第42話、一番近くにいた家族だから、その一言で世界はひらける
疑うんじゃなくて信じてもらえるように行動する。
そんな決意をして。
外の世界を知るため、好奇心だけで行っていた『夜を駆けるもの』での仕事が、生きるためのものになって。
日々お金の大切さを実感するようになったある日のことだった。
もう習慣になっていたリシアの手伝いがたまたまなかった日。
久しぶりに町に出る仕事をして。
帰路に着こうと足を向けたのは、今や自分の家であるノヴァキの家ではなく、カムラル家のお屋敷だった。
「やば、間違えた」
ぼうっとしてたからなのか、あるいは何か予感めいたものがあって吸い寄せられたのかは分からない。
兎にも角にも、オレが我に返ったのは。
いつものように雷(ガイゼル)の魔力溢れる金網を風の力を借りて飛び越えて……部屋へと続く石畳の道へ降り立ったときだった。
そんな呟きすら屋敷で眠るものに気付かれてしまうんじゃないかってくらい静かな夜。
いつもは賑やかな空ですら重い灰色に沈黙していて。
この状態で見つかったりなんかしたら洒落じゃすまないだろう。
オレは踵を返し、そのまま帰ろうとする。
「え……?」
だが、オレはふいに届いてきたものに、びくりとなって立ち止まる破目になる。
泣き声だ。
小さい頃には耳慣れていたけど、ここ最近はめっきり聞くことのなかったサミィの。
それが何故オレのお耳に届いてくるのか。
何かあったんだろうかって凄く気になって、オレは屋敷に背を向けていた身体を一回転させ、抜き足差し足で声の出所へと向かう。
それは、時折せき止めていたものが決壊し、支えきれなくなることによって溢れ出るかのような嗚咽だった。
ずっと我慢していて耐え切れなくなった、そんな声。
編入が決まって、サミィと同じクラスになって挨拶に言ったときも。
サミィはいつもと同じように見えた。
外行きの人を寄せ付けない、冷たい氷のような態度。
だからとっくに吹っ切れてしまっているのだと、そう思い込んでいたのに。
(サミィ……)
お屋敷の五階。
無用心にも開かれている窓、そこは変わっていなければオレの部屋だ。
何故そこからサミィの泣き声が聞こえてくるのか。
流石にオレでも、すぐに分かった。
オレを失ったことへの心の傷が、まだ癒えてないのだと。
決定的なものを突きつけられて、改めて実感する罪悪。
どうすれば彼女の涙を止められるだろう?
そう、考える。
考えて考えて考えたあげく、オレは今思えばかなり思い切った行動に出た。
直接慰めてあげたい。
そう思って、いつものように屋敷を這う蔦を登り、窓辺に降り立つ。
サミィはオレが使っていたベッドに突っ伏すようにして泣いていた。
オレがいた頃はそんなサミィですら受け入れることのなかった場所。
今は、その事にも少し後悔していて。
(ここまで来てみたのはいいものの……)
どうやって声をかけよう。
一体どんな慰め方をすればサミィは泣き止んでくれるだろうか。
その答えは纏まらず、オレはただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
オレはもう、カリウス・カムラルではないのだ。
もう戻れない。オレが何を言っても意味をなさないような、そんな気もしていて。
そんな風にまごまごしていたから、空が渇を入れてくれたのかもしれない。
ふいに灰色の曇天が割れ、月光がバルコニーに差し込む。
当然そこに立っているオレは、その光を遮り、サミィのいるところに人の影をを残す。
「だ、誰っ!」
鋭い誰何の声。
そのおかげでサミィの涙は引っ込んだようだったが、状況が最悪だった。
これで他の誰かが部屋に入ってこようものなら、何も言い訳できないことになってしまう。
オレはひどいうろたえっぷりを仮面で隠せていることに感謝しつつも、人差し指を立て、静かにしてほしいって懇願してみせる。
「夜分遅くにごめん。私は『夜を駆けるもの』と呼ばれている。ここがカリウスの部屋であることも知っているんだけど」
「……っ」
これは予測だったけれど。
おそらく、この部屋がサミィのものになった、というわけじゃないんだろう。
