第45話 生まる
訓練で能力が完璧に発現していれば幾分楽だったのだろうか? と和也は考えた。
予想通り一斉に襲いかかってきた蠢穢の攻撃を躱しながら反撃を入れるのは至難の業で、逃げている時間の方が長いのでは? と感じてしまう。
京都駅の蠢穢は異様に攻撃的で、今相手にしているのは頭と目が異様に巨大な兎型とカマキリと人の混ぜ物の二体。後者は初めて目撃した蠢穢と似た外見であるが、両腕にまでカマキリの特徴を持ち、大阪駅の個体の様な大人しさは皆無である。
鎌による攻撃を寸前で交わしながら、噛み付いてこようとする兎型の蠢穢にも気を配る。
――力を使いこなせていれば、空中を利用した安全なヒットアンドアウェイができたのに……。
そう心で愚痴を溢しながらも、しっかりと武器を握り込んで兎型の蠢穢を死角から斬り込んだ。
頭部の半分が削げ落ち、ゴキブリのように床の上をのたうち回る蠢穢の首へとトドメの一撃をお見舞いする。討伐の達成感に浸りたい気分だが、背後からの物音に素早く身を翻して振り下ろされた鎌を避けた。
危険な両腕を早く切り落としてしまいたいと思うが、腕はよく動く上に狙うには危険が伴う箇所だ。ここは足を切断して動きを封じるのが得策だろうか?
と考えたその時、真後ろで落下音がした。硬いものが落ちたような音ではなく、ベチャリという湿り気のある音。
蠢穢の攻撃を交わしながら僅かな隙を見つけて振り向くと、視線の先に黄色みがかった白色の瘤のような物体が転がっているのが見えた。それが鳥型蠢穢の腹部にぶら下がっていた物に瓜二つだと気付いた時、不快感を煽るような鳴き声が鼓膜を震わせてきた。
和也は素早く視線を正面の蠢穢に戻す。両腕を使った一撃をハルバードで受け流すと、体勢を崩した蠢穢を真下から切り上げた。
和也は蠢穢が砂状となって消え失せる様子を見届けると、ほっと肩の力を抜いた。
今のが最後の一匹だったはずだ。和也は周囲を見回してそれが間違いでないことを確認した後、先程落下してきた瘤の元へと向かった。
瘤の表面は体液なのか粘性のある液体で塗れており、羽毛の類は見られない。
そして、その瘤は小さく揺れていた。内部で何かが蠢いているようで、弾力のある皮膚が時折盛り上がる。
和也はハルバードを構え、その刃をそっと不気味な瘤に押し当てた。柔らかい感触が武器を通して手に伝わり、ただただ気味が悪い。
ゴクリと唾を飲み込み、一気にハルバードを振り上げた。ハルバードの紅く鋭い刃が瘤を斬りつける。中央で真っ二つになった瘤からは、他の蠢穢とは違い赤黒い液体が噴き出した。同時に、耳をつん裂く人の赤子に似た鳴き声。
和也は思わず顔を顰め、対象から目を逸らした。あの瘤の中に何がいたかなど考えたくもない。嫌な鼓動を刻む心臓を制服の上から摩り、目を閉じてゆっくりと深呼吸を繰り返した。
その間も、周囲からは落下音が複数回聞こえてきた。恐らく鉄輪との戦闘で切り落とされているのだろう。本体が落ちてくるのも時間の問題だろうか。
目を開き、制帽を被り直しながら新たな瘤の元へ向かう。先程と同じ要領で叩き切り、溢れた中身を見ないように素早く背を向けた。
一つ、二つ、三つと切り伏せた時、背後で再び落下音がした。またか。と少し慣れてきた気持ちで振り返る。しかし、そこにあったのは今までとは違っていた。
中身が出ていたのだ。赤黒い粘液に塗れた手足をぎこちなく動かしているその外見は、かつて大阪駅の八番線ホームで見た蠢穢と同一だった。痣のような模様が浮かぶ子供の足に似た無数の四肢もかわらずで、こちらの精神を容赦なく汚染してくる。
しかし、外見は同じであるものの大きさが明らかに違っていた。二回りは大きいだろうか。産まれたばかりであることが理由かは不明だが、その蠢穢には眼球が無く、落ち窪んだ眼窩で和也を見つめていた。
一見力は強くなさそうに見えるのだが、どうにも嫌な予感が胸に渦巻く。しかし、そんなことを気にしていられる程の時間、余裕共にないのが現状だ。和也は「よし」と吐息混じりに活を入れると、蠢穢目掛けて駆け抜けた。
ハルバードを振りかぶりながら距離を詰め、その柔らかそうな頭部を叩き切るべく振り翳す。
「やめろ!」
どこからか静止を求める声が飛び、同時に蠢穢の口から鋭い棘のような物体が射出された。驚く和也の右腕が強い力で引かれ、体が斜めに傾く。その瞬間、視界の端で赤が飛び散るのが見えた。左肩に一瞬強い痛みが走るのを感じながら、勢いよく仰向けに倒れ込む。
「大丈夫か?」
その問いかけと共に顔を覗き込んできたのは岩橋だった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
