第14話 知られざる仕事

「結界の……依代?」


 依代ってどういうことだろう? と考えている和也の頭に、目の前で起きたことを処理する余裕は残っていなかった。

 ガン! と大きな音が鳴った途端、殺気立った神使の鹿の顔が息が掛かるほど近くにあったのだ。


「うわっ!」


 心臓の鼓動に同期するように、体が大きく跳ねた。鹿の跳躍力を利用して、ここまで一気に飛んできたのだろうか。

 神使のブラックホールのような目を見ていると、魂を抜かれそうだった。神使は抑えられない怒りの存在を和也に意識させるかのように、ふーっと大きく鼻息を漏らした。


「貴様! どのようにして駅神様の結界に入った!」


「わ、分かりません!」


「終電が出ているにも関わらず、駅に残っておったのか!」


 終電? 終電に何か関係があるのか? と考えながらも、神使に畳み掛けられないよう隙かさず反論する。


「違います!」


「第一、勝手に駅神様の花を摘んであろうことかお守り代わりに持ち歩くとは……罰当たりにも程があるわ!」


「いや、勝手には摘んでな――」


「貴様など鉄道員の風上にも置けんわ! 出ていけ!」


「そんな……」


 人の話を聞こうともせず、一方的にクビを宣告してくるとは……。

 和也は、とにかく何とか弁解しないと! と懸命に言葉を紡ごうとした。焦りと不安のせいで、神使から視線が逸れる。


 突然、和也の体が突然突き飛ばされたように後ろに倒れた。その瞬間、後ろに逸れた和也の鼻先を神使による角のフルスイングが掠めた。角が空気を切り裂く音が耳に届く。

 和也は椅子ごと床に叩きつけられ、壁で後頭部を強打した。


「井上! 大丈夫か!」


 神田が声を上げる。同時に、椅子から慌てて立ち上がったような音。和也は、神田がこちらに駆けて来る足音を聞きながら後頭部を押さえて机の上の神使を見上げた。神使の顔は人間とは違って感情が読み取りにくいが、この時ばかりは激しい怒りの感情が読み取れた。

 人生初のパワーハラスメントは理不尽な一撃だった。


「罰当たりとこれ以上話すことなど無いわ! 気分が悪い!」


 神使は吐き捨てるように言うと、机から飛び降りて会議室から逃走しようとした。

 だが、神使は自力で扉が開けられない。神田に「開けんか!」と激しく怒鳴り散らしている。

 和也の介抱を始めようとしていた神田が仕方なく扉を開けた。手を翳すだけで、その場から離れることなく。もう隠す必要がないからだろう。

 神使は、扉が開くと同時に我慢ならない様子で会議室から飛び出した。廊下を走るリズミカルな蹄の音が遠ざかって行く。


「大丈夫か井上。すまないな」


 神田が和也の体を抱き起こしながら言った。


「すみません。助かりました」


 神田が念力で和也を突き飛ばさなければ、和也の頭に神使の角が直撃していたのは確実だろう。

 神使の角は、扉を叩いていた際の音から想像するに非常に硬いはずだ。和也は、自身の頭がスイカのようにかち割られる最悪の想像をしてしまい軽い吐き気を催した。

 神田が、これ以上の頭痛の種は無いと言わんばかりに眉間を抑え、大きくため息をつく。


「神使様の横暴には本当に手が焼けるよ。井上は何も悪くない、余り気を落とすな」


 「何も悪くない」と言われて少しは楽になったが、まだ胸の奥で「罰当たり」という罵倒が鎮座している。依代が何なのかは分からないが、神使のあの怒り方を見るに相当大切なものであることは確かだ。

 しかし、あの花を摘んだ時に駅神様は「持って帰っても構わない」と言っていたはず……。いや、その記憶自体も正しいとは限らない。全てを思い出せていない時点で怪しいものだ。