誰も入るなというオレのワガママは、まだそのままになっているはずで。
オレの言葉に、口ごもるサミィ。
すかさず、オレは言葉を続ける。
「それなのに、主がいないはずのその場所から風に乗って嗚咽が聞こえてきたじゃないか。気になってさ、迷惑かとは思ったけど、こうして見に来たんだ」
「……迷惑よ。人の泣き顔を見にくるなんて、趣味が悪いわ」
すると。
サミィは分かってくれたらしい。
オレに合わせて小声でそんな事を言う。
「それは悪かったね。……でもさ、無用心でしょ。窓開けっ放しで。サミィになにかあったらどうするんだ」
「私の名前、知ってるんですね」
「あ、ああ。カリウスとは知り合いだったから……」
ここに来ての致命的な失敗。
強引に誤魔化してみたけど、果たしてどうだろう。
仮面の奥でそっとサミィのほうを伺う。
「ユーライジアじゅうにその名を轟かす『夜を駆けるもの』とカリスが知り合いだったとは、これはこれは物凄い偶然ですわね?」
するとどうしたことだろう。サミィは僅かに笑みすら浮かべていて。
「ちょうどいいです。カリスの知り合いなら責任とってください。乙女の秘密を勝手に覗き見たことを」
「せ、責任? ……た、たとえば」
何だろう? 痛いことや怖いことじゃなければいいけど。
最悪ここから逃げてしまえ、なんてひどい事を考えつつ返事を待っていると、サミィは浮かぶ笑みを意地悪なものに変えて言葉を続けた。
「これからも、定期的にここへ来るのです。そして私の愚痴を聞いてください。全てをほっぽり出していってしまったカリスの代わりをしなくちゃいけないんです。心の負荷を吐き出せるような、そんな話し相手になってくれませんか?」
「それは……」
オレが、サミィにしてあげたいと思っていたことと大差なくて。
「駄目ですか?」
口ごもるオレに、不安そうな顔をするサミィ。
「駄目じゃない。オレはそのつもりで来たんだから。でもいいの? オレみたいな得体の知れないのにそんな事」
「ええ。これは一国の主となるものの屋敷へと平気で忍び込むような無礼に対する責任ですから」
「そんな横着な。これでオレがサミィの命を狙ってるやつとかだったらどうするのさ?」
「その気がおありで?」
そんなものあるわけがない。オレはぶんぶんと首を振る。
「だったら問題ないじゃないですか。私が満足するまで私の愚痴に付き合ってください」
自信満々の、我侭とすら取れるサミィの言葉。
滅多に我侭なんて言わない子だったけど、やっぱりオレの妹だ。
頑固と言うかなんと言うか……。
「分かったよ。ただし条件がある」
「窓のことですね。分かっています。次からはノックを三回でお願いします」
普段から開けておくのは危ない。
そんなオレの言い分を先んずるみたいにそんな事を言うサミィ。
なんだか泣いていたカラスに良いように弄ばれているようでちょっとしゃくで。
「それじゃ、後は報酬だけど」
「なんですか藪から棒に。まさか私に対してお金を請求する気ですか?」
オレがそんな事言うなんて思ってなかったんだろう。
さすがに今度ばかりはちょっとうろたえている。
「愚痴ってる時はいくらでも泣いていいからさ。別れのときにはサミィの笑顔が欲しい」
「……」
そもそもそれが目的だから、それだけは譲れない。
だからそんな提案をすると、サミィは見事に固まっていた。
「気障な人。砂を吐いてしまいそうだわ」
かと思ったらはっとなって赤くなり、ぷいと顔を背けて窓をぴしゃりと閉め、部屋の奥に引っ込んでしまう。
「ああ」
ノックの練習かな?
そう思い立ち言われた通り三回ノックするオレ。
するとすぐにむすっとした顔のサミィが出てきて。
「今日はもういいです。お帰りくださいまし。……報酬の方は努力してみます」
そう言って、再び引っ込んでしまう。
「うまくいった、のかな?」
なんだか怒っているような気がしなくもないサミィに。
オレはただ一人残され、首を傾げていて……。
(第43話につづく)
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