第16話 記憶の解錠

 和也は迫りくる刃を、間一髪で防いだ。ハルバードの柄と双剣が激しく接触した瞬間に発せられたけたたましい金属音を至近距離で聞いたせいで、耳がキーンと痛む。

 和也は身を屈めて三条の攻撃をかわしながら距離を取った。体勢を立て直そうと三条の隙を伺うが、剣術どころか剣道すら未経験の和也にはどれが隙なのかを判別することなど出来なかった。せっかく取った距離もあっという間に詰められ、再び赤と緑の刃が迫る。


 ――この刃で切られたら、やはり怪我をするのだろうか。


 双剣で切り刻まれ、大量に出血する自分の姿を一瞬想像してしまった。血の気が引き、汗が吹き出す。その瞬間、今まで遥か遠くにあると思っていた死という存在が脳裏にちらつき全身が泡立った。三条の動きがスローモーションに見えた。双剣が、赤と緑の光を残像のように残しながら迫る。


 ――死にたくない!


 咄嗟に右手が動いた。ハルバードの持ち手から離し、三条の持つ緑色の剣に向かって手のひらを翳す。恐怖のあまり、両目を強く閉じた。


 大きな金属音が鳴った。驚いて目を開けた和也が捉えたのは、宙を舞う緑色の双剣の片割れだった。二メートル程の距離を飛び、甲高い音を立てながら数回バウンドして停止する。

 三条の手から離れた影響なのか、緑色の弱い光を放った後に見た目が通常のフライ旗へと戻った。


 和也も三条も、何が起こったのかを理解できず完全に停止していた。和也の激しい息遣いだけが辺りに響く。残った赤い刃は、和也の首に触れる寸前で止まっていた。


「……お前、何者だ」


 三条が、ゆっくりと体制を戻しながら呟いた。


「は……?」


「第一世代のくせに念力なんて使いやがって……」


 そう言って三条は和也を睨みつける。初日の研修時と変わらない、激しい眼光。


「念力……! まさか、でも……」


 和也は未だに状況が理解できず、自身の右手と飛ばされた三条のフライ旗へ交互に視線を送った。


「ずっと怪しいと思ってたんだ。覚醒途中の発熱もえらく高かったし、それに……」


 三条が剣を握る左手の力を強める。


「依代になっている花の花びらを吐く現象は、第四世代で初めて確認されたものだ」


「え……」


「お前……何者なんだ」


 沈黙が、広い空間を支配した。

 自分が何者か。そんなこと分からない。和也自身も、まさか念力が使えるなどとは思いもしなかった。花びらを吐く現象も皆が経験しているものだと思っていた。


 ――自分は、第一世代のはずなのに……。


 自分の家系に鉄道員はいないはずだ。もしいたのなら、自分が就職した際に何か言うはずではないだろうか。

 本当に何も言われなかったか? と内定通知書が届いた日やその後の数日間を思い出してみる。だが、記憶が曖昧なことも手伝って確実に言われなかったという証明は出来そうになかった。

 助けを求めるため、離れた位置に立つ椿に視線を送る。だが、椿は笑みを浮かべるだけで何も行動を起こそうとはしなかった。恐る恐る三条に視線を戻す。殺気立った目に捉えられ、和也の背を冷や汗が伝った。


 完全に取るべき行動を見失った和也の耳に、三条の腹立たしげな舌打ちが届く。


「何か言ったらどうだ?」


「僕は……僕の家系に鉄道員はいないはずです! 多分……」


「……多分だと? ふざけやがって」


 三条は微かに聞こえる程度の小さな声で言うと、左手に唯一残る剣を和也に向かって振り上げた。


 ――今度こそやられる!


「そこまでです」


 突然現れた肌の白い腕が、三条の左手首を掴んで動きを止めた。


「そう感情的にならないでください。落ち着きましょう」


 椿が落ち着いた声色で三条を諭す。三条は自分よりもかなり背が高い椿を見上げると、激しく睨みつけた。剣の形態変化を解き、見慣れたフライ旗の外見に戻す。その時、ほんの微かに「触るなよ……」と苛立ちの籠もった呟きが聞こえた。


 それにしても、椿はつい先程までかなり離れた位置に立っていたはず。一体いつ移動したのだろうか?


 ――本当に、椿助役は何者なのだろう。


 和也は、瞬間移動と言っても差し支えない離れ業を見せた椿を見上げた。

 椿は和也の視線を感じたのか顔を向け、「大丈夫ですか?」と優しく声をかけてきた。


「はい、大丈夫です。助かりました」


 和也の返答に椿が笑みを見せた時、出入り口の扉が開いた。コンクリートの床を叩く蹄の音が、広い空間に響く。


「椿、どうした? トラブルか?」


 神田の声が僅かに反響しながら和也の耳に届いた。人間の足音と鹿の足音が少しずつ近づいて来る。


「いえ、少し手解きを」


 椿は爽やかな笑みを浮かべながらそう答え、三条が和也を切りつけようとしたことには触れなかった。その庇おうとする態度が気に入らないのか、三条が再び舌を打つ。左腕に力を込め、椿の手を振り払った。