 ――本当に、持ち帰って良いものだったのだろうか……。


 嫌な方向に想像が働き、和也は良くない想像を消し去ろうと目を強く閉じた時、扉がノックされた。

 目を開けて視線を向けると、開け放たれているにも関わらず椿が律儀にノックをしている姿が見えた。


「どうされたんですか? 神使様が大層お怒りでしたよ」


「椿か……。少し困ったことになってな」


 神田が疲れの滲んだ顔で言った。椿は神田の曖昧な言い方に首を傾げた後、扉を閉めてこちらに歩いて来た。神田の隣で身をかがめ、じっと和也を見つめる。


「何か、神使様を怒らせるようなことをされましたか?」


 遠慮のない尋ね方に和也は萎縮してしまった。何を言っても怒られるような気がして、言葉が出てこない。

 そんな状態の和也に助け船を出すかのように、神田が口を開いた。


「原因はこれだ」


 神田が言いながら立ち上がり、テーブルの上に置かれた花を取って椿に手渡した。椿が、おや。というふうに表情を変える。


「東京駅の依代ですね。これを、どなたが?」


「流石だな、知っていたか……。井上が持っていた」


 神田の返事に、椿はほんの一瞬だけ驚愕の表情を浮かべた。


「井上くんが? どうして」


 神田は椿の問には答えず、黙って和也に目をやった。


「話してくれるか」


 話せるだろうか。と思った。記憶は完全ではないし、神使の怒り方を見るに行ったことは宜しくない行為だろう。何も悪くない。と言われたが、本当に解雇されずに済むのだろうか。


 色々と考えている最中も、上司二人の視線をずっと感じていた。

 最早、逃れられない。話すしかないのだ。超能力を目撃した! と話した時と同じ様に。


「記憶が曖昧なのですが、それでも良ければ……」


 和也は、花を手に入れた際の状況を、覚えている範囲で嘘偽り無く話した。




 和也が説明を終えると神田は何も言わずに困惑した様子で腕を組み、椿は「なるほど」と呟いて意味ありげな笑みを浮かべた。


「記憶が完全に思い出せないのは、記憶に鍵を掛けられている影響でしょうね」


「鍵……ですか?」


「鉄道員以外を結界内に侵入させることはご法度。駅神様はそれを隠すために記憶を封印したんですよ」


 和也は「なるほど」と呟いた。だが、そうだとしたら何故記憶を一部取り戻しているのだろうか。

 浮かんだ疑問は、すぐに神田の発した言葉で解決した。


「井上がその記憶を取戻しかけているのは鉄道員として覚醒したからだろうな。記憶の封印はあくまでもに対して効果があるものだ」


 神田はそう話した後、複雑そうな表情で小さく舌打ちをした。


「ここの駅神様は気付いていた。なのに、どうして話してくれなかったんだ……」


「何か理由があるのかもしれません。お話されてきますか?」


 椿の提案に、神田は直ぐには答えなかった。腕を組んだまま、これ以上ない真剣な表情でその提案通りにすべきかを悩んでいる。

 やがて、申し訳無さそうな口調で答えた。


「……井上のこと、頼んでも良いか?」


「ええ。どうぞ、お気になさらず」


「すまない。出来るだけ早く戻る」


 神田は椿に一言詫びると、足早に会議室を出ていった。扉が閉まり、会議室に再び静寂が戻る。

 椿は和也の隣の椅子を引いて腰掛けた。和也も倒れていた椅子を戻し、座り直す。


「急ですが、私が交代しますね。何か聞きたいことはありますか?」


「依代とは、一体何ですか? その花がそうみたいですが……」


「依代は、駅の結界を維持するための存在ですよ」


 椿はそう言って、手に持った花をヒラヒラと動かしてみせた。


「結界を維持するための……! じゃあ今、東京駅は大変なことに――」


「なっていませんよ。大丈夫です」


 椿は小さく笑いながら答えた。「依代の花は一輪だけではありません」と付け足しモデルの様な長い足を組んだ。


「例えば、この大阪駅の依代は薔薇ですが、結界内に薔薇の花は何輪あったか覚えていますか?」


「何輪……? えっと、数え切れないほど……です」


 和也は、小学生のような答え方しか出来なかったこと恥ずかしく感じた。もっと別の言い方があっただろう。と考えるほど羞恥心が増大し、顔が熱を持つ。だが、椿は和也の言い方を馬鹿になどせず、冷静に話を続けた。