自身の右手を引いたのは彼の念力だったのか。と納得しながら倒れていた体を起こした時、視界の隅で赤が零れるのが見えた。
まさか! その想像だけで血の気が引いた。恐る恐る、蠢穢によって攻撃を受けた左肩へ顔を向ける。
肩周りは深い赤色に染まっていた。
「……血! 出血してる!」
「岩橋さん!」と叫んだ声は裏返っていた。久々の多量な出血に適切な対処法が出てこない。縛るべきか? 圧迫するべきか? 冷や汗をかきながら様々な方法を脳内で駆け巡らせる。一体どんな攻撃を放ってきたのかと蠢穢に目を向けると、クチャクチャと何かを咀嚼していた。嫌な想像が脳内の思考を邪魔し、ますます対処法が出てこなくなる。
だが、そんな和也とは違い岩橋は至って冷静だった。
「血じゃない。よく見ろ」
呆れの混じった口調で言いながら、和也の左肩に手を伸ばす。そして肩を染める赤を剥がし取った。
「これのどこが血なんだ?」
「……え?」
眼前に突きつけられたそれを見て、和也は呆けた声しか出せなかった。それは見慣れた自駅の依代である、真っ赤な薔薇の花弁――
「でも……蠢穢が僕の肉を食べ――」
視線を蠢穢に戻しながら言いかけたとき、咀嚼していた蠢穢が苦しそうに口の内容物を吐き出した。唾液に塗れた状態で床に転がり出てきたのは、幾枚も重なり合い塊となった薔薇の花弁――
「鉄道員の霊の味はどうだ? 神々しすぎて口に合わないだろう」
岩橋がニヤリと勝ち誇ったように微笑み、颯爽と武器を担いだ。背丈ほどはありそうな大剣で、岩橋のイメージに非常に合っている。紅く輝く美しい刀身は、まるで巨大なガーネットのよう。
異物を食べさせられた怒りなのか、蠢穢が大きな金切り声を上げた。ただを捏ねる幼児によく似たその鳴き声は、非常に頭に響く。
怒りに我を忘れたのか、無数に生えた足をバタつかせながら突進して来た。迎撃するため岩橋が武器を構える。和也も戦闘体制に入ろうとするが、手元に武器が見当たらない。慌てて辺りを見回す和也の耳に短い奇声が届いた。
慌てて顔を上げると、正面に立ちはだかる岩橋を飛び越えて迫り来る蠢穢が目に映った。
露わになった腹部にも痣的模様が覆い尽くすように存在しており、只々痛々しい。幼児によく似た肉付きのよい足が複数脚生えている様は、どこか芋虫のようであった。
蠢穢が和也に反撃しようとしたのかは定かでないが、岩橋の武器によって中心線から両断された。水風船を破裂させたかのように赤黒い液体が大量に飛び散り、和也へ降りかかる。
生暖かく滑り気のある感触が顔や両腕に数秒続き、やがて砂となって消えた。
猛烈な不快感による吐き気が遅れてやってきたが、一見綺麗に見える両手が酷く汚染されているように思え、到底口を抑えることなどできなかった。
止めどなく湧き出す唾を飲み込み、迫り上がる吐き気を抑え込む。
「危なかったな」
岩橋が武器を肩に担ぎながら、屈託のない笑顔で言う。一言謝罪が欲しかったが、この駅で戦う彼にとっては日常茶飯事なのかもしれない。目の前の笑顔を見るに、謝るべきことだとは微塵も思ってもいなさそうだ。
「あいつに正面から攻め込むのは得策じゃない。後ろに回り込んで叩き切るのが吉だな」
岩橋はそう言いながら、砂状に変化し始めている蠢穢を見下ろした。まだ形を残している頭部は、足で踏みつけられ一気に形を崩して消えた。
「まあ、こいつは大阪駅じゃ姿を消しているし、知らなくても無理はないがな」
「え?」
岩橋の言葉に、和也は疑問を覚えた。ほんの数ヶ月前にこの蠢穢を大阪駅の八番線で目撃している。姿を消したとはどういうことだ?
「僕は、以前同じ蠢穢を大阪駅で目撃しましたよ。この個体よりも二回りほど小さかったですが……」
「何? じゃあ今の大阪駅は――」
「避けろ!」
岩橋の言葉を遮るようにして、頭上から叫び声が降ってきた。視線を向けると、猛スピードで落下して来る巨大な鳥型蠢穢の頭が見えた。
――潰される!
そう思った途端、足元がふわりと浮き上がった。弾き飛ばされるように体が後方斜め上空へと勢いよく移動する。
落下して来たのは頭と少し遅れて胴体。鉄輪は分断された胴体の上に着地すると、生首状態になっても未だ噛みつこうとする蠢穢の頭をサーベルで執拗に突き刺し、動きを止めた。
武器をフライ旗の形態に戻して腰に挿すと、両腕や首と回して凝りをほぐす仕草を見せた。その最中、頭上の和也に気付き自信で満ち溢れた口元をニヤリと曲げた。
「やっぱり危機が迫らないと駄目みたいだな」
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