「どうだ、井上。自分の武器は知れたか?」


 神田に問われ、和也は「一応は」と自信なさげな返事を返しながら、自らの武器を神田に翳して見せた。


「斧……ハルバードだな。聞いたことはあるが、見たのは初めてだ」


 神田が興味深そうに和也の武器を観察する。真紅に光る鋭い刃を指で触り、人差し指の関節で数回叩いた。その様子を見上げる神使が、「罰当たりの癖に良い獲物を頂きおって」と不機嫌そうに言うのが聞こえ、和也は戦慄した。

 神使の機嫌は完全には治っていないようだ。脳裏に神使に頭をかち割られかけた記憶が浮かぶ。


「神田さん。確認したいことがあります」


 三条が神田に向き合い、そう切り出した。


「井上は、第一世代ですよね?」


「そうだ。入社の際に確認は取れている」


「だったら何で……」


 三条は悔しそうに呟き、俯いた。両手を握りしめ歯を食いしばる。


「やはり……井上は念力が使えたか?」


 神田の言葉に、三条は顔を上げた。目を剥き、信じられないという表情で神田を見つめる。和也も神田がそれを知っていることに驚いた。『何故』という感情が芽生えかけた時、神田と椿のやり取りを思い出した。


「駅神様は、やっぱり知っていたんですね」


 和也の問いかけに、神田は何も言わずに頷いた。


「信じがたい話を聞いたよ。正直、今でも疑っている」


「信じがたい話……?」


 和也の声に神田は再び頷いた。和也と三条の双方に視線を送ってから口を開く。


「結論から言うと、井上は第四世代と同等の力を持っていることが分かった」


「え……?」


 『第四世代』。例の『将臣くん』と同じ世代だ。和也は、神田が世代について説明した内容を思い返した。


 ――第二世代で念力、第三世代は身体能力が大幅に強化され、第四世代は空中を自由に移動できる力を得ることが分かっている。


 自分が、それほどに強化された能力を持っているだなんて……。

 和也は、確かに信じがたい話だ。と感じながら自身の武器を見上げる。ハルバードの刃は変わらない真紅の色味をみせている。


「どういうことですか?」


 三条が不満そうな口調で神田に噛み付くように尋ねた。神田はそんな三条の態度に特に意見せず、和也に手を差し出す。


「井上、依代を出してくれるか?」


「はい」


 和也は胸ポケットからお守り袋を取り出し、中身の依代を神田に手渡した。神田は受け取った依代を疑い深い目で見つめると、三条に「これは東京駅の依代だ」と説明してから解説を始めた。

 三条は非常に驚いた様子を見せたが、何も口にすることはなかった。


「この依代は、東京駅の駅神様の力を受け取る受信機の役割をしているようだ」


「受信機……?」


 和也は神田が翳して見せる依代を見つめた。拾ったあの日と何ら変わらない外見。あの時は、この花がそんな不思議な存在だとは疑いもしなかった。


 ――駅神様は常に俺の側に居たんだ……。


「井上は紛れもない第一世代だが、駅神様の力を得ることで能力を強化しているようなんだ」


「能力を強化……? それで第四世代と同じレベルにまで達しているということですか?」


「そうだな」


 神田が頷くのを見て、和也は自身の体が一気に熱くなるのを感じた。体内に流れる鉄道員の血が反応しているのだろうか。いや、反応しているのは駅神様の力かもしれない。

 念力が使えた。なら次は、空中を移動できるか試してみようか……!

 和也は自身の隠された力に興奮した。第一世代と聞いてショックを受けていたのが嘘のように気分が晴れている。

 小さくガッツポーズをする和也の隣で、三条が納得いかないといった様子で声を上げた。


「そんなことが許されるんですか? だって……」


 言葉を切り、体内で湧き上がる不満を抑え込むように息を吐く。


「駅神様の結界から勝手に依代を持ち出して、しかもそこから駅神様の力を得ているなんて……」


 三条が一瞬だけ和也を睨む。その目には怒りと不満、戸惑いが満ちていた。


「そんなの……まるで泥棒じゃないですか」


 泥棒……。その言葉を受けて、神使に投げつけられた『罰当たり』という言葉が脳裏に蘇った。胸が締め付けられたように痛み、さっきまで自身の力に喜んでいたことが恥ずかしく感じられた。


 ――そんなに悪いことだなんて思わなかった。俺はただ、駅神様に促されるまま……。


「促された……?」


「どうした?」


「いえ、何でも――」


 神田に、「何でもありません」と答えようとした時、和也の脳裏に記憶にない風景が浮かんだ。

 依代の花に覆われた、アイアン製のガゼボ。設置されているのは、東京駅の丸の内南改札外の広場。白いカップに注がれた蜂蜜色の紅茶。そうだ、駅神様はカミツレ茶を飲んでいた。林檎のような爽やかな香りが蘇る。


 ――人の紅茶を勝手に飲んではいけないよ。


 優しげな男性の――駅神様の声。次々と記憶が思い出される。どうして今まで忘れていたんだ! という程の強烈な記憶。

 和也は両手で頭を抑え、息荒く呼吸した。


「どうした? 大丈夫か!」


 神田が和也の両肩を掴む。その顔を見上げた時、和也は覚醒時と同じ様な激しい頭痛に襲われ視界を失った。

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