「その通り。そして、東京駅の依代は大阪駅よりも数が多いです。一輪無くなったところで何ともありません」


 椿は、「安心しましたか?」と尋ねながら、和也に花を差し出した。


「はい。それを聞いて安心しました」


 和也は、そう答えながら花を受け取り、それに目を向けた。外見に変化は無く、あの日拾った時のまま。紫色の雄しべは、今日も異様な存在感を放っている。


 ――まさか、超能力を目撃する前から駅神様の力に触れていたとは……。


 自分が鉄道員を志したのも、この花の影響なのではないか。そんな事を考えながら視線を上げ、再び椿に質問を投げかけた。


「先程、神使様から『終電』という単語が出てきたのですが、駅神様の結界と終電は何か関係があるんですか?」


「大いにありますよ。簡単に説明しましょう」


 椿は、どこか蠱惑的こわくてきに足を組み直した。そのスラリと伸びた足に和也は自然と視線を奪われた。


 ――椿助役は、一体何者なのだろうか。


 話を聞くため余計な考えを取り除いていた頭に雑音のようにその疑問が浮かんだ。

 椿は、見る者を虜にする魅力を放っている。それは、ただ顔の造形が良いからという理由ではない様に思う。和也にはそれが、人ならざる者の放つ奇妙な魅力に感じられた。


 ――三条さんが「不気味」と言っていたのは、これが原因だろうか……。


「大丈夫ですか?」


「え! はい! 大丈夫です、すみません」


 余程ボーッとした表情をだっただろうか。和也は椅子に座り直し、姿勢を正した。


「説明を受けていると思いますが、駅には二種類の結界があります。一つは疵泥を落とし、蠢穢を閉じ込める力を持つ結界です」


 椿は人差し指を立て、一を示す。そして、「二つ目は」と言い中指を立てた。


「駅神様の結界です。この結界は疵泥を落とす結界とは違って、駅の営業中は最小範囲で留められており、一般人は認識することが出来ません」


 椿の説明に、和也は理解している意味の頷きを返す。


「ですが終電後、一つ目の結界を覆うように拡張されます」


「拡張されるんですか?」


「ええ。溜まった疵泥を一気に浄化するんです。駅神様の結界には、蠢穢を浄化する力がありますから」


「へえ。一日の終わりには綺麗になるんですね」


 椿は「勿論ですよ」と言い、人の良さそうな笑みを浮かべた。


「蠢穢の始末は終電後、その拡張された結界の中で行われます。私達の知られざる仕事ですね」


 結界を拡張したまま行うのは、蠢穢を弱らせるためだ。と椿は説明してくれた。そして、その駅神の結界――二つ目の結界に通常一般人は入れない。だが駅の中に残っていた場合は、拡張の際に一緒に取り込まれてしまうそうだ。これが、神使の言っていた「終電後も残っていたのか」という言葉の意味らしい。


 和也は、椿の発した『知られざる仕事』という言葉の魅力に、内に秘めた鉄道員としての心が揺さぶられるのを感じていた。だが、第一世代である和也に蠢穢の始末など出来るのだろうか。


「あの、私は念力が使えません。どのように蠢穢を始末すれば……」


「第一世代の方でも、蠢穢を始末するための力は頂いていますよ」


「そうなんですか?」


 それは、神田の言っていた『最低限の力』という物だろうか。


「これから、その『力』を使いに行きましょう」


 椿が、言いながら立ち上がった。椅子を元の位置に戻し、扉に向かって歩き出す。和也は慌てて立ち上がり、その背中に問いかけた。


「あの! 今から何を……?」


 和也の声に椿は立ち止まり、笑顔を湛えたまま振り向いた。


「戦闘訓練です」



***



 椿の後を歩き、和也はエレベータホールにやって来た。間もなく到着したエレベータに椿と二人で乗る。

 戦闘訓練を行う場所はどこにあるんだろう。と階数ボタンに目を向けた。その時に椿がとった行動を見て、和也は思わず目をむいた。


 椿はスラックスのポケットから鍵を取り出し、階数ボタンの下にある鍵穴に挿して回した。鍵を抜かず回した状態のまま、隣りにある『回数表示の無いボタン』を押した。

 エレベータのドアが締まり小さな振動と共に動き出した。数秒後に静かに停止してドアが開く。ドアの向こう側には、無機質なコンクリートの通路が広がっていた。


「ここは、何階なんですか? 何か特殊な操作をされていましたが……」


 和也の問いかけは、無機質な通路に反響した。


「ここは、地下一階と二階の間に位置する場所です。通常の操作では行けないようにしているのは、一般人を絶対に侵入させないためです」


 『絶対に』。その単語を椿は強調して話した。つまり、この先に鉄道員の力に関係する物があるということだ。

 戦闘訓練と言っていたが、激しく動き回れる場所がここにあるのだろうか。蠢穢という特殊な敵を倒すために、何か特殊な武器を渡されるのだろうか。果たしてその武器を、自分は使いこなせるのだろうか。


 色々なことを考えながらも、足を止めないように椿の後に続く。

 通路の先には、これまた無機質な鉄製の扉があった。少し錆びついていて年期が感じられる。椿がノブを捻ると、キイと金属音を響かせながら扉が開いた。

 目に映った光景は、和也の想像を軽く飛び越えて行くものだった。


「広い……凄いですね」


 和也は戦闘訓練が行われる場所に足を踏み入れた。一五〇坪程度だろうか、学校の体育館を思わせる広々とした空間で、天井までの高さも十メートル程ある。天井からは、格子のガードが被せられた照明がぶら下がっている。


「この位は広くないと、思いっきり体を動かせません」


 椿は、凝り固まった体を解すように大きく伸びをした。その椿の向こう側に知った人影を見つけ、和也は驚いた。


「三条さん! どうして、ここに」


「お前の指導係だからだよ」


 三条は壁にもたれ掛かった姿勢で、面倒臭そうに答えた。椿と同じ空間に居ることが余程苦痛なのか、精神的苦痛を見せつけるように顔をしかめている。

 だが、椿はそんなことを一切気にしていないような明るい声で「早速始めましょう」と言い、どこかに向かって歩き出した。

 向かっている先にあるのは、年代を感じる木製の棚。赤色や緑色のフライ旗が沢山収納されている。椿は、そこから赤色のフライ旗を二本取り出すと、その内一本を自身のベルトとスラックスの間に突き刺した。

 和也のもとに戻り、手に持っていた一本を、「どうぞ」と手渡す。


 和也は手渡されたフライ旗を観察した。赤色の旗のフライ旗。ホーム立哨で何度も手にした鉄道員の道具。だが、外見に特筆すべき点は無い。何の変哲もない、普通のフライ旗だ。


「あの……フライ旗が何に関係するんですか?」


「これで蠢穢を消し去るんですよ。こうしてね……」


 椿が自身の腰に刺していたフライ旗を抜き、軽く振るった。その時、振るわれたフライ旗を赤い光が追随したように見えた。

 気のせいかと思ったが違った。椿の手に握られているフライ旗は、外見が丸っきり変わっていた。

 緋色の刀身が鈍く光る日本刀へと――。


「……うそ、だろ?」


 そう心の声が漏れたが嘘ではないことは和也自身が一番分かっている。今まで、これに似たような摩訶不思議な光景を嫌というほど見てきた。

 駅の神様と会話し、神使と称する人語を話す鹿と意思疎通を交わし、あの日に見た超能力を目の当たりにした。フライ旗が一瞬で日本刀へ変化することが、今更何だというのだ。


「これが、鉄道員の力ですか?」


「そうです。武器の形状は血のタイプによって違います。井上くんのは何でしょうか?」


 椿は「楽しみですね」と笑みを浮かべ、和也から少し距離をとった。


 和也はフライ旗を両手で握り、じっと見つめた。「変化しろ! 変化しろ!」と念じるが、一向に変化は見られない。椿の小さな笑い声が聞こえ、和也は紅潮した顔で彼を見た。


「自分の中の鉄道員の血を流し込むイメージです。フライ旗に、ゆっくりと。焦ってはいけません」


 ――鉄道員の血。


 自身の体に間違いなく流れているその血を、和也はぼんやりとイメージした。まだ第一世代のため薄いかもしれない。だが、間違いなく流れている。

 フライ旗を再び強く握り、深呼吸をした。頭の中から、血を送り込むイメージ以外を取り払い、集中する。


 変化を見せないフライ旗を諦めずに見つめた。手のひらに汗が滲み始めた時、フライ旗が僅かに二重にブレて見えた気がした。驚いて頭の中のイメージが途切れそうになった。まだだ!

 深呼吸し、乱れかけた呼吸を整える。


 再びフライ旗がブレて見えた。前よりも激しい。そして、一瞬の眩い緋色の閃光。その光が消えた時、フライ旗は変化を終えていた。


 真紅の刃を備えた、ハルバード。


「斧ですか。素敵ですね」


 椿は、そう感心したように言うと小さく拍手をした。和也が「ありがとうございます」と軽く会釈した直後、椿が三条に顔を向けた。


「では、三条さん。手合わせを」


「え? 手合わせ……」


 三条はゆっくりと姿勢を正すと、和也に向かって歩き出した。先程は見えなかったが、三条の腰にもフライ旗が刺さっていた。それも、赤色と緑色の二本。

 それを順々に椿と同じ様に振るい武器に変化させた。和也には到底真似できない素早い形態変化だ。

 三条の右手には緑色の、左手には赤色の刀身をした剣が握られていた。双剣だ。


 ――まずい。


 和也は、直感的にそう感じた。こっちは長さのある斧。機動力では雲泥の差だ。初めての手合わせにしては相性が悪すぎる。


「あの、ちょっと……相性が――」


「関係無い。真面目にやれ」


 三条は和也の言葉を遮った。聞く耳を持たない姿勢に、和也は後ずさりした。


「せめて、戦い方とか……教えて頂いても――」


「これから身を持って覚えるんだよ」


 三条はそう言って、何も出来ない和也の懐に飛び込んだ。

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