「えっ?」
駅神への質問は依代の存在を伝えた日で終わっていたとばかりに思っていたために驚いた。「黙っていてすまない」と申し訳なさそうに言う神田に、「そんなことはありません」と慌てて首を振る。
「……駅神様は、何と?」
「ずっと何も教えてくれない状態だったが、昨日漸く一言だけ話してくれたよ」
神田はお冷やを喉に流し込むと、グラスを置いて口を開いた。
「依代を貰った理由を知るべきではない。と」
「知るべきではない……」
その言葉を受け、急激に体温が下がったかのように体が冷えた。京都駅神の予想を裏付けるかのような発言に鳥肌が立つ。やはり自分は意図的に生み出された鉄道員なのだろうか?
「深刻そうな顔をするな。まだ決まったわけじゃない」
「そうですね……。すみません」
神田の言う通りだ。そして、せっかく昼食に連れて来てもらっているというのに辛気臭い顔をするのはよくない。和也は殆ど手を付けていなかったお冷やを喉に流し込んだ。ソワソワと落ち着かない感情が、ゆっくりとだが消えていく。
先に運ばれてきた烏龍茶を飲みながら京都駅での訓練の感想を述べていると、「お待たせ致しました」と店員が注文したメニューを両手に持って現れた。
運ばれてきたぶた玉とえび玉は持ち手の付いたアルミ製ボウルにたっぷりと入っていた。生地の上に沢山の豚バラ肉やえびがこんもりと乗せられ、その中央には生卵が一つ落とされている。
この店では自分達で焼くか店員にお願いするかを選べるようだが、ここはプロに任せるのが吉だろう。
調理をお願いすると、店員は生地を慣れた手つきで掻き混ぜてから焼き始めた。まずは豚肉とえびのみを鉄板に乗せて焼き目をつけ、それから生地をゆっくりと流し込む。両方の生地を鉄板へ流し終えると、「また見にきますので」と告げて去って行った。
これ以上ない程食欲を唆る音をBGMに、訓練の続きを話す。どのような訓練内容を行なったのか、どのような手順で発現を達成したのか、今後の課題は何か……。
すると「失礼致します」の言葉と共に再び店員が現れ、生地の様子を確認し始めた。そして器用に生地を返していく。ひっくり返された生地にはお手本のような焼き色が付いていた。流石はプロの技と言ったところだろうか。神田のえび玉も同様である。和也の胃袋が早く食べさせろと喚き、口内への唾液の分泌が止まらない。
ソースとマヨネーズはセルフサービス。まずは刷毛を使ってマヨネーズを塗り、その上からソースをかけるのがこの店マナーのようだ。二種類あるソースのうち和也は甘口を、神田は辛口を選択した。その上から青のりと鰹節をかけて完成。
出来上がったお好み焼きは神田の手によって切り分けられ、皿に乗せられた。断面からは程よく焼けた豚肉が覗いている。
「じゃあいただこうか」
神田の言葉を合図に、和也はしっかりと手を合わせた。
「いただきます!」
割り箸を二つに割り、早速お好み焼きを箸で一口大に切った。そっと口に運んで咀嚼すると、柔らかく溶けてしまいそうな生地の食感に続いてソースと甘味とマヨネーズの酸味が、そして豚肉の肉汁が口内に溢れた。
今まで食べてきたお好み焼きの中で、断トツ一番の美味しさだ。
「……おいしい」
呟くような感想が口から漏れる。
「美味いだろう」
「本当に美味しいです!」
和也はそう返すと、すかさず二口目を運んだ。山芋入りのふわふわ生地と所々焦げた肉のパリパリ感が堪らない。
朝食を食べられなかったことは失態だが、かえって美味しい食事にありつけた。この店なら大阪駅からもそう遠くないため、仕事明けにでも来られるだろう。
「いいお店を紹介してくださり、ありがとうございます!」
正面に座る神田へ感謝を述べた和也だったが、同じようにお好み焼きを食する神田の姿に妙な違和感を感じた。どの部分から感じる違和感なのか……それはすぐに判明した。
「神田さんって左利きでしたっけ?」
和也は神田がペンを使う光景を今まで何度も見てきた。書類へのサインであったり、メモ取りであったり。しかし、それらは全てペンを右手に持って行われていた。そのため箸を左手で持つ神田に強烈な違和感を感じる。
「実は、元々左利きなんだ。箸以外は矯正されたから右を使ってる」
神田曰く、利き手の矯正は父親によって行われたとのことだった。神田の父である京介は左利きであり、自らが苦労してきた経験から息子を右利きに矯正しようと試みた。だが、箸だけは左手のまま変わらなかったらしい。
「親父は根気強く矯正を続けたけど、結局母親に止められたらしい。可哀想だから、ってな」
昔の思い出を語る神田の表情は明るいが、時折影のさす瞬間がある。父親の記憶と共に辛く苦しい記憶までもが引き出されてしまったのだろうか?
和也は、亡くなった父親を思い出させてしまったことを一言詫びようかと考えたが、それは逆に神田の心を抉るような気がして「そうなんですね」と答えるに留めた。
美味しい食事は箸が進むのも早い。予想よりも大分早く食べ終わってしまった。あれ程空いていた胃袋は一杯になり、満腹感が心を満たしている。
和也は食事代を支払うと告げたが、神田は黙ったまま顔の前で手を振った。
「ここは甘えるところだ」
***
店内が鉄板の熱で温められていた分、外気が随分と冷たく感じられた。商店街は来店時と同様に賑わっており、流石は日本一の長さを誇るだけはあるなと感心する。
「今日はありがとうございました」
悩みを聞き、更には昼食まで奢ってくれた神田に深く頭を下げた。神田は「気にするな」と返してきたが、今日という日を忘れることはないだろう。何か恩返しができればいいのだが……。
商店街を並んで歩き、
「本当にありがとうございました! お好み焼き美味しかったです!」
「気持ちも切り替わってスッキリしたか?」
そう問われ、「はい!」と大きな返事を返す。悩みを吐き出して美味しいものをお腹一杯食べた今、脳内で昨日のような堂々巡りは起きていない。ただ無闇に思い出すと同じ状況に陥ってしまいかねないのも事実だ。
和也は神田と別れると、朝よりも少し軽快な足取りでホームへと向かう階段を登った